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20.パンカジ・ミシュラ『西洋の魅惑/インド、パキスタン、チベットにおける現代化』、Pankaj Mishra, Temptations of the West: how to modern in India, Pakistan, Tibet, and beyond, New York 2007, Picador

 
インドおよびその周辺国における現代化は避けられないと
パンカジ・ミシュラは考える
現代化が避けられない選択であるとしても
現代化に随伴する途方もない暴力と流血にミシュラは呆然とする
現代化に巻き込まれ翻弄される人々の現実と苦悩を
ミシュラは自らの足で取材し記録するのだ
「ニューヨークだけが世界ではない」と
アルンダティ・ロイは言った
アフガニスタンとの国境に近いパキスタンの町に
タリバンへの志願兵が集まる
彼らの心のうちには何が思い描かれているのか
僕はミシュラの本を読みながら
西の空のかなたに思いをはせたのだ
 

   「西洋の魅惑」とは、奇妙なタイトルだ。ミシュラは、この本で、西洋化による現代化の恩恵を描いているとうよりも、西洋化・現代化によって引き裂かれ混乱している伝統社会・文化、あるいは価値観のありようを描いているからだ。たとえば、インドにおける経済開放による現代化の進行やその恩恵については何も語っていない。そうではなく、現代化によって従来のやり方・考え方が通用しなくなった人々の混乱・苦悩・危機意識を伝えている。

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▲『西洋の魅惑』 写真Robert F. Sisson

   ところで、現代化によってより厳しい生活を強いられ、未来に希望が見いだせない人々を、どうしてミシュラは「西洋の魅惑」という言葉に結び付けるのだろう。「西洋の魅惑」とは、西洋の合理主義という悪魔の囁きなのか。「西洋の魅惑」には、あまりにも多くの危険が含まれている、ということなのか。

 ミシュラは、この本の前書きで、この本で取り上げるインド、パキスタン、アフガニスタン、ネパールにとって現代化(ミシュラは現代化をグローバリズムからコミュニズムまで幅広く捉えている)は避けることのできない選択なのだと明言する。ガンディーの一種の精神主義に起源をもつ経済・社会の停滞をしこたま味わったインドの人々にとって、つまりミシュラにとって「現代化は避けられない」とする思いを軽く考えるべきではない、と僕は思う。しかし、その避けられない現代化が、途方もない暴力と流血を伴っていることを、この本は問題提議するのだ。

   インド、パキスタン、アフガニスタン、ネパールらの諸国においては、「避けられない現代化」が、どうして血塗られた矛盾・対立として進行せざるをえないのか。・・・カシミールの現場に足を運んだミシュラは、一日の取材を終えホテルに戻るとき、安堵の気持ちにひたる。今日という一日が終わり、拷問・凌辱・誘拐・放火といった当地におけるさまざまな「物語」からとりあえず解放されるからなのだ。

   今まで平和に暮らしていたヒンドゥーとモスリムが、蔑視と敵意に豹変してゆく。あるいは、ヒンドゥーとシークとの間にも、突然としか言いようのない仕方で、緊張が生まれる。この種の変化と「避けられない現代化」をミシュラは結びつけている。それらの緊張・対立の由来を、西洋が仕掛けた罠であるとは、ミシュラは単純化してはいないけれども、無論無関係であるはずはなく、問題は、どのように「避けられない現代化」が、緊張・対立・大混乱と化してゆくかということだ。ミシュラの書き方は、現場を自らの足で歩き、対話を試み、文学的な想像力に働きかける一筋縄ではゆかないスタイルをとっている。そういう意味でこの本『西洋の魅惑』は、分かりやすくない。自明に思えていたものがより深い謎にからめとられてゆくような本なのだ。

Mosque of Babur
▲1992年、破壊をこうむるアヨーディアのバブリ・モスク

   アヨーディアにおけるモスク破壊の急先鋒として働いてウマ・バルティは、今(2000年代初頭)、もっとも名のうれた女性ヒンドゥー原理主義者なのだそうだ。ミシュラのインタビューに答える彼女は、他の原理主義者達が取材を拒むのとは対照的に率直で開放的だ。彼女の言葉は、アヨーディアでの争いが単なる風景以上のリアリティとして僕に迫ってくる。ウマ・バルティは、貧しい低いカーストの出身で幼くして父を亡くす。父は、地主と闘う共産主義者だった。VHP(世界ヒンドゥー協会: インド人民党の下部組織)のリーダに眼がとまったことからバルティ女史は、より深く政治の中に入って行く。女史は、正義と宗教権力への献身を信条としていると語る。彼女のエネルギーの根源にヒンドゥー神話におけるハヌマーンや17世紀のヒンドゥー戦士シヴァージがモデルとしてあるのはごく自然だとしても、革命化チェ・ゲバラがそこに矛盾なく共存しているのを知ると、「避けられない現代化」とその緊張・不安をここでも僕は感じるのだ。また、そのことは海外に流出し居住する裕福なインド人達がインド人としてアイデンティティを失いつつあるという不安から、ヒンドゥー・ナショナリズムへの積極的な資金援助を行っているという事情とも極めて似ている気がする。

 80年代のアラハバード大学のキャンパスは、学生と警官の争闘の場であり、学問どころではなかった。学生を、手製爆弾や銃をもちいた暴力に駆り立てるものは何なのか。ダーリット(不可触民)の地位向上、宗教対立、ナクサライト運動などさまざまな大義名分があるにしろ、警官との銃撃戦そのものにどんな意味がるのだろう、とミシュラは考える。暴力の傍らで、ミシュラは文学に救いを求めていく。フロベールやエドマンド・ウィルソンの読書が、ミシュラにおいては切実な願いの様相を帯びてくるのだ。
 
   学生運動家ラジェシの故郷への旅が、この本でも語られる。ミシュラの小説『ロマンチックス』The Romantics(1999)にもとりあげられているエピソードだ。ラジェシは、母の住む村への旅にミシュラを誘う。ラジェシは、母の住む貧しく希望のない村の生活をミシュラに明らかにしたいと望むのだ。何のために・・・。ラジェシの末路は、『ロマンチックス』とは異なり、ギャングになって敵対するグループに路上で射殺される。ミシュラは、ラジェシのことが忘れられない。苦学して大学に入学しても、まともな職につける希望はなく、貧しい母親をどうすることもできず、学生運動家からギャングに転落してゆく姿に、批判や同情を超えた同世代の夢と挫折、痛み、閉塞感、貧困の記憶とプライドを感じるのだ。

   インドにおける経済開放とグロバリゼーションによる経済の進展、中産階級と消費経済の増大について、ミシュラは何も語らない。ミシュラが取り上げる同じ時代の負の光景(閉塞感、対立と緊張、暴力)が、実はインドのより広範囲な現実であるのか、文学的感性が受け止めるべき時代の本質なのか、この本は必ずしも明解ではない。考えてみれば、おしなべて現代のインドの作家たちがとりあげ描いている姿は、大きな時代の変化、あるいは「避けられない現代化」の大波のなかで、戸惑い、途方にくれている人々の姿なのだ。インドがどう変わっていくのかという不安、インドらしさが失われていく寂しさを、多くの小説の主人公たちが表明している。一例をあげれば、アミット・チョウドリーの『新世界』A New World (2000)の主人公のジョヤジットだ。

   ボリウッドの映画制作者メヘシ・バハットは、成功者だが軽薄に幸福でいられる者ではない。「ボリウッド映画はインドとわれわれの文化であり空気なのだ」という主張をもっているのだ。そして彼は、何とクリシュナムルティについての本もだしている知性を備えている。「われわれにはポルノを楽しむ当然の権利がある」と言い、ヒンドゥー・ナショナリズムに真っ向から対峙する勇気と良識をもっている。僕には、ボリウッド映画は甘ったるく通俗的なイメージしかないのだが、ミシュラのメヘシ・バハットへの取材を読むと、少し違ったことを感じ始めるのだ。今のボリウッド映画は、「避けられない現代化」のなかで生きるインドの人々の夢と現実を表現し始めているに違いない、と。

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▲パンカジ・ミシュラ
1961年、ウッタル・プラデーシュ州のジャンシーに生まれる。
アラハバード大学で商科の学位を、ニューデリーのジャワハルラール・ネルー大学で英文学の修士号を取得。
英国人のメアリ・マウントと結婚。メアリは、英国首相デーヴィット・キャメロンのいとことのこと。また、メアリの父は、サッチャー首相の政策立案チームのトップ。
ミシュラのチベット騒乱についての翻訳小論が『現代思想/2008年7月臨時増刊号』で読める。 


   インドの現代化がどこに向かおうとしているのか、あるいはその他の周辺国の現代化がいかなる進展をとげようとしているのか、そんなことは誰にもわからない。パンカジ・ミシュラのこの本が信頼できるのは、そのような設問にたいして分かったような回答や処方箋を提示するのではなく、現にそこで生きている人々の希望や苦悩を、流血の背景を含めて十分に描いていることだろう、と僕は思う。パンカジ・ミシュラにとってそれらの人々と現場を書くことによる再現前は、文学・書くことの力という信念に結びついている。

   アルンダティ・ロイは、「ニューヨークだけが世界ではない」と言った。現代芸術のメッカとしてのニューヨークは、僕の生活からは遠い。タリバンへの志願兵が集うアフガニスタンの国境に近いパキスタンの街も僕の生活からは遠い。本書を読んでもタリバンへの志願兵の胸のうちは分からないけれども、そういう若者がこの世に存在していることを思い起こさせてくれるのだ。

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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