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89.P. L. グプタ/山崎元一、鬼生田顯英、古井龍介、吉田幹子訳『インド貨幣史』 (刀水書房2001年、原著1969年刊)

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  「インドが文芸の宝庫であることを知りはじめた人ならだれしも、深みのある精神的な作品を数多くうんだこの国に歴史がないことに、そしてその点で、最古の時代にさかのぼるすぐれた歴史をもつ中国と好対照をなすことに、目をみはります」(ヘーゲル/長谷川宏訳『歴史哲学講義(上)』、岩波文庫110頁)。

   インドにおける歴史の不在を言うヘーゲルの見解は、ヘーゲルの考えというよりは、18世紀のヨーロッパにおける東洋学のコンセンサスであった、のだろう。こうした見方は、現在まで引き継がれている。ところで「インドに歴史がない」とはどういうことなのだろうか。それは、時間というものへのある心的な態度と考えることができる。つまり、インドという国では、現代のなかに中世的なものが、あるいは古代の面影が、突如姿をあらわすことを意味するのだ。

  『インド貨幣史』は、歴史書不在のインドについて、インドの貨幣を通して、インドの通史を語る。硬貨(本書の原題がCOINSであるように、本書が扱うのはもっぱら硬貨である)からどれだけの情報が得られるのだろうか、と疑問がわく。だが、本書を読み進むと硬貨は予想外に豊かで確かな情報源に見えてくる。硬貨は、この場合、直接的情報源であるよりは、ギリシャやペルシャや中国の書物が語ること、石や銅板に刻まれた刻文、人々の語り伝えてきた伝説、それらを検証し補強する証拠として強力であるように見える。

   本書は、ヴェーダの前史から1947年の独立後の現代にいたるまでを扱う。インドの数千年を扱う本書において、とくに興味深く説得力をもって迫ってきたのは、ギリシャ人国家の存在だ。古代におけるギリシャとインドの遭遇・交流・融合と言えば、何か途轍もない伝説でもあるかのよう思えてしまう。仏教経典『ミリンダ王の問い』(東洋文庫)という本を知ってはいるが―周知のようにそれは、ギリシャに出自をもつミリンダ王が仏僧との宗教論議に敗れ仏教に改宗する話だ―インドとギリシャの結びつきは信じがたい物語なのである。アレキサンダーの東征は、シンドの地には及ばなかった、はずである。だが、歴史が語るところはもう少し別の展開をたどる。つまり、大王死後、広大な占領地は、ギリシャ人の将軍たちに分割された。二十数名のギリシャ人の王の名前を硬貨が明かす。その勢力はバクトリアからパンジャーブ、さらにはガンジス川の深奥まで及ぶ。このような歴史を硬貨が見事に跡付けている。インド西北部で出土する硬貨に紛れもないギリシャ文字を見ると動かぬ証拠をつきつけられた感じになる。ギリシャ人は、本拠地バクトリアでは、ギリシャ語で、その他のインド領では現地語(カローシュティー文字など)との併記で硬貨を発行した。

   ギリシャ人国家が発行した硬貨は多くのことを語っている。例えば、硬貨の製法(打型技術) の到来について、硬貨の材質について(金貨が登場するとともにニッケル貨も存在した)、ギリシャの神々について、さらには硬貨に王の肖像をもる意匠について、量目について、等々と続く。それは、新たな有力な分明の到来を告げているようだなのだ。また、そこには、ギリシャの文化のインド化の兆候、も見ることができる。重なりあう文化の見本だ。

   硬貨における大きな歴史の大変動は、ギリシャ人国家の新技術・新思想(前2世紀頃から)、イスラム勢力の支配下における偶像表現の排除(13世紀頃から)、そして西洋諸国の通商拠点(16世紀頃から)における大量の硬貨の発行によって大きく特長付けられる。それらの大変動のなかで、西洋諸国の硬貨発行(ポルトガル、オランダ、デンマーク、イギリス)の歴史事情が面白い。

   イギリス東インド会社は、非合法的に、ある時は合法的にムガル帝国の太守の造幣所に地金を送り、ムガル帝国と同じ貨幣を製造した。東インド会社は、インドの商人たちとの取引を決済するのに、ムガル帝国の貨幣が決定的に不足していたのだろう。しかし、これは贋金造りではないのか。現代ならば、通貨こそは、国家の主権の根本であるはずだが(アフリカや一部東南アジアの事情については、また別の考えがありうる)、当時のムガル朝は、硬貨の不足にたいしても、また、勝手な硬貨の製造にもきわめて鷹揚であるように見える。しかし、そうとも言えない事例もある。イギリスの商人たちが自分たちの君主(ジェームズ一世およびウイリアム三世)の名前で、ムガル様式(ペルシャ語で銘を刻み)の貨幣を作り流通させ始めると、アウラングゼーブ(17世紀、ムガル朝第六第皇帝)は激怒したのだ。アウラングゼーブは、ここでもやはり聡明である。この本の筆者は、この時こそはイギリス商人たちの最大の危機の時であったことを述べる。つまり、もしそこで、イギリス人商人たちがインドから一掃されていれば、その後の歴史の展開は、かなり別様のものであったはずだ、と(この部分は私の付けたしである)。だが、事情調査に赴いたムガル朝の大臣・官僚は(問題の中心地はボンベイであったようだ)、そうはしなかった。イギリス人勢力の一掃ではなく、それらの貨幣を徹底的に回収させたのだ。

   上記のような歴史を辿っていくと、V. S. ナイポールが繰り返し言う侵略を待ち受けるインドの資質のようなものが、浮かびあがっってくる。インドの人々は、自分たちの楽園を作り上げるのがうまい。しかし、それはどこか破壊と略奪を待ち受けている楽園なのだ。

   英国のみならず、インドにやってきた西洋諸国が、様々に硬貨を発行した。そのなかで、デンマークの行動・活動がとてもユニークで、注目したくなる。
   デンマーク王の勅許に基づく最初の船ウァーソン号は、1618年にデンマークをたったのだが、コロマンデル海岸沖で、ポルトガル船の攻撃をうけ撃沈される。船長はオランダ人だった。生き残った船員のその後の人生はどのようなものだったのだろう。小国デンマークの海外投資は最初から苦難に見舞われたのだ。しかし、別の船団が、タンジャヴールのヤーナカ(領主)と条約をむすび、海港と、一辺が歩いて1時間半および2時間というやや細長い土地の借地権を得る。それから、二百年以上にわたって、デンマークの商人たちは、政治的な野望をもたず(ここがグプタの強調するところである)、独自の金貨、銀貨、銅貨、鉛貨を発行したのだという。デンマーク人の商業に勤しむ活動の姿こそ、インドが望んでいたものに見える。しかし、デンマークの商業政策は、むしろ例外なのだ。

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グプタ朝発行のコイン
王の狩猟と騎乗に対する好みが表現されている
4世紀後半~5世紀前半

   インドの歴史が気になっている。だが、知らないことばかりだ。準備不足をいつも思う。それでも興味深いエピソードがむこうからやってくる。
   カズニー朝のマフムード(在位998-1030)は、ソームナートのヒンドゥー教寺院の破壊・略奪で有名だ。しかし、彼の発行した硬貨は別のことを語っている。カーフィル(異教徒、ヒンドゥー教徒を指す)の言葉、サンスクリット語とナーガリー文字を用いてカリマ(信仰告白)を硬貨に刻んだのだ。この宗教的寛容と、イコノクラストとしてマフムードはどう折り合いがつくのだろう。ここにも歴史の多様な声がある。
   偽皇子伝説に関連して(記事85で触れた)少しく馴染のあるブラーキーことダーワル・バフシュも、そのごく短いムガル朝皇帝時代に(1627年11月-1628年1月)銀貨を発行している。それには「勝利の父、ダーワル・バフシュ王」という銘だった。統治の意志の表明、あるいは祝賀の記念コインでもあるようだ。硬貨には、経済活動を支え拡大する機能の他に、祝福と記念の側面もある。とくにこの本を読んでいると、インドではその象徴的な意義が大きかったように見える。
   欧州の商人たちが、硬貨の不足から合法・非合法を問わず硬貨を大量に発行し続けたように、分離独立後(1947)の共和国においても硬貨の不足は続いた。それを補うために、共和国政府は、バーミンガム(英国)と韓国から硬貨を輸入しなければならなかった。バーミンガムの硬貨には、発行年の最初の数字の下に点が付けられている。また、韓国製の硬貨には最後の数字にHが付けられている、という。

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パルメーシュワリ・ラール・グプタ Parmeshwari Lal Gupta
1914年アーザームガル市
(Azamgarhワーラーナシー北方約80km)に生まれる
市の最年少のサティヤーグラヒー(「真理の把捉」による反英運動家)であった
16歳でストライキがもとで放校
記者をしながら家族を養い
独立後、非常な苦学をしてワーラーナシー・ヒンドゥー大学で
修士号を取得
その後、この本のもととなる原稿を書き上げるが
ラクノウに向かう列車のなかですべてを紛失してしまった、のだという

  『インド貨幣史』という本は、インドの歴史を、硬貨によって傍証する、あるいは情報を追加する。しかし、貨幣の歴史、つまりそれらの硬貨は、どんな目的で、どんな人々に使用されていたのかを語りはしない。この本は、硬貨がある時間を生きた人々の痕跡であるよりも、硬貨そのものについての本なのだ。最近翻訳の出たジャック・ル・ゴフの『中世と貨幣』(井上櫻子訳、藤原書店)を読むと、K. ポランニーを引きながら、中世において経済活動というものが独立してあったとは考えられない、と述べている。すなわち、中世は、宗教による全般的な価値づけがあり、そこにおいて金銭は一貫して貶められてきたのだ、と。それは、中世において金をもたない者は巡礼に出てはならない、という教訓が真実であったとしてもである。インドの硬貨についても、現代における金銭の圧倒的な支配とは違う価値観の影響を蒙っていたはずだ。硬貨を通して、実は、そこを思い描きたい。


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Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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