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66.シャラットチャンドラ・チャットパッダエ『シュリカンタ』、Saratchandra Chattopadhyay, Saratchandra Omnibus Volume 1, first published by Penguin Books India 2005.

004_convert_20141111132438.jpgシャラットチャンドラの『シュリカンタ』は
作家の自伝的な小説だと言われている
1917年から作家の晩年にいたる1933年まで
断続的に発表された
あえかなベンガル男の
ベンガル ラングーン パトナ 北インド
にわたる 青春彷徨は
妖艶ないくつもの愛と 煌く夥しい涙と
病を引きずりながらも
ひたむきな正義に生きる姿が
古典叙事詩に登場する
王子の蘇生を思わせ
そのような物語に 僕は
驚かされ 堪能させられた


   とても面白い本だ。きっと何度も読み返すことになるだろう。感覚が独特なのだ。ビルマに働きに帰らなければならないと言いつつ、いつまでもぐずぐずしている。困った人や病に苦しむ人がいると、捨てておけない。こんな柔らかくて弱い顔をした正義がどうして可能なのだろうか。

   あえかなるシュリカンタSrikanta、幾人もの女(性)が彼を愛し(つねに、女(性)の方からアプローチが始まる)、そのつど彼も彼女たちを本気で愛する。彼を愛する女(性)たちは、不幸な境遇・過去をもっている。(しかし、それらの愛が完ぺきにプラトニックな雰囲気なのは何なのかとも思う)。この小説に性愛はなく、逆にエロチックなまでの女(性)の涙に溢れている。この作品において流されるおびただしい涙が、もし宝石のように輝きだしたら、どんなにきらびやかな小説となるだろう。・・・なぜシュリカンタはこうも女(性)たちに好かれるのか。誠実であること、おそらく彼がハンサムであること(写真で見るシャラットチャンドラはすごい美男子だ)、仕事に精をだす働きものではない(女(性)を優しく相手する心の広さがある)というような理由を僕は挙げたくなる。彼は、誠実で生真面目な、病気がちだが優しい遊び人である。自分の生活のために齷齪と働く者ではないから、女(性)たちを虜にする(ここの論理は実はうまく繋がらないのだが、そのような気がしてならない)。自らの生活のために齷齪働く者は下層民の職分に属し、高位カーストに属する者は、高貴で価値ある遊戯に(困った人への人助けと愛)に、すべての時間と生命のエネルギーを焼尽しなければならない、とでもいうかのようなのだ。

   シュリカンタと係る何人もの女(性)のなかで、とりわけ比重が重いのは、パーリPyariだ。彼女は歌姫であり、高級娼婦であり裕福な仲買人でもある(あった)。『デーヴダース』(鳥居千代香訳、出帆新社、原著1917年)のチャンドラムキーChandramukhiに似ているが、彼女が理想化されているのに反して、パーリはより現実的な存在のように見える。それにしても、やはり分からないのは、パーリの純粋な魂だ。罪深い過去が拭い去れるなら、幼子を抱え戸口を訪ね歩く物乞いになりたい、とシュリカンタに言う。王侯を手玉にとった高級娼婦がそのようなことを言う不思議が了解しづらい。もっとも穢れた者が聖なる者に転化するパラドックスを理屈でいっても虚しい。そのような不思議がシュリカンタの女(性)たちにはあるのだ。

   金銭はシュリカンタを拘束しようとする。自分のあずかり知らぬ許嫁を自分から解放し、嫁がせるために、つまり彼女の婚資のためにシュリカンタは、ビルマに向かう。しかし、シュリカンタにおいて金銭は、社会の約束ごとである以上の意味をもたない。シュリカンタという人間は、社会契約以上の宇宙の理を感受しようとしてもがきはじめる。結果として、金銭がシュリカンタを狂わすことはない。どこか彼は金銭に無関心であり無頓着なのだ。と言うより金銭についての虚無感が彼について廻る。

   ビルマとラングーンは、金銭とカーストからの暫定的な自由をシュリカンタに齎す。インド人はビルマでの出稼ぎ生活を謳歌している風が伝わってくる。仕事探しは、実は楽ではなかったけれども、何かインド人としての特権というべきものを彼も享受している。英国のインドを支配する植民者の気分の片鱗をシュリカンタは味わったに違いない。それよりも、僕は、むしろインド人の技能を尊重するおおらかなビルマの人々のことを想像したくなる。さらに、ビルマの女(性)たちの大らかな優しさが際立って見えてくる。出稼ぎのインド人にいいように騙されるビルマの女(性)たちに、シュリカンタは同情し怒りを露わにするのだ。シュリカンタの怒りはインド人同朋にむけられたものである以上に、ビルマの人々の善良さにむけられた苛立ちのようでもある。ここにおいてシュリカンタは、リアリストなのだ。・・・ビルマは、シュリカンタにとっても艶やかで滑らかな別天地の趣を伝えている。しかし、ここでも女(性)の不幸とコレラなどの流行病の猛威はシュリカンタを容赦なく攻撃する。シュリカンタにおけるビルマは、青春の光と影そのもののようだ。

   コレラやマラリアなど、病がいつも、いたるところでシュリカンタを苦しめる。夥しい死がシュリカンタのまわりでおこる。子供を孕み、村から追放された未亡人の傍らで彼女の苦しい死を見届ける。ラングーンでは、ひどく合理的な考え方をする説教好きのインド人の同胞の死をみとる。コレラで一村が全滅しかかっているキャンプでかれは懸命に生命を救おうと奔走する。幼なじみの詩人の死とは擦れ違いになるけれども、シュリカンタは彼を埋葬する(つまり、幼なじみはヴァイシュナヴァ派に共鳴する者のようだ)。一体何人の死にシュリカンタは同伴したのだろう。しかし、シュリカンタは体力を奪われながらもどうにか生き延びる者なのだ。女(性)たちの手厚い介抱が強い効験をもったのか。それでも病は完全に癒えることはなく、弱った体を引きずるようにして、パトナのあたりを、ベンガル地方を、また北インドの村々を移動しつづける。あえかな英雄は、傷つき病で弱っている。彼の移動・旅は霧立ち込めた夜の旅の雰囲気で、廃屋と化した病院から取り残された病人が突如幽霊のように立ち現われてくる挿話そのままに、闇は深い。同情が結晶化したような愛と、虐げられてある者たちへの人助けと、シュリカンタの青春彷徨はつづくのだ。いつまでも(本当にいつまでも)ビルマへの帰還はシュリカンタには訪れない。・・・病と闘うシュリカンタは、社会契約的な存在というよりは、宇宙の理との対話(つまり生命とは、死とはという問いに対する答え)を求める宗教者であるようだ。

   シュリカンタは一度サドゥーの一団に入り、修行者になる(北インドは、どこでもそのような遊行托鉢僧の集団に出会えるところとして描かれている)。しかし、彼はそこに長居はしなかった。ヒンドゥーの神々へのそこはかとない尊崇の念を抱きつつ、迷信を、カーストの悪をシュリカンタは拒否する。小説冒頭近くのエピソードは、悪霊の出没する焼き場・墓場へ、決して幽霊など存在しないのだ言い張り、彼はライフルを携えて赴く。・・・小説『パリニータ』Parinnta (1914)におけるオジのブラフマ・サマージ(ラーム・モハン・ロイが創設した宗教・社会改革運動)への突然の回心が連想される。作家のヒンドゥー改革派への共鳴が感じられるのだ。迷妄を拓く合理的な科学の力と伝統的な宗教の力が、シュリカンタの血のなかで沸き立っている感じなのだ。僕は、シュリカンタの信仰と迷信を退けようとする合理性が 好きだ。

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シャラットチャンドラ・チャットパッダエ
Saratchandra Chattopadhyay
1876年、西ベンガル州フーグリの村に生まれる
貧しいブラーミンの家にうまれ正規の学校教育は受けていない
妻と幼い子供をビルマにおいてペストで亡くしている
1938年、カルカッタで没
シャラットチャンドラはベンガル語で書く作家であり
はじめその小説はタゴールの筆名による作品ではないかと噂された
近代インドの初めての職業作家であり
ベンガルでもっとも人気が高くもっとも多数の読者を持つ
作家と言われている
彼の作品は 何度も映画化されている

   『シュリカンタ』を読んでいると、インドの古典叙事詩における流浪する王の姿、その正義の体現と、力強い女神の姿がだぶって見えてくる。インドの近現代小説の多くが、インドの古典叙事詩の再解釈・再演である可能性が高く、この『シュリカンタ』もそういう部類の小説なのだろう。しかし論拠をもってそれを言うことは、目もくらむような遠大な仕事に思える。僕には手に余る大事業であり、あまり深入りはできないのだ。それよりも、唐突に聞こえるかもしれないが、『シュリカンタ』の翻訳が欲しい、と僕は思う。旅や映画を通して、あるいはビジネスの面でもインドへの関心が高まっている時なので、なおさらそう思う。また、かなり決定的な場面で良く分からないことが多く、専門家の注解が是非ほしいところなのだ。読んで面白く、それでいて何かが決定的に違う世界が広がっていて、不思議な驚きに充ちた未知なる世界がそこにはある。いずれにしても、この小説はある種のインドの人々の心のありように触れることのできる、とても貴重な小説(自伝的小説)なのだ。

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元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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