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56.マルク・ブロック『王の奇跡』(井上泰男、渡邊昌美共訳、刀水書房1998年刊)

miracle comvert おおよそ11世紀から近世の政治革命まで
とりわけフランスと英国で
王による瘰癧さわりの治療が
盛んに行われた

マルク・ブロックは王によるそれらの瘰癧さわりを
あるいは王権のさまざまな道具立てについて
膨大なフォークロアの探索を通して語る
それは僕にとってとても興味深く楽しい読書だった

この本は王が奇跡を実際起こしたのかということよりも
王の奇跡を信じた多くの民衆が存在したことを
重要と考える

王は何のために瘰癧さわりを繰り返したのか
王政の継承維持のために
王と超自然との結びつきが
行政・司法・財政という制度以上に
必須であったとブロックは考える

しかし この大きな本を読み終わろうとするとき
僕は 実はもう少し違うことを感じ始めたのだ
つまり 人々の病苦を取り除く王の祈りのなかに
民衆支配の手立てというよりも
王が宇宙の中心に存在する理由を
人々の運命をともに生きる王の姿を
感じとりたくなったのだ
 


  この本は、王が奇跡によって病を治癒したのかを問うことはない。そうではなく王のタッチによる治癒行為の繰り返しとその有効性を信じ、治療のために王のもとに参集した圧倒的な数の民衆が存在したことを語る。マルク・ブロックは、それらの現象をまとめて集合表象representation collectiveと呼ぶ。

  それではその民衆が信仰していた王の治癒とはどのようなものであったのか。
それは非常に長くにわたって(大体11世紀から18世紀の政治革命まで)、特にフランスと英国において(つまり教皇権力との鋭い対立の圏外で)、おもに瘰癧(るいれき)と呼ばれる結核性腺病を対象に(あらゆる種類の病に対する治療の試みから、だんだんと瘰癧さわりに収斂していった)、王によるかなりの数のタッチが独占的に行われ続けたのだ(チャールズ2世は、生涯に10万人もの瘰癧さわりをおこなった)。ここでいう独占的とは、王以外による超自然的な治療行為が激しく弾圧された、という意味だ。

  この本を書いたマルク・ブロックの問題意識は鮮やかだ。つまり「王政が臣民のおしつけた行政、司法、財政の組織のメカニズム」をいくら解明しても、「長期にわたって王政が人心を把握したこと」を充分に説明できない、と言う。ブロックは、王政は、王の霊的で神聖な力の集合表徴を通してしか存在しえず、それは「王家をめぐって花開いた信仰と寓話の奥を探る」つまりフォークロアが雄弁に語るところだ、と言う。

  実際にこの本は、王の瘰癧さわりに関する豊かなフォークロアが楽しい。瘰癧さわりを盛り立てる道具立て、例えば王の聖別(マルク・ブロックの描いた王の聖別は、世俗の人からの超越を意味する一方で、司祭になりきることはなく、聖と俗をあわせもった存在のようだ)、塗油(これによって王たる者の聖化がおこなわれるが、面白いのは塗油による聖別前の瘰癧さわりの事例もブロックは明かす)、あるいは王の身体に刻まれたしるしについて(深紅の十字から百合の花に変遷を辿る)詳しく語られる。優れた歴史書がそうであるように事実(資料の読解)の収集は実に丹念であり、そこからかすかに、鋭い歴史的な意味が浮かびあがってくるのだ。さらに聖マルクール信仰との混交や指輪治癒およびセプトネール(7番目に関する信奉)、また驚くべきことに王の瘰癧さわりは、その病者への布施とセットで行われたという(初めはつつましく、次第に大盤振る舞いの様相を呈してゆく、とくに英国ではその出費の記録が残っている)。

  とりわけルネサンス時代以降の知識人が王の奇跡治癒に懐疑的であったことを別にしても(カルダーノは詐術のからくりを考察し、ヴォルテールは嘲笑した)、著者は、王のタッチによって治らぬ者もいたし、何度もさわってもらったにもかかわらず良くならないものも、また快癒はごく僅かだったとさえ断言する。あるいは、科学的な見方に庶民よりは遥かに馴染んでいたはずの当時の医者たちの見解も面白い。ある医師は、瘰癧さわりは明らかな効果がない場合でも無害であるから、タッチ治療を種々試みたあとで危険な外科手術を行うべきだと述べた。

  しかし、この本の謎めいた面白さは、著者マルク・ブロックが表面的な言述とは別の次元で、王の奇跡を信じていたのではないか、と思えることだ。ブロックは、医師に会うと「タッチは瘰癧治療にとって有効であるか」と必ず聞いたのだと書いている。勿論、医師たちの発言は否定的であった。しかし、ブロックの執拗さをどう考えたらいいのだろう。また、ブロックは、この本のテーマに関して「臆病にはできない微妙な仕事」と言う。ブロックが求めた勇気とは何にたいするものなのか。「歴史奇譚愛好家」と見做されかねない危うさよりも、「歴史科学」に超自然という非理性的なものを持ち込むことへの誤解・無理解・無視を怖れていたのかも知れない。しかし、ブロックは、勇気をもって『王の奇跡』という大著を書き上げた。

  現代ならば、「王の奇跡」すなわち数少ない瘰癧さわりの成功例を想像する根拠をブロックの時代よりももう少し幅広く探すことができる。一例をあげればプラスィーボ効果といわれるもの、つまり病はある程度心理的な背景・要因をもつ。“日経サイエンス2014年1月号”に報告された紹介記事によれば、ある場合信頼できる医師の言葉は薬物以上に治療に効果を発揮する。とすれば、絶大な尊崇の対象たる王にタッチしてもらうことが、病者をおおいに勇気づけ、瘰癧の治癒になにがしかの効果があってもおかしくない。

  王は「雨をよぶ首長」と似ている、と言えば分かりやすいか。
  王権は最終的には行政・司法・財政といった制度に還元しえないある仕方で、つまり超自然の能力を演出し、実演することによって人心を掌握する。王とは、そういう儀礼の意味と効果を、さらには実演のノウハウを知っていて、継承するものなのだ。この本を読んでいくと―とりわけ数限りない瘰癧さわりと病者への布施の記録―王に課せられた使命・責任ということが気になりだしてくる。戦時を除いては、王は瘰癧さわりを王の務めとして励んだ。つまり王の使命は民衆の支配というよりは、民衆の難病を治療するということ、民衆の苦難を取り除く方面に広がっていた、のだと僕は感じ始めるのだ。王国の存続と繁栄は、超自然的な力を発揮することによって、人々の病の苦しみに触れその重みに耐えつつ、その苦しみから人々を救う天との交感によって、進行してゆく。僕は、フィーリングでものを言っているけれども、いずれにしても『王の奇跡』は、実に多義的な読み方を可能にしてくれる本なのだ。

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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