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43.ムルク・ラージ・アーナンド『黒い海と泥水を超えて』Mulk Raj Anand, Across The Black Waters, published in 2008 by 0rient Paperbacks India, first published in 1939.

Anand+003bbb.jpgアーナンドのもうひとつの代表作
『黒い海と泥水を超えて』は
パンジャーブの農家の倅が
一兵卒として第一次世界大戦中の
西部戦線におもむき
少しの交戦・戦闘の背後に繰り広げられる
戦争という途方もない浪費と
たくさんの不条理を描いていく
前線までの長い移動と
異文化フランスの発見
そしてフランス人農家とのささやかな交流が
読者を語りのなかに引き込む
故郷を離れてゆく人々の大量移動と
大規模戦争という
二十世紀の最大特長を描きながら
この文明社会は名もない人々を
どこに連れてゆこうとしているかを
作家は問いかけている


   『黒い海と泥水を超えて』(初版1939年)は、『不可触民』Untouchable, 1935とならんでアーナンドの代表作のようだ。短い但し書によると、この本は1937年のバルセロナで書き始めた、とある。スペイン市民戦争のなかで、あるいは前線にかなり近い場所で書き始められたのだ。『不可触民』と同様、戦争の現実に実際にかかわりながら、第一次世界大戦におけるインド兵の欧州派兵・参戦を一兵士の視点で描いている。いろいろな問題はあるにしても(とくに一兵士にここまで分析的、客観的な語りが可能なのだろうか)、大問題をまっすぐに受け止めた、読んでいて面白く、たいへんに立派な小説であると思った。

   タイトルのBlack Watersは、ふたつの黒い水を指している。一つはインドからマルセイユへの大海である。海を超えることは、伝統的なヒンドゥーの観念からするとタブーのはずだ。父親が生きていれば、海を越えたインド人の運命は破滅だ、と言ったはずだと主人公は考える。もうひとつの黒い水は、塹壕にたまった泥水だ。それは、第一次世界大戦における西部戦線の闘いを示している。この小説は、タイトルが言うように、ひとりのインド人(ここも実はややこしくてシーク出身を偽り-髪を切る-グルカとして兵士登録している)が海を超えて戦争にとらわれてゆく経験についての小説なのだ。

   ムルク・ラージ・アーナンドが、ロンドンでブルームズベリーグループと交流のあったことは有名だ。アーナンドがブルームズベリーグループの人々とどんな対話をもったのだろう。ところで、この本を読むと、アーナンドの知性のあり様が伝わってくる。つまり『黒い海と泥水を超えて』がありきたりの戦争の悲惨を描くような小説ではなく、主人公のラールは前線につくまでに、あるいは戦闘以外の場面で実の多くのことを感じ考え体験するからだ。僕の考えでは、ほんのちょっとの戦闘場面と、その他途轍もない浪費と迷走、不信と背信こそが戦争の実態に近い、とこの本を読んであらためて感じた。

   戦争は、ひとつの交通形態だ、と言ったのはマルクスだっただろうか。主人公のラールは、戦争によって旅をする。ラールは回想する。パンジャーブの小作農家の倅に生まれ、村を逃げ出し軍隊に入ったのだ。そして、今闘うためにここにやってきた。外の世界で職を得た小作農の二男、三男にとって故郷とは、親の地代のいくばくかを送金しつづける関係でしかなくなる、と。パンジャーブの故郷から遠く離れてマルセイユに到着したとき、ラールの眼にうつる秋の地中海は何とも暗澹たるものだった。
 
   ラールの旅は続く。フランス市民のインド部隊到着の歓迎ムードのなかで彼はいろいろなことに出会い発見してゆく。フランス人の男と女は、道端で抱き合い、接吻を交わしている。パンジャーブでは頬や額にしかキスしないのに、フランス人は口と口でキスをする。アフリカ人部隊の兵士が、フランス人の女と言葉をかわしても、フランス人将校は意に介さない。総じて、インドを植民地化している英国人とフランス人との相違の発見が、ラールを興奮させる。他方、これから自分たちは見知らぬ土地で何をしようとしているのか、どこへ行こうとしているのかまるで分からない不安を感じる。ラールはフランスの地図を買い求めようとするが、地図をフランス語で何と言うのか分からない、と購入を諦める。彼の混乱した思考を落ち着かせてくれるのは、運命と前世の報いという伝統的なヒンドゥーの教えなのだ。

   マルセイユからオルレアンへ、そしてカレーへ、旅はさらに続く。戦場は遠く、列車による長い退屈な移動が、これもまた一つの戦争の現実であるのかと思わせる。ラールのなかでフランスの寒さと雨に、パンジャーブの冬が重なる。自分は見知らぬ土地で、何も分からず何をしようとしているのか、と反芻するのだ。国家の大義と(インド人部隊の欧州参戦は、インド人の自治権拡大につながるのだと多くの人が信じていた)、個人がその渦のなかに巻き込まれつつあるとき、どんな葛藤が生じるのかを描いている。

   戦場に近くにいまだ避難せずにいるフランス人の農家がある。ラールがそこの娘に優しい言葉をかけたことから始まる家族との交流は、移動と戦闘とのあいだの間奏曲、というのか移動と戦闘とは別のトーンをもっている。注意して読んだのだがちょっと分かりづらい。その難解さは、言葉が通じないパントマイム劇である以上に、ある種の人間愛を、描いているからだろう。人間愛を描こうとするところが、ムルク・ラージ・アーナンドのもっともヴァルネラブルなところだと、僕は思う。しかし、アーナンドの人間愛を何故か僕は批判したくない。

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ムルク・ラージ・アーナンド
1905年ペシャワールに生まれる
2004年プネーで没、98歳
アムリツァルとケンブリッジで高等教育をうける
ブルームズベリーグループと交流を持つ
スペイン市民戦争に報道員として参戦
ピカソとも交流がありピカソはアーナンドを描いた
1946年故国インドに戻る

   インドの人々は、この小説を読むことは身に詰まされ思いがするのだろう。何もわからず、何の関係もない欧州で、何の怨みもないドイツ人相手になぜ死闘を繰り広げなければならなかったのか。そして多くの同胞が傷つき死んでいった代償は何だったのか、と。
   では僕はこの小説から何を感じたのか。それは僕らの人生にしてもラールの人生とどこが違うのか、という気もしてくるのだ。つまり、何も分からず行き先の分からない列車に乗り込み、気が付けば泥水の塹壕のなかで僕らはのたうちまわっているのではないか。そこに人間の威厳といえるものが本当にあるのか。戦争によって明らかになった二十世紀における非人間化と、末期症状を呈する資本主義社会(虚構のニーズに踊る消費―生産諸関係を特長とする)のなかで、人間の尊厳はますます狭められている、と。

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August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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