FC2ブログ

40.モーシン・ハミッド『コウモリの見た夢』(ランダムハウスジャパン、原著2007年刊)

hamid+001cv.jpg チャンゲーズはふと街で声をかけたアメリカ人に
古風な慇懃さとおどけた風情で
アメリカでの仕事のこと
恋人のこと 9/11以降のこと
自己の半生について さまざまに語りだす
それは 南アジアに生まれた優秀な若者が
いま進行するパキスタンの現実への侮蔑・拒否から出発し
またグローバル経済の進展にも同化しえない
スピンアウトしてゆく姿なのだ
チャンゲーズのアメリカ人の恋人が
過去に捕われて崩壊してゆくように
チャンゲーズも過去と故郷を振り切ることができない
自分を偽ってこの世界の現実の中に入っていくのか
あるいは破滅の道をえらぶのか
二者択一の選択しかないのだとモーシン・ハミッドは
語っているのだ
世界を単一化の方向に向かわせる力とは何なのか
世界の多様性を消し去る力の正体は何なのか
そんなことを考えながら
僕はこの本を読み終えた


   主人公はなぜアメリカに渡ったのか。プリンストン大を優秀な成績で卒業し、コンサルティング会社に職を得たのは、なりゆきの人生選択とは言えない。何千倍という競争に立ち向かう彼の内面のエネルギーが尋常ではないからだ。

   チャンゲーズは回想する。ラホールの街を新興の金持ちがBMWのリクリエーション・ビークルを駆ってゆくのを羨望と軽蔑の入り混じった気持ちで見ていたのだ、と。自分は、パンジャーブの名家に生まれた。新興の金持ちを見返すのは、いい学校を出て地位の高い職につくか革命家、あるいはテロリストになるしかない。チャンゲーズの破滅は、最初から準備されていたのだ。

   チャンゲーズは、パキスタンの新しい現実を受け入れられない。過去は、彼の家族同様に気高く、責任感にあふれ、人々への思いやりをもっていた。彼をアメリカに向かわせたのは、一部の腐敗したエリートが支配し、ギャングが暗躍するパキスタンの現実なのだ。しかし、アメリカも、彼の過去の理想からは遠かったのだ。

   みずからの幸福のためにパキスタンともアメリカとも妥協できない。といってテロリストになるわけにもいかないチャンゲーズは、南アジアの多くの中産階級の若者の心情を代弁しているはずだ。チャンゲーズの大学講師への撤退は、多くの南アジアの若者に、なんとも言えない甘美な夢を語っているはずだ。

   しかし、この大学講師に変革を期待することはできない。モーシン・ハミッドの小説は、破滅を描く。恋人のエリカが死んだ恋人を忘れられず自己崩壊してゆくのと同じだ。過去、あるいは伝統が築き上げてきた価値を振り捨てられない者は、破滅しかない。それは小説で歌われている間は甘美な夢にすぎないが、この小説を手にとる多くの南アジアの青年にとっては、自分の生き方と交錯するはずだ。自分を誤魔化しながら新しい世界の現実の中に入っていくのか、破滅の道をえらぶのか、モーシン・ハミッドは二者択一の選択しかないのだと語る。

   この小説は、9/11を実行したテロリストの心情を理解するための小説ではなく、南アジアのごく普通の青年が抱く心情の二律背反を描いている。隣国アフガニスタンへの合衆国の空爆・侵攻に対して、チャンゲーズが心を屈折させ怒りを覚えるようになるのは充分にリアルである。しかし、この小説への9/11の事件への導入は、いささか唐突なのだ。チャンゲーズは、アメリカの軍事・外交戦略が横暴に過ぎると思う一方で、9/11のテロ攻撃を容認してはいない。

   この小説は、南アジアの読書に語りかけている。また、アメリカ人にも読める小説になっている。それは小説を意欲的にもしているし、この本のメッセージを中途半端なものにもしている。また、チャンゲーズの内面の分裂であるとともに、著者のよってたつところの曖昧さであるかも知れないのだ。チャンゲーズと作家における分裂と曖昧さを一挙に解決してくれる装置が破滅、あるいはこの小説における極度の閉じこもりのように思える。

   パプロネルーダ、ジャニサリー(オスマントルコ帝国におけるキリスト教徒子弟による最強近衛師団)等々、モーシン・ハミッドが用いる小説物語の小道具に目立った新規性はない。手垢のついたアイテムのようにも思える。しかし、この洗練されざる趣味の悪さが僕はいいと思う。それが、先進国の小説との決定的な違いで、そこに自らの人生により真面目に向かいあおうとする姿を僕は感じるのだ。

hamid+002cv.jpg
原題、Reluctant Fundamentalist (やる気のない原理主義者)については翻訳書のあとがきでも触れられているように二重の意味がある。つまり、イスラム教原理主義者へのほのめかしと、企業分析におけるファンダメンタル=経営数値についての意味だ。いたずらっぽいタイトルだと思う。シリアスだが何かおどけたところのあるこの小説にふさわしいタイトルだと思う。しかし、この小説はテロリストの物語ではない。

  
   
チャンゲーズは、スーパーエリートでありながらどこかおどけたところがある。俊英の集まるコンサルタント会社においてもトップを走るチャンゲーズだが、時々おどけたことを言うのだ。現代都市マニラを見てラホールよりも文明的であることに許せないと思う。また、アッパーイーストサイドの恋人のアパートを訪ねると、守衛のいうペントハウスという言葉がヌード満載の男性雑誌のイメージに入れ替わる。そして何よりもこの小説の聞き手であるアメリカ人への語り口が慇懃でおどけているのだ。なぜ、チャンゲーズはおどけてみせるのか。・・・それは、この小説におけるある種の異常音のようなものに思える。 

   おどけたチャンゲーズも、時たま怒りを隠しきれない。例えば、恋人の父親にパキスタンの実情を、ウォールストリートジャーナル風に要約された時だ。それは二重に彼を苛立たせる。父親の口からでたコメントにたいする苛立ちと、それを批判できない自分の立場への苛立ちだ。

imagesCAIDGV6I.jpeg
モーシン・ハミッド
1971年ラホールに生まれる
3歳から9歳までを合衆国で育つ
プリンストン大でトニ・モリスンらの指導を受ける
ハーバードロースクールを卒業後 学資返済のため
マッキンゼー(コンサルタント会社)に職をえる
第一作目『蛾の煙』Moth Smoke, 2000は
インド・パキスタンでベストセラー
現在、ラホール・ロンドン・ニューヨークを拠点に
作家・評論活動を展開している


   この本のメッセージとは何なのか。世界は多様なほうが生きやすい、と僕は考える。ニューヨークだけが世界ではなく、世界にはチャンゲーズのラホールもあれば、ネルーダの故郷パラルもある。世界を単一化の方向に向かわせる力とは何なのか。世界を説明するのに細部とニュアンスを捨て去ろうとする傾向・立場が優勢なのだ。市場価値にしろ、宗教にしてもすべてをある原理にもとづき単純化してしまう力が存在している。暴力的な抽象化と定式化の安易な勝利こそが現代の病であり、悪ではないのか。チャンゲーズはアメリカ人に語りかける、この暖かな風にのってくるチリの匂いが分かりますか、と。南に広がる砂漠からやってくるこのチリの匂いが僕たちの生活そのものなのです、と。そう、そのチリの匂いこそが尊重されなければならず、消し去ってはならないものなのだ。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 本・雑誌

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR