62.ムルク・ラージ・アーナンド『インド藩王の私的生活』Mulk Raj Anand, Private Life of an Indian Prince, published in 2008, first published in London 1953.

故国インドに帰還する
虐げられた人々を
リアルに見つめ
あたたかく励まし続けてきたアーナンドは
この小説において一転
藩王の愛欲の生活を描く
無批判的に すべてを受けいれるように
しかし アーナンドの得意とする
作中人物への憑依は見られない
諸藩王国のインド連合への統合という
政治日程がすすむなか
藩王の辿る運命は
発狂にむけて
その階梯の一段一段をのぼってゆく
インドという国の
何と難儀で 愛すべき愚かな藩王を
アーナンドは語るのだろう
『インド藩王の私的生活』が英国で出版されたのは1953年であるけれども、この本は1948年には書き上げられていた(Saros Cowasjeeの前書きによる)。つまり、小説はインド独立(1947年8月15日)の日程が進行するなかで、インド諸藩王国のインド連合への統合という大変に困難な事業を見守りながら書かれた。ムルク・ラージ・アーナンドは、ジャーナリストのようなタイミングのとりかたで『インド藩王の私的生活』を書き上げた。アーナンドは、貧しく虐げられた人々に対する良心をいつも胸に小説を書いていた。しかし、アーナンドは行動する作家でもある。521とも565とも言われる諸藩王国のインド連合への加盟のさなかに、このようなポレミークで、かつ反撥・誤解をまねきかねない側にたって小説を書くというのは、アーナンドの人道主義とジャーナリストのような素早い反応の奇妙な合体のようにも思え、また新たな謎に酔える期待を僕に抱かせる。
ムルク・ラージ・アーナンドは、社会の周縁部に生き、生活する人々を注視する。『不可触民バグハの一日』(山際素男訳、三一書房、原著1935年刊)は、文字通り清掃カーストに属する一人の若者への差別と人間の尊厳を語る長い一日の物語である。『苦力』、Coolie(1939)は、早くに両親を亡なくした少年の、貧しく、苦しく、ときに小さな明りの灯る、短い一生を綴った小説だ。また、『黒い海と泥水を越えて』、Across the Black Waters(1939)は、家をでたパンジャーブの農家の倅が、気が付いてみれば大戦中のフランス戦線にいて、わけも分からず戦闘に駆りだされ、戦争のおびただしい不条理を体験させられるたあと、「海を越えた者」の宿命を受け入れるのだ。そういう、何の支えももたない社会の周縁部で生きていく細民が経験する現実と、祈り、救いのありようを、あるいは人生の途上における発見をアーナンドは書き続けてきた。しかし、この本に到って、一転、細民の対極にある藩王=マハラジャの「私的生活」を書くことになる。・・・虐げられた者への強い結びつきの意識が、藩王の「私的生活」とどう結びつくのか、僕はしばらくのあいだ気になっていた。貧しい人々を書くアーナンドに、作家の良心・倫理・人道主義を想像するのはごく自然だとしても、そういう極めて社会的な倫理に鋭敏な感覚をもつ作家が、動乱のさなかにある藩王=マハラジャをどう描くのか、いろいろな風に想像してみたくなったのだ。
500を超える藩王国が、その実態は実にさまざまであるように(鉄道や独自通貨をもつ大藩王国からごく限られた地域の惣村を束ねたに過ぎない小藩王国まで、サイズのうえでも非常にばらけている)、藩王=マハラジャもさまざまなのであろう。しかし、この本におけるマハラジャは、当時のあまり評判のよろしくないマハラジャの姿をとる。すなわち、現実政治に背を向け、大英帝国の大王に仕えることを光栄に思う王であり(名をVictor Edward George Ashok Kumarという)、封土返還の大問題に適切に対処しえず、側近に実務を丸投げしているわりには疑り深い、人の女房にも手をだす好色漢とでも言えばよいのか。藩王の「私的生活(private life)」とは、他でもない藩王の女遍歴の物語である。女との交情の話、もっといえば女なしには生きられない藩王の姿を描く。社会的正義とは何かを真摯に探求するアーナンドにとって唾棄すべき堕落・退廃の藩王といってもよいのだが、作家は、藩王へのあらゆる批判を差し控える。アーナンドは、藩王を、ある種の憐みをもって描く。この小説の語り手は、学費を藩王にだしてもらった若い侍医なのだが、藩王を支える側の人間であり続ける。
『不可触民バグハの一日』の主人公のバグハは、まるで作家アーナンド自身が乗り移って語っているようだった。近代的な知的訓練をうけていないバグハが、ここまで分析的に、あるいは複雑な感情を言葉に表現できるものかと疑問に思いつつも、作家アーナンドの作中人物へ憑依したと考えると、これもまた過剰な逸脱であって、作家アーナンドの倫理のありようを必然化してようにも思えた。けれども、この小説『インド藩王の私的生活』では、インド藩王の内側に作家アーナンドが入っていくことはない。ヴィック(藩王のニックネーム)は、彼の苦悩と理想、あるいは愛を彼の言葉で語る。それは、アーナンドの言葉とは異なっている。
そういう意味では、この小説の主人公は、インド藩王のヴィックではなく、侍医のハリーであるかも知れない。ヴィックがハリーの英国留学の学資をだした。ハリーは、藩王の侍医などしていないで、医師の足りない農村地帯で医療をおこなえばより多くの人のためになるのではないかと思い煩う。また、獄中の農民運動のリーダーから、留置所の劣悪な環境についての苦情の手紙をうけとる。ハリーは、獄中のリーダーに深い同情を示し、その手紙のことが忘れられないのだ(愚かな藩王についての小説を書いているよりも、農民自身の改革について小説を書くべきなのか、という思いがアーナンドの頭をよぎったとしても不思議ではない。しかし、アーナンドは、愚かで哀れな藩王についての小説を書いたのだ)。
ハリーは、分裂を抱えた存在だ。ハリーは藩王のすべての行為をうけいれつつ、藩王をささえ続ける。しかし、藩王の側近からは、ハリーは、あるいは彼の人道主義的な発想はコミュニストのようだ、と非難される。ムルク・ラージ・アーナンドの書くハリーは、べったりとした肯定が際立っていて、問題を起こすばかりであまり誉められたところのない藩王を愛しているかのようなところがある。ハリジャンに乗り移ってしまうような勢いで(『不可触民バグハの一日』の主人公のバグハ)、ハリーは、藩王のすべてをうけいれるのだ。細民に対する暖かな視線を、ハリーは藩王にも注ぐ。ハリーのなかでは、虐げられた人々と、圧政するものとの階級対立はなく、ともに同情と理解、支援すべき対象になってしまう。しかし、繰り返しになるけれども、藩王の言葉とアーナンドの言葉が混じりあい、ひとつになってしまうことはない。
藩王ヴィックは愛妾のガンガ・ダシがそばにいてくれなければ生きられない、と言う。この小説におけるヴィックの愛妾ガンガ・ダシの存在とその陰影は、このような生き方もまたありうるのかという、際立つ印象を僕に与える。妖艶というだけでは語りつくせない。彼女は、ブラフマンの出身であり、山の女だとも言われる。多くの男との愛情生活の遍歴をもつ。レスラーであったり、パルシーの金持ちの老人であったり、幾人もの男との愛情生活のあとにヴィックのところに辿りつく。彼女は、子供のようなイノセントなところと、権謀術数にたけた老獪さ・残忍さをあわせ持つ。第三婦人の子、皇太子を殺害したのはガンガ・ダシなのだろう。彼女がヴィックを虜にするのは、愛の無限の遊れ=セックスなのだと、ヴィックは語る。この小説には、インドにおける古典詩のような彼らの同衾の場面をエロチックに語る描写はないけれども、距離をおいて彼らの出来事が、年表をくくるように俯瞰されている。西欧的な知的な洗練と、アーナンドの理想主義の潔癖さを、僕は同時に感じる。
思いだしてみると、語り手のハリーもヴィックの愛妾ガンガ・ダシに誘惑される。ヒ素を手にいれたいのだとねだられる。ヒ素の使い道は、藩王ヴィックの緩慢な殺害であると、本を読み終えた今、僕は考えるのだ。けれども、このある種予想されたハリーへの誘惑は成就されることなく、未完で終わる。この小説プロットの抑制は、アーナンドの純潔な理想主義的の資質を良くあらわしているとともに、ガンガ・ダシの大胆な愛欲の権謀術数との際立つ対照をつくっている。
ヴィックは、恋する王だ。藩王は、恋し、子供を拵えてゆく。彼ら子供らは、権力をめぐる争いのなかで謀殺されもする。だから、子供の数は多いほうが良く、そのなかで傑出した者が、サヴァイヴァルしえた者が次の権力を継承する。そういう王の役割・働きをヴィックは遂行しているのであり、その意味を侍医のハリーは理解している。ヴィックにおいては、外敵との闘いは、虎がりに後退している分(虎の出没にも、この王は鋭く反応しない)子孫をふやしていく働き(一種の生産行為)において熱心である。そして、また人々を喜ばせるために、踊る。人々と王国の豊饒なる繁栄を祈り、王は踊る。恋をし、踊る王が、闘うことなく(あるいは闘いに疲れ)、壊れてゆく。・・・侍医ハリーは、この王ヴィックを、インドと西欧の悪しき結合だと嘆息する。
インド連合の封土返上の圧力はますますその強度をまし、また、農民運動が猖獗をきわめてゆくとき、愛妾ガンガ・ダシが、第三婦人ティクヤリ・ラニの弟と駆け落ちする。藩王は、愛妾ガンガ・ダシの情夫を殺害するよう刺客を送る。藩王の行動は、ここでは例外的に機敏で残忍である。・・・何が、藩王を狂気においこんだのだろう。時代の変化、封土・資産を失うかも知れない未来の不安なのだろうか。アーナンドは、藩王の愛妾ガンガ・ダシの逃走をより重視しているように見える。藩王ヴィックは、静養をかねて訪れたロンドンで花屋の娘ジェーンに惚れこむが、彼女は、ガンガ・ダシの不在を埋め合わせない。ヴィックは、ロンドンでも、恋する王であり続けるが、愛妾を失った失意の王でもあるのだ。

ムルク・ラージ・アーナンド
1905年ペシャワールに生まれる
パンジャブ大学卒業後渡英 1929年哲学博士号取得
この頃よりT. S. エリオット主幹の“クライテリオン”に書きだす
『不可触民バグハの一日』(山際素男訳、三一書房、原著1935年刊)と
『苦力』Coolie(1939)によって 作家として認められる
2004年98歳でプネーで亡くなる
初めの問いにふたたび戻りたい。つまり、アーナンドは愚かな藩王を、なぜ批判的にではなく、あるがままに受け入れるように書いたのだろうか、と。アーナンドは、この小説のモティーフを、pity(同情、憐憫)なのだと、それ以上でも以下でもない、とインタビューで答えている(前書きによる)。藩王は軽蔑の対象であるよりは憐みの対象であると、アーナンドは語る。しかし、pity(同情、憐憫)とは、なんと空虚なもの言いであろう。pity(同情、憐憫)という言葉は、アーナンドと藩王との関係を、発展させることも深化させることもない。つまり、愚かで哀れな藩王を書くアーナンドの本当の理由が僕には分からなくなる。
さらに続けてアーナンドは、藩王の存在自体が、カーストを外れた不可触民なのであるとさえ言う(同じく前書きに紹介されているインタビューよる)。しかし、繰り返しになるけれども、不可触民バグハについては、アーナンドは、その小説の主人公にのり移って(もっと言えば憑依して)、語った。アーナンドは、情熱的に、怒りを抑えながら、時には一体となって差別と屈辱と尊厳の一日を不可触民バグハに語らせた。しかし、この小説では、藩王もまたアウト・カーストの不可触民なのだと言いつつ、藩王の内面の思いや苦悩や欲望を、藩王にのりうつってアーナンドが語ることはない。隔たりを置いて俯瞰するように、アーナンドは藩王ヴィックを描く。「誰ひとり信用できない、皆が自分から奪いとろうとしている」という藩王の言葉は、藩王の直接的な言表でありアーナンドの解釈を含まない。
虐げられた人々へのアーナンドの人道主義は、分かりやすい。不可触民バグハに対するアーナンドの人道主義は、自然であり、自らの体験に裏打ちされた必然性をもつ。しかし、アーナンドの藩王ヴィックにたいする関係は、それほど分明ではない。アーナンドの理性による批評意識は退き、あるがままの藩王の姿を、無条件に受け入れ描く。藩王ヴィックは、アーナンドには手の届かないところに立っている。藩王ヴィックはカーストを外れた不可触民である、とアーナンドが言うとき、人道主義の理念が先行し、藩王ヴィックは不可触民であるがゆえに、また同じ人間なのであるという論理に行き着く。小説は、際立つ現象を追うものである特権を放棄し、理念が、小説を、ヴィックの受動的な描出を支配する。アーナンドは、藩王ヴィックをアウト・カーストの不可触民だなどとは規定せず、より興味本位で藩王ヴィックを書くべきだったのか、いや、それもまた情意のテクストを作りあげるだけだろう。
しかし、また、こうも考えられる。
藩王ヴィックと侍医のハリーとの関係は、あるいはアーナンドとの関係は、その分かり難いところが、逆に、この小説の謎めいた魅力、深さ、幅の広さであるかも知れない、と。『インド藩王の私的生活』は、不可触民の藩王ヴィックについての人道主義的な回答を用意するよりも、人道主義の謎を深化させた小説だとも言えるのだ。アーナンドの人道主義、社会的弱者への注視と思いは、単純な要約を退ける。抽象的理念化の道をとらず現象と細部の周辺にただよう輝きを大切に留保する。
あるいはまた、こうも考えられる(夢想される)。
諸藩王によるインドのあり様(近代の帝国主義によって延命された中世的残滓であるとはいえ)が終焉しようとしている。その美質も、失われようとしている(西欧型近代に突き進んでゆくことだけが、インドの進むべき道なのか)。そうでなければ、愚かで好色な藩王に、アーナンドがここまでこだわる理由が見つからない。大きな愚かさが消えてゆく。好色な魂のシンボリカルな扼殺。理性による官僚主義が人々を幸福にするのか。平等の価値とは何なのか。社会の階層秩序は、どんな原理・理念によって正当化されうるのか。それら人間社会の一切の崇高と汚辱を、藩王は体現し、飲み込み、狂気と化す。
ムルク・ラージ・アーナンドは、シムラの小藩王国でRana of Bhajiの住みこみ家庭教師を二夏務めた。藩王の秘書を通じて、その藩王国の宮廷事情を詳しく知る。『インド藩王の私的生活』は、それらの伝聞を主に、またアーナンドの実際の経験による想像を交えた小説なのだ。