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2.Amit Chaudhuri, Freedom Song. First published 1998. New Delhi: Picador, 1998.

裸電球で映された新妻の影が部屋の壁に揺れ動く、
この女のための家・ホームは一体どこにあるのだろう、
と主人公は思う


  アミット・チョウドリーの小説が、僕は非常に気になりだしている。チョウドリーの小説は、例えば、クシュワント・シンとは対照的に極端で異常なものへの傾倒はなく(『首都デリー』におけるヒジュラ=半陰陽の娼婦への愛のように)、また物語りを楽しむインドの伝統ともどこか無縁だ。どこにでもありそうな人々の生活や思いを丁寧に、極めて鮮やかに、静かに書いていくのだ。僕のもう一人気になるインドの現代作家パンカジ・ミシュラも、チョウドリーはカメラだと言っている。人々や場所を、少しずつアングルを変えながらゆっくりと撮ってゆく、サタジット・ライのように、と。

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表紙イラスト、Sarah Markes

  母の仲の良い姪が、体調を整えるためにウチに逗留するくだりからこの小説『自由の歌』(1998年)は始まる。カルカッタは冬だ。チョウドリーの季節についての描写は秀逸で、そんな描写を通して小説のなかに引き込まれてゆく。1992年のこの年、カルカッタではアヨーディアでのコミューナルな争いから戒厳令がしばしば発令される。母親は、六十を過ぎて、さまざまな思い出を抱えている。父親にプロポーズされた時、好きだった人が別にいて結婚にはあまり乗り気ではなかったこと、学業は続けたかったが英語の試験で落第してしまったこと、そのようなことが追想されてゆく。

  この小説の主役である次男は、共産党の末端組織に出入りし、プロパガンタ的な街頭パフォーマンスの実行を計画・準備を進めていく。同志といえば、党員・シンパとしての活動よりも革命歌を歌うことに情熱をもっていたりして、ふざけているわけではないにしても、ある種の滑稽味が漂う。実は、この街頭パフォーマンスが、この小説のひとつのハイライトになるのではないかと僕は期待したのだけれども、ひどくあっさりとした記述で肩透かしだった。
父親は、英国留学の経歴をもつエリートのエンジニアだ。独立後、国営の菓子製造会社に勤めているが、規制緩和の大波のなかで従来の非効率な事業は成り立たなくなろうとしている。州政府のリストラ圧力と組合の間で緩衝材のような働きをする。他方、母親の弟の事業家も、クレーン等の建設機械の製造を手がけるが失敗し破産するのだ。母親は、弟に資金的な援助をするのだが、自分の宝石類を金に換えることはなかったのは賢明であった回想する。かの地の人はそのように考えるのかと興味深かった。

  文章は素晴らしく、一行一行に味わいがある。祖父や祖先について、あるいは一族のだれそれについて、そして小さな事件としての日々の出来事が、淡々と記述されてゆく。こんな平凡なことを書いていくだけの小説というものがありえるのだろうかと疑問に思いながらも読み進んでゆくと、主人公の結婚話が現実味をおびてくるに従い、小説は徐々に盛り上がってゆくのだ。二流のスクールしか出ていなく、職を転々としている自分のような人間に、結婚を望む者がいるのだろか、といった独白があって、それでも見合いがあり、結婚式が進行してゆくのだ。僕は、お見合いの席でアイスクリームを食べるシーンを読みながら、R. K. ナーラーヤンの『菓子屋』にも、鉄道と牛車を乗り継いで見合いの旅にでる素晴らしい情景を綴った文章があったことを思いだした。結婚式については、主人公が執拗に感じるサンダルウッドの焦げた臭いがすべてを物語っているように思う。初夜、二人はぎこちなく寄り添い、おずおずと言葉を交わすのだが、部屋の壁に裸電球で映された新妻の影が揺れ動き、この女のための家=ホームは一体どこにあるのだろう、と主人公が思うところで僕は息がぐっと詰まり、異様な感動につつまれた。

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アミット・チョウドリー 1962年カルカッタ生まれ

  極端で例外的なことを取り上げ、描くことで僕たちに揺さぶりをかけてゆくよりも、平凡な日常のなかにある小さな驚き、迷い、齟齬をチョウドリーは詩的に書いてゆく。ごく平凡なことを詩的にかつ読ませる文章に表現していけることが、僕にはちょっとした驚きだ。チョウドリーの小説は、ありふれた日常を凝視し、そこから存在そのものを強く意識させるように機能する。存在について注意を喚起し、どんな類型にも還元しえない存在の次元を拡張してゆく。うまく説明できないけれども、チョウドリーの小説を読むと、僕達が現にあることをもう一度じっくり見つめなおし、意識しなおすことを促しているように思えるのだ。チョウドリーの小説は、詩的で存在論的に深い。


テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

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August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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