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30.アミット・チョウドリー『午後のラーグ』、Amit Chaudhuri, Afternoon Raag, Published in Great Britain 1994 by Minerva, First published in Great Britain 1993 by William Heinemann Ltd

amit+book bbb 
 オックスフォードの雨や街 風変わりな学生が
  またインド人留学生との交流が描かれる
  他方でエクスタラバガンサを楽しむ
  ボンベイの音楽一家が回想される
  チョウドリーのたぐいまれな美しい文章は
 存在への気付きをとおして
 日常のささやか出来事や心のざわめきを
 青春のかすかに輝く光に変換し
 人々の掌に届けてくれる
 チョウドリーはインドと英国で
 隠れて見えない神々への道を静かに歩む
 

Cover illustration: Mark Entwisle
著者がどこまで関わっているのか分からないけれども
チョウドリーの本の表紙絵はいつも素敵だ
インドらしい味わいと芸術的洗練のバランスがいい
チョウドリーは、育ちがいい分あか抜けている 

     『午後のラーグ』は、著者の二冊目の小説集で、そんなことを読み終わってから気が付いた。本当は、第一小説集『奇妙で崇高なる講義』A Strange and Sublime Address (1991)から読んだ方が良かったのかも知れない。僕は、好きなタイプの作家を発見すると、その初期作品に惹かれてゆく。未完成なところや、気張ったところが初々しく、止むにやまれぬ表現への欲望が好きだし、また、その人の個性がもろにでるのも面白い。 この小説では、オックスフォードでの学生時代のこと、およびインド(おもにボンベイ)での生活のことが交互に語られる。
    オックスフォードの方では、勉学や教授、英国人学生との交流についてではなくて、もっぱらインド人留学生のとの交流が、語られてゆく。・・・同じ建屋に住むシャルマは、インド哲学についての博士論文を準備している。彼の英語は、少しブロークンでインド訛りがきつい、それでチョウドリーに英語を教えてもらっている。ついでに言うと彼は、北インドの地主の息子だ。女友達も何人かいて、品行方正とばかり思っていたチョウドリーが女友達と一緒に“大人のオモチャ”の店に探検に出かけたりするくだりがあり、僕には少し以外な感じがした。何となく顔は知っている学生の一人が自殺し、そんなとき女友達の一人マンディラに言い寄られるようにしてセックスをする。夜、一人になり、階上に住む彼女のことを考えながら、彼女の部屋の床と僕の部屋の天井はつながっていてひとつである、というような感想をもらす。チョウドリーらしい表現で僕は何かとても嬉しい気分になってしまった。
 
   ヒンドゥー映画が雨のシーンが大好きなように、この本もオックスフォードの雨についていろいろに描いている。チョウドリーの雨の描写を読んでいて、大学を観光する気はしないけれども、オックスフォードの雨をいつか見てみたいものだと、思った。・・・たとえばセント・ジャイルズ・カフェでのデートのシーン。それは離婚してオックスフォードにやって来たシェーナズとの最初のデートだった。インドでは見知らぬ二人がオックスフォードで故郷インドを思った。そんな時、雷が鳴り、雨が降りだしたのだ。それはオックスフォードの雨ではなく、インドの激しい雨のようだった、と。外の道では女の子が叫び、バス停の人々があわてふためく声が聞こえた、と回想される。・・・あるいは、この小説の最終章は、最初にこの街に着いた時の雨のことが、そのこぬか雨は、誰も濡らしはしなかった、と言う。

   タイトルにあるラーグ(raag)は、この小説を読むとひとりでに分かってくるのだけれども、歌というぐらいの意味になるのだろうか。単純な言葉である分、チョウドリーの思い入れを強くじだ。・・・チョウドリーは、ラーグについて熱っぽく語る。ラーグには、北インドの歴史、地図、暦が織り込まれていて、その土地とその土地の人々の生き死にと切り離せないがゆえに、時間を超越した存在なのだ、と。

   実際のラーグに親しんでいないので妙な言い方になってしまうかも知れない。そんなことが気にはなるのだけれども、ヒンドゥー寺院でとり行われる家族の音楽会のシーンは、とりわけ美しい。・・・夕方、ボンベイの旧市街にある小さな寺院に家族の皆が集まってくる。エクスタラバガンザ(狂想的音楽劇)とチョウドリーは呼ぶ。一家の精神的よりどころであるグル(師)を偲んで、入れ替わり立ち代わり歌曲が歌われ、演奏されてゆくのだ。家族のお爺さんから、子供、嫁まで含めた一家が、そしておそらくゲストである音楽の師が、明け方まで音楽三昧の時間を過ごすのだという。・・・文化の商業主義や教養主義の不毛な俗物性を嗤うのは簡単だけれども、何が本物なのかを言うのはたやすくない。モンスーンの終わりに行われるチョウドリー家の音楽会は、本物の文化が何かを僕らに伝えてくれる。

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アミット・チョウドリー
1962年カルカッタ生まれ ボンベイで育つ
ロンドン大学、オックスフォード大学に学ぶ
2002年『新世界』A New World でサトイヤ学芸賞を受ける
コロンビア大学、ベルリン自由大学などの教壇にたつ
作家業とは別にみずから実験音楽の活動を精力的に続けている

  この小説を読み終わって少し時間がたってみると、この小説が、静的な存在への気付きと動的な興奮とから成り立っている、という鮮やかな対照が浮かびあがってくる。チョウドリーの個性は、そんな興奮にいたる静的な助走のすごさにある、と僕は思う。チョウドリーは、その助走においてささいなことを、読者を退屈させることなく書くことができるのだ。チョウドリーの文章は、日常のつまらぬことを、詩的に、存在への意識を開いてゆくように書き進む。例えば下宿の廊下を歩く誰かの足音が、読者に人間存在の深淵を喚起させるのだ。丹念に書き込まれた助走が、興奮の場面に導いてゆくなかで、僕らの心が感じ取るのは、生という存在が、感じ、音を聞き、見つめ、何かに触れる、というような単純な事実であり、それが生きる喜びであるかも知れない、という発見なのだ。僕らの日常のささやかな出来事が、心のざわめきが、決してとるにたりないものではなく、生きる喜びのひとつの姿でもあることに気付かせてくれる。チョウドリーの美しくニュアンスに富む文章を読むことは、人間存在の根源への旅であり生の讃歌への導きである。

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

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August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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