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51.ムルク・ラージ・アーナンド『苦力』Mulk Raj Anand, Coolie, published by Penguin Books India 1993, first published in UK 1939.

MRA+BOOK_BBB.jpg ムルク・ラージ・アーナンドの『苦力』は
悲惨な出来事を積み上げるだけの小説ではない
その重苦しいタイトルからは想像できない
爽やかで強く それでいて感傷的な印象を
残す作品だ

両親を相次いで失ったムノーは
パンジャーブからボンベイへ
さらにヒマラヤのふもとシムラへ
苦力となって つまりより良い食い扶持
をもとめて旅をつづける

アーナンドが書く苦力が独特なのは
観察する眼とそれを言葉にする力を
持つ点だ 僕にはそこに
苦力の生活のあり様というよりも
異郷を旅し続ける作家自身の流離の
感覚と経験が重なって見えた

人間の良心を誠実に問いかけるアーナンドは
いささか古風であっても
決して朽ちることのない
大きく豊かな心を 読者に
プレセントしてくれる


   またしても、重苦しいタイトルの小説である。誰も毎日、それほど楽しいことばかりではないからせめて想像の世界に遊ぶときは、もう少し楽しく華やかにやりたいものだ、と思うだろう。しかし、アーナンドが書くのは、悲惨なできごとを積み重ねるだけのような小説ではない。何というのだろう、僕らが怖れて遠ざけてしまう世界を描きながらも、いつも爽やかで強い魂がアーナンドにはある。問題はヒューマニティーなのだ。僕は、アーナンドの小説から、人生に対する恐怖ではなく、爽やかな勇気を感じる。

    この小説における苦力は、先祖から幾世代にもひきつがれた苦力ではない。農民の一人息子が、両親の相次ぐ死と、5エーカーの土地を騙しとられた結果なのだ。つまり、社会的な援助を必要とする者が、不幸な出来事と世間の狡知によって、生活の場を奪われ苦力へと転落してゆく。

   叔父が仕事を世話する。小説の主人公ムノーは、馴れない屋敷での下僕の仕事に馴染めず放浪を開始するのだ。ムノーはとりあえず食っていける安定よりも自由を求める。アーナンドの苦力は、世間の狡知への無防備と自由への希求を現している。

   ムノーは、苦力となって放浪する。パンジャーブの田舎から、叔父について歩いてドーラトプールへ、無銭乗車でボンベイへ、さらに有閑マダム(ユーラシアンというのだろうか、インド人と白色人種の混血)にひろわれてシムラへ。
   ムノーは、より良い働きぶちを求めて移動するのだけれども、移動とともにさまざまなことを発見する。初めて自動車を街で見た驚きから、労働組合というものの存在までそれは多技にわたる。それは生きてゆく知恵の獲得でもある。この世には自分を助けてくれる優しく親切な人と、自分を足蹴にする人とがいるのだ、と繰り返しムノーは自らに語りかける。ムノーを助けてくれるのは、苦力仲間というグループでもないし、組合でもない。クノーを助けてくれるのは、グループや階層としてあるのではなく、屋敷に同居する医者の倅であったり、小さな工房の事業主であったり、像使いという個人なのだ。

   ムノーは、苦力となって夜の寝床を確保するために夜のボンベイを彷徨う。その記述は、僕には面白かったが、作家アーナンドが取材、あるいは勉強して得た苦力についての生態を書いているように思える。ところで、アーナンドが描く苦力ムノーは、ごく普通の苦力とは違っているように僕には見える。移動とともに外部の世界を観察し、それを言葉に表現するからだ。ムノーは小学校に通っていたことがあり読み書きができ、周囲の者が認めるようにある種聡明な雰囲気をもっていて、まるでアーナンドという作家自身がムノーという苦力に乗り移って生きているように思えるのだ。

   ムルク・ラージ・アーナンドの苦力ムノーは、社会科学の調査対象のような苦力ではない。作家の歴然たる創造物なのだ。作家はその創造物のなかで生きなおす。あるいは、ムノーという苦力の装いをまとい、苦力の生きる世界を旅する。アーナンドという作家は、自分の書く小説の主人公の苦力に憑依して物語を構築してしまう。

   それは、アーナンドという作家の倫理的な姿勢を強く主張しているように思える。虐げられた者を他者として突き放す、あるいは賢い距離をとるのではなく、限りなく自己を重ね合わせて考える。僕には、信じがたい事態、あるいは危険な行為に思えるのだが、アーナンドという作家はそういうリスクを引き受けられる作家なのだ。

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ムルク・ラージ・アーナンド
1905-2004、ペシャワールに生まれプネーで死去
Untouchable (1935) 『不可触民バグハの一日』(山際素男訳、三一書房)が、翻訳で読めるアーナンドの唯一の本か。時々古本屋で見る。

   反ファシズムで結束する三十年代の理想主義、ソヴィエト・ロシアに対する無垢な信仰、リベラルナな知識人との交流のなかで(と僕は想像する)、ムルク・ラージ・アーナンドは、極めて人道主義的な、博愛主義の立場を、この小説でも貫く。しかし、この小説はプロパガンダではない。深い文学的感興をもつ。それは、人々の信仰、神々を、また人間の死をまるで料理における隠し味のように、ごく控えめに、しかし、絶妙のタイミングで配置しているからだろう。宗教と死について叙述が、この小説を厚みあるものにしている。
   ムノーは、死んだほうがましだ、としばしば考える。人間以下の生存を強いられて苦しいだけの苦力でいるよりも「死にたい」、と。死への誘惑がムノーをたびたび襲う。ムノーにとって理解できないのは、むしろ厳しい生活を送る多くの苦力が必死になって、あるいは運命としてたんたんと生きようとしていることなのだ。
   ムルク・ラージ・アーナンドの小説を読むと愚直なまでの正義とリアルな真実に出会うのだけれども、この『苦力』という小説は、その正義と良心が決定的な敗北に帰するような結末に心打たれる。ムノーの敗北は、神々へ近づく道なのか、と思ってしまうのだ。

   最後にひとつ疑問に思ったことを書いておこう。というのは、小説のいくつかの場面で、クノーがhill’s people(「山の民」か)と言われていることだ。それは、インドにおける少数部族、アーディバーシー問題を取り上げていることになるのだろうか。インドの人達ならば迷うことなく即座に判断できることなのだろうが、僕には分からない。もし、そうなら作家は、この小説においてインド社会の二つの底辺に思いをいたしていることになる。

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ありがとうございました

インドの老舎!?などと,ムルク・ラージ・アーナンドの『苦力』,はげしく興味を持って,でもとても読めそうにないので
とりあえず
『不可触民バグハの一日』を読んでいます。新しい分野に興味を持ってわくわくしています。とりあえず御礼をひとこともうしあげたく・・・・・。

アーナンド『不可触民』

有難いお言葉、身にしみます。チョムスキーの顔のしわについての洒脱な文章、楽しく読みました。よろしくお願いします。
プロフィール

August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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