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41.アミット・チョウドリー『奇妙で壮大な住所書』Amit Chaudhuri, A Strange and Sublime Address, published by Minerva 1992, first published in Great Britan 1991.

addressBBB.jpg アミット・チョウドリーの処女小説
『奇妙で壮大な住所書』は
サンデープ少年の眼を通して
カルカッタの叔父さんの家の人々を
また酷暑や停電や街の風情を瑞々しく描く

そこでチョウドリーは 家族に仕える使用人を
家族の一員として描いていて
それはあたかも平等なるカースト社会のようでもあり
僕らを驚かす

叔父さんの心臓発作と入院は
家族にとってひとつの事件であったとしても
それもまた家族の歴史のひとこまに過ぎない

南カルカッタ
ヴィーヴェカーナンダ通り17番地は
遥かな宇宙の慈しみの下で
人々が息をし 住まうところなのだ


   題名の「アドレス」というのが良くわからなくていろいろ想像してみたのだけれども、この小説を読み進むと、「アドレス」が何のことなのかちゃんと書いてあって気分がよくなった。それは、子供の通学鞄に書いてある住所書のことなのだ。どう奇妙で壮大なのかは、読んでもらった方がいい。で、本当に奇妙で壮大なのは、その住所を書いた叔父さんの方なのだ。この小説の語り手であるサンデープは、詩と物語を書くのが好きな少年で、だからちょっと変わっている叔父さんのことが好きなのだ。マテリアリストでないところに、夢想がちなところに、何か惹かれるものを感じている。

   この小説に出てくる人々は、総じておっとりしていてガツガツしたところがない。サンデープの叔母さんをマッサージに来た女について、近所の人たちは、「あの女は盗癖があるから気をつけろ」、とか「時々売色もしている」と彼女を遠ざけるよう忠告する。しかし、叔母さんはそんな忠告を意に介するところがない。マッサージを終えて帰る女に駄賃を与え、オレンジをもっていく気配りを示す。

   この小説において「奇妙で壮大」なのは、叔父さんの一家とそこに出入りしている使用人との関係だ。使用人の子供達が、叔父さんの家のテレビを見ることを楽しみにしている。あるいは、トイレの清掃人の自慢話(金持ちのマルワリのトイレを清掃していた)を皆が聞く。叔父さんの家族とそれら使用人とは、大きな家族と言ってもよく、立場のちがい、あるいは住み、食事をし、寝る場所はちがっても、彼らの幸福と不幸、喜びと悲しみは繋がっているのだ。台所の流しで手を洗う不作法をたしなめもする場面もあるが、途方もない調和が存在し、お互いの違いを認めあっている。平等なるカースト社会に僕は面食らってしまった。

   小説の後半にはロンドンに住む別のオジさんの話がでてくる。“この世で一番幸せな男”というタイトルは、いくらかアイロニーの響きがあるけれども、このオジさんは、家族のない孤独な生活を大切にしている。彼は、週末でもないのに週末の買い物に行くという「隠された論理」を弄ぶ人なのだ。今は年金暮らしをしているオジさんを訪ねたサンデープは、午後をともに過ごした後、バスで帰途につく。サンデープはバスの二階に席をとる。オジさんはサンデープを一階の席に一生懸命探す。チョウドリーの文章は、そんな何気ない行き違いを過不足なく描く。何とも言えない可笑しさと、オジさんのささやかな幸福と孤独な生活を思ってしまう。

   サンデープも、叔父さんの一家もあまり宗教に熱心ではない。叔父さんは、学生時代、共産党のシンパだった。また、一家の好物が魚料理なのも、伝統的なヒンドゥーの上位カーストとは違う気がする。しかし、僕はチョウドリーのこの小説の全体に深い祈りのような宗教的ものを感じる。見えない神々に対する静かでひたむきな祈りをチョウドリーの文章は、織り上げている。例えば、チョウドリーが家の清掃人について「彼女は、一日中良く働く。少し腰をかがめ、それは何か見えない神に尽くしているようだった」と書くとき、チョウドリーの隠れて見えない神々が際立って見えてくる気がしてくるのだ。

   チョウドリーの本を読むのは何冊目になるのだろう。頑張って読んできたわけではないのに四、五冊にもなるのだろうか。チョウドリーにとってこの処女小説は、第二作『午後のラーグ』Afternoon Raag (1993)に雰囲気が似ている。この『奇妙で壮大な住所書』は、カルカッタの叔父さんと叔父さんの家に係る人々・文物を少年の眼から描いている。それに対して『午後のラーグ』は、青年のオックスフォード留学について、またボンベイの実家のことを回想し書いている。少年から青年への成長、場所の移動はあるにしても、共通するのは、輝くばかりの透明性、神々しいとでも呼びたくなる静謐さ、もっといえば僕らを存在の気付きに導く詩的な文体だ。しかし、『自由の歌』Freedom Song (1998)、『新世界』A New World (2000)になると人生の暗い重荷・屈折・孤独の影が現れてくる。『新世界』の主人公ジャヨジットは、自分の人生の進展と世の変化に戸惑っている。深く静謐な文章は健在なのだが、『奇妙で壮大な住所書』、『午後のラーグ』にある透明で澱みのない幸福感は消えていくのだ。他方『不死の神々』The Immortals (2009)は、『自由の歌』、『新世界』で描いた人生の憂鬱を払拭するのが目的であるかのように、音楽と音楽を愛する人々への幸福をひたすら歌う。いくつもの美しい場面をチョウドリーは『不死の神々』のなかで書いているけれども、それはどこかマニアックで、限られた人々の熱狂のなかに埋没しているようなのだ。彼の詩的な文体の力は後退し、僕は、それが少し不満だった。

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アミット・チョウドリー
1962年カルカッタに生まれ ボンベイに育つ
英国で高等教育を受ける
D. H. ロレンスからの影響が強くロレンスについての評論を上梓している
サトイヤ賞(『新世界』による)を始め数々の文芸賞を受け
また 欧米のいくつもの大学で文学を講じる傍ら
実験音楽の実践を勢力的に行っている

   僕が、チョウドリーの本を手にとるとき、いつも期待してしまうのは、彼の詩的な文体の力だ。心が疲れているとき、ささくれ立った日常から少し遠くに行きたいと思うとき、チョウドリーの文章を読むのは、生きる爽やかな元気を思いださせてくれる。この小説『奇妙で壮大な住所書』には、世界を肯定し愛する力が漲っている。通学鞄に書いたヴィーヴェカーナンダ通り17番地は、遥かな宇宙の慈しみの下で人々が息をし住まうところなのだ。

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

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August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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