FC2ブログ

74.山松ゆうきち『インドに馬鹿がやってきた』(日本文芸社2008年刊)

yy1.jpg

   私は、漫画を読まない。読んでも面白くないからだ。それでも例外はあって、川崎ゆきおと山松ゆうきちの漫画は好きで割合と読んできた。
  山松ゆうきちの漫画は、『怪力エンヤコーラ』(青林堂1983年刊)が最初だからそう古いつきあいではない。何か単行本が出ると、ちょっと読んで頭を休める、というような風できた。しかし、縁とは不思議なもので、私にとって数少ない気になる漫画家=山松ゆうきちが、よりにもよって「インド詣で」の漫画を出すことになるとは、・・・。旧聞に属することではあるけれども、続編『またまたインドに馬鹿がやってきた』(日本文芸社2011年刊)も出ているので山松氏のインドを、私にとってはいくつもの謎=問題点(!)を中心に振り返ってみましょう。

問題点1.山松氏は、なぜインドに向かったのか。

  『インドに馬鹿がやってきた』の初めの方に、その経緯が描かれているが(大使館への問い合わせ、「貴方の御国には漫画はありますか 持ってって発売してもええですか」)、何か良くわからない。運命的な出会いと言われれば反撥したくなる。結果としてインドと山松氏の間には何か深く共鳴するものがあったことは確かようである。敢えて言葉を探せば、ある種の遊戯の感覚が、山松氏にもインドの社会にもあって、共振しているかのようだ。

問題点2.なぜ山松氏はインドで漫画を売り捌こうとしたか。

   60歳近くにもなって、それも初めての海外旅行で、誰ひとり知る人もいないインドへ単身乗り込み、日本の劇画をデリーでヒンディー語に翻訳し(英語じゃないところがすごい)、インド人に印刷させ、さらに路上で売り捌こうとした。なぜだ、なぜなんだ(!?)。・・・これは、旅というもののコミュニケーションの困難についての解答に違いない。インドを旅して、風景や人々の姿は容易に眼に入ってくる。ガイドもどきや物売りやらとのごく表面的なやりとりは容易である。だがインドおよびインドの人々との真の深いコミュニケーションは難しい(これは同朋のあいだでも同じだが)。物をつくりそれを売ろうとすることは、一挙にインドのある現実の中に入っていき、本物のコミュニケーションを始めることができるのだ。インドの人々と本をつくり、それを路上で売るというやり方を選択した結果、山松氏は驚くほど深くインドと関わることになった。これは驚嘆すべきことである。

yy3.jpg

問題点3.山松氏は、なぜ自作の漫画ではなく『血だるま剣法・おのれらに告ぐ』を売ろうとしたのか。

   平田弘史の劇画『血だるま剣法・おのれらに告ぐ』は、1962年、部落開放同盟大阪府連の抗議で闇の奥に葬り去られた(回収および破棄)問題作なのである。山松氏自身の漫画ではなく『血だるま剣法・おのれらに告ぐ』をヒンドゥー語に訳しインドの路上で売り捌こうとしたことは、この本の最大の謎だ。
   ところで『血だるま剣法』は今読み返してみるときわめてヒューマンな差別反対の書である。差別の救いがたい暗闇(一例をあげれば差別戒名に見て取れるような迂回的差別)を隠し持っているわけではない。差別はあからさまに露出している。主人公幻之助の残虐に走るところと被差別部落の出自との結び付きが少々気になるが、良く読んでみるとその残虐さは、差別的偏見というよりは、むしろ幼児的で意味のない増幅に思える。『血だるま剣法』は、むしろ差別された者の、その逆境をバネに尋常ではありえないスーパー・パワーの噴出を歌っており、ロマンチックですらあり、60年代の実は明るく健全な社会思潮(と今からは思える)を思い起こさせる。
  山松氏は、そういうきわめてヒューマンでナイーブな差別反対の書『血だるま剣法』をインドの路上で売り捌こうとした。差別が、制度・歴史・文化として確立している国へ(と多くの日本人は信じている*)、ヒューマンでナイーブな差別反対のマンガを突きつけそこでおこる何がしかの火花が散ることを期待したのか(かの地で発禁処分にでもなれば本望)、それでもなお本当の理由はわからない。
今回『血だるま剣法』を再び読み返してみて、もうひとつ重大なことに気付かされた。『血だるま剣法』の復刊(青林工藝舎、2004年)は、山松氏の秘蔵していた『血だるま剣法』(日の丸文庫、1962年)によって可能になった、とのことなのだ(当時の出版元の社長は焼却処分を公言していた)。山松氏と『血だるま剣法』との間には、他人には伺い知れない紐帯=物語があるのかも知れない。秘蔵された『血だるま剣法』が、半世紀をへてデリーの路上に姿を顕わしたのだ。
   それにしても、山松氏は完全抹殺されそうになった他人の本=漫画をすごく大切に持ち続けた。生命の重みとは、このような感覚によって形成されてゆくものに違いない。

問題点4.なぜ英語でなくヒンドゥー語なのか。

   現地でもいろいろな人が「英語で出版した方がいいですよ」とアドヴァイスしているにも関わらず山松氏はヒンドゥー語を選択した。英語の方が売れるかもしれないが(ヒンドゥー語で生活するインドの庶民は本など買わない)、それでは物語にならないという目算が山松氏にあったのかも知れない。
しかし、山松氏の思惑はさておき『インドに馬鹿がやってきた(正・続)』におけるヒンドゥー語の言葉・会話の頻出は何とも楽しい。ヒンドゥー語の迫力、豊かな表情が伝わってくる。それは一種の芸なのだろう。山松ゆうきちの漫画におけるヒンドゥー語と日本語との合体・融合は、言語芸術における新たな可能性すら感じる。“サイキール リクシャ ワレーキ ドカーン”は、実は虫歯になりそうな程に甘ったるい人情譚なのだが、このタイトルの響きは最高である。
   “特別対談”(ヒンドゥー語研究者石川まゆみ氏との対談)では、ヒンドゥー語をとりまく環境変化について、かなり明瞭になりつつある厳しい現実について語られている。今、インドでは、良家の子女にヒンドゥー語で話しかけても英語でしか返してこない、つまり英語がステイタスとしてヒンドゥー語を周辺に追いやっているのだという。それはかなり顕著で露骨なことのようだ。だからなおさら一層、山松氏のカタカナ・ヒンドゥー語ちゃんぽん漫画は、光輝いている。

yy2.jpg

問題点5.山松氏はなぜスラムにこだわるのか。

   『またまたインドへ馬鹿がやってきた』は、漫画ではなくカレーうどんをインドで売ろうとする漫画物語だ。バイトのインド人はスラムで商売するのを嫌がるのだが山松氏はスラムに行こう、と言う。お金を持っている人が集まるところで商売するのがフツーの考え方だと思うが、山松氏は貧困と不衛生と犯罪の渦巻く(というイメージをもつ)スラムで商売しようとする。超マーケティングの発想を山松氏は実践する。スラムに入ってゆくことは、フツーの人にできることではない。あるいはしてはならないことだ。山松氏がスラムに溶け込み(緊張感を醸し出さない)、自らの記憶(釜ヶ崎)を通り越して人間の原初への郷愁を感じているようにさえ見える。人は、システムの桎梏を遁れ、どれだけシンプルに生きられるのか、を覗きこむように。

問題点6.山松氏は不死身であるのか。

   驚くべきことに山松氏は、インドで生水を飲みインドの庶民が食する現地食を平気で食べる。山松ゆうきちは不死身であるのか。・・・実は不死身でなく、スポットの二週間のインド滞在でA型肝炎に感染し死線をさまようことになる。あるいはまた、インドで犬に咬まれ、狂犬病ワクチンの痛くて高額な注射を打たなければならなくなった。
これらのエピソードには、真実とはどのようなものであるのかを、つまり喩としての怖れと現実に生起する危険との関係について物語っている。
山松氏の非常識は、絶対的な保障を得ることはなく、厳しい現実によってしばしば木端微塵と化す。それでもなお常識を超えた夢の試みが広がってゆく。

問題点6.インドへやってきた「馬鹿」とは何なんだろう。

   山松ゆうきちが好んで取り上げるアイドルは、「馬鹿」である。おろかな者の愛らしく豊かな表情、あるいは「馬鹿」ものの孤独と超能力をある種の抒情性と合わせて山松氏は描き続けてきた。たとえば、“ぞうりばきのランナー”におけるタゴやん。山松氏は、「馬鹿」を愛おしむように繰り返し描き、そしていつも「馬鹿」の味方であった。
   「馬鹿」を笑い楽しむことは実はそれほどむずかしくはない。しかし、多くの人は、ある程度「馬鹿」でありある程度「利口」なのだろう。だが、「馬鹿」になり切って「馬鹿」を演じることは、そうたやすいことではない、と思う。
   『インドへ馬鹿がやってきた』において、山松氏は「馬鹿」を自ら実践する。山松氏はみずからの行為と肉体によって笑いの主体形成をはたす。ウケをねらったバカ=道化の卑屈は皆無である。『インドへ馬鹿がやってきた』は、望むべき最高のリアリズムによって聖なる馬鹿の肖像が浮かび上がってくることに成功したのである。

*最近はカーストを差別の装置と考えるのは慎重でなければならないと注意している。
たとえば、アミット・チョウドリーの小説などを読んでいると、主人と下働きが、仕事・生活の領分は違っていてもお互いを家族の一員であるかのように分け隔てなく遇していて、カーストとはどこの国の話なのだろう、としばしば思うからだ。
また、最近田辺明生『カーストと平等性』(東大出版会、2010)という本を読んだのだけれども、そこでもカースト制度にある平等性の原理を突き止めている。著者は、ある祭祀(ラーマチャンディ女神祭祀9月、10月の頃、17日間続く)における供犠(「殺し分けて食べる」)を実地に現地調査し(オリッサ州ゴロ・マニトリ村)、つぶさに記述しながら、デュモンや新ホカート派のカースト解釈、つまり、デュモンのバラモンを最上位とする硬いヒエラルヒーでも、新ホカート派の宇宙の中心にある王の権力に根ざす支配構造でもなく、各カースト間にわたる「補完と矛盾を含む相互作用」としての「存在の平等性」を見出している。田辺明生は、均質性と近似性という調和を求め続けてきた近代国家のモデルに対して、差異を認める「カースト・イデオロギーの創造的変容」 (ヴィーナー・ダース)を求める。差異に基づく平等、それこそがカーストの神髄でなければならない、と言うのだ。

コメントの投稿

非公開コメント

No title

コメントと言う分けじゃないのです。インドで漫画を売りさばくのは、採算はともかく、良い発想ではないかと思います。「ヒンディー語より英語がステイタス」って言うのは、今やインドでは常識かも。一頃の訛りのあるインド英語を話す人は、めっきり減ってしまいました。インドでインド英語の訛りを聞くと、知らないに人でも、古くからの友人にでも会った様な親しさ、懐かしさを覚えるものです。都会の若い女性は、言葉以前に、アジア系の旅行者なんか目もくれません。
プロフィール

August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR