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71.パンカジ・ミシュラ『アジア再興 帝国主義に挑んだ志士たち』(園部哲訳、白水社、原著2012年刊)

PM0bbb_20150320170814a57.jpgパンカジ・ミシュラの本のことを
思い出し
昨年(2014年)秋に翻訳の出た
『アジア再興』について
つまりアジアの近代化と
そのさまざまな受容と変容
あるいはアジアの抵抗者たちの
屈辱の経験について
考えてみたい



   R. K. ナーラーヤンの古典ダイジェスト『ラーマーヤナ』R. K. Narayan, The Ramayana (2006)の序言・解説をパンカジ・ミシュラが書いていて、それを僕は読んで随分感心させられた。

   ミシュラは、その着眼点がとてもユニークなのである。1988年夏、北インド清掃労働者たちは、連続TV番組の“ラーマーヤナ”の放送延長を州政府に求めてストライキに突入した、と言う。ミシュラは、“ラーマーヤナ”が、現代においてこうも多くの人々を熱狂させる生きた古典叙事詩なのだという驚くべき事実を喚起しながら、魔神ラーバナを信奉する南インドのダーリット(不可触民)のことや、インド独立運動の影のエートスとしてのラーマ王のことを、きわめて刺激的にかつ平衡感覚をもって論じていて、僕は読んでいて何度も唸らせられた。

   このエッセイがキッカケになり、僕はミシュラの本を一冊ずつ、ゆっくりと読んでいくことになる。

   『ラーマーヤナ』を論じるに際して、清掃労働者のストライキを取り上げる乾いたユーモアと同じものを、すなわち知的で、パンチがきいていて、型にはまらないユーモアを僕は見出していく。『ルディアーナのバターチキン』Butter Chicken in Ludhiana: Travels in Small Town India (1995)では、小さくありふれた街を歩くという発想も嬉しいけれども、旅行記をものするにあたって、もっとも参考になった本は、ナイポールでも、ポール・セローでも、チャトウィンでもなく、何とウェブレンの『有閑階級の理論』なのだと言う。僕は、この後『有閑階級の理論』のページをめくりながら、ミシュラのユーモア、つまりインドの青年が、自国インドを旅することの意味と屈折を、しみじみと味わい直すことができた。

・・・・・・何も知らず仏像を崇め奉るヒンドゥー教徒(『苦悩への終焉』An End to Suffering, 2004)、アヨーディアのモスク破壊の急先鋒ウマ・バルディ女子におけるチェ・ゲバラなど(『西洋の魅惑』Temptations of the West, 2006 )、ミシュラのユーモラスな視点・観察が僕は楽しい。(世界は誤解に充ちている。いや、それを誰が誤解だとジャッジするのか)。しかし、「ルディアーナのバターチキン」の意味するところが僕には不分明であるのと同様に(これはあるビジネスマンの会話の盗み聞きに由来する)、ミシュラの多くのユーモアを僕は見過ごしているのかも知れない。

                        ☆☆☆

   ケララの美しい朝、トーマス・マンの小説について静かに語りたい、という感想をミシュラはもらす(『ルディアーナのバターチキン』)。・・・僕は、この箇所を読んで、昔読み始めて途中になっていた『魔の山』を読み返した。

   ミシュラには大読書家の雰囲気がある。
 『苦悩への終焉-この世界における仏陀』では、―これは、半ば自伝、半ばブッダについてのエッセイといった本であるけれども―語り手はもの書きとなる以外のいかなる職業にもつくまいと決心し、ヒマラヤの麓の村に小屋を借りそこに閉じこもって「作家になるための読書」に没頭する。たとえばマンデリシュタームを読んでゆく。ロシアの社会主義を、仏教の視点で検証してゆくかのように。

   ミシュラの読書は、何か真面目な青年の精神の探求(19世紀のロシア文学に登場してくる青年の姿が彷彿される)のようで、いささかも専門家のものではなく、ましてや衒学的でないのが爽やかである。読書は、ミシュラにかかると、ヒンドゥー聖者の修行にむしろ近くなり、この世の究極の秘密を、もろもろの人生の悟りを追い求めているように感じられてくる。あるいは、読書は集積された情報を操作し、この世の悪しき支配を企む魔物に抗う手段、さらに書物との交霊により、この世の真実の道を啓示することへと希望だという気がしてくる。もし僕にもっと勇気があるなら、僕もそういう読書がしてみたい、という気にさせられる。

   『苦悩への終焉』における、ミシュラが読書をとおして得られた霊的啓示とは、・・・ヒンドゥー教の、現在、明らかになりつつある二つの弱点、すなわちその不寛容と退歩について、佛教的なものによる克服の夢なのである。

                        ☆☆☆

   小説『ロマンティックス』The Romantics (1999)は、二つの軸から成り立っている。ひとつは、インドを旅するフランス人の女(性)とのプラトニックな愛、そしてもうひとつは、バラモンの学生援助組織のリーダーとの交流である。前者は、インドと西欧文明との込み入ったあり様を、また後者は、インドの貧困の現実について語っている。

   まず、ミシュラの貧しかった頃の回想から始めよう。
   主人公は(僕にとっては、ミシュラとイコールである)、毎日、二・三十数キロの道のりを、エドマンド・ウィルソンを読むために、歩いて大学の図書館に通った。ポケットの中にバス代はない。政治・宗教的緊張と暴力によって荒れたキャンパスの背景にあるのは、インドの貧困である。この貧困と主人公の知的な探求心との同居こそ、アジア的なのだと僕は思う。エドマンド・ウィルソンを読むために歩いて大学図書館に通う主人公を、尊崇と憧憬の入り混じった絵として僕は受け取る。

   バラモンの学生援助組織のリーダーの実家を訪ねる件(くだり)も、また、痛切である。未亡人の母親は、役所の勤め口は下位カーストに割り当てられ、特別なコネを持たない息子はまともな仕事には就けないだろう、早晩破滅するしかない、と嘆息する。主人公とこのリーダーとは、エドマンド・ウィルソンについて語りあう。暴力でなく、文学のかすかな力を信じたい、とでも言うかのように。・・・このような倫理感も、貧しいアジアの痛切な物語なのだと思う。

   ミシュラにとって、このバラモンのリーダーはとても大切な出会いであった。ミシュラは繰り返し、この友人のことを回想する。ついでに言うと、この男は、母親の予言通りギャングとなり、バラナシの路上で敵対するギャングに射殺される(『西洋の魅惑』)。

   バス代の事欠くミシュラの学生時代、ギャングと成らざるを得なかったバラモンの先輩は、そういう時代、そういう社会をミシュラは生きてきたのだ。

   この小説『ロマンティックス』におけるもう一つの軸は、フランス人の女(性)とのプラトニックな愛である。学部学生の主人公が、バラナシで下宿生活を始めたころ、フランスからドロップアウトしインドに流れてきた白人たちのなかに彼女がいる。父親は、パリに住む銀行家なのである。彼女は主人公に好意を示し、彼もまた惹かれてゆく。彼女には、シタール奏者のインド人のボーイフレンドがいて、二人は、ヨーロッパへの演奏旅行の計画を温めているが、予想通りというべきか、それはうまくゆかなくなる。・・・最終章において、恋人がフランスで結婚し、今ごく普通の幸福な生活をしている、という知らせを主人公は聞くと、自分にはいかなる心の動揺もなく平静であることを確かめるのだ。

   西欧的なるものとの接近・交流、そしてそのあとの一種の離反を、ミシュラは、繰り返し語っている。素晴らしい希望を西洋的のもののうちに発見しては、裏切られてゆく、のである。裏切られたと思う時のミシュラの姿は、透明に近く、バラモンの矜持が西洋の軽薄を見下しているようでもあるけれども、ミシュラは、インドの人々のさまざまな西洋との関わりを執拗に追ってゆく。

   ミシュラのナーラーヤン論“偉大なりナーラーヤン”The Great Narayan, The New York Review of Books (2001)では、R. K. ナーラーヤンが描く南インドの典型的なバラモンの完成された世界と感受性の背後に、ナーラーヤン一家の、英国植民地政府との入り組んだ関係を明らかにしている。つまり、南インドの斜陽するバラモンの一家が、英植民地政府にいかに取り入り、一家の没落を阻止しえたかを、執拗なまでにミシュラは追跡する。・・・ナーラーヤンの反英闘争への関わり・思いは、とても複雑なのである。

   ミシュラ自身が、そういう西欧との一筋縄ではいかない関係の中にある。たとえば、彼の妻メアリ・アマントは、英国のエスタブリッシュメントの娘であり、英国の首相デーヴィット・キャメロンのいとこ、また彼女の父は、サッチャー首相の政策立案チームのトップだった、という。・・・そして、これが十全にはきわめて理解が難しい問題なのだが、パンカジ・ミシュラは、インドの言語ではなく、英語で書き、ロンドン・ニューヨークにおける媒体によって生きる作家なのである。

                        ☆☆☆

   『アジア再興』が、非常な速さで翻訳出版されたことは(原著2014年刊)やはりひとつの事件というべきなのか、と思う。文学よりも、政治経済の本の方が、よりよく読まれることなのだろうか。あるいは、我が国とアジア諸国との関係がより緊密に動きだしていることの表れなのか、とも思う。・・・僕にとっては、パンカジ・ミシュラという作家は、文学も、政治も、なのである。このセットには、貧しいアジアの必然性がある。文学という、いわば個の小状況を舞台にした物語と、政治という大状況とは、アジアの多くの青年・知識人にとっては、切りはなせない。文学への言及を控えた本書に、僕にとっては一種の戸惑いを感じる。さらに言えば、ミシュラの政治の文書・思想を扱う作法において、文学的なものから遠ざかっていることが残念である。

   この本のテーマを、ごく表面的になぞると、アジアの知性による西洋の侵食に対する反論・反撃だと読める。ここで言う、アジアの知性とは、ジャマールッディン・アフガーニー(1838-97)であり、梁啓超(りょうけいちょう、1873-1929)、康有為、タゴール、サイイド・クトゥブ(1906-1966)等々ということになる。ミシュラはそれを「歴史的エッセイと伝記の混交」と言う。僕には馴染の少ないイスラームの変革者たちの考えに興味をもって読んだのだが、エジプト人クトゥブへの興味を除くと、どうもうまく理解できなかった。彼らの変革の進め方が、宮廷との関係でしかなかったり、外形的としか言えない批判であったり、どうもうまく伝わってこない。日本の変革者達(徳富徳次郎や福沢諭吉、岡倉覚三等々)についての言及を読んでも、通り一遍の記述に終始していて、僕らはもう少し陰影に富むところを知っている。日本の近代化を少し思い出すために、久ぶりに橋川文三や安丸良夫のページをくくったのだけれども、そこには朝鮮の近代化に深く係る福沢諭吉の姿や、伊藤博文と李鴻章との交友(!)やら、また江戸後期の極めて独創的な儒者海保青陵など、実に個性的な貌に、様々な思いが交錯する。近代化の準備は、いくつもの層においてあったのだと、改めて思った。そのような感覚にとっては、アジアの抵抗する知性についてのミシュラの記述は、いくらか教科書的である。ポイントしか書いてなく、デティールという表象の魅力に欠けている。

   むしろ、ミシュラらしい声は、ある種の屈折の描出のなかにあるようだ。ミシュラは、タゴールについて「アヘン貿易で財をなした祖父とその憂鬱」に繰り返し言及するし、英帝国主義の先兵と化し中国人民に襲いかかつたインド人の兵士や警官、またボーア戦争におけるインド人部隊の役割について語る。その意味するところは必ずしも明確ではないけれども、僕は、正義の単純化、完全な正義についてのミシュラの疑念というより、引き裂かれた存在としての自己認識、あるいは文学者に特有の倫理的な姿勢で、それらは、私にとっては、きわめてミシュラ的なのだ。

   インドの人々は、英国による支配を受けるととともに、英帝国のお先棒を担いだ、という苦い認識とともに、ミシュラには、1957年の大反乱以降、インドにおけるムスリムが、より苛酷な状況に追い込まれてゆくという見方をこの本で示している。また、この本の多くのページが、アフカーニーやサイイド・クトゥブという汎イスラームの抵抗者にさかれているのである。・・・ミシュラは、おそらく肉と酒を退けるブラーフィズムの実践者であるはずだけれども、ムスリムに対する公平な感覚がミシュラの真骨頂であり、本書の長所である、と思う。ミシュラは、インドと英国の単純には割り切れない関係、また、ムスリムへの理解努力とともに、きわめて繊細な倫理についての感受性をもつ。これもまたミシュラ的なるものの特長なのだと思う。

   60年代のテヘランで(それはイラン・イスラーム革命への長い助走の始まりだろう)、アフカーニーが学生やインテリの間で良く読まれた、と言う。しかし、アフガーニーが与えた興奮がどんなものなのか、この本では分からない。あるいは、茅盾(ぼうじゅん)や瞿秋白(くしゅうはく)のタゴールへの批判は興味深いけれども(瞿秋白は「中国にはすでに一杯孔子や孟子がいる」とタゴールにある精神主義を批判したと言う)、形式的な論理的批判以上の実質が伝わってこないのである。

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パンカジ・ミシュラ
1969年ジャンシー生まれる
アラハバートの大学で商科を
ニューデリーのジャワハルラール・ネルー大学で英文学を学ぶ
90年代の初頭、ヒマラヤの麓に移り住み文芸評論等を寄稿しはじめる
訳者あとがきによると、アルンダティ・ロイを発見したのは
編集者時代のミシュラだという
現在パンカジ・ミシュラは、
インド本国のみならずニューヨーク、ロンドンのメジャーな媒体で
健筆をふるう

   『アジア再興』という本が、何を言いたのかよく分からない、と読んでいて思うのだけれども、この本の最後の場面に到って「アジアの人々の屈辱感」に触れると、読書はにわかに活気を帯びてくる。『アジア再興』という本は、近代における西洋の東洋への侵食にたいして、東洋の優れた知性がどう反撃したのか、という本ではないのかも知れないのだ。そうではなく、東洋の最高に洗練された知性が、西欧との接触において体験したであろう屈辱の感覚を通奏低音としてもつ本である、と考えた方が良いように思えてくる。そして、そのような気付きは、二十世紀の最終局面でより顕在化してくるイスラーム過激派の度重なる暴力、方向性を見失ったテロの背景にある深淵を覗き込むような感覚を齎す。

   うまく説明できないのだけれども、この本におけるアジアの抵抗者達、アフガーニー、梁啓超、タゴールらの旅・移動量の多さに私は魅了される。アフガーニーの足取りを辿ると(生まれはペルシャ北西部の村とのこと)、デリー、カブール、イスタンブール、カイロ、テヘラン、ロンドン、パリ等々ということになり、14世紀の大旅行家イブン・バトゥーダを彷彿させる(宮廷を渡り歩いたという意味でも似ている)。さらに驚くべきことに、彼の死後、つまり遺体は、イスタンブールで掘り返され、カラチ、ペシャワール、ジャララバード、カブールへと旅するのだ。

   アジアの変革者たちの旅・移動とは何であったのだろう。亡命・集金・情報交換・拠点構築といろいろと考えられるが、また、旅・移動によるかれらの思想形成(西欧によるアジアの狡猾な収奪のありようを実地に触れ、また西欧の理念は(たとえば民主主義が)アジアの人々を時に除外するのだという認識、等々)が重大な意味をもっているとしても、それ以上にある感覚が私のうちに浮遊し始めるのである。それは、移動し続ける人間の存在様態に特有なもの、とでも呼ぶべき事柄なのである。この本における変革者は移動し続ける。そしてまたミシュラも移動することを止めない。そのような移動の感覚をこの本はもっている。

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No title

早速買って読んでみたいと思います!!
どーでもいーコトですが・・・・かれらのタゴール批判,おっしゃることよくわかります。わたしもそう思います
ただ瞿秋白ファンとして,擁護しますとw,中共の幹部としてのアジテーション的に戰鬪的な意図を持って書かれた文章ですので。彼自身はじつはタゴールの“詩文”がだいすきだったのです。

No title

 すっかり春になりました。ご無沙汰しております。先ほど、71と72を読んで、プリントしたところです。春の初めに貴兄から手紙をいただきました。今年は新年から、家庭の事情で忙しくしております。それに就いては、連休中書簡を認めたいと思っております。ところで、わたくし読書に関して、読むのに時間がかかり、なかなか読破出来ません。何とか、蓮実『ボヴァリー夫人論』は読み終えましたが、その他は読書継続中です。本-読書-に関して、なかなか文章で論じて見たいと言う気分になることがありません。以前ほど、-貴兄の様に-本を読みたいと言う欲望がたかまりません。かつての様に、あれも、これも読みたい。本が欲しい、と言う、欲望が減退しているのは、歳のせいでしょうか。昨日、拙ホームページに『カリーに就いて』とcd評-ザ・バンドとディランの競演を含む-をアップしました。連休にお読み下さい。
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Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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