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28.ウダイ・プラカーシュ『デリーの壁』、Uday Prakash, The Walles of Delhi, Translated by Jason Grunebaum, Published in 2012 by UWA(The University of Western Australia) Publishing Crawley, Australia.

ウダイ・プラカーシュは人間らしい生活ができているのは
ほんの僅かな人々にすぎず
あとは虫けらのように生きていくしかないのだと言う
虫けら同然の生を強いられている人々にとって
その厳しい境遇から抜け出すことはどのようにすれば可能なのか
第一篇は、清掃人ラムニヴァスにありえないことが起こり
十代の情婦スシュマとの至福の時をすごす
第二篇は、ありえないことが起こり
モハンダスは何度も幸福になりそこねる
腐敗と堕落と奸計によって
モハンダスは何と名前を盗まれてしまうのだ
第三篇は、一番ありえそうな脱出の物語
しかし、何が脱出に成功した二人を祝福したのか
今もっとも注目を集めている現代ヒンドゥー文学の急先鋒は
現在インドで進行している経済発展と開発が
虫けらのように生きる多くの人々を救いだすことは
決してないのだと呻くように語る


   ウダイ・プラカーシュはこだわりのヒンドゥー語作家で、英語で読める本は限られている。短編小説集『どんちゃん騒ぎ』、創作およびエッセイを集めた『短いのや、長いのや』、そしてこの本『デリーの壁』、またしばらく入手が難しかった『黄金の傘を手にする少女』も近くアメリカででるようだが、そのぐらいだ。しかし、近刊の『デリー、壁のなか』を読みだすと、「ウダイ・プラカーシュはやはり最高」と、思わず叫びたくなったのだ。

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第一篇、清掃人ラムニヴァスにありえないことが起こり
十代の情婦スシュマと至福の時をすごす


   V. S. ナイポールは、インドの現実を直視すれは狂気と化す、と言った。そしてウダイ・プラカーシュは、直視すれば狂気と化すインドの現実に入ってゆく。プラカーシュは、虫けらのように生きている人間から目をそらさない。表題作“デリー、壁”の冒頭数十ページは、自分の住んでいるフラットからそう遠くない通りで、路上で商いをしている人々について語る。ディティールが鮮やかで、思わず引き込まれるようにして読んだ。はしおりながら雰囲気を伝えてみよう。

   台車を引きパーンを商うサンジャイは、ウッタルプラデシュ州のある村からでてきたのだ。その隣にはチャイ屋のラタンラルがいる、その向かいの少し道を下ったところではサントッシュが路上で車の修理をしている。ラジュバティは、ゆで卵を売っている。陽が落ちると、そこにアイスクリーム売りの車をひくブラジンデルが加わるが、彼がひく車には、 “クワリティアイスクリーム”と虹色のペンキで鮮やかに書かれている。そこらにはたくさんのオート・リクショウの運転手が屯していて、彼らのほとんどがビハール州かオリッサ州の出身なのだ。トファイル・アーメドはナーランダからミシンを抱えてやってきた。住所不定なので客は彼を信用できない。だから小学生の通学鞄か工場労働者の制服の修繕ぐらいしか仕事がないのだ。そのトファイルが突然この場所から姿を消す。ヤツは病気でナーランダに帰ったのだとある者は言い、ブルーラインバスに撥ねられ、ヤツのミシンは警察署の裏にごみとなって捨てられている、とある者は言う。この通りには、毎日新参者があらわれる。しかしそのうちの誰かが突然姿を消し、二度と戻ってこない。それはまるで法律で決められているかのようにごく日常的に繰り返される。

   このあとプラカーシュは、その通りから離れてとある廃墟に住む住人を紹介し、さらにそこから貧乏人に充ちた眼にみえないトンネルのなかに入ってゆく。貧民の血を吸いとってデリーの街は生き延び、あるいは肥大化している、とでもプラカーシュは言っているようだ。

   清掃人ラムニヴァスにありえないことが起こる。ラムニヴァスは若い情婦をつれてタジマハールへ旅行するのだ。豪華ホテルで大盤振る舞いする不審な二人のところに警察が乗り込んでくる。これでラムニヴァスの幸福もおしまいだと、思っていたらそうはならない。警察官は、どこで金を盗んだのだとか、スシュマ(情婦)はいくつなのかと尋問をつづけるが、やがて酒宴となり、泥酔した警官がラムニヴァスからしこたま賄賂を巻き上げたあと引き上げていくのだ。プラカーシュの小説が楽しいのは、インドの度し難い現実から出発し、それがいつしかどんちゃん騒ぎ・どたばた劇に展開してゆくところだ。プラカーシュの想像力による飛躍は、何かインドでなら起こり得そうな味わいがあり、また、地を這うリアリズムで同情を押しつけてくるようなところがまったくないのがいい。

   多くの者が田舎から出てきて何の保障もなく苦しい生活を強いられている。どうしたら彼らはこの境遇から這い上がることができるのか。ウダイ・プラカーシュのこの小説における答えは簡単だ。つまりそれはあり得ない。・・・この小説の語り部、つまりかなり作者に近い者は、清掃人ラムニヴァスから話を聞いて、悪の隠し金を探し夜のデリーの街をさまよい歩く。この悲惨な境遇から脱出する方途がもしあるとすれば、それはデリーのどこかの壁に隠された金を当てもなく探し続けるようなものだ、と作家は語る。

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ウダイ・プラカーシュの翻訳はあるのだろうか
少なくとも、単行本では見たことがない
入手が容易な英訳はRage Revelry and Romance, New Delhi 2003
およびShort Shorts Long Shots, New Delhi 2003とこの本だ
傑作の評判の高いThe Girl with Golden Parasol が来年アメリカで再版される
非ブラーミンの少年がブラーミンの少女に恋する物語とのこと
再版が待ち遠しい

第二篇モハンダス、ありえないことが何度も起こり
モハンダスは何度も幸福になりそこねる
腐敗と堕落の奸計によって
モハンダスは何と名前を盗まれてしまう


   モハンダスは、低位・弱小カーストに属し、政治ボス・実業家あるいは街の有力者とのコネを持っていない。ただ、モハンダスは、ふたつの宝をもつ。つまり美人で気立てのいい働き者の妻とBA(学卒資格)だ。モハンダスはBA取得のために猛勉強した。BAがあれば今の畑仕事と竹細工の貧しく苛酷な境遇-毎月給料が貰えあったかい食事がとれる、盲目の母と病気の父を病院に連れていける、妻にサリーを買ってやれる-から脱出できるはずだとモハンダスばかりでなく家族の皆も考える。

   モハンダスは最優秀の成績でBAをとった。しかし、モハンダスが入っていこうとする社会はあまりにずる賢いのに、貧しく力のないモハンダスはあまりに公明正大だ。力あるものがずる賢いトリックを用い、貧しく力のないモハンダスが、正しい道をゆく。モハンダスのそのまっすぐな生き方は、何かとぼけた感じがして、そこが実は面白い。村の金持ちは、モハンダスのBAに嫉妬しつつ、貧乏人のBAへのこだわりをバカにする。しかし、この小説がモハンダスのBAを嘲笑している風はまったくない。モハンダスの愚直な公明正大さは、ひょっとすると作家の資質と重なっているのかもしれないのだ。作家は、モハンダスのBAと正直さの側に立っている。 
   ウダイ・プラカーシュは「BAも多くの文学賞を得ているのに定職なく生活は極貧」「英語は解放の言葉、ヒンドゥー語は人々を奴隷にする」と自らのヒンドゥー語作家への拘りを呪っている(ちなみに作家の母語はチャッティスガル語でヒンドゥー語は第二の言語なのだという)。モハンダスの愚直なとぼけた味わいは、プラカーシュの強烈な個性と重なって見える。ずる賢くつれない世間を渡ってゆく能力の欠如にこそプラカーシュの文学創造の根拠があるのではないか。

   モハンダスがありえないトリックによって何度も幸福になりそこねる時、9.11のテロでニューヨークの世界貿易センタービルは崩れ落ち、アジアの二つの主権国家が徹底的に破壊され、インドではダム建設で5000万人もの人々が家を失い、2000万人もの人々が毎日の飲料水に事欠き、7億もの人々が、生活用水の便のない生活を強いられている。他方において、インド経済は驚異的な成長をとげているとされ、十年でインドはアメリカになる、と人々は話しあっているのだ。
   作家は、モハンダスの希望と落胆を語りながら、それを世界の出来事を対比する。モハンダスの悲嘆の物語に、いささか強引なしかたで世界情勢を挿入してくるのだ。僕には、マディア・プラデーシュ州の寒村に住む一人の男の不幸と激変する世界の出来事との間には何の関係もないと思う。しかし、モハンダスの悲喜劇に世界情勢を作家が執拗に挿入してくるのはなぜなのだろう。
   僕は、ここで何となく二つのことが思い浮かぶ。
   ひとつには、インド経済の進展・繁栄に取り残されているモハンダス。今のインドの経済開放の恩恵が、ごく一部の人々のものでしかないことを作家はきわめて厳しい姿勢で見ている。
   もうひとつは、劣悪な生存を強いられているインドの大衆の現実を知りえず、ひたすら自分の困窮と不幸からの脱出に汲々とし一喜一憂するモハンダスに対する作家の批評意識、あるいは相対化の試み、を読みとれると僕は思う。モハンダスに社会倫理を求めるのが本意ではなく、それはインドのインテリゲンツィアに対するプラカーシュの批評意識を、あるいは自分自身にたいする社会倫理を求める批評意識を僕は強く感じる。

   ウダイ・プラカーシュは、ヒンドゥー社会のどんちゃん騒ぎ・どたばた喜劇をリアルに描くのが非常にうまいのだが(ということは、それらとともに生きている)、社会倫理性を強くもった作家だ。あらゆる社会の不正に対して作家には責任があると考えているふしがあるのだ。それをつきつめて考えると、僕にはいささか息苦しくなるのだけれども、その倫理的姿勢がプラカーシュの描くヒンドゥー社会のどんちゃん騒ぎ・どたばた喜劇を読むに耐える小説にしていると僕は考える。

   モハンダスにおける自らの名前の喪失は、西欧の小説にあるような自分が誰なのか分からなくなる自己同一性の危機の物語と似ている。しかし、プラカーシュの語る自らの名前の喪失の物語は、人間の内面の劇として喪失ではなく、モハンダスとモハンダスの家族の生存と生活をかけた闘いであり、生存のための名前を強奪されてしまう物語なのだ。
   さらに、モハンダスのケースは、多くのインドの人々に起こりうることなのかも知れない。モハンダスの悲惨と不幸は、つまり下位・弱小カーストに属し有力者とのコネをもたないものが安定した社会的地位を得ることが至難であることを表現しているのだ。インドの多くの人々にとって他人事ではない現実味をもった物語であると考えた方が良いように思った。

第三篇マンゴースィル、一番ありえそうな逃亡の物語
しかし、何が脱出に成功した二人を祝福したのか
作家はインドの今の変化に戸惑いを感じながら
変化の恩恵が、大多数の貧しい人々とは無縁であることを
脱出した家族に寄り添いつつ語る


   ウダイ・プラカーシュは、類まれな才能をもつ物語作家であるから、この“マンゴースィル”の筋を明かすことは慎まなければならないと思う。しかし、物語の展開とは別なところで、この中編小説がもっている気になる点について少し触れておきたい。

   マンゴースィル”は、若い女と年下の男が、苛酷な状況から脱出し、デリーのスラムに辿りつき、そこでの生活と家族の行く末を見届ける作品だ。それで、何が特異かというと、そこにかなりの分量で作家自身についての記述が挿入されてくることなのだ。作家は、二人の脱出の話に興味深く耳をかたむけ、途絶えながらもこの家族との交流を続ける。その間、作家にとっての苦しい生活や不安定な身分(たとえば、ヒンドゥー語作家にとって書くべき場所はもはやどこにもないのだ、と嘆く)いくつもの庶民の街、あるいはスラムがあとかたもなく消えていくインド社会の変化への思いを語る。しかし、そこまではごくありきたりの展開に思えるのだが、脱出した女ショーバーが作家の眼に妖艶な女として見えてくるところから、何やら小説の本筋とは違った異常音が聞こえてくるのだ。ショーバーは、作家との再会をつれあいのチャンドラカントに哀願する。夫のチャンドラカントは、作家を家に招き食事と酒を振舞う。ショーバーは、連れ合いに気を利かせて二人にしてほしいと合図を送る。作家は、ショーバーに男としての欲望を抱く。ショーバーは作家に肩をよせ、ひたすら涙を流すのだ。ショーバーは、サリーがびしょびしょになるほどの大量の涙を流すのだ。

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ウダイ・プラカーシュ
1952年1月1日、マディア・プラデーシュ州シャードルに近い
寒村に生まれる
十三歳で母を失いアルコール中毒の父をあとに
近隣の村の教師に育てられる
科学分野で学部卒業後、ヒンドゥー文学の修士号を取得
共産党活動家として投獄体験をもつ
ヒンドゥー語詩人、小説家、州政府行政職・研究者、ジャーナリスト、翻訳家(ネルーダやロルカ、さらにはロマン・ロランの『インド』をフランス語からヒンドゥー語に翻訳している)TVディレクター、映画制作、雑誌編集と幅広いキャリアをもつ
2010年ヒンドゥー語部門のサトイヤ賞を受ける

   この中編小説の終わりに近いところで、この小説の真の主役であるかもしれないスーリーは、「この世で本当に人間といえるのは、一割か二割の人々に過ぎない、あとは蟻か、ごきぶりか、犬か、豚か、牛なんだ」と作家に語りかける。スーリーの言葉は、そのまま作家の思いに繋がっているはずだ。プラカーシュのこの本に共通する呻き声は、あまりにも多くの人々が人間として扱われていない屈辱と忍耐に対する狂気の、つまり条件ぬきの叫び声ならぬ呻き声であるかも知れない。プラカーシュの認識は、今のインドの近代化・経済発展が、あまりにも多くの人々の犠牲・収奪の上になりたっていて、一部のギャングどもだけが金儲けをしている、というものだ。「病院も、銀行も、学校も、議会も、裁判所も、それに広々とした大通りも、俺たちのものではない。俺たちは、そんな場所から追い払われるか、踏みつぶされて捨てられるのがせいぜいなのだ」と。
   モハンダスを窮地から救おうとした判事の家の壁には、マルクスとガンディーの肖像画が掛けられていた。インドの進むべき道は、マルクスとガンディーによって指ししめされているのだろうか。経済開放以前のインドのほうがマシだったとウダイ・プラカーシュが言っているわけではない。ただ、この小説ではっきりと言えるのは、今の経済開放や発展を徹底して疑う姿勢である。多くの貧しい人々を切り捨て彼らの生活の破壊のうえにしか成立しない現代化に対してウダイ・プラカーシュは「ノン」を意思表示する。今のインドの現代小説は、急速な経済の進展による現代化にたいして一様に戸惑いの表情をしめし、その現代化のなかで失われかけているものを必死で繋ぎとめようともがいているように見える。しかし、貧しい人々に寄り添うプラカーシュほどにラディカルに問題提議している作家を僕は知らない。

   しかし、それでもなお、プラカーシュの小説は、そんな図式には還元できない物語の楽しさに充ちていることを忘れてはならと思うのだ。

テーマ : 洋書
ジャンル : 本・雑誌

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まとめ【28.ウダイ・プラカ】

ウダイ・プラカーシュは人間らしい生活ができているのは ほんの僅かな人々にすぎず あとは虫けらのように

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Re: ようこそ“万歳三唱”へ

> Sさんへ
> V. S. ナイポールを読んだのきっかけで、面白そうなインドの小説を読んできているだけで、私もインドの小説に詳しくはないです。ただ、好きで読んできて、絶対にこれは面白いと言える小説家・作家の何人かと出会えた、と思っています。ウダイ・プラカーシもそういう作家の一人です。
> そうですか、Jason Grunebaumという人は、 Manzoor Ahtesham: “The Tale of the Missing Man”というのも翻訳しているのですか。今度、出ましたら読んでみましょう。(分離独立モノですか?)
> これからも、お立ち寄りくだされば嬉しいです。
> S.S.

No title

S.S.さん、

お返事ありがとうございます。

V.S.ナイポールがきっかけなのですね。私は彼の作品を読んだことがないので、私の本のリストに入れておきます。

Manzoor Ahteshamの“The Tale of the Missing Man”は何系のものなのか分かりませんが、タイトルからすると分離独立系の話かもしれませんね。

V.S.ナイポールもそうですが、インド系の作家の本というのは手に入り安いですが(もともと英語で書かれているもの)、ヒンドゥー語などのインドの言葉で書かれた現代文学は中々出会えるチャンスがないですよね。私もたまたまジェイソンと知り合ったので、ウデイ・プラカーシュの作品にも出会うことができました。

S.S.は何がきっかけでウデイ・プラカーシの作品にであったのですか?
日本であの本に出会うのって難しいような気がしたので、ちょっと興味をもちました。

また、ゆっくりとS.S.さんのブログをはじめから読んでみたいと思います!
そしてThe Tale of the Missing Manが出版されたら、お知らせしますね。:)

S

ウダイ・プラカーシ

Sさんへ。
ウダイ・プラカーシとの出会いは、思い出してみると少し込み入っています。それとまだ未解決の問題を残しています。まずナイポールを読んでR. K. ナーラーヤンを知り、それが面白くて読んでいくと、ナーラーヤンの「ラーマーヤナ」のダイジェスト本の序文をパンカジ・ミシュラが書いていて、それがまた面白く(北インドの清掃労働者は、TV版「ラーマーヤナ」の放送継続を州政府に求めてストライキを決行した)、今度はパンカジ・ミシュラを読んでいくと、「ルディヤーナのバター・チキン」という旅行記に、ウダイ・プラカーシを訪ねる箇所があり、酒盛りをしているウダイの仲間が、ウダイを指して「こいつのじいさんは14人のハリジャンを焼き殺したんだ」と言うのです。それで、ウダイ・プラカーシの小説を探して読んでみたというわけです。ただ未解決というのは「ルディヤーナのバター・チキン」におけるウダイ・プラカーシと、「デリーの壁」の作家ウダイ・プラカーシが同じ人物なのかどうか、ディティールがかみ合わず、どうも良く分からないのです。もう一度確かめてみようと思い今に至っています。思い出話です。……私の場合、面白そうなものを飛び石ずたいに辿っているに過ぎず、とても大切なものを知らないでいるかも知れない、と時々思います。 S. S.
プロフィール

August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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