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54.シャラットチャンドラ・チャットパッダエ『デーヴダース』Saratchandra Chattopadhyay, Devdas, translated from the Bengali by Sreejata Guha, published by Penguin Books India 2002.

devdas+002ccc_2014020115564124e.jpg ベンガル・ルネサンスの先駆者シャラットチャンドラは
ベンガル地方の村々とカルカッタを舞台に
地主の不良息子デーヴダースと
隣家の美しい娘パールバティとの悲恋を
説明を排した簡潔な文体で語る
魅力的なダメ男と
美しく気丈な女たちが作り上げる
愛の物語は
満たされぬ現実の愛への思いよりも
遥かに遠く 愛と死の極限に
僕らをつれてゆく
これは 文学における愛と死の疾走だ
愛と死の完成形として悪の祝祭
あるいは 破壊の神に捧げられた犠牲物語なのだ
 

  
   なんという物語だろう。文学と愛における悪が疾走する。何度も映画化された理由が頷ける。鮮やかな冒頭―地主の息子の悪ガキが教師をコケにする、幼い恋人は喝采し彼を助ける―からただならぬ興奮を覚えた。

   ベンガル・ルネサンスの先駆者シャラットチャンドラ(1876-1938)の登場は、タゴールの偽名による作品ではないか、という噂を呼んだと言う。彼の文章の特長、つまり簡潔な会話、最小限の描写・説明が読者の想像力をふくらませる。神話的な物語世界が浮かびあがってくる。

   魅力的な登場人物が表徴しているものは何だろう。
   地主の不良息子(と仮に言う)デーヴダースは、美しく彼に従う恋人パールバティ(ここでもシバ神のアナロジーを仄めかす)に二度外傷を負わせる。彼の隠れ家でこの愛するものをしたたかに殴る。傷を見て驚く家人に教師にぶたれたのだというウソがまたいい。そして、彼女が別の金持ちと婚約すると釣り針で彼女の頬を切る。デーヴダースはみずからの愛を否定・破壊しようとしてしるしを刻むのだ。デーヴダースの魅力は、秩序と安寧の敵であること、自らの幸福さえも破壊してしまおうとする衝動にあるのだろう。

   逆にパールバティは変心したデーヴダースによる駆け落ちへの誘いをはねつける。彼女は、デーヴダースに報復しているのではない。彼女も、自分の幸福を遠ざけるのだ。デーヴダースと同じ破壊の愉悦をパールバティも共有している。その喜びはデーヴダースから伝えられた。彼女は、デーヴダースを愛し、デーヴダースの破壊の衝動と魅惑を理解する。二人は交感しあうのだ。いずれにしても、破壊の神が、彼ら二人を弄ぶ。 

   デーヴダースは、初め高級娼婦チャンドラムーキを激しく憎悪する。金が欲しいのだろうといって大枚をなげつける。侮辱されたにもかかわらず、また粋筋のプロフェッショナルであるにもかかわらず、チャンドラムーキはデーヴダースに惚れてしまう。この転倒に僕は目がくらむ。それから娼婦チャンドラムーキは、廃人と化しつつあるデーヴダースをかいがいしく介護し生き返させるのだ。美しく逞しい女の姿が、嫁いだあと家に仕えるパールバティと同様、ここでもたちあらわれる(インドの小説はなぜこうも女の崇高な姿を繰り返し描くのか、女神信仰か)。しかし僕が驚いてしまうのは、デーヴダースへの介抱が、愛の仇でもあるパールバティの愛のためなのだ、とチャンドラムーキが告白することなのだ。この転倒につぐ転倒は一体何なのかと声をだしたくなる。否定の否定が肯定に化すときもあれば次なる否定を呼び込みもするのだ。驚きは続く。デーヴダースは、お前の名前は長すぎるから、これからは妻と呼ぶ、とに言う。しかし、お前を家に連れてもどるほどオレは恥知らずではないとも言う。破壊の神が荒れ狂う。

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シャラットチャンドラ・チャットパッダエ
1876年西ベンガル、カルカッタに近いデーヴァーナンドプルに生まれた
少年時代・青年時代は貧しく、殆ど教育機会には恵まれなかった
しかし、十代で書き始めると、じきにベンガルでもっとも愛される作家となった
1938年死去

   デーヴダースは、最初、パールバティの結婚の申し入れをはねつける。家の格の違い、両親の意向には逆らえないとデーヴダースは言う。デーヴダースは、トリックスターのような不良からまともな良家の子息に戻ってゆくとき、パールバティは覚悟を決めて彼のもとから去ってゆく。二人の行き違いと不幸をさして、社会の因習や偏見のせいだというのは容易かも知れない。しかし僕は、そんな社会派的な読み方をとらない。それでは二人の美しい女がデーヴダースの魅力の虜になってしまうのも、デーヴダースのその後の破滅も筋が通らなくなってしまうからだ。この物語が、同情というよりは深い感動を呼ぶのは、大きな宇宙の節理のなかで愛と破壊に弄ばれる人間の姿をリアルに物語っているからだろう。ザミンダールのデーヴダース、パールバティそして高級娼婦チャンドラムーキは、社会のしきたりを超えて、破壊の魅惑と宇宙の理をたくみに暗示している。作者がどこまで意識しているかは別にして、シャラットチャンドラはこの小説において、破壊の神を讃え、デーヴダースを生贄にささげたのだ。

   最後にひとつ気になることを書いておこう。つまり、この『デーヴダース』という小説がいつの時代を舞台にしているかということ。インドの近・現代小説を読んでいると、時々その時間・時代が分からなくなる。ごく最近の物語でもあるような、あるいはすごく古い時代の物語でもあるような、錯覚におちいる。『デーヴダース』が、発表されたのは1917年だ。ベンガル地方のその時代をどう想像すればいいのだろう。僕にとって、非常に印象的なのは、この物語における移動・交通手段だ。デーヴダースの死出の旅は汽車であったがパールバティのところに向かう時から牛車になる。パールバティがデーヴダースを救いに行くのは、パラキーン(神輿)であり、チャンダラムーキは徒歩と牛車でゆく。歩くスピードが、物語のスピード感を抑制し、とてもやわらかな時間を作ってゆくように思える。それは、時代を語りつつ、時代を消し去っているようでもあり、きわめてインド的であると僕には思える。

devdas+ja ccc(追記)
シャラッチャンドラ・チョットッパッドヤーイ『デーヴダース 魅惑のインド』(鳥居千代香訳、出帆新社2006年刊
) 
   インドのペンギン版でこの物語を読みこの文章も書き終えようとしていたとき、シャラットチャンドラの別の本が読みたくてブックショップのウェッブを物色していると、なんとこの『デーヴダース』の翻訳が出版されているのに気付き驚いた。早速取り寄せてみた。インド版ペーパーバックの10倍の値段だが、2002年に映画になった“デーヴダース”の豪華な衣装をまとった俳優達のスチル写真が20数葉収められていて、思わず見入ってしまった。そうなると、映画“デーヴダース”も見たいような、見ないでおいたほうがいいような、複雑な気持ちになってきた。

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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