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42.ウダイ・プラカーシュ『金色に輝く日傘をもつ娘』Uday Prakash, The Girl with the Golden Parasol, translated by Jason Grunebaum, published in 2013 by Yale University Press, first published in Hindi 2011.

PrakashBookBBB.jpg 海を泳ぐ二匹の小さな魚は
自由な愛を歌う
他方 カースト間対立の暴力と流血は
キャンパスにおいて日常化しつつある
ウダイ・プラカーシュの『金色に輝く日傘をもつ娘』は
カーストを超えた若い学生の恋の物語と
カーストの現実の壁を
シュールに ときに詩的に ユーモアをまじえ語る
ありそうもない恋物語が
ありえそうな残虐さとむすびつくとき
夢物語の時間が終わり 
現実にひき戻される
 

  
   ウダイ・プラカーシュの『金色に輝く日傘をもつ娘』は、低いカーストの貧しい青年と金持ちのブラーミンの娘が愛しあう小説だ。これは僕にとってとても難しい小説だった。それは、僕がカーストのことを良く理解できないためだろう。恋人アンジャリの父親は、成功した建設会社のオーナーで今は州政府の閣僚である。とくに社会思想に目覚めたわけでもない「箱入り娘」が低いカーストの青年に恋をするのだ。

   ふたりの恋は、「インドのケンブリッジ」と言われる大学を舞台にしている。その大学の学生寮タゴール・ホステルは、インドのさまざまな地方からやってきた学生たちのつどう下宿だ。カルティケヤは、プネーからやってきた。ヘマントはアッサムの出身だ。サパムは、マニプールからやってきたのだが、教師をしている兄が最近警官に誤射され死んだのだった。彼らの両親は、しがない生業で食いつないでいる人々だ。百姓や、小店主、下級官吏だ。彼らは貧しい生活をさらに切り詰め、あるいはどこからか金を借りてきて息子たちに送る。その金は、家族の涙と汗、そして夢でぐしょぐしょに濡れている、と作家は書く。

   前に読んだ『デリーの壁』The Walls of Delhi, 2012は、ありえないことをめぐる物語だった。『デリーの壁』は、ありえないことを支える途方もないデタラメ・ほら話が楽しかった。そんなデタラメ・ほら話がこの小説には見つからない。しばらく迷っていると、低いカーストの貧しい青年と金持ちのブラーミンの娘との恋自体がありえない話ではないのか、と思えてきた。これは僕の推測だ。インドの人々は、それは誤解だというかもしれない。

   プラカーシュは、六十年代のヒンドゥー映画について言う。それは、貧しい低いカーストの青年が、金持ちの高位カーストの娘に恋する物語を繰り返した、と。ありえない夢物語に貧しい人々が酔いしれたのだ。この小説も、あり得ない話なのかも知れない、と僕は思うのだ。もしかすると、インドの人々にそれは自明のことなのかも知れな。他方、これを読むアメリカ人の多くは、自由恋愛が許されないインドのカースト社会に憤るような気がする。

   ふたりの恋が、海をおよぐ二匹の魚にたとえられる。インドの古い、古い神話のようだ。僕はその詩的な表現が好きだ。他方、ラウルがアンジャヤリとセックスするとき、「オレは野獣となって犯す」、と宣言する。「幾千年の抑圧の軛(くびき)を絶ち、復讐をとげる」、と。これも、二人の恋があり得ない物語だから意味をもつのではないか。

   ムルク・ラージ・アーナンドの『不可触民』Mulk Raj Anand, Untouchable, 1935において寺院付きのパンディットが、清掃カーストの娘を誘惑しようとするのも、U. R. アナンタムールティの『儀式』U. R. Anantha Murthy, Samskara, 1965における導師・アーチャリが不可触民の情婦と交情・共食するのも、上位カーストの男が下位カーストの女に手をだし、侵犯する。そんな一方通行が、現代インドの物語においても繰り返し語られてきた。しかし、この『金色に輝く日傘をもつ娘』は違う。同じキャンパスで学ぶ若い二人が愛しあうからだ。プラカーシュは、上位カーストの者が下位カーストの女を犯す伝統的な価値観を転倒する。あるいはパロディ化する。ただ、プラカーシュはありえない二人の恋が残虐な悲劇に終わるとき、それはありうる話なのだと語り、ありえない時間をリセットするのだ。
 
   ふたりの恋は、「インドのケンブリッジ」と言われる大学を舞台にしている。それは、平和なキャンパスではない。上位カーストの学生グループがまず下位カーストの学生を攻撃し、凌辱し、わずかな現金を奪ってゆく、ところから始まる。下位カーストの学生も、手製の銃や火炎瓶で武装し反撃にでる。プラカーシュは、一貫して下位カーストの学生の立場に立つ。この対立も、実は分かりづらい。背景にあるカーストがよく理解できないからだ。

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ウダイ・プラカーシュ

   パンカジ・ミシュラの『ロマンティックス』Pankaj Mishra, The Romantics, 1999という小説には、上位カーストの学生扶助グループのリーダーが登場する。彼の部屋には、拳銃がころがっていて小説の主人公は、嫌な印象をもつ。しかし、彼らも貧しい。ミシュラはそのリーダーの故郷を訪ねると、未亡人の彼の母親は「下位カーストへの割り当てがあり、有力なコネをもたないこの子に就職口はない。早晩破滅するしかない」と言い捨てる。学生リーダーは、母親の予想したようにギャングに身を落としてゆくのだ。主人公とエドマンド・ウィルソンについて語りあったリーダーは、ギャング間の抗争で、バラナシの路上で撃ち殺される。
 プラカーシュ―が描く非ブラーミン学生を攻撃する上位カーストグループのごろつきも、ミシュラが同情を寄せる上位カーストの学生扶助グループのリーダーもともに真実の一面を捉えているのだろう。どちらの側により正義があるのか、僕には分からない。

 書店では、ガンディやトルストイ、プレームチャンドやタゴールの本が姿を消した。かわりにビル・ゲイツの本がベストセラーになっている。プラカーシュは、インドにおける経済の開放とグローバル化に毒づく。インドはもはやそこに住む人々の国ではなく、インドの民主主義の伝統は息絶えた。一部のギャングがインドという国を牛耳っている、と嘆息する。プラカーシュは非妥協的な硬派の左翼だ。反時代的で抵抗する者であり、正義とは何かを問い詰める。しかし、その小説世界の豊かな表情は一体何なんだろう。主義主張における硬骨漢ぶりとその表現の自由さ、豊かな想像力のバランスがいい。ウダイ・プラカーシュは、パブロ・ネルーダやガルシア・マルケスと似た血脈に属する、と言えるのだろうか。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 学問・文化・芸術

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August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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