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33.「山椒太夫」(『説教節』東洋文庫243所収、初版1973年)

森鴎外の小説「山椒大夫」が消し去った残虐性を
古説教「山椒太夫」で辿りつつ
残虐性を消し去る現代という時代の要請について考えてみる
そして「山椒太夫」を
林屋辰三郎「『山椒大夫』の原像」をたよりに
中世散所民と散所長者の没落譚として
読み返してみる
説教節「山椒太夫」は「中世における部落解放の夢」
を語っているというよりは
邪慳な散所長者への復讐
および散所長者の首のすげ替えが
ずし王という正系の支配者によって代行される
という読み方を提示したい


  森鴎外の「山椒大夫」(1915年発表)では、安寿は弟厨子王を逃れさせてから、履物を揃えて入水自殺をとげる。「これが鴎外の思ったもっとも美しい女性だった」と中学生のとき、国語の授業で教えられた。女とは、そして女の美しさとはそのようなものなのか、と僕は思った。もとの説教節では、安寿は追っ手に捕えられ八つ裂きの目にあうのだということをあとになって聞き、驚くとともに妙に納得させられた。当時の僕は、文豪の書く楚々とした女性像が、近代的なフィクションでインチキであると思った。

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説教節「山椒太夫」は、東洋文庫『説教節』(初版1973年)に収まっている。
古文というほど難しくなく、あまり苦労せず原典を味わえる。

 今度、それこそ数十年をへて説教節の「山椒太夫」を読み、大変に面白かった。安寿は追っ手に捕えられて八つ裂きあう、と人から聞いていたところも、想像していた以上にいろいろと語られていて興味深い。・・・厨子王を落ちのびさせたあと、山椒大夫の屋敷の戻り、戻らぬ厨子王について詰問されるとウソをついて抗弁する安寿もたのもしいし、その時流す安寿の涙についての太夫の言い方もすごい。
 「おうそれ涙にも、五つの品がある。めん涙怨涙感涙愁嘆とて、涙に五つの品があるが、御身が涙のこぼれようは、弟をば、山からすぐに落といて、首より空の、喜び泣きと見てあるぞ。三郎いずくにいるぞ。責めて問え」
 三郎は、十二段の梯子に安寿を縛りつけて「湯責め水責め」やら「錐」やらで執拗に拷問を繰り返すが、「弟が山からもどりましたら、姉は責め殺されたと伝え、弟を可愛がって働かせてやって下さい」と太夫・三郎をさらに挑発するようなことを安寿は言う。三郎は「からこの炭」で庭に火をおこし、大団扇であおぎたて、「熱くば落ちよ、落ちよ落ちよ」と叫びつつ安寿を焼き殺してしまう。

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  考えてみれば、ほとんどすべての近代国家が、残虐な刑罰を改め、より痛みの少ない、また外から見ても穏やかそうな死刑を執行するようになるわけだが、それはどうしてなのだろうか。すぐに思いつくのはマックス・ヴェーバーの、国家の本質が合法的な暴力の保持にあるとする説だが、暴力の合法化のために刑罰における残虐性を、多くの近代国家が払拭してゆくと見るのはひとつの知見ではあっても、残虐性の否定が暴力の合法化としての近代性に結びつく本当の理由が、僕には分からない。そして、第二点として、法制的な残虐性の否定が、あるいは近代化に伴う、多くの人々に共有された残虐性否定の雰囲気・情緒にもかかわらず、残虐性は、時として、あるいは形を変えて事件として蘇ってくることなのだ。

 
  岩崎武夫『さんせう太夫考』(平凡社ライブラリー、初版1973年)は、父・山椒太夫の首を三郎に竹鋸で引かせる残虐な復讐劇を、鴎外の『山椒大夫』が削ってしまったことを問題視している。岩崎氏にとって見過ごせないのは、この残虐な復讐の場面のカットが、ずし王と山椒太夫の和解として写り、またそれは二者の間に厳然としてある「支配するものとされる者の関係」を調和や均衡に置き換えてしまったことだと言う。さらに、和解・調和・均衡は、支配・被支配の実相をうやむやにするばかりでなく、説教節「山椒太夫」に色濃く流れる民衆の情念を消し去ってしまった、と。
  ところで説教節の「山椒太夫」は、この場面も秀逸で僕は読みながら何度も唸ってしまった。つまり、首をだして太夫の埋め、ずし王は実の息子の三郎に太夫の首を竹鋸で切り落とさせるのだ。「一引き引きては、千僧供養、二引き引いては万僧供養、えいさらえいと、引くほどに、百二に余りて六つのとき、首は前にぞ引き落とす」となる。残虐な復讐が、またよりによって「邪慳なる三郎」の口から「供養」という仏の教えが聞こえるのは、説教節ならではのダイナミズムだ。
  実は、岩崎氏は、この残虐な復讐の場面における支配・被支配の実相について『さんせう太夫考』の冒頭近くで述べているのだけれども、あまり深入りせず、説教節が語られる祭りの場の論理(生命の更新と再生としての祝祭)のほうに筆を向けている。この本が出た1973年という時代を考えると、支配・被支配といった階級闘争史観に近いもの言いに傾くのもむべなしだが、問題は、説教節「山椒太夫」におけるずし王と山椒太夫の関係は、明確な「支配するものとされる者の関係」というよりは、もう少し違うニュアンスをもっているように僕には思えることだ。

  横井清『中世民衆の生活文化』(講談社学術文庫、初版1975年刊)を読んだとき、ずし王と山椒太夫の関係は、中世散所民と散所長者の実態として読みとくべきだという指摘に触れ、強い衝撃をうけた。横井氏の指摘は、林屋辰三郎の「『山椒大夫』の原像」(『古代国家の解体』1995年所収)の趣旨にそうものであり、僕は今回林屋辰三郎のその論文を読んでみた。
  林屋辰三郎の「『山椒大夫』の原像」(『古代国家の解体』1995年所収)は、鴎外の「山椒大夫」の原形を長者没落譚として見、また「山椒」という文字は「算所」とすべきだ、という柳田國男の論点(「山荘太夫考」1915年発表、筑摩文庫版全集9巻所収)の検討から林屋論文は始まる。つまり、柳田國男は、「山椒大夫」の名の由来を、長者の名としてはきわめて不自然だと言い、最初にこの話を語っていた「算所」民のある「技芸員」・「大夫」をその演目の名前と取り違えてきたのだと考えた。林屋辰三郎は、「山椒」が「算所」の民を意味する柳田説を首肯しつつ、さらに「大夫」は「技芸員」ではなく「長者」としての「大夫」だと修正する。説教節の伝播が散所民によるとしても、他の説教節演目があるにもかかわらず「山椒太夫」だけに「算所」の「大夫」(技芸員)という名を付す不自然を指摘しながら、つまり、山椒大夫とは、由良湊のような交通の要衝にあった散所の長者であった、とする。柳田國男が「算所」と表記し、林屋辰三郎が言う「散所」とは、もともとは住所不定の者を指すが、次第に同類が集まり、権門勢家・寺社と結びつきその雑役の担い手となる、ように書かれている。彼らは、耕作農民における田地の年貢をまぬがれそれは一面の特権ではあったが、実態は奴隷としての賤民的境遇を続けなければならなかった。当時の荘園領主は、年貢輸送や手工業生産のために散所民の労働力を必要としていた。そこにもろもろの散所の民を統制統率し管理支配する長者が発生する理由がある。領主は、散所の民を直接管理するのではなく、散所の長者を通してその労働力を活用した。

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林屋辰三郎の「『山椒大夫』の原像」は、
『古代国家の解体』(東京大学出版会1955年初版)に収められている。
外見はいかめしい本だが、文章はきわめて明晰、読みやすい。

  「山椒太夫」における「支配するものとされる者の関係」は、単純ではなくニュアンスに富む。それはまず、ずし王と姉の安寿を酷使しいたぶるのが、もとは支配し酷使される散所の民であることだ。支配・酷使されていたものが、その隷属的境遇から抜け出し、支配する逆の立場になった場合、より苛烈な支配・酷使により支配されるものから収奪してゆくのだ、ということを「山椒太夫」の物語は示唆していないか。
  「山椒太夫」が、散所の民とその長者の物語である点に関連して、林屋論文は、実に多くのことを示唆している。とくに気になるところを引くと、第一点、領主権力を背景に隷属下の民衆を苛酷に駆使し、特権にまもられて富裕な長者が当時多く発生したはずだということ、第二点、「山椒太夫」のような悲話は外部にもれ難いが、それが一旦もれひろがると民衆の共感と同情をよびおこしただろうこと、第三点、山椒太夫が散所内部に対して権力者で抑圧者であるとともに、散所外部の民衆にとっても根深い恐怖と、ある場合には差別意識の対象であったはずだ、とする点だ。
  林屋辰三郎「『山椒大夫』の原像」は、読めば読むほどいろいろなことを考えたくなるような論文だ。散所の内と外、差別意識の問題、いずれもひどく難しいが人間社会の根源、あるいは人間存在の闇にせまる命題だ。しかし、林屋論文が間違いなく素晴らしいテクストであるけれども、この論文の結論が僕には疑問なのだ。つまり、説教節「山椒太夫」は「中世における部落解放の夢」と林屋辰三郎は言う。僕は、そこまでは言えないと思うのだ。なぜなら、説教節「山椒太夫」では、ずし王が太夫と三郎への残虐な復讐をはたすが、山椒太夫に隷属する民を解放したようにはどこにも書いていないからだ(それを言うのはむしろ鴎外の「山椒大夫」だ)。ずし王は、太郎と二郎に丹後の領地を分け与え、散所の隷属民もそのまま彼ら兄弟に受け継がれたと考えるのが素直な読み方だ。さらに、ずし王は、ある時点で浪々の身となりはてたとはいえもとは奥州五十四郡の主の嫡子であり、国家制度の上位に位置する正系の支配者なのだ。
  散所の長者に容赦のない復讐をとげる「山椒太夫」は、支配されるものが支配するものを打倒する単純な物語ではない。本来は、正系の支配者が、一時的に身を落とし隷属的な労働を強いられるが、もとの支配層に帰還したあと、被支配層から、あるいは隷属的境遇から抜け出した中間支配者の散所長者に復讐する物語と読める。
  ずし王の出自を、正系の支配層にしたのは、隷属的境遇にある民衆の淡い夢であり、苛酷な境遇を耐え忍ぶ知恵・願望に過ぎないのではないか。冷酷な散所の中間支配者への復讐とすげ替えが、または散所における隷属的境遇からの脱出の夢が、ずし王という正系の支配層によってはたされるのも、一筋縄ではいかない支配・被支配関係の複雑さをあらわしていて、そこも見逃すことができない。

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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