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32.ヴェード・メータ『顔つきあわせて』、Ved Mehta, Face to Face, Published by Penguin Books Inc. 1971, First published in USA 1958

ヴェード・メータ『顔つきあわせて』は
視力を病によって奪われた者の半生記として
非常に興味深い読み物だけれども
インドの風物詩・現代史への証言・アメリカの留学体験記としても
読者を退屈させることがない
さらにこの本が名著であるのは
視覚の優位を覆すメータの盲目の力
あるいはきわめて明らかな能力の欠如がもつ逆説的な力と豊かさを
十二分に伝えているからなのだろう
インドにおける公衆衛生を専門とする高級官僚を父にもち
細菌性の疾患で視覚を失うというメータの有徴性も
また何か感慨深い
 

   メータのこの本がなぜ僕の書架にあるのか、そのいきさつが思い出せない。何でヴェード・メータの本を知ったのか、記憶がないのだ。僕は、ずっとメータの本のことを忘れていた。それが最近パンカジ・ミシュラの『心のインド』India in Mind, 2005を読んでいてメータを紹介する一章があり、いまだに霊的な雰囲気漂う読書を実践するミシュラが取り上げていることに驚くとともに、急に興味が湧いてきて、作家の最初の自伝『顔つきあわせて』を読んでみたのだ。

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   メータの全体像については、ミシュラの紹介文がいい。端折ながら訳してみる。

  ヴェード・メータは、現パキスタンのラホールに生まれる。彼が3歳半のとき髄膜炎を患い視力を失う。16歳でインドをあとにアメリカにある盲学校に向かう。その後、オックスフォード、ハーバードで教育をうける。ニュー・ヨークに居住し、盲目であるがゆえの身体的・情緒的なブレをきわめて生き生きと数々の自伝的著作のかたちで世にだしてゆく。過去40年間、彼は頻繁にインドを訪れすぐれたインドの現地レポートを“ザ・ニューヨーカー”に寄稿。1966年のクムバ・メラ(ガンジス河とヤムナー河の合流点アラハバードで催される12年に一度のヒンドゥー教の大祭)を取材したエッセイは、西欧のジャーナリズムに先駆けてこの大祭を取り上げ、のちのビートルズの師、マハリシ・マヘーシュ・ヨーギにも会っている。彼の知恵の茫漠とした姿、整序されざる慰藉についてメータは印象深く語っている。
  
   『顔つきあわせて』は、ヴェード・メータが22歳でオックスフォードに旅立とうとしているところで終わっている。その最終章は、南部出身のアメリカ人女学生との愛と別れがハイライトされているのだ。メータが彼女との性的な関係をもったかどうかは、必ずしも明確に語られてはいないけれども、おそらくあったのだろう、と類推するのが妥当だと思う。盲人のインド人留学生と、伝統的で保守的な南部出身の娘の結びつきを、さらにその性的な交渉を含めて僕が言うのは、下種な興味もないわけではないけれども、それ以上に、南部の娘がメータの魅力に惹かれてゆくのが極めて自然であると感じるからなのだ。『顔つきあわせて』を読みながら、ずっと不思議でならなかったのは、ヴェード・メータという青年が性格・知力・勇気において抜群に優秀であるにもかかわらず、それが自伝としてまったく自慢話の趣がなく、爽やかで嫌味でないことなのだ。まして盲目と言うハンディキャップに屈折するところが皆無なのに驚く。そういうメータの傑出した人物の雰囲気とこの本の文章はしっかりと結びついていると僕は思う。聞き書きによる本書の文体は、自らの闇の向こうの世界についての特長をはっきりと捉え、いたずらに詳細な記述に走らず、力強く分かりやすいのだ。

   ヴェード・メータのこの本は、視力を病によって奪われた者の半生記としても興味深いのだけれども-凧揚げに興じ自転車やハイキングを楽しむ少年期、そしてより本格的な学問の階梯を上る青年期の回想など-インドの風物詩・現代史への証言・アメリカの留学体験記としても読者を退屈させない。各章の終わりちかくには、それぞれのクライマックスが用意されている。少年期の終わりは、姉の壮大な結婚式・披露宴について書かれていて、それは何百人もの親族・知人をインド全域から集め、二週間にもおよぶ長い式であるのだけれども、新郎新婦が新婚旅行に旅立ち、客人が去り、がらんと寂しくなった屋敷で母、兄弟姉妹、メータがかわす会話が僕には印象深かった。・・・姉たちは、こんな大仰な式は自分たちはやりたくない、西洋人のようにこぢんまりと教会で式をあげるほうがいい、と言う。母親は、もはや反論する気力もないほど疲れ切っている。自分と弟は、残ったお菓子をまだたらふく食べられると喜ぶ、のだ。

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ヴェード・メータ
翻訳では、『ガンディーと使徒たち』(植村昌夫訳、新評論)
が読める

   印パ分離独立にともなうラホールからの家族の命がけの脱出行も価値ある記述だと思う。また、アメリカのアーカンソー州にある盲学校への出発に際しジャワハルラル・ネルーに会見するくだりも、ネルーという国民的リーダへの的確な注釈として興味深い。学業に行き詰り自死する日系二世との交流も読ませる。しかし、この本は楽しい読み物である以上の何かをもっていて、それが何なのかが非常に気になるところだ。視覚の優位を覆すメータの盲目の力、あるいはきわめて明らかな能力の欠如がもつ逆説的な力と豊かさ、なのかも知れない、と今は考えている。公衆衛生を専門とする高級官僚を父にもち、細菌性の疾患で視覚を失うというメータの有徴性も、また何か感慨深い。

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

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No title

早速注文しました。ヴェド・メータを読んでいる人がいるとは。
『ガンディーと使徒たち』を訳した後、メータの自伝としてはSound Shadows of America(盲学校時代)とRemembering Mr. Shawn's New Yorker (ニューヨーカー編集部時代)を読みましたが、肝心のこれはまだ読んでなかった。

ヴェード・メータ

コメント有難うございます。極私的覚書ブログであればこそ反応があるのは嬉しい。これからもよろしく。

はじめまして

これ讀んでみたいですね
でも私には読めないので
『ガンディーと使徒たち』を注文してみました
ありがとうございます。いつも拝見してます
プロフィール

August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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