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69.ジャン・クロード・シュミット『中世歴史人類学試論 身体・祭儀・夢幻・時間』(渡邊昌美訳、刀水書房、原著2001年刊)

DSC_0309[1]_convert_20150126171719これは ジャン・クロード・シュミットの著書
『中世歴史人類学試論 身体・祭儀・夢幻・時間』を読み
私が学んだことどもについての
初学者の勉強帳である
あるいは この本を手掛かりに
私が夢想し 楽しみながら書き込んだ冗談の
覚書である





(歴史とは、哲学よりも遥かに郷愁なのだ、と考えなければならない。なぜなら、過去から齎される破片をたよりに歴史を語ることは、良い夢と悪い夢の違いはあれ、つねに郷愁として私たちの手元に戻され、私たちの魂に刻印されてゆくからである)。

   ジャン・クロード・シュミットのこの本は、歴史(学)を極力郷愁から遠ざけようとしている、ように見える。シュミットの歴史は、郷愁に対して寡黙で禁欲的であろうとする。シュミットは、歴史をむしろ「表象représentationsと象徴的な行為pratiques symboliquesの広範囲にわたる体系vaste systeme」(26頁)の記述に限定し、よって、歴史(学)における郷愁を迂回しようする。

(それは、人間の主体的かつ根源的な選択である想像力による歴史的夢想の何がしかの否定とみるべきなのだろうか。そうではない、「表象と象徴的な行為の広範囲にわたる体系」を明かそうとする行いは、むしろ歴史的想像力のための源泉の暴露なのだ、と私は考えなければならない)

   中世には、宗教religionなど存在しなかった(6頁)。
   中世におけるレリギオreligioという言葉は、修道僧の身分・誓願に関する言葉であった。
   霊性spiritualitéは、むしろ十八世紀における神秘主義の鍵言葉だった。

   「身体・祭儀・夢幻・時間」という題を持つ本書は、中世の宗教、とりもなおさず中世のキリスト教とキリスト教教会についての本なのである。この本のタイトルを「中世キリスト教史」としたなら、この本はまったく売れなくなる、しかし、私の通念からするとこの本が取り扱う対象は、それを素直に表現すると「中世キリスト教史」になる。

(それでは、中世およびその時代に生きる人々の信仰とその環境をさして私はそれを何と名指したら良いのか。・・・私は、言葉を失うべきなのだ。言葉の獲得ではなく、言葉の消去が求められている。失語空間を彷徨うようシュミットは読者を導いていく)

(私は、「中世キリスト教史」という本を読みたいとは思わない。「中世キリスト教史」が扱う時間・空間の広がりを、「身体・祭儀・夢幻・時間」という見方によって「表象と象徴的な行為の広範囲にわたる体系」として捉えなおしてみる時、イエス・キリストについての信仰とそれを「信じさせる装置」instrument faire du croireとしての教会が立ち現われてくることの方が、私にはピンとくるのである)。

   たった一言―少ししか言わないところがシュミットの巧妙なところである―中世の信仰は、私たちの今日の日常でいうところの広告やメディアに近い、とシュミットは言う(74頁)。空気のようにつねにそこにあって、社会の成員にたいして方向性を示すとともに、知らず知らずのうちに動機付け、信じ込ませる装置としての広告やメディア、ゆえに、中世の人々は、教会に文句をいうことはあり得たが、そこから抜け出ることなどまったく考えることができなかった、と(261頁)。

(あるいはむしろ、より深くこの時代に捕われているのは、中世の人々よりも私の方かも知れない、と愚考する。私は、この世の、後期資本制社会の、市場経済における断末魔の格差社会に抗議する気持ちをもつけれども、そこから抜け出ることなどまったく考えられない)

(ひとつの奇妙なイメージが浮かび上がってくる。中世を、文化人類学の、未開のフィールドに見立て、歴史家が、探検家のような恰好をして、見知らぬ土地に分け入ってゆく(この社会から抜け出てゆく儀式でもあるかのように)。しかし、そのようなことはあり得ない、と思うのは早計である。歴史家は、歴史という時間を考え、組み立て直すことができるからだ。つまり、可逆的時間の操作に、歴史家はたけている。・・・この本後半の時間論は難解だ(「歴史家が研究する過去の時代にとって現在は未来である」318頁)。しかし、不思議な魅力を放っている。私は、歴史家による人類学的調査の不可能と(歴史家が扱う過去の破片は、人類学におけるフィールド・ワークにどのように比較できるのか)歴史家の時間の魔術について、夢想したくなる欲望を感じ始める)

   西欧中世のキリスト教の独創性は、一神教ではなく、受肉Incarnationに焦点を絞りえたことだ、と著者は考える(269頁)。
   イスラムがなし得なかったこと、つまり偶像を否定しつつ、受肉された図像により信仰が中世を生きる人々にとり身近な実体を持つにいたった。

(ジャン・クロード・シュミットは、中世キリスト教のなかでの受肉についての表徴を寿ぐ。そこに、私は、むしろ哲学の受肉として歴史(学)の声を聴く。隠喩を紡ぐ歴史に、哲学の受肉の形態を見よ)

(この本によって、西欧中世の何を私は了解するのだろう。中世の信仰(人々が意識することなしに生命の価値と社会の進むべき方向性を動機付けられ一連の観念)についての、「信じさせる装置」としての教会の聳立する姿なのである)。

   この本における「表象と象徴的な行為の広範囲にわたる体系」についてのほとんどすべてが、教会に結びつけられる。
   教会はあらゆるものを支配しようとした。
   教会は時間を支配しようとした(301頁)。教会は、未来は神のものであるから、未来を占う迷信と闘った(328頁)。
   病も教会が説明する(250頁)。例えば籟は、親の淫行luxureによる(248頁)、というように(なんと『聖書』からは遠く隔たった言葉なのだろう。あるいは、日本中世における法華宗のイデオローグとの近似が想起される。日本の場合と相違し、「籟が親の淫行による」という発想が、永続する差別の淵源を形成してゆくのではない(横井清『中世民衆の生活と文化』による)。この相違を注視せよ)。十四世紀に入ると治癒の手柄をめぐって、医師が教会に反抗し始める、のだが・・・(257頁)。
   異教の霊場や泉を教会がキリスト教の聖地に塗り替えてゆく。さらにそこでも、教会・聖職者が奇跡を管理した(254頁)。奇跡の真贋(!)を見分け、奇跡を記録したのだ。

(ここで私は、奇跡を待望する人々の姿が、この本の僅かな記述・表徴をとおして目の当たりにする思いがする一方で、教会はある種の窃盗も行うのだということを知る、それもささやかなものではなく大それたもの=奇跡を盗む、支配とは盗むことでもある)

   人々が夜見る夢もまた教会が支配した。夢は―教会による夢の解釈は―中世の宗教文化を押し広げた、とシュミットは述べる(228頁)。つまり、夢の中への悪魔の侵入とそれと闘う回心の物語を作り上げ、それをダイナミックに人々に説くことによって、「信じ込ませる装置」としての教会の役割を遂行する。

   教会の夢の支配、あるいは夢への介入についてのシュミットの言及・論述は執拗である。夢のなかで、人間は、神との関係において自己を完成できるからだ、と説く(193頁)。

(この論理は、了解が容易だ、つまり、超越的で絶対的なものとの関係によって、人間という微粒子は、宇宙に容易に位置づけられるからだ。西欧中世における教会が、個人を発見してゆく。個というものに気付きはじめた人々の興奮・希望・幸福を私は想像する)

   しかしまた、夢は個人ばかりでなく家族を巻き込む(223頁)。ここで言う家族とは、より広く社会と考えるべきなのだが、さらに中世における社会とは、ここでも注目すべきなのは、生者相互間のみではなく生者死者間の関係をも含む、点なのだ。死者は、夢のなかで蘇生する。

   中世の村社会における若衆の悪ふざけであるシャリヴァリcharivariについても、教会が記録した。教会は、シャリヴァリを快く思っていなかったゆえに(異教の匂いをかぎ取っていたのか)記録にとどめたのだろう。記録は、管理の第一歩であり、支配への意志であり道程である。悪ふざけであるシャリヴァリに生気を吹き込んだものは、実は死者の再来であるからだと、シュミットは指摘する。つまり、例えば連れ合いの再婚に抗議する死者が加わっていた可能性があるのだ、と(174頁)。

(シャリヴァリについての私自身のための覚書:訳者の要を得た解説によれば、シャリヴァリとは、例えば「老人が若い娘を娶った宵、町の若者たちが新夫婦寝室の窓下に集まって鍋釜などを打ち鳴らし、叫び声をあげて嫌がらせをする」(336頁)奇習のことのようだ。シャリヴァリを初めて知ったのは、マイケル・オンダーチェの小説『デビザデロ通り』(新潮社)だった。オンダーチェは、いずれかの歴史人類学の著書から、この知見を得、小説に利用している、ことが今回了解できた。オンダーチェの小説づくりにその時も、今も私は違和感をもつ。逆に、この本の訳者、渡邊昌美氏のシャリヴァリについての寸言は、つまり「一昔前ならばこれらが歴史学のテーマとして云々されることなど、考えることもできなかった」にはとても勇気づけられる。どうでも良いようなことが重大な意味をもってくる時代に私は突き進んでゆく、と思えるからだ)

                                              §

(正系と異端、そして蠢く迷信の徒についてその中世の秩序全体を俯瞰し直してみる時、キリスト教の先進性は明らかなのである。この本に拘泥する限り、キリスト教の進歩的な側面は何度強調しても強調しすぎることはない。人々を愚昧な不幸からとりあえず救いだすために、人々を飢えさせないために、民衆の無知と愚昧をいかに排除し教導するかを中世の教会は真剣に考えざるを得なかった、と私は想像する。あるいはまた、異端派が主張する『聖書』にもとづく斬新と洗練、およびその非妥協=ラディカリズム・ファンダメンタリズムは、もしそれを放置するなら途轍もない悲劇を素朴で善良な人々のうえに招来すること必定の直覚が、教会の中枢にあった(この世の諸々の事象・活動・習慣・伝統、あるいはエートスを原理主義的に裁断する時の社会の不調和と齟齬と破壊、および人々の犠牲、と言えば分かりやすいか))

   上記の見方、中世におけるキリスト教および教会の進歩性に対する私の結論は、さらに重大で、シュミットが紡ぐ見事な知見に私を導く。つまり、それら教会の進歩性とは、対立や闘いの、見出されるものとしてダイアローグ(対話あるいは弁証法、あるいはその頽廃した形態としての異端審問)のなかにあった。

    それは、まず教会と中世神学との間の異常音について、である。中世においては、教会と神学は一枚岩ではなかったのである(64頁)。それは周知のことなのか、比較的新しい問題指摘なのか、私は知らない。「信じさせる装置」としての教会を理論的に根拠付けるはずの神学が(という浅はかな思い込みに私は捕われていた)、真理探究という学問と化し、『聖書』を解放するとともに、ある場合には世俗の思想を承認し、さらには教会の権威を相対化した、とこの本は断定している。教会は、異端というラディカリズムと異教という迷信と闘いつつ、さらに「信じさせる装置」の運営よりは、真理探究に傾斜してゆく神学にも警戒しなければならなかった、ということになる。教会は、あるいいは中世における権威形成途上にある教会は、もっとも困難な状況で重大な責任を引き受けようとしている、ように見える。誤解を恐れずに言えば、異端も異教も神学も、一面的な真理、限定的な倫理のうえに成立している。教会はそれとは違う貌を見せている。しかし、このテーマ―教会と神学の軋轢―に関し私があまりにも無知であるので、私はここでこれ以上の贅言を控えるべきなのだろう。

   二つ目の問題は、「第八章 取り込まれた言葉la parole apprivoisée(採用と変形)」(138頁~158頁)における民衆文化と教会の関係である。
教会は、民衆の語りをとりあげ、変形し、教会のための物語に仕立てあげた。
   聖者物語の形成過程における「知的文化」culture savanteと「民衆文化」culture popuraireの関係は、上記のような採用と変形の過程として、とりあえず整理できる。あるいは、多少具体的に言うと、説教師prédicateurたちは、平信徒laïcが懺悔すると、彼らの言葉を研究し、説教師に都合のよい例話の形に変形し、再び平信徒に送り返したのだ、と。

(しかし、問題は、つまり上記の採用と変形の円環は、シュミットが紡ぐ「表象と象徴的な行為の広範囲にわたる体系」として表されると、驚くほどに錯綜していて、そのような図式的な整理が実は何の役にもたたないのだと、悟らされることなのである。あるいはむしろ、採用と変形の円環というような台詞・図式・フレームワークを瞬時にして無化してしまうような、発見の燃焼にまで私を導いてゆく)

   まず、時系列で出来事の粗筋を追ってみよう。

1206年、聖ドミニコがラングドックで異端カタリ派の女(性)9人を改宗させた。
1233年、ベランジェールによる目撃証言が報告書となる。「事件」から30年弱の時間の経過は、法王庁が聖ドミニコ自身について列聖審査canonisationのために費やした時間のようだ。
1256~58年、エティエンヌ・ド・ブルボンが『例話』を纏める。ド・ブルボンは、この書物を編むに際して、1233年の証言について口頭でsource orale聞き知っていた、という一方で、1256に纏められたレゲンダ・ノーヴァ『新しい方の聖者伝』を参照していた。

   1233年の目撃証言の報告書と、およそ50年後に書き直されたエティエンヌ・ド・ブルボンの『例話』とを、その「悪霊」démonsに関する箇所について両者のテクストから引いてみる。

a)1233年の目撃証言(141頁)
悪霊は猫の姿で出現した。牡牛の眼のような大きな眼は燃え上がる炎とも見えた。舌は五寸ほども垂れ下がり火のごとくであった。長さ肘の半ばに達する尻尾をしていた。全体はほとんど犬に匹敵するほど大きかった。聖福の人の命によって暖炉の隙間から逃げ、見えなくなった。

 b)1256~58年、エティエンヌ・ド・ブルボンの『例話』(139頁)
「恐れることはない。お前がたが今まで仕えていた主がどんな代物か、神がお示しになるはずだ」。いいも終わらぬうちに、この上なく恐ろしい猫が妻女たちの真っ只中に飛び出した。大きな犬ほどの身の丈、爛々たる巨眼、臍まで届く血走った長く広い舌、短く突き立つ尻尾。どちらかに向きを変える時、恥知らずに尻を見せ、耐えがたい悪臭を撒き散らした。かなりの時間、女たちのまわりを右往左往した挙句、不快きわまる置土産を残して鐘の引き綱に跳び移った。
shemit saint
聖ドミニコ、猫の姿で現れた悪霊、そして異端カタリ派
から改宗した女たち(カタルニア美術館蔵)

 両者の違い、その意味について注釈するジャン・クロード・シュミットの筆致は、ある種の発熱を帯びる。その熱射は私をも火照らせる。・・・もっとも分かりやすく露骨な修正は、異端からの改宗が、聖者ドミニコによってなされたように書き変えられてゆくことなのだが(ベランジェールの報告は、悪霊の可視化であって聖者が行ったことは改宗そのものではない)、ここでは触れない。

   シュミットは、「知的文化」と「民衆文化」という、分かりやすい対立の図式を描きだすのに、実は手間取っている。表徴とシンボリカルな行為の織りなす体系についてシュミットが語りだそうとすると、その「知的文化」と「民衆文化」という対立の観念が、どうでもよいものに落ち込んでゆくからである。以下は、「知的文化」と「民衆文化」という図式にとって都合の悪い、いくつかの指摘である。

1)聖ドミニコの悪霊の呼び出しが、その頃教会が非難した呪術師や降霊術師のやり方と同じなのだと、シュミットは言う。ここにおいて、「知的文化」を代表する聖人と「民衆文化」に所属していた悪霊・異端という対立は、それほど明瞭ではなくなる。むしろ手法における混交を思い描くべきなのだ。蛇足になるが―しかしながら非常に興味深いことに―聖者たちは、呪術師との混同を怖れてもいた。聖者と呪術師を識別するものは、祈りである。そして当時におけるその祈りの身振りは、私が思い描くものよりも、ずっと大仰なものであったのである(146頁)

2)ベランジェールの証言にはない、猫の尻尾の屹立と悪臭、および「不快きわまる置き土産」(糞便)の追加は、まったく驚くべきことに、教会の意図に基づく記述とは、シュミットは見ないのだ。テクストの単純な比較では現れてこない、文化的コードについて、シュミットとは明かす。素朴な言表を、教会が意図的に追加・改竄した、という図式以上の秘密が、このテクストの変更の裏に隠れている。シュミットは、ベランジェールが、猫の尻尾の屹立と悪臭、および糞便について知っていたにも関わらず、それを言葉にしなかった、それも過渡の羞恥心からそうしたのだと、断定している。

3)ベランジェールが猫の尻尾の屹立などについて言葉を控えたことは、「知的文化」と「民衆文化」の問題を超えて、遙かにニュアンスに富みかつ深刻な問題に私を連れてゆく。・・・猫の尻尾の屹立と悪臭、および糞便が意味しているのは、異端であり、同性愛であり、性的倒錯である、とシュミットは言う。それに対し、ベランジェールが示した過渡の羞恥心とは何なのかを、私は立ち止まって考えてみなければならない。一つ確かなことは、過渡の羞恥心が純潔ではなく隠蔽に近い、という感覚なのである。「同時代人から聖ドミニコと女たちとの関係が問題視されていた」(154頁)ことをシュミットは仄めかす。深読みは避けられなければならない。が、ここに見て取れるのは、異端と教会のダイナミックで泥臭い、時に人々を魅了する、私の感覚をこえた中世人の信仰の闘いの場面が、仄見えてくるのである。

  4) 「知的文化」と「民衆文化」というフレームワークにとって、もっとも痛烈な打撃は、そもそもベランジェールが、素朴な民衆の一人といえるのかどうか、という問いに帰ってゆくことなのである。シュミットは、この難問から身を躱すことはない。シュミットの指摘を整理すると、彼女は平信徒であったが修道女たちの近くにいた女である(のちにプルイユの修道女となる)、また、アルビジョワ十字軍の時代、異端論難la polémique antihérétique、とりわけ猫の姿をした悪魔礼拝を行うというカタリ派非難を「知らないはずがない」、と(157頁)。そのようなイデオロギー渦巻く磁場に近いところにいた者が語る改宗の物語、聖者による悪霊の呼び出しの物語は、この章の基本テーマである民衆の語りの取り上げと変形(そこにはつねに民衆の素朴と無知、善良さと生活者の狡知という、ステレオタイプがついてまわる)に属することがらなのかという疑問が沸いてくる、のである。


(民衆の素朴な語り、というイメージそのものが修正されなければならない。苛烈なイデオロギッシュな対立・葛藤の磁場のなかで、異端の言説があり、平信徒の、教会の言葉があった。それを新たな闘いのために変形し方向付けた教会のイデオローグがいたことになる。その思想圏―諸観念の対立・葛藤の場所―をあまり広くかんがえるべきではない、ように私は受け取る)

(素朴と高級文化が対話・対立しているのでない。正系とそれへ対立するものとの関係が問題であるのだ、と一般化はできないが、私は信じる。高級文化は、何と対立・対話するのか、カウンタカルチャーは何と対立・対話しようとしているのか、を注視する必要がある。あなたは、誰と話がしたいのか、誰と共感したいのか、あるいは誰を打倒したいのか、あなたと言う実存は、必ずその志向性を持つ、ことを忘れてはならないのだ。・・・対話の拒否は、延命であっても長期的には衰退であることもまた真実であろう。私は、そこにおいて足をすくわれようとしているのかも知れない)。

(なぜ同性愛が抑圧されなければならなかったのか。シュミットのこの本は、司祭職からの不具者・去勢者の排除にエネルギーを注がねばならなかったキリスト教会の歴史に触れている(273頁)。中世の坊主たちは、「淫楽」を目的とした非生産性(異教が、大昔から継承し保存していた、ある種ゆるやかな「淫楽」の伝統)を嫌ったのか。すべての人々が生産的でなければならない理由はない。聖化という理由で、坊主たちは非生産性の独占をもくろんだのか。生産からはじかれた者たちに「淫楽」を禁じること、それだけが理由ではないだろう。しかし、当時の教会がそこに敵対し、識別せざるをえなかったことは、良く分からないことだけれども、やむを得なかった、とも私は思う。正しい性の営みを唱道する教会の立場を私は理解できる。誰がそれらの方向付けをなしたのか。あるいは、私にそのような方向付けをなし得るのだろうか)。
                                     §

   中世という時代は、病infirmitasが人々の生存と生活にとってより直接的で激烈な時代だった、と私は思い描こうとしている。なぜなら麻痺paralysis、籟lepra、疥癬scabies(これらは、教会が古代医学から引き継いだ用語だ)といったさまざまな病がいたるところに露出していたからだ。当時、病とは、身体を捉え、激しく襲い、あるいは侵す、ものとして記録されていて、あたかも都市が敵に包囲・占領されるようなものだと、シュミットは書いている(247頁)。その目に見えて分かる最大の恐怖が籟であった。あるいは、多くの病が死により近くにあった、とも言える。病が死に至らない場合でも、病は人々の労働を妨害し、困窮させ、物乞いになるほかないような事態を意味した。だから、当時における60%もの奇跡が、病の治癒に集中していたのだ(253頁)。

(中世の病は人々の生存と生活を完膚なきまでに破壊しつくす、そして、その病の現実が苛酷であればあるほど、信仰は深く純化されてゆく、私は、シュミットの中世の病を語る歴史記述なるものhistoriographiqueのなかに、病という苛酷な運命と、それからの救済という美しい表現の断片を探し始める。<私の誤った夢想1>)。

   中世に患者Krank-seinなるものは存在しなかった(245頁)。

   ・・・という意味は、文字通り病人・人が重要なのであって病そのものではないのである。中世においては、病と病人を分離することなど考えられなかった。病と病人を分離するのは、近代であり、科学なのだ。しかし、この点を強調しすぎることは、なにか郷愁めいたものが、つまり、現代の、典型的な西欧の医学の、危機意識といったものから生じてくる別の解答への期待が、込められているはずであると、シュミットは指摘する。

(私は、シュミットの記述のなかに、人と病の一体化した生命を、現代医学の典型の反対物を探し始める。<私の誤った夢想2>。しかし、私が探しはじめた病という苛酷な運命も、美しい祈りと救済も、人と病の一体化した生命も、この書物のどこにも見つけだすことができない。そして、ふたたび、中世の病の「表象と象徴的な行為の広範囲にわたる体系」を、私は辿り始めるのである。つまり、宗教的表象の内部における自然についての因果関係を(籟は、親の淫行の結果である、というような)さらに近代医学における客観的論説discours objectifの劇的な勝利にいたる過程を知るのである)

   あまりにも豊饒な、病についての表象の森に彷徨いこんで、それでも少なくも鮮やかな出来事・変化が私に迫ってくる。それは、例えば以下のような断片に見て取れるのである。

a)治癒の手柄をめぐって王が、聖者が、教会が、医師が、さらには魔女が争った、のであった。また、医師médecinsは、外科医chirurgiens、理髪師barbiersとその仕事の利得をめぐって争っていた(257頁、259頁)。

b)巡礼と奇跡についての効率化が出来する。巡礼の代理行為が、あるいは聖者・聖地と奇跡受恵者との大胆な遠隔化が進行する(254頁)。

c)中世末期に到って、治療の全面的な独占をはかった教会が、例えば魔女vetulaeの処方を観察し、これを利用しさえした、のだという(260頁)。

   私がまったく恣意的にとりあげた事柄について、いささかの同類項を探すとすれば、それは、合理主義と世俗化という言葉が浮かんでくるのである。さらに、そこに明瞭に浮かび上がってくるのは、シュミットの表象をめぐる歴史記述が、死にゆく人々よりも生きてゆく人々のためにある、という確信なのである。すなわち、歴史(学)とは、郷愁ではなく、シュミットの場合、人々が進歩を求め歩き出す姿であり、わずかだが確かな希望の香りを感じようとしているように見えることなのである。

(少なくも、私の中世史にたいする興味は、モダニズムへの攻撃であった。という意味は、中世に郷愁を求めていることに他ならない。今、この思いは動揺し始める)。

(シュミットにとってイエス・キリストの教えと教会から離脱は、大きな解放の意味をもつ、ところが鮮やかなのである。シュミットの歴史記述は、中世のディティールを愛でながらも、近代の、世俗の到来を一種の光明として待望するふりが見られる。中世史家シュミットは、どこへ私を導こうとしているのか。たくさんの中世とほんの少しの近代の光明を、私はどう受け止めるべきなのか)。

(私は、ここで今、中世史のとば口を見つけたような、気がしている。歴史(学)とは、郷愁の徹底した破壊でなければならない。なぜなら歴史(学)とは、「表象と象徴的な行為の広範囲にわたる体系」を明かすことを通して、歴史的想像力を解き放つからである。それは、中世史のファンにとって、あるいはむしろ、中世史本を「立ち読みする」旅から刺激を受け、喜びとする者にとって、厳格に守らなければならない大義であり掟なのである)。



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 今、貴兄のブログを閲覧、最新の文章と、ナーラヤンの本に関する文章を読み、プリント・アップしました。J・K・シュミットの歴史人類学書の文章を読んで、若かりし頃の貴兄を思いだしました。日本の中世史からの刺激で現代思想の読書を再開するのは、必然的だと思います。今回、はやりわたしはJ・C・スコット『ゾミア 脱国家の世界史』-かなり予定調和的なところが、如何にもアメリカ人らしい-を是非読んで欲しいと思ったものです。また、ナーラヤンに就いてですが、貴兄が紹介しているナーラヤンの小説って、チェコの小説、ネムツォーヴァー『おばあさん』岩波文庫を連想しました。年寄りが「語り」や想像力を発揮する文学世界と言えば、はやりガルシア・マルケスを思い起こしたものです。ところで、わたくし個人的事情で1月は多忙でした。愉しく読んでいた、蓮見重彦『ボヴァリー婦人』論の読了も今だです。半年も愉しませてもらっています。それと、中世と言うよりルネサンスものですが、スクリーチ『ラブレー論』も4月で一年がかりになりますが、今半分です。
プロフィール

August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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