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59.シャラットチャンドラ・チャットパッダエ『パリネータ(婚約者)』Saratchandra Chattopadhyay, Parineeta, translated from the Bengali by Malobike Chaudhuri, published by Pneguin Books India in 2005.

pari+002_convert.jpg 両親を亡くしラリータを
オジのグルチャランが育てている
隣家の息子シェカールとラリータは
心の底で 自分たちの愛を
確かめている
二人の明かされない愛は
シャラットチャンドラの十八番(おはこ)なのか
読者をじらすように苛む
社会の掟が 金が 二人の愛と人々の幸福を
阻み続けるのだ
ベンガルでもっとも良く読まれてきたと言われる
シャラットチャンドラは この小説で
社会の理不尽な力 とりわけ金の力に
抗議する一方
社会運行の犠牲者たちの
精神的価値のきらめきを
称揚しているようでもある 
 
  シャラットチャンドラの小説は、何か不思議な退廃の雰囲気をもっている。ラリータは、家に金がなくなると、隣の金持ちの息子のところへゆき、引出から必要な金額の金をもってゆく。ラリータはいつ返せるかわからない、と息子のシェカールに言うが、返す必要はない、その理由は後から分かる、というようなことをシェカールは返答する。こんな金のやりとりがあったのかと僕は驚く。金は、もう少しアクセントのきついものと、あるいは金に困れば、人は鬼にもなると思っていたが、この小説では、金が人々の生活や愛を拘束する一方で、どこかで金銭についての虚無の感覚が漂っている。
 
  『デーヴダース』(鳥居千代香訳、出帆新社、原著1917年刊)は、金を蕩尽する小説だ。他方、この小説『パリネータ(婚約者)』(原著1914年刊)は、金が人々を縛る。ラリータを養っている(彼女は孤児なのだ)おじのグルチャランは、娘を嫁がせる婚資のために家を抵当に借金をし、その借金に喘いでいる。隣家の主人は、息子のシェカールを種にどれだけ結納金を積ませるか計算している。シェカールとラリータの愛は、愛しあっているのにどうして反撥し傷つけあうのか読者を苛むが、この二人は、金の拘束と自分たちの立場を理解しているようなのだ。・・・金をめぐるやり取りは、この小説のいたるところにあって、読みようによっては金が、自由な恋愛、純粋な愛を阻害している、という抗議にも読み取れる。しかし、シャラットチャンドラが面白いのは、社会的正義の観念によりかかり、金の力を非難ばかりしているわけではなく、金からの遊離を描いているところだろう。

  隣家の金持ちの息子シェカールは、学位をとり法律家として生活していこうとしている。ラリータが彼のところへ金をとりに行くと、いつも本を読んでいる。『デーヴダース』の主人公が、死にいたるまで財産を蕩尽する不良息子であるのに対し、何と優等生であることか。

  シェカールは、父親と違って金の亡者ではない。しかし、ラリータとの結婚を父親に求めようとはしない。デーヴダースには抗う父親がすでになかったがシェカールは父親に反抗しようとはしない。デーヴダースの破滅へのエネルギーを思うと、シェカールは何ともおとなしい。ラリータはシェカールのどこに惹かれたのだろう。父親の死後、二人は結ばれる。何ともエネルギーの希薄なハッピーエンドなのだ。『デーヴダース』が破滅に向かって激しく疾走する小説であるのに『パリネータ(婚約者)』の幸福はうつろうだけだ。

  グルチャランはラリータの父親がわりだ。実の娘が何人もいるのに、両親を早くに亡くしたラリータをひきとり娘同然に育てている。グルチャランは優しい。あるいは軟弱なのだ。しかし、僕はそんなグルチャランに不思議な魅力を感じる。二番目の娘の結婚資金を作るために高利の借金をしてしまう人の良さ、誰とでもすぐに打ち解けられる如才のなさ、さらに姪のラリータの気持ちも考えずに、縁戚にあたるギリンの借金肩代わりを受けてしまう判断の軽さ。けれどそんなグルチャランが、突如ブラフマ・サマージ(ラーム・モハン・ローイが創設した宗教・社会改革運動)に改宗する。改宗のいきさつはこの小説では詳しくない。グルチャランの生活苦とノンシャランな生き方、それがどのようにブラフマ・サマージに結び付くのか分からないが、しかしこのシャラットチャンドラの改宗の創作は興味をそそる。

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シャラットチャンドラ・チャットパッダエ
1876年生まれ 1938年逝去
作家としての出発は、出稼ぎ先のビルマから始まる
Mira Kamdar, Motiba’s Tattoosを読むと日本軍侵攻前の
ラングーンがいかに美しく活気のある また人々が幸福に
暮らす街であったかを伝えている
シャラットチャンドラの自伝的作品には
当時のビルマ あるいはラングーンについて
どのように書いているのだろう

  この本の解説(Swagato Ganguly)によると、シャラットチャンドラの実際の父親はボヘミアンで母親が死ぬと家族を捨て出奔してしまった、のだと言う。その後のシャラットチャンドラにおける生活の苦渋はおして知るべしだろう。しかし、この小説のグルチャランという人物には捨て去られて者の怨みは読みとれない。それよりも父親と同じ遺伝子をもつ者へのある種の共感がある。それもまたとても不思議な感覚なのだ。

  シャラットチャンドラは、ベンガルでもっとも人気のあった作家であったという。つまり、ベンガルの人々は、この不思議な感覚を味覚し、共有してきたのだろうか。

  シェカールとラリータとの反発しあう愛は、十歳になる妹アンナカールのいたずらによって、つまり花環の交換によって思わぬ展開をとげる。花環の交換は、婚約のしるしに読み替えられるのだ。意味するものとしての花環の交換は、意味されるものとしての婚約、という風にラリータによって操作される。これが、この小説の鍵であるカラクリなのだが、この本の解説は、これもまたヒンドゥーの伝統とは無縁なシャラットチャンドラの創作である、と教えてくれる。・・・シャラットチャンドラは、読者の退屈を怖れる発明家であり、とてもモダーンな感覚をもった作家なのだ。

  『デーヴダース』は、破壊の神に捧げられた愛の犠牲物語だ。
この『パリネータ(婚約者)』も、犠牲物語である。しかし、それは破壊の神への生贄ではなく社会運行と秩序維持の神(ヴィシュヌ神あるいはクリシュナ神を僕は想像する)への生贄なのだ。そして、この小説にある犠牲は、悲惨でも残酷でもなく、ある種「いのち」のきらめきを示している。シャラットチャンドラの物語は、読者を退屈させない。と同時に神話的とも言いたくなる広大な宇宙の理(ことわり)を思いおこさせる。

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August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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