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29.V. S. ナイポール『奴隷棟』、V. S. Naipaul, The Overcrowded Barracoon, Published in Vintage Books Edition 1984, First published in Great Britain 1972 by Andre Deutsch

ナイポールの中期までのエッセイを集めた『奴隷棟』は
読者をさまざまに魅了し圧倒するに違いない
珠玉のエッセイを 極上の文章の魅力を
僕が伝えたいと思ってもそれはたやすくはない
そこで、この本のページの余白に
僕が書き込んだ感想や要約などを書きだしてみた
良い翻訳が出版されることを期待しながら
ナイポールの魅力の片鱗を
僅かでも感じてもらえたら嬉しい


一章、存在しない植民社会への書き込み
 
   ロンドン
   ナイポールにとってマスメデイィアとは学究的な問題なのだと、言う。ナイポールが言いたいのはマスメディアには、コミュニティを背景にした濃密なコミュニケーションが希薄であるから退屈なのだ、ということなのか。ナイポールにとってロンドンは、そういう意味で退屈な都市であり、不毛であり、失望を繰り返した場所なのだ。ロンドンでは、芝居を見にいっても舞台と観客との間の真の交流が存在しない、バスに乗っても、人々はプライバシーによって分け隔てられている、ただ時間が空費されてゆくのみなのだ、とナイポールは言う。
   ナイポールは、ロンドンの生活を職業と安全ための場所として選択した。逆に、ナイポールにとって濃密なコミュニティとコミュニケーションを感じられたのはどこなのかと問えば、故郷のポートオブスペイン以外にない。そこで僕はある種のアナロジーが思い浮かべる。ポートオブスペインの生活と現実が、ナイポールがさんざん批判したことになっているポストコロニアルの国々の生活と現実に非常に近く見えてくるのだ。

Obercrowded bbb
ヴィンテージ版の『奴隷棟』
この本を読むのにあまりにも時間がかかったため、本は解体寸前となってしまった
しかし、そんな濃密で贅沢な読書はもうできない、と今では思う

   トリニダットのよう伝統や社会の規範が弱いところでは、自分を売り込むために個人が個性的に振舞う必要がある。ナイポールは、個性をとりたてて演出する必要のない伝統や社会の規範の確立した国で生きることの方がましである、と考えた。しかし、ナイポールは、生きていくために個性を演出する人々に後ろ髪をひかれ続けていたようにも思えるのだ。ナイポールは、ことさらに個性を演出しないですむ社会に秩序と安全と進歩についての憧れを感じたのだけれども、そこには物足りない何かがあって、しかし、ナイポールの場合、それはあからさまに表明されない。

   ジャスミン
   ナイポールは、自分の小説、たとえば『ビスワス氏の家』A House for Mr. Biswas (1961)がトリニダットに生きたことのある者にしか理解できないと嘆き、それは職業作家にとって大きなハンディキャップであると書く。僕は『ビスワス氏の家』が一番好きな小説であると思っているのだけれども、どう作家の嘆きを受け止めたらいいのだろうか迷う。ある社会についてのローカルな知識と経験を超えた普遍的な面白さが『ビスワス氏の家』にはあるはずだと言うべきなのか、あるいは僕が『ビスワス氏の家』の本当の面白さのほんの少ししか理解できていない、と悟るべきなのか迷うのだ。

   ナイポールにとって英国の文化・伝統は自分のものではなく、英語だけが自分の血肉なのだと語る。英国の文化・伝統には距離をおいたまま、文学は、英語という言葉への愛をより大きく育む。しかし他方でナイポールにおいて文学は、人々の人生をよりよく理解するものなのだ。つまり、ナイポールにおいては英語への愛と人々の人生が文学という形式において結びついてゆく。どんな人生も美しい言語で語らなければなりない、それがナイポールの文学における掟だ。

   幼少のころよりジャスミンは、どこにでもあり良く見知っていた。そして、ジャスミンという植物の名前も知っていた。しかし、実際のジャスミンを見て、これは何という植物なのかとナイポールはある人に問うたのだ。言葉に魅惑される感覚は、必ずしも言葉が指し示すものに向かうわけではない。ナイポールの文章は、現実と実際のものとは離れたところで、抽象的な観念の練り上げによって出来上がっている、と強く感じさせられる時があるのだ。

   東インド人
   インド人とインディアンという日本語における使い分けは絶妙だ。しかし、この使い分けの良さは、多くの日本人の視野の限界を語っている。つまり、カレーライスと西部劇だ。世界の現実はもう少し広く複雑なようだ。
   英国植民地、例えばトリニダット(西インド諸島)に入ってきたインド亜大陸出身の年季労働者を、当地ではイースト・インディアンと呼んでいた。さらに、オランダ領スリナムでは、インド亜大陸出身のインド人(東インド人)が多く住んでいたところに、他の西インド諸島から東インド人が流入してきて、彼らを英国インド人British Indianと呼び分けていた。しかし、英国インド人の呼称は、ナショナリズムの高まりとともに、ヒンドスタンに変更されえたのだという。ところで、それではカリブ海諸島、西インド諸島では先住民を何と呼んでいたか(ほとんど先住民は根絶やしになっている)、レッド・インディアンなのである。
1492年に始まるクリストファー・コロンブスのアメリカ新大陸の発見は、カリブ海域の島々をインドであるとする誤認を含む。生涯コロンブスは、それをインド亜大陸の一部であると信じていた。その誤認は、修正されることなく西インド諸島という呼称で現在までひきつがれている。ナイポールは、学生時代、「西インド諸島のトリニダットからやってきた東インド人です」と正確かつ真面目に自己紹介し、母国を離れて住むインド人を面食らわせたことを回想している。実際の歴史は、若いナイポールほどには生真面目ではない。「西インド諸島」という大いなる誤解の痕跡を、人類史おける過誤の記念碑として決して消し去らないでもらいたいと僕は思う。

二章、インドについての書き込み

   インド人の自伝
   ナイポールは、インドのカースト制について明解な立場の表明を避けている。ナイポールはカースト制について「多くの貧しいバラモンがいる一方で不可触民がビジネスで成功することは大いにありうる」という注釈を繰り返す。ナイポールは、この本でもカースト制への自らの意見主張を避けながら、これまた難解なカースト論を展開しているニロッド・C・チョウドリーを引きあいにだし、カースト制へのいくつかの見かたを示しているのだ。チョウドリーも、カースト制は、諸階層間(おもに経済上の階層を指しているのか)の移動を制限しないと述べるのだが、問題は、ルールをないがしろにする人々の野心をどう制御するかなのだと、説く。あとは、英国植民地政府のプロパガンダだ、と(植民地政府はカースト制を自らの統治のためにさんざん利用し、改悪し、そのあと捨て去り、さらに非難攻撃した)。実際のところ僕には、ナイポールが要約するチョウドリーの言っていることの半分も分からない。しかし、チョウドリーはインドがカースト制の制約から解き放たれたなら地獄が現出する、と明言する。そしてその地獄のイメージは、実は次のようなチョウドリーの言い方に表現されているのではないか、と僕は考える。つまり「この世でもっとも下らない連中というのは西欧社会の都市部に住む下流中産階級なのだ」と。西欧社会の下流中産階級がどう下らないのか説明はされていないけれども、僕はそれが何となく分かる気がするし、またナイポールの小説においてもこれは繰り返されるテーマだ。たとえば『ゲリラ』Guerrillas(1975)は、英国中産階級出身の女性革命家における俗物性を余すところなく批判的に描く。

   インド再訪
   ナイポールの書物は、とりわけエッセイについては、インド人が読むとなると随分耳が痛いだろうと想像する。しかし、インドの現代作家たちは、ナイポールをよく読んでいる。理由は、ナイポールの言説が、インドの人々にとって耳の痛い反面、彼らの心に触れる言葉であるからだろう。それは、たとえばナイポールがビートニックについて発言するとき僕は強く感じた。インドを訪れるビートニックが、どんなに誠実にインドなるものとの対話を演じようと、所詮は金持ちの嫌味なジョークである、とナイポールは書く。ジョークは、立場を変えれば恥辱に変わる。とりわけインドの人々にとっては恥辱なのだ。自分たちがどうにか改めなければならないと思っているものをビートニックは有難がるのは、インドの人々にとって決して愉快なことではないことを、ナイポールとインドの作家・人々は共有できるのだ。

   インドの貧困について、インド人にとっては耳の痛いことをナイポールは言っている。インドの貧困は、インドの人々の怠惰と非効率の弁解には、ならないだろうとナイポールは言うのだ。「ニューデリーの五つ星ホテル、アショーカ・ホテルの擦り切れた絨毯は、インドの貧困では説明できない。サービスの行き届かないラウンジの薄汚れた肘掛椅子も、換気口を今しがた掃除していたカーキ色の賤民がそこに置き去りにした長手の箒も」。・・・インドの貧困に崇高なものを求めるべきではない、インドの怠惰と不合理を面白がり笑うべきではないのだ。

   インド人は、インドの古代文化を誇りにしたがるのはどうしてか。彼らは、実は未だに古代に生きているのだ。なぜなら、インドには永遠はあっても時間の経過とともに生起する出来事を記録する歴史をもたないからだ。ナイポールは「実際のところインド人は、古代文化の犠牲者なのだ」と。インドの思想家は、西欧を物質的には豊かだが精神的に病んでいる、という。しかし、ナイポールは、どうしてインドが病んでいない等と言えるのか、と反論するのだ。

   インドは魔法の国である。インドでは信じられないような不思議なことが起きる。ただし、その奇跡は、ナイポールの場合、ありえない奇跡に容易にだまされてしまう人々の心性と土壌をさしている。
   ナイポールは、ある聖人が水の上を歩く奇跡についてのパフォーマンスを取り上げ論じている。聖人は、パフォーマンスの日取りを決め、安くない鑑賞チケットを販売した。当日、地域の名士が集い撮影隊が待機するなかで、パフォーマンスは行われた。ナイポールは書く「定刻になり聖人は水の上に進んだ。そして沈んだ」と。
 インドの危機は、単に政治的あるいは経済的な諸問題ではなく、より深い人々の感覚・心性にあるのかも知れない。聖人は、水上歩行の実演を約束した。多くの人がそれに関心を示し奇跡を期待した。聖人は奇跡の実演を真剣に信じていたに違いない。しかし、聖人は沈んだのだ。

   アジメールの選挙
   この文章を読むと、インドにおける選挙が、人々の熱狂を呼び、人々を巻き込んでゆくまるでページェントを見るような感じがしてくる。非常に美しい文章だ。僕は、はからずもこの文章の最終場面で涙を流してしまった。インドの人々にとって選挙とは何かということ。もっといえば、祭に彩られて人々の生。ナイポールは、郊外の丘に登り、選挙に興奮する街を眺めるのだ。

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アジメール
 
   インディラ・ガンディーが非常にきびしい政治政策を選択しデリーで孤立している。たとえば、女史は、ハリジャンの地位向上に真摯に向き合う。しかし、それはアジメールという地方都市における選挙の背景でもある。アジメールにおける選挙は、国民会議派における独立運動世代とミセス・ガンディーにつながる急進勢力との対立で、独立運動世代が暗黙の了解事項としていたことを急進勢力がないがしろにし始めた、というものなのだ。独立運動世代を代表するのは盲目の弁護士であり、急進勢力を代表するのがもと映画俳優なのも面白い。さらに二人は、姻戚関係にある。
   盲目の弁護士のクダル氏は、やり手の弁護士であるとともに、貧しい農民の係争を無償で手助けするような仁徳の人だ。他方、急進派の候補、ビシウェシワル氏は、氏の夫人に背中を押されて出馬したようだとナイポールは見ている。ビシウェシワルはいいが、女房が悪い、と街の人々は噂する。
   ナイポールが涙を流す。
   クダル氏の出馬理由をナイポールが聞く場面だ。老弁護士は、サクリファイス(生贄)なのだと答える。その言葉に感応してナイポールは涙をながすのだが、その理由が判然とはしない(穿った見方をすれば、世代交代を完成させるための儀礼とも言えるが、それを裏付ける説明はない)。ナイポールが泣くなんて、それだけでも信じがたいことなのに、それがサクリファイスという言葉に結びつくとは。
   実は僕も、このエッセイの最終場面を読んで泣けてしまった。・・・選挙が終わり、勝利した者がいて敗者が明らかになる。ナイポールは、歓喜と悲嘆を目の当たりにする。そしてインドの猛烈な春がきて祭が始まる。祭で賑わう行進の列に、赤い小麦粉のボールが投げ込まれる。赤が意味するのは、春であり、勝利であり、サクリファイス(生贄・犠牲・供犠)なのだと、ナイポールは書く。

三章、西欧への視点についての書き込み

   マツダモリヒロ、百万ドルの賭け
   1966年6月、在日朝鮮人マツダモリヒロが、ニューヨークタイムズ紙などにベトナム戦争の終結を訴える意見広告を掲載した。ミスター・マツダは私財をはたいて広告代金を支払った。ミスター・マツダのベトナムに平和を求める意見広告は、実は、彼独特のビジネスと結びついている。ナイポールは、ミスター・マツダの奇妙な個性に着目し、日本にも取材に訪れるのだ。ナイポールの眼のとまる日本は、プロシア風の黒い学生服、几帳面な家の佇まい、栄養ゆたかに育つ小学生の太モモであったりする。朝鮮系の人々の顔の造作は、日本人に比べ平板である、といった誤解もある。
   ピョンヤン近郊に生まれたサン・トクウオンは、青雲の志をもって日本に渡り、学業においては挫折したが戦後の闇市で儲け、ボクシングジムを経営しながら現在に至っている。棺に入って三十日に及ぶ断食を行ってきたように宗教家としての側面ももつ。信仰とビジネス、思想と行動が奇妙に混交した在日朝鮮人の半生記としてこのエッセイは興味深い。しかし、このルポルタージュは『奴隷棟』でしか読めない。浩瀚なナイポールの『エッセイ集、作家とその世界』Essays: The Writers and the World (2002)では再録されなかった。ミスター・マツダのエッセイの出来が必ずしも良くなかったとナイポールが考えているのか、再録されなかった理由を僕なりに想像してみたくなるのだ。


   モントレーのスタインベック
   スタインベックの貧しい人々を描いた小説に始まり、名作と世間に知れ渡ったときその小説の舞台に何が起きるのかを描く。さらにオカルトに異常なほど興味をもつ西海岸の精神風土についてナイポールの筆が進む。土地の土産物屋は、ヒッピーが金をもっている上得意であると見ていること、20年代小人が住むような「お人形の家」が流行したことなど興味深い話が次々に繰り出される。・・・今は豊かそうに見えるアメリカ(注;60年代後半)、しかし30年代には今では信じられないような苛酷な労働があった。そういう嘗ての苛酷な労働の現場・缶詰工場の跡地をナイポールは訪ねる。ナイポールの想像力が羽ばたきだす。しかし、最後のシーンが最も素晴らしい。この地の辣腕のビジネスマンの日課をナイポールは紹介するのだ。今では廃屋となった缶詰工場に来てウォールストリートジャーナルを読むのが彼の日課なのだ。過ぎ去った苛酷さのなかに身をおき、生きるよすがを求めること。人間の根本にある条件、強くもあり柔らかくもある生のあり方を垣間見る思いがする。

   ニューヨークのノーマン・メイラー
   このルポ(1969年のノーマン・メイラーのニューヨーク市長選挙)で目立っているのは、天真爛漫なボランティアだ。アジメールの選挙のルポルタージュにはないものだ。僕は、アジメールの選挙ルポに感動したけれども、ニューヨークのノーマン・メイラーの選挙ルポには心が動かされなかった。

   ジャック・スーテル
   ジャック・スーテル(Jack Soustelle)は、南仏モンペリエ生まれのメキシコ古代文明を専門とする歴史研究者であるとともに精力的な政治家だ。変化に富んだドラマチックな人生を歩んだ。政治に係るようになったのは、戦争と反独レジスタンスによって自然ななりゆきだった。ドゴールのアルジェリア独立承認を無責任であるとして対立する。以降亡命生活が続く(1968年にフランスに復帰)が学者としての研究を続ける一方、亡命という非日常性が、つねに彼の注意を政治に向けさせるのだ、とナイポールは書く。西欧の没落というテーマについて、ナイポールはコメントをさしはさまない。紹介するのみで僕はそこにナイポールの意志を感じる。ナイポールは、フランスが、ヨーロッパの国々が植民地を手放し、地方主義的な文化に後退してしまった、と言う。

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V. S. ナイポール
1932年、英領トリニダットに生まれる
1996年 妻パトリシアを癌でなくした3か月後、
パキスタン国籍のナディーラと再婚する
2002年ノーベル文学賞を受賞
ナイポールの伝記で、僕がとくに面白いと思うことが二つある
一つは、自分に作家への道を歩ませ、また作家として同志でもある
父の死にたいしてナイポールが葬儀のために帰郷しなかったこと
また、もうひとつは母が、ヴィディアを自慢の息子と思うどころか
あれは息子ではない、と言い放っている点だ
パトリック・フレンチ『世界あるがまま』
Patrick French、The World Is What It Is (2008)より

   コロンブスとロビンソン・クルーソー
   まったく人の手に触れていない世界に行ってみたい、というありふれた人々の夢について、それを実際に大規模に経験し得たのがスペイン人だった。しかし、その経験の真実の姿が見えてくるためには、時間の経過が必要だとナイポールは考える。経験の熱狂を空しくするには、長い時間の経過が必要なのだ。

   アンギラの難破した6000人
   ナイポールは、僕などにはなかなか見えないものを明らかに見せてくれる。発展途上国、第三世界、最貧国、ポストコロニアル社会の人々の思いや現実を読解する文法をナイポールが持っているのだ。その文法とは、一つは宗教にたいする鋭い感受性-たとえばアンギラの大統領が、キリスト再来論の信仰をもっていることを素早く見抜く-二つ目は人種あるいは差別についての感性-たとえば英領ホンジュラスの植民史において初期に入ってきたニグロと後続のブラック・カリブの間には決定的な断絶があった、と述べている-、三つ目はそういう人々の願いと現実、そういうものの磁場を鋭敏に感じ取れるのだ。・・・ナイポールは、僕らには観光客が眺める風景にすぎないものを、その社会の意味の連鎖のなかに案内してくれる。僕らが、時として衝撃をうける事象の背後に隠れているその社会の約束事や意味の広がりについて読解のためのたくさんのヒントを与えてくれるのだ。

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

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August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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