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82.ロミラ・ターパル『ソームナート 歴史の夥しい声』Romila Thapar, Somanatha The Many Voices of a History, first published in Viking by Penguin Books India 2004.

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主旋律
   1026年チュルク(中央アジアのトルコ系民族)でスンニー派ムスリムであるカズナ朝のマフムードは、グジャラートの海岸近くに建つソームナート寺院を襲撃し激しい破壊と略奪を行った。その凄まじさはすでに定説の観がある。ロミラ・ターパルの『ソームナート 夥しい歴史の声』は、その襲撃の物語における虚構に修正を迫る。
   ターパルはまずチュルク・ペルシャ系―襲撃した側―の資料にあたる。そこで明らかになるのは、凄まじい破壊と略奪の具体性ではなく、むしろソームナート寺院の豊かな財宝の誇張・喧伝、破壊行為の演出なのだ。バグダットのカリフへの手柄話、また西アジアにおける支配権確立のためのアピールである。次にヒンドゥー側の資料―襲撃された側のサンスクリット・アラビア語刻文(アラビア語も含まれるところがミソである)―を検討する。そこにはマフムードの襲撃に関する記述がまったくない。沈黙は襲撃によるトラウマの表現である、という憶測もあり得る。だが傍証はむしろここでもマフムードの誇張・喧伝・演出を裏書きする。例えば襲撃から50年後に当地を訪れたカシミールの詩人は、グジャラート人の無教養を嘆いても襲撃については語らない。さらにジャイナ教の学僧による伝記などが検討される。それは多分に護教的・政治的(王朝への追従)であるとしても、マフムードの襲撃には寡黙なのだ。さらに時代は下り近代の西欧の著作家によるアプローチを検証する。彼らはチュルク・ペルシャの資料に依存しその帰結がマフムードの破壊と略奪の物語の完成なのだ。

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独立後、建て直されてソームナート寺院

書き込み
   グジャラートという土地が興味深く思えてくる。
   古代においては、モヘンジョダロ、 もしくはパンジャーブのハラッパだけが高度な都市文明を謳歌していたのではなく、この地グジャラートにもそのような都市文明が存在した(ドーラーヴィラ遺跡が発見・発掘されている)。また、グジャラートは仏教、とりわけジャイナ教のとても盛んな土地なのだった。それら新宗教は、この地の豊かな経済活動を背景に形式化したバラモン教を革新してゆく。さらに、現代のインド料理のルーツがグジャラートにあるのだと、聞いたことがある。グジャラートは長いこと、まさしくインド文明の先進地帯であったようだ。さらに思い返してみると、現代ではマハトマ・ガンジーの出身地であり、彼に影響を与えた母のヴァイシュナバ派の信仰も土地柄を感じさせる。そして度重なるコミューナル紛争の現場であり(2002年の暴動では、少なくとも700人ほどもの命が奪われた)、イデオロギーに敏感で行動が先鋭化する土地であるかも知れないのである。また、蛇足を言えば現首相ナレンドラ・モディはグジャラートの出身であり彼の政治地盤もそこにある。

   ターパルの本の序章、このグジャラートという舞台についての記述がいい。・・・・・・8世紀の頃よりアラビア半島から商人たちがやってきたのだ。彼らのある者はインド人女性との婚姻によって現地化しながら、土地の実力者、大地主にもなっていった。商業地区にモスクも作られた。ソームナート寺院に近いヴェラヴァルは、アラビア海とインドの内陸を結ぶ交易の一大中心地だった。西方からは馬、金属類、ワインが、インドからは織物、香辛料、宝石、木材、剣が運ばれた。インドにとってとりわけ重要なのがアラビア馬だった。その交易にバラモンが係ったのだ。祈るだけではなく経済活動にも貪欲なバラモンの姿が眼に浮かぶ。馬は軍事行動の機動力を上げ、またパレードの華であった。13世紀にもなると中国との交易も増えていった。ソームナート寺院は、豊かな交易を背景に、また巡礼者の布施によって潤っていたのだ。

   マフムードの破壊・略奪とは、歴史の多様な声においてどのようなものであったのだろう。
   マフムードはイコノクラスムというイスラムの大義名分を実行し、喧伝した。しかし、一方、マフムードには宗教的な動機の他に、より実利的な目的があったはずだ、とターパルは書く。つまり、略奪のナカミは財貨ばかりでなく、とりわけて人(奴隷であり、軍事や官僚機構を支え、また知識人や職人に含まれる)がより重要であったはずなのだ、と。ターパルは攻撃・破壊・略奪と呼ばれているものの実態に、人々の流動化、文化の移動があったのだと言っている。カズニ(カズナ朝の都であり現カブールから遠くない)のモスクにある列柱はそれを製作した職人・工藝家のグジャラートからの移動をターパルは明示している。

   1951年の発掘調査は意外な報告を齎す。その地に中世からの大規模な石造寺院の存在を推定しなかったのだ。ターパルは、寺院は木造であったのではないのか、と言う。そして、寺院の保守がままならない実情を訴えるサンスクリット刻文に注目し、寺院は荒れ朽ちていたのかも知れない、と。ここでもロミラ・ターパルの静かな声が印象的だ。・・・マフムードの襲撃はあったのだろう、しかしその主なところは寺院を汚したことだったのではないか、実際は、海の潮風、有力寄進者の没落などで寺院は荒れ朽ちかかっている時もあったのだ、と(逆に、襲撃から100年後の寺院は大いに栄えていた)。

   人口に膾炙したソームナート寺院の物語は、イスラムによる寺院の破壊と、ヒンドゥーによる再建の繰り返しを語る。破壊と再建の明快な絵に人々は熱狂する。しかし、ターパルの指摘は、そのような明快さを遠ざける。なぜならソームナート寺院の建つ場所は、仏教あるいはジャイナ教の教導センターであったからだ。現在の寺院の聳立が、迫害と略奪の歴史を語っている、・・・という苦い認識には価値がある。

   マフムードは、イスマーイール派のシーア派イスラム教徒を異端として徹底的に弾圧した。ヒンドゥーの諸王もまた、ソームナート寺院を攻撃し略奪した。また、タミールのヒンドゥー王朝、チョーラ朝によるグジャラート浸出はきわめて残虐なものだった。ここでもヒンドゥー・イスラムという明快な二項対立は消え、こみいった事情が絡み合い、印象にのこるのは、群雄割拠の時代における侵攻と略奪の相貌である。

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ロミラ・ターパル
1931年ラクノウに生まれる
ロンドン大学で博士号取得
女史はインド古代史の専門家であるが
その関心と影響は幅広い
現在、ネルー大名誉教授
数多くの受賞のなかで、
1992年パドマ・ブーシャンの叙勲を辞退
翻訳は、『国家の起源と伝承』
(山崎元一、成沢 光訳、法政大学出版局1986)ほか

   この本が、近年のヒンドゥー至上主義の潮流への抗議を意図していることは明らかである。ただ、ヒンドゥー原理主義の熱狂(アヨーディアにおけるバーブリー・マスジットの破壊など)に真っ向から反論する風ではない。そうではなくてソームナート寺院は、ムスリムの攻撃で破壊されたのではなく、朽ち果てていたのかも知れない、と語る。

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   「歴史めぐる夥しい声」は、記憶や忘却のうえに成り立つものらしい。人々は、ある種の事柄だけを記憶し、もしくは記録に留め、多くのことを忘れ去ってしまう。ある過去についての記憶が新たな観念・記憶を生み出してゆくことが非常に厄介な問題になるのだ、とターパルは強調する。けれども、ターパルはこの本で記憶の変形・転移・拡散を追いかながらも、忘却された声を手繰る努力も行おうとしていて、その難しい努力が、この本のとても暗いトーンになっている。

<補足>
ロミラ・ターパルのこの本『ソームナート』の読書をきっかけに、グジャラートの歴史を勉強しようと、小谷汪之編『世界歴史体系 南アジア史2―中世・近世―』(山川出版2007年)を読み始めたら、この本が紹介されていた(82頁~85頁)。興味のある向きには参考になる。


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August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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