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47.石田英明編訳『ウダイ・プラカーシ選集』(大同生命国際文化基金、2011年刊)

UdayP1aaa.jpg 『ウダイ・プラカーシ選集』によって
パンチのきいた日本語と
また要領をえた注釈で
ウダイ・プラカーシの代表作三篇を
僕らは楽しみながら読むことができる
プラカーシの小説を読めば読むほど
この作家の偉大な可笑しさと
インドの厳しい現実を思うのだけれども
そしてまた 時代の変化にたいしても
アクチュアルな緊張感覚をもちつつ
変わらぬ硬骨漢ぶりに感嘆する
この『選集』を読み終えたとき ぼくは
もっともっと多くのプラカーシ作品に
触れたいと思った
それはもっとも美しいインドではないとしても
インドの魅力の謎に
もっとも近い気がするのだ
 

   『デリーの壁』The Walls of Delhi, 2012を紹介する文章で、ウダイ・プラカーシの翻訳単行本は見たことがないと僕は言ったのだが、『ウダイ・プラカーシ選集』(1911年12月刊)が出版されていた。しかし、この本は一般の書店では買えない。僕は街の図書館で借りて読んだ。このような個性的で面白い小説を所有できないのは非常に残念なのだけれども、とりあえず良質な日本語と適宜な注でもってプラカーシの小説を読めることはあり難い。

    この『選集』には、三篇の小説が収まっている。「ティルチ」と「ポール・ゴーラムのスクーター」および「・・・そして最後に祈りを」だ。「祈り」を読むのは初めてだったけど、「ティルチ」と「ポール・ゴーラム」は、英語で読んでいた。「ティルチ」は、今回翻訳を読んでみてだいたい読めていたと思ったが、「ポール・ゴーラム」については、ほとんど何も理解できていなかった。

    「ポール・ゴーラム」が日本語で読めるのは有難い。発想に飛躍があり、時に詩的なイメージが広がり、また足下のインドのニュース(たとえば話題のテレビCMのような)についての闖入があり、なかなか手ごわい小説なのだ。しかし、翻訳とは有難いものだ。ずいぶんいろいろなことを教えてもらいながら小説を堪能できた。

    「ティルチ」は毒とかげに父親が咬まれる話だ。父親は、咬まれた翌日街の裁判所にでむく要件があるのだが、炎天下アタマがおかしくなり、ついには野垂れ死にする。正気を失いかけた父親を、街の悪童たちが追い回し石を投げつけるところが妙にリアルで恐ろしい。スリルに充ちた物語展開とインドにおける厳しい生存のサバイバル劇を見るようで、しばし息をのんで読んだ。
 
    英語版『デリーの壁』の前書きに、プラカーシの熱狂的なファンのことが書かれていた。「この小説はまったく自分のことのようだ」というようなことをファンはプラカーシに迫ってくるのだという。僕もそうした熱狂的なファンの存在を容易に想像できる。そうだとすれば読者を熱狂化するプラカーシのメッセージとはいったい何なんだろう。
    プラカーシの小説の特長を思いつくままに書いてみると、インドの古典叙事詩にも通じる物語の楽しさがあり、詩人ならでわの比喩・イメージの飛躍があり、またある種の猥雑さ、痛烈な悪罵、そしてこれは何と言ったらいいのかブレヒト的な批判意識(ブルジャワ社会の欺瞞を鋭くつく乾いたユーモア)がある。ヒンドゥー社会の猥雑ともいえる現実と硬派な文学的洗練を読者はさまざまな仕方で楽しめるのだ。しかし、一番とりあげたいのは、何と呼んだらよいか、やはりある種の愚者の肖像なのだ。「ポール・ゴーラム」も、時代の変化についていけない寂しくも愚かなヒンドゥー詩人の物語だが、「・・・そして最後に祈りを」はより徹底した愚者の物語、愚者への絶大な讃歌なのだと僕は思う。

   ワーカンカル医学博士は、優秀な医師だ。博士の論文は、国際的な医学雑誌にも掲載された。ワーカンカル博士は医学・医療ばかりでなく、宗教や科学についてユニークな見識をもち、民族奉仕団(SSR、ガンディー暗殺者の出身母体であり、組織はガンディーの暗殺を公式に肯定した)の活動にも熱心なのだ。博士は、ワイロや不正には決して手を染めない。また貧しい人々にも誠心誠意の医療行為を施す。ゆえに庶民のワーカンカル医師への信認は絶大なのだが、勤務する公立病院では、不正で私腹をこやしている上司・同僚にとっては目のうえのたんこぶなのだ。彼らは、はじめ彼を懐柔しようとし、また、それが不可能と知ると僻地の医療施設へ博士を左遷する。 
   「病院の者は、私を融通のきかない理想主義者だと笑う。しかし、私の仕事のどこに理想があるのか」と博士は自らの日記に書く。そして、博士の妻は「自分の夫が多くの人から感謝され褒められると、自分がからかわれているとしか思えない」と嘆息する。
ワーカンカル博士はすごい秀才でもあるにもかかわらず、冷たい感じがなく、暖かな何かをもっている。それは、左遷された僻地に住む先住民への博士の関心によく表れている。また妻に女学生時代の恰好をさせて楽しむ博士のいささか倒錯した趣味にも現れているのだろう、と思う。

   この小説は、正義感を強くもつ硬骨漢の物語ではない。そうではなくワーカンカル博士は世間的な出世や金銭欲にはまったく無頓着に、ただひたすら己の仕事の使命のみをまっとうしようとする。それは、世間的には愚か者と言ってもいい。さらに、愚かさが少し度をすぎている分ユーモラスで開放的だ。
   ワーカンカル医学博士は、最後に勝利する。政治家や役人やギャングや警官の悪党どもを蹴散らし、若いムスリム青年の死の尊厳をまもる。ワーカンカル医学博士は、自らの死とヒンドゥー神・ガネーシャの介添えによって真実をまもる。しかし、そのタッチは、受難というよりは、トリック・スターとしてのヒンドゥー賢者に近い。

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ウダイ・プラカーシ

   プラカーシは、左派の信条を強くもち、時代の大きな変化にも変節することのない硬派のヒンドゥー語作家だ。ガンディーの時代がどんどん遠ざかり、グロウバル経済とやらの喧噪にゆれる今日のインドにおいても、プラカーシが単に節操のかたい作家である以上のアクチュアルな作家であるひとつの理由が、愚かなる神々を称賛し続けているからなのではないだろうか。愚かなる神々への称賛は、時代の変化を硬直して否認するのではなく、時代との緊張を持続しつつ、しかしそれでもなお、民衆的真実は何かを問い・追求し続けるインドの人々を励まし続けている。

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

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August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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