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45.ムンシ・プレームチャンド『短篇集 二人の妻ほか』、Munshi Premchand, The Co-Wife and Other Stories, edited and translated by Ruth Vanita, published in India by Penguin Books India 2008.

premchandBBB.jpg たまたま手にとったプレームチャンドの短編小説集は
ウルドゥ・ヒンドゥー語の大作家という評価以上に
またインドにおけるリアリズム文学の誕生
ということ以上に
僕を興奮させ さまざまな表情をもつ物語世界に
僕をつれていった
細民のなけなしの暖かな心を
インドの大地とそこに生きる動物を
そして遥かな宇宙を
男などたよりにならないと
気丈に生きる女の姿を 
一筋縄ではいかない雇い主と使用人の関係
つまり主人とサーヴァントの豊かな関係を
ダーリットの独特な生態と価値観を
連続する小さな驚きとともに僕は楽しんだ
こんな素晴らしい作家が
あまり知られずに存在したとは
この世はまんざら捨てたものでもない


   プレームチャンドは、言わずと知れたウルドゥ・ヒンドゥー語の大作家だ。しかし、世間で言われる大作家の作品は怏々にしてあまり面白くない、と僕は思っている。立派な作品なのだろうが、高級すぎるのか、こちらの知性・教養がたりないのか、読んで面白いなーという経験は稀だ。僕にはそんな思いがあってこの大作家を避けてきたように思う。

   プレームチャンドについて僕はほとんど何も知らない。かすかな記憶を辿ってみると、アミタヴァ・クマールが何かを言っていたことを思い出す。クマールは、父親がプレームチャンドの偉大なリアリズムを称賛していたことを回想していた。クマール自身はそれを冷ややかに語っていた。僕の印象に残ったのは、リアリズムという言葉とクマールの冷ややかな語り口だった。
そう言えば、ウダイ・プラカーシもこの偉大なウルドゥ・ヒンドゥー語作家への尊敬の念をたびたび表明している。最近読んだ『黄金色に輝く日傘をもった娘』 Uday Prakash, The Girl with the Golden Parasol, 2013でも最近の本屋にはビル・ゲイツの本はあってもプレームチャンドが見つからない、と嘆息していた。
プレームチャンドは、非常に立派な作家であっても、面白そうな作家には思っていなかった。

    前書きが長くなったけれども、今度、次は何を読もうかと思って、インドの現代作家のペーパーバックを数冊、ぱらぱらとページをめくっていたら、この『短篇集 二人の妻ほか』が僕のなかにスーと入って来た感じなのだ。十ページほど読むと、これがかなり面白い。リアリズムといっても僕が思っていたものとは違う。

    プレームチャンドのリアリズムというのは、実際に読みだしてみると例えばこんな感じだ。・・・「冬の夜」という短編では、農夫の主人公が高利貸しになけなしの二ルピーを返すところから始まる。百姓をしていてもこの苦しい生活はずっと続くと妻に愚痴られ農夫は家を飛び出る。主人公のハルークは、寒さに耐えかねて果樹園にゆき焚火をして暖をとろとする。ここまでは僕の知っているリアリズムダだ。そのあとが意外なのだ。主人公の相手がジャブラという犬なのだ。ハルークは、ジャブラをなで、優しい言葉をかける。これは、僕が今までもっていたリアリズムとは違う。この本の編集・翻訳者(Ruth Vanita)はうまいことを言っている。「冬の夜」は、人間と犬と宇宙を繋ぐきずなを照らしだしている、と。

     ナーラーヤンを読んでいても時々同じことを考えるのだけれども、プレームチャンドにもある種のフェミニズを僕は強く感じた。たくさんのダメ男が登場するなかで、働き者で、賢く、はっきりと意思表示ができる女たちが顔をだす。「スバーギ」では、両親は息子ではなく娘のスバーギを頼りにし、愛しているのだ。彼女の報われない苦労と毅然とした生きる姿勢は、インドの多くの恵まれない女達を勇気づけたに違いない。庶民を応援する大衆性を僕は非常にいいと思う。女は偉大なり、とプレームチャンドは歌う。それをフェミニズムと言えるかどうか分からないが、女へのプレームチャンドの崇敬の念を、僕は素直に楽しむことができるのだ。

    僕は、インドの小説における主人とサーヴァントとのやりとりを扱った小説がとても好きだ。ナーラーヤンの短編小説「アンナマライ」Annamalaiもすごく気にいっている。主人とアンナマライの立場の違いは厳然としてあるにしても、アンナマライが主人をコントロールするような場面もあって、雇用主と使用人との通り一遍の関係を超えた愛らしい交流が何とも楽しかった。
    ところで、プレームチャンドの「子供」The Childだが、これは最高のサーヴァント小説だった。ガングはえらく気位の高い召使で(そのこと自体大いなる矛盾だ)、主人が口をつけたグラスにすら手を触れようとしない。主人を主人とも思っていないどころか、主人こそがガングにひれ伏さなければならないという表情をしている。主人は、そんなガングに苛立ちながらも、なぜか憎めないと思っている。そんなガングが恋をする。それも何度も夫から逃げ出したいわくつきの女を、だ。
    この短編を読みながら、インドのやたら威厳のある人々や、まったく愛想のない乞食のことを思った。それを平等なる身分制社会への志向といったら言い過ぎになるのだろうか。この短編を読んでいると、インドの根強い民主主義の伝統には、職能として身分分化と人間としての平等の理念がどこかにあるように僕には思えてくるのだ。

premPP7.jpg
ムンシ・プレームチャンド
1880年ワーラーナシー近郊の村に生まれる 八歳で母を失う 十五歳で年上の地主の娘と結婚 十七歳で父を失う 大学入学資格試験に受かるも学業を継続できず
1900年 教師をしながら最初の小説Asrar e Ma’abid(『神住まうところの不可思議』)を発表する 寺院付き僧侶の腐敗 貧しい女性への性的略取をテーマにしているとのこと
1921年ゴラクプールにおけるガンディーの「すべての政府系役職から離脱せよ」との不服従の呼びかけを聞く
1928年小説Gaban(『横領』)を発表 この年日本に初めてプレームチャンドの作品が紹介される(追記参照)
1930年 ヒンドゥー語文学・政治紙「ハンス」を創刊
1936年小説Godaan(『小牛からの贈りもの』)を発表
同年ワーラーナシーで死去 56歳
十数冊の小説、250篇の短編小説、トルストイやモーパッサンの外国語小説の翻訳、またボンベイ在住時代には映画台本の制作にも携わる また未亡人との再婚は 当時センセーショナルなことだった

   僕をここまで興奮させるプレームチャンドの魅力とは何だろう。ナーラーヤンともクシュワント・シンとも違うプレームチャンドのインドらしさとは何なんだろうか、と思う。・・・この本の最後に収められた「経帷子(きょうかたびら)」Shroud, 1936は、強烈な印象を残す短編だ。主役は、親子二代の怠け者で、チョロマカシと慈悲と盗みで食いつないでいるようなとんでもない輩だ。しかし、独特なアクセントの強さが面白い。小市民的な善と悪とは異なった価値観によって生きている人々が現前するのだ。プレームチャンドが何を言いたのか分からないが僕を強く惹きつけた。
   僕がこれを読んでいるとき、強烈ではあってもこれがダーリットを扱った小説であるとは思わなかった。冒頭の解説は、僕等が気づかないことをいろいろ教えてくれる。この小説は、反ダーリット小説であるという抗議をダーリットの側から受けたこと、そして、結婚一年で身ごもり死んでゆこうとする妻は、親子二人に虐げられ、荷重労働を負った結果を表している、と。
この短編「経帷子(きょうかたびら)」がダーリット小説であるというのも、僕には衝撃的なのだが、あらためてプレームチャンドの魅力のことを思うと、それは「経帷子(きょうかたびら)」というこの短編小説に刻み込まれた僕などの想像を超えた価値感覚、そしてその闇の深さを思うとともに、「冬の夜」という短編に描かれた大地と宇宙への繋がりが、とても独特な素晴らしさをもっているなー、と感心するのだ。

(追記)比較的容易に手に入る翻訳があった。坂田貞二編『厳寒の夜 プレームチャンド短篇集』(日本アジア文学協会 発売めこん 1990年刊)で、僕が取り上げた「冬の夜」などが読める。また、親切で心のこもった解説が興味深く、参考になる。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 学問・文化・芸術

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August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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