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17.ナイポールにおけるガンディーとチョウドリー②、V. S. Naipaul, A Writer’s People; Ways of Looking and Feeling, First published London 2007 by Picador.

ナイポールの2007年に出版された『作家と人々』におけるガンディーと
ニロッド・C・チョウドリーの記述が気になっていた。
今回は、チョウドリーの挫折・屈折に触れつつ
チョウドリーとナイポールに共通するある沈黙について考えてみた。
最後は、ナイポールの辛辣な痛罵に触れる。

   V. S. ナイポールのチョウドリー論を読んで、僕は何か損をした気がしている。ナイポールは、チョウドリーの『驚異の学者―マックス・ミューラー』 Scholar Extraordinary: The Life of Professor the Rt. Hon. FRIEDRICH MAX MÜLLER, P. C. (1974) を下らない本だと言い、それでチョウドリーの本を読むのを止めたのだと言う。その言葉に影響されて、僕は苦労して『驚異の学者―マックス・ミューラー』を読む気を無くしてしまった。でも、本当にナイポールが言うように『驚異の学者』は下らない本なのか。サヒテイア文芸賞の受賞リスト(1975年度)に『驚異の学者』を見てから、また段々と、『驚異の学者』を読んでみたい、という気がしてきている。

   『驚異の学者』がサヒテイア文芸賞を受賞したことは、僕に二つのインスピレーションを与える。何か面白い読み物なのではないのか(インドの人々が小難しいだけの本に賞を与えるとは思えない)、第二に、インドの読書好きの間で評判になり、いろいろな議論があったのではないか、ということだ。どんな議論があったのか想像してみるのは、何か楽しいことのように僕には思える。

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▲ニロッド・C・チョウドリー
1897年ベンガルのキショルガンジに生まれる。
1999年オックスフォードで死す。
チョウドリーの政治姿勢は、ヒンドゥーナショナリズムの右派に近く、
アヨーディアの紛争については、明確な立場の表明を拒否した。

   『驚異の学者』は、マックス・ミューラーという学者についての本だ。そして、チョウドリーは、学者になることが自分の人生の目的であると若くして考えていた。しかし、そもそも学者とは、いかなることをなす人なのか。
   ナイポールは、チョウドリーの願望を充分に意識しながらチョウドリーを学者ではないのだ、と言う。雑多な知識を際限なく繰り出してくるが、専門的な学者としての訓練をチョウドリー受けてはいないのだ、と。ナイポールの鼻持ちならない権威主義を僕は思う。(1) しかし、ナイポールの言い方は挑発的にすぎるとしても、逆にチョウドリーの魅力は、専門家という狭い専門領域に自足しない、あるいは自分の興味にそって自由に動き、自分の頭で考え、それを臆することなく表明するところにある、ということではないだろうか。チョウドリーの著作は、一次資料にあたる地道な読解作業の成果というよりは、様々な学者の学問的著作の再編集の趣が強いとしても、そこには明瞭なチョウドリーの個性があり、それは僕にとって楽しい読書である。また、インドの知識層に対するチョウドリーの著作の影響も侮れないと僕は思う。何よりもチョウドリーの自由と勇気に充ちた個性が貴重だと思っている。  

  
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▲『一無名インド人の自伝』表紙
写真 ラグビール・シン 
南アジアの作家たちの著作表紙に使われることが多いい写真家だ。しかしそれは欧米での出版物について言えることで、インド版では事情が異なる気がする。ラグビール・シンの写真集は、日本でも『ガンジス』が岩波書店からでている


   チョウドリーを世に知らしめた『一無名インド人の自伝』The Autobiography of an Unknown Indian (1951) を読んでいくと、おそらく誰もがある種の戸惑いを感じることになるのだろう、と思う。つまり、この本の前半における父方の村と母方の村、そして自分の育った村を中心にしたベンガル地方の民俗誌的な素晴らしい記述と、後半部分のとってつけたようなインド現代史についての分析的なエッセイの接ぎ木が何とも居心地わるく誰にも感じられるのではないだろうか。独学によって(いわゆる受験勉強とは違った勉強の仕方で入試を突破する)カルカッタ大学に進み学部を卒業するまでのところはいい。しかし、チョウドリーが、もうすでに一頭地抜きん出た大読書家であったにもかかわらず大学院試験の準備を怠り、受験に失敗し就職への道を進まざるをなってからは、ほとんど自分について語っていない。自伝から離れ、インド現代史について語りだすチョウドリーの側の事情をナイポールは、ジャーナリストとしての不遇、およびあまり幸福ではなかった結婚生活が背景にあるのだろうと推測している。

   それにしても、チョウドリーの受験失敗のエピソードは非常に面白く興味をそそる。大学入試試験と同様に、チョウドリーは、いわゆる受験勉強をせず、ひたすら自分の気の向く読書に時間をついやす。チョウドリーは、当時のカルカッタ大学図書館の蔵書に陶然とし、その知的征服こそが自分が挑むに値するテーマであると考えていたのだ。受験対策の必要に気付いた時にはすでに時間がなく、諦めのなかでインド国軍改革についてのアイディアを練るのだ。チョウドリーは大学院の入試に失敗する。その時の父親の言葉もいい。ナイポールは、チョウドリーの不合格を当然ではないかと評論しつつ、チョウドリーがこの失敗にいささかのプライドを感じている風だと付け加えている。

   『一無名インド人の自伝』の後半部における自伝からの逸脱は、チョウドリーのあまり幸福ではなかった人生と重なる。ナイポールは、それについて傑作を台無しにしていると考えている。僕は、チョウドリーの現代史講義も参考になったが(ラーム・モーハン・ロイへの尊崇、カルカッタ・ルネサンスとでも言うべき文化運動の熱気、ガンディーへの疑問など)カルカッタのおけるジャーナリストの生活がどんなものであったのかも知りたいとも思う。
   チョウドリーの空白の後半生をナイポールから指摘されると、きわめて的確な指摘だと思うとともに、そういえばナイポールについてもそういう空白があったはずだ、と思えてくる。その空白とは、三年間のオックスフォードでの留学生時代のことだ。その時代についてナイポールは、何も書いていない。学部卒業後BBCの海外放送部(カリブ海地区)でのアルバイト時代については、繰り返し語っているにもかかわらず、オックスフォード時代のことはただの一言も語っていないのだ。その間の様子がおぼろげながら分かってきたのは、『父と子の間:家族の私信』Between Father and Son: Family Letters (1999)とパトリック・フレンチの『世界はあるがまま』Patrick French, The World Is What It Is (2008)を読んでからだ。それらを通して、ナイポールのオックスフォード時代が当然のこととしてまったくの空白ではなく、時に情熱的に動いていたことが分かる。しかし、それでもナイポールはその時代について口を閉ざすのだ。ナイポールの沈黙への意志が何を意味するのか、単純にナイポールの不幸と結論づけては惜しい気が僕はしている。(2)

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▲V. S. ナイポール『父と子の間:家族の私信』
この本を読んで僕はナイポールの謎の空白期間-オックスフォードの三年間-のことが大分イメージできるようになった。講義の課題レポートの作成に熱心に取り組む姿、金欠のなかで学生どうしのビールパーティを主催したり、アルバイトのこと、また学生会の文芸雑誌の編集に携わったりする。それら大学生活のことをナイポールは、小説の主題としてはとりあげない。
 

   語られなかったことがより雄弁にナイポールにとっての問題の所在を言い当てている、と言いたいところだが、それほど明確な根拠を僕が感じているわけではない。しかし、チョウドリーがMAへの受験の失敗を何か少しのプライドをもって語っているように、ナイポールがオックスフォード時代のことを語らないのも、ナイポールのある種の拘り、プライドが感じられる。それは、文学について自分がもとめる尺度からすると、オックスフォードがナイポールに提供できるものは、教育、あるいは研究であって、ナイポールが考える文学の本質とは無縁であると思っていたのではないか。オックスフォードでの英文学の勉強は、ナイポールが考える文学からもっとも遠いものであった。しかし大学が、人生を考える場所ではないのは、あまりにも明らかなはずだが。

  ガンディーについての前の文章でも触れたように、ナイポールは、途上国における個性の主張を嫌った(『ミドル・パッセージ』Middle Passage, 1962)。それは、社会システムが未熟であるから、人々は個性的に振舞う必要があって、それは未熟な社会を一層混乱させると見ていた。だから、ナイポールにとってチョウドリーが現わす過剰さと逸脱は、否定されるべきものであったのかも知れない。ナイポールは『驚異の学者』を下らない本だと公言し、チョウドリーは学者のふりをしているが何ら学者としての業績をもたないのだと悪しざまに言うのだ。しかし、ナイポールの痛罵は、チョウドリーを未熟で混乱した社会の鬼子にすれば本当に済む話なのだろうか。

  このエッセイ“インド再び、マハトマ以降”India Again: the Mahatma and Afterを読み返しながら、ガンディーやチョウドリーを悪しざまに言うナイポールの見方・感じ方がずっと気になっていた。

   ナイポールは痛罵することを得意とする。ナイポールの痛罵は、親密になろうとする関係を中断し、切断の感覚を残す。相手との距離を広げ確定するのだ。しかし、ナイポールの痛罵には、相手へのシンパシーがないわけではない。シンパシーを感じながらも何かムリして振り切ろうとするところがある。『中心の発見』(草思社、原著1984年刊)において、故郷のトリニダットを旅立とうとしている時の心境をナイポールはこう綴っている。「もう後ろを振り返るまい。(故郷の明るい光がつくる)自分の影を踏んで、前に進むしかない」と。そして、振り返ってみれば、ナイポールの痛罵には、ある種の魅力が充満している。親密なものとの訣別というある種の痛みをともなった魅力をもっているのだ。多くのナイポールの読者が痛罵の魅力を、最高品質の痛罵の魅力を感じているはずだ。
   『自叙伝』を繰り返し読んでいるガンディーについても、『驚異の学者―マックス・ミューラー』で読むのを止めてしまったチョウドリーについても、ナイポールがとる厳しい態度、さらに言えば痛罵については、親密なものを振り切ろうとする何か辻褄のあわないナイポールの意志を僕は感じている。ナイポールの世界へのたいし方は、辻褄のあわないギクシャクとしたものを引きずりながらも、安住をつねに回避するような癖を示している。

(1) パトリック・フレンチのナイポール評伝『世界はあるがまま』によると、ナイポール夫妻は、 ロンドンの自宅でチョウドリーの深夜にまでも及ぶ長広舌にたびたび悩まされたのだという。いかにも起こりそうなことだが、ナイポールはそういった事情についてはこの本『作家と人々』で触れていない。

(2) オックスフォードの3年間についてナイポールは何も書いていない、と書いたあとで、『ものまねする人々』The Mimic Men, 1967のなかに、カリブ海地域からの留学生が、北欧の女子留学生をナンパする話があったことを思い出す。しかし、それもオックスフォード時代のナイポールの生活の焦点をカモフラージュしている文章のような気がする。

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

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Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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