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70.サーダット・ハッサン・マント『ボンベイ・ストーリー』Saadat Hasan Manto, Bombay Stories, translated from Urdu by Mattreek and Aftab Ahmad, published by Random House India in 2012.

images2ZB5M2YW.jpgサーダット・ハッサン・マントは、
1947年のイン・パ分離独立にともなう混乱の悲劇を
書いたことで著名な作家だ。
自身も、舟でボンベイからカラチに逃れた経験をもつ。
この『ボンベイ・ストーリー』は、
それとは少し違う。
規格はずれの人間の、フェティッシュについて
―その多くは娼婦である―愛情深く透明感をもって語る。
それは、時として、まるでこの世の
奇跡を目撃するかのようだ。





 
   カール・マルクスは「愛は愛のみと交換されるべきだ」と言った、と聞いたことがある。

   南アジアの近・現代小説を読んでいくと、カースト問題が様々なかたちで提議されてくる一方で、なお多くの小説のいたるところで、遊女・娼妓・娼婦の登場・活躍に突きあたる。少しだけ記憶を辿ってみても、プレームチャンドの『横領』Munshi Premchand, Gaban (1931)に登場してくるムスリムの娼婦は、勇敢で、気高く、強く、正義であり、権力のなかに巣くう悪と闘うために恋敵との連帯をはたす。シャラットチャンドラの愛人も、自伝的作品『シュリカンタ』Saratcandra Cattopadhaya, Srikanta (1917-1933)によれば、もとは王侯貴族を相手にする高級娼婦であった。彼女の拠点、パトナでの豪族との宴会に紛れ込んでゆくシュリカンタは、場違いをとおりこして不思議の国を彷徨する、インド叙事詩における王子の再来を思わせた。もと高級娼婦の歌姫は、優しさと毒との両方をもってシュリカンタを迎える。そして、彼女自身について言えば、プレームチャンドの場合よりも、さらにナイーヴであり壊れやすい。捉えどころのない両義性に魅了された。・・・クシュワント・シンの『首都デリー』(結城雅秀訳勉誠出版、原著1990年刊)では、ジャーナリストの主人公が、ヒジュラ(半陰陽)の娼婦バーグマティへの愛を「わが生涯の情熱」と宣言する。それはこの世のすべての人種=宗教的緊張・対立・暴力を融和させ、和解への昇華を約束させる祈りのようでもあった。

   なぜこのように娼婦(この文章の文脈では何と呼ぶのが一番適切なのか迷う、春をひさぐ者でもなく性労働者というのも違うと思う)のことを言うかと言うと、サーダット・ハッサン・マントの『ボンベイ・ストーリー』は、そのほとんどの短編が、ボンベイの娼婦たちに捧げられた物語だからなのだ。マントは、ボンベイに映画産業が興る頃、また繊維産業の隆盛が多くの働き手をこの都市が吸引していた頃の、つまり1930年代後半のボンベイに生きた娼婦たちを、リアルタイムで、あるいは少し時間をおいて書いている (ついでに言うと、当時ボンベイには3~4万人の娼婦がいた、そして現在は、少なくとも45万人もの娼婦いると推定されている、巻末の解説による)。この時代の違いは、決定的なことのようにも、あるいはとるに足りないことのようにも思える。なぜなら、サーダット・ハッサン・マントは、極めて例外的なものを描く志向性を本来的にもつ作家なので、30年代後半の例外が、現代の例外と通底しているかも知れないからである。

   閑話休題。ボンベイは商工業の都市である。また、それはギャングと娼婦の街でもある。だから、ボンベイの有名な娼館ストリートについての写真集『フォークランド通り』がしばらく前に出版されているのは、ごく自然なことなのだ。写真家は、アメリカ人の女(性)で(マグナム所属)、彼女はこれらの写真を撮るために、数か月この界隈に住み、被写体となる女(性)たちとのある種の信頼関係をつくりながら写真を撮りためていった、と言う(路上の娼婦からトランスヴェスタイトへと信頼を広げていった)。今回『ボンベイ・ストーリー』を読んだのをきっかけに、この写真集のページを久しぶりにめくってみると、ある写真につけられたキャプションに眼がとまる。ある娼婦の言葉、「村には帰れない、罪多い業いのため、もう二度と両親には会えない」と書かれている。

falklandCCC.jpg
写真集『フォークランド通り』の一ページ
Mary Ellen Mark, Falkland Road, Alfred A Knopf Inc., New York 1981
カンタ(写真の女性)の言葉には、
娼婦という業についての罪意識が表明されている
(この写真集でもっとも美しい女(性)の写真に、「罪意識」
の言葉を添えるのは、編集者の作為、写真家の思い違い、
ではないかと、疑り深い私の心が動く)

   娼婦というと(この場合は遊女あそびめ、と言うべきか)、『梁塵秘抄』の有名な歌についての中世史家横井清氏の寸言が、また思い起こされてくる(『現代に生きる中世』西田書店1981年刊)。つまり『梁塵秘抄』にある「遊びをせんとや生まれけむ、戯れせんとやうまれけん、遊ぶ子供の声聞けば、我が身さへこそ動(ゆる)がるれ」について、そのある種劇的な解釈の転回について横井氏は書いているのである。この歌の「我が身」が、遊女であることは定説になっているそうだ。しかし、長いことこの歌は、罪多い穢れた遊女が(仏教的な罪業意識による)子供らの純真に遊ぶ声を聞いて、こころ揺らぐ歌とされてきた。それに対しもう一つの解釈が可能であることを横井氏は指摘する。つまりこの歌は、遊女のやましい心というよりは、「無心に遊ぶ声(うたごえ)に応じて[・・・]、自分の体もおのずと動きだしてくる」ような、遊びに開かれた肉体の律動を歌っている、かも知れないと。どちらの解釈が、より正しいのかの決着はついていない。近年、「明るい中世」の見直しの機運が趨勢を占めるようになってきた。しかし、遊女が罪多いと思っているという解釈は、近代人の娼婦に対する思い、あるいは近世の為政者のイデオロギーの無自覚な流用であるかも知れない、と思うのだ。

   サーダット・ハッサン・マントの『ボンベイ・ストーリー』における娼婦たちは、写真集『フォークランド通り』のある娼婦の言葉にある罪意識とは無縁である。罪意識がまったくないかどうかは分からない。しかし、罪の意識が表明されることはないし、また、まったく罪の意識とは無縁な娼婦たちも多く登場する。彼女達は、畑を耕したり、洗濯をするように仕事に精をだし、楽しく歌い、隣人への思いやりをもち、我儘を言い、時にナイーヴな悩みをもつ。己の身の不幸を嘆くよりも、彼女たちは、今、現に生きていること自体のなかにある。さらに言えば、彼女たちは、金銭を見返りに性をひさぐ者というよりも、何か癒しのようなものを客に与え続けているような存在にも思えるのである。

                          ☆☆☆

   第一話、“クシュシヤ” Kushushiyaは、娼婦の客引きの話。マンガロールから来たばかりの新人の娼婦のところに客引きが訪ねてゆくと、娘が半ば裸体でいる。客引きは、裸でいる娘を見つめ、裸の自分が(客引きが)娘から凝視されているような錯覚を覚える。僕は、この短編で完全にノックアウトされた。ボンベイの陋巷の光と暗闇、湿度と熱とが交差するところにうっすらと肉体が浮かび上がってくる。その肉体とは娼婦の裸体であり、同時に自分の裸体でもある。まったく素晴らしい短編小説だと思う。

   第二話、“テン・ルピー”は、遊びざかりの娘に(ここで言う遊びとは、ケンケンとかオハジキとかの子供の遊びのイメージ)、金持ちの客がつき、ドライブに出かける。娘のサリータはドライブが楽しく、歌いだす。サリータの無邪気な幸福感が、欲望を抱えた男達に感染してゆく。非常に乾いた文章で描かれる。最終場面、海岸に着き、波と戯れる彼ら、彼女の姿が忘れられない。海の水は、男たちの汚れた欲望を浄化しえたのだろうか。

   第三話、“不毛な愛”では、寂しい夜の街で、煙草の火を借りた男から彼の悲恋物語を聞く。それはまったくのウソ・デタラメの作り話だった。

   第四話、“侮辱”も、僕は好きだなー。夜おそく客引きに起こされた彼女は、今更仕事はしたくないと思うが、隣人が金を必要としているので、ヒト稼ぎに出かける。客の車に乗り込もうとしたとき、客は奇妙な叫び・言葉を発し逃げ去る。彼女は、その言葉の意味が分からないのだが、傷つきいろいろに悩む。その悩みかたがとてもいいと僕は思うのだ。

   第五話、“匂い”は問題作で、巻末の解説によれば、この作品によって作家は法廷で裁かれることになる。また、進歩主義文学運動(IPWA、ムルク・ラージ・アーナンドも運動の中心にいた)からは、退廃的すぎるという烙印をおされる。話は、容易に想像される通り、ある娼婦の匂いを溺愛する男の物語だ。匂いへの偏愛があまりにストレートなので、猥褻なものへのほのめかしは消失している。

   第六話、“お大人ゴピナトゥ”も奇妙な感覚をもった小説だ。金持ちは、延々と宴会を繰り広げ鷹揚に金を散財する。ただそれだけの物語に陰影を与えているのは、その宴会で人気の歌姫が、とある王侯の妻に嫁いでいくことなのだ。静かに歌姫が消えてゆく感覚と、皆んなが、何となく彼女の幸せを期待する風が、爽やかでさえある。

   第七話、“ジャナーキ”、ペシャワールの美しい娼婦を、友人が映画俳優にしてやってくれと頼みこんでくる。この小説が味わい深いのは、娼婦がいかにして女優になってゆくか、いう点ではなく、病に倒れた者を、必死に看病する姿なのだ。それもいくつもの病がかさなり、愛する者の命を救うために盗みまで働く。少なくとも、この小説における愛とは、愛する者を、命がけで看病することなのだ。
  
   第八話、“ペールン”は、パルシー(イラン系ゾロアスター教徒の末裔)の女だ。彼女を愛する男は、失業中で、彼女に会いにゆくのに“作家”から電車賃を借りてゆく。ペールンはツキをはずす女で、彼女と付き合うと職を失う、と男は信じている。男は、その不運を呼び込む彼女のパワーを愛している。

   第九話、“不作法”は、共産主義者の女闘士・イデオローグおよびその連れ合いとの交流を描いた作品。・・・この短編を読むと、作家の共産主義に対するシンパシーが理解できるのだが、自分はよりアナキストに近いのだ、と言っていたようにも思う。いずれにしても、この短編は、ある誤解がクライマックスを用意する。日常の些細な思い違いが、堅固な思想の装いを疑う根拠にもなり得る、ということを語っているのかも知れない。

   第十話、“ハミッドの赤ん坊”。ゴパルという男が、ラホールからボンベイに遊びにやってくる。彼は、小金をもっているが横暴だ。ハミッドは、ゴパルの相手をしていやいや娼館で遊ぶが、ある娘に惚れこんでしまう。ハミッドは、その娘に入れ込み溺れてゆく。そうこうしているうちにその娘に子供ができる。ハミッドは、自分の子供の誕生をはばもうとするのだが・・・。

   第十一話、“ムーミー”。彼女の名前は、ステラ・ジャクソンというのだが、皆は彼女をムーミーと呼ぶ。彼女は、アングロ・インディアン、つまりハーフの年増の娼婦だ。ボンベイの映画産業が波に乗り出したころの、製作者や脚本家や俳優たちの、それもメジャーというよりは下請けや孫請けをするような、あまり豊かではないがエネルギッシュな映画人達の、ドンチャン騒ぎの毎日を綴っている。個性的というよりは奇妙な観念をもつ人々を、作家は本当に愛しているように思える。そんな映画人たちの日常に、事件がもちあがる。この事件にたいしても、ムーミーという娼婦の判断は的確で、事件の拡大を防ぎ、仲間を救う。

   第十二話、“シラジ”。ある客引きが、シラジという娼婦に恋をする。シラジは、美人なのだが(マントは、どちらかというと不細工な女に共鳴する)、大変に風変わりな娼婦で、たとえば二月に一度しか髪を洗わない、客ともよく喧嘩をする。しかし、客引きのドゥーンドゥDhundhuは、彼女が好きなのだ、と照れながら告白する。シラジは、他の女と違って拝金教に犯されていないと言う。そう、彼女の中には、性の奴隷ではなく、聖なる自由が貫徹している。

   第十三話、“モゼッル”。シークの男が、ベネ・イスラエル(ユダヤ系インド人)の娘に恋をする。彼女は表向き娼婦ではないようだ。当時のベネ・イスラエルの娘は木靴をはいていたんだなー、ということが分かる。彼女の言葉は辛辣で、情けがなく、身勝手だ。シークに、「そのふざけた髪を切ってくれば結婚してやる」と言うが、そのシークが覚悟を決め、髪を切ると、彼女は他の男と一緒に逃げてしまう。しかし、そんな彼女が、そのシークとともに、命をはって人助けの行動にでるのだ。

   第十四話、“マーマッド・バーイ”Mammad Bhai。書き出しがいい。ボンベイのファラス通りをちょっと入ったところに、皆が白い小道と呼ぶ通りがあって、そこにある食堂は、娼婦たちが屯し、客引きをしているいわくつきの場所なのだ、と。そして、そのあたりににらみを効かしているギャングが、この短編の主人公、マーマッド・バーイなのだ。彼は伝説のナイフ使いであり、恐ろしくもあるが人助けもする義侠心あふれるギャングである。
・・・しかし、この短編における英雄像は、いささか型にはまっていて、退屈に思える。分かりやすいが奥行がなく、マントが得意とする例外的なものへの驚きがない。マントが売文に走った作品ではないのかと、疑いたくなる。つまり僕はこの短編を楽しむよりは不満をもった。

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サーダット・ハッサン・マント
1912年ルディアーナ(パンジャブ州)近郊の村で生まれる
家は、カシミールムスリムの法律家の家系であった
学業については、紆余曲折があった
1936年にボンベイに移る
映画雑誌の編集に携わるかたわら、多くのヒンドゥー映画の台本を書く
1941~42年、デリーでウルデゥ語ラジオ放送の仕事につく
1947年、舟でボンベイからカラチへ脱出、ラホールに辿りつく
仕事は減り、とりわけ家族を養ってゆくのに困窮する
1955年、粗悪なアルコールの過渡の飲酒がもとで、42歳で没

                         ☆☆☆

   ペシャワールの美しい娼婦を、映画界に売り込もうとする第七話で、作家は、彼女ジャナーキと次のような会話を交わす。
「この業界には二つの人種がいるんだなー。自分の経験から痛みを理解する人間と、他人の苦しみから痛みを理解する人間とがね。どっちが本物だと思う?」
彼女は「自分の痛みの方」と答える。
作家は「まさしくその通り」と言う。
   これは、他者の痛みをどう了解し、それに対していかなる行為をなし得るのか、という人間の倫理を問題にしているのではない。俳優の演技について、いわば表現論を語っているのである。
   この挿話は、また、この作家の小説作りについて語っている、とも言える。ハッキリしているのは、マントという作家が、自分が経験した痛みについて書こうとしている、点だ。マントは、取材や研究によってではなく、自分の経験した痛みについて書き、ある場合にはそれを変形することはあっても、同時に彼の痛みを追体験している。マントは、直接的経験の迷宮に彷徨う作家である。そしてとても不思議なのは、読者はその痛みについての小説を読みながら、気持ちが大きく解放されてゆくことなのだ。

   マントは、作家になっていなかったら犯罪者になっていたかも知れない、と言ったという(巻末の解説による)。ハッサンのこの言葉は、彼の小説を読む人々に衝撃という以上のものを感じさせる。なぜなら、彼の小説に誰も犯罪の匂いを感じないないからである(ただし、作家後期の短篇は、糊口を潤すためだったのか、犯罪小説仕立てのけれん味が目立つ)。そうではなく、犯罪者になっていたかも知れないという彼の言葉は、ありきたりのものでは満足できない作家の性向を非常に見事に表現している、と思える。
   ハッサンという作家は、例外的なもの、極端なもの、計算不能なもの、不合理なものの表徴を、特別な愛着をもって描く。それは、ある種のフェティシズムを連想させる。そしてハッサンの場合、そのフェティッシュの対象はモノではではなく、人間の、人の生き方への、生命についてのフェティシズムであるのだ。
   ハッサンは、あるべき生活・良風美俗のなかにしこまれた欺瞞に抗議しているのではない。そうではなく、ある種の至高性を、美の顕現を、宇宙への呼びかけを、聖なる表象を例外的で極端な不条理のなかに懸命に探しだそうとしているようにも見える。そのようなものが容易に見つかるわけではないにもかかわらず、である。そして、ハッサンの短篇小説の猥雑な形象のむこうには、透明に光輝く美しい魂がたしかに仄見えるときがあるのだ。それは、まるで奇跡を目撃するかのようでもある。

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おはようございます
罪意識,『梁塵秘抄』の寸評ともども偽善,の匂いという事を仰ってるのかな,と勝手読みいたしましたこと白状します。時折このテの演出のにおいを感じると,邪魔が入ったように気分が萎えます
左の作家の理想はアナキスト,しかし現實にはなりきれずトルストイ主義者という人が多いように思いますがわたしのカン違いでしょうかねーw。

病気は慢性ですが今は割合よいのです,かぎりなく働きたくない言い訳にちかい療養をしてます,貧乏でもそこそこ暮らしていければ・・・・では,ありがとうございました

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 BOMBAYStoriesの紹介興味深く読みました。現代では、最もインドらしい小説でもあり、この世の闇を描いた小説としては、普遍的なものとも思えました。このところ、わたしはインド経験に関し、旅行案内風に書くのを終えて、小説として書くことを頻りと考えているところであります。もっとも、貴兄の紹介した『ボンベイ・ストーリー』の様な暗黒部を描く用意も意図もなく、ちっぽけな私小説風な文章しか構想し得ないところです。ところで、前回の文章辺りで、自らを「僕」から「わたし」に変更していますが、何かおありなんでしょうか? 。今回二つが混在しています。内的な葛藤も感じます。わたしは、いまさら自らを僕なんて、よい年齢の者が変な気がし「わたし」にしております。英語ならI-アイで間に合うのですが。軽いノリを生かしたい時は「おれ」で行くことにしています。拙・ホームページでカレーに就いて書き出し、手間取っています。一段落したら、書簡の返事をしたためますので、しばしご容赦を。
プロフィール

August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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