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8.パンカジ・ミシュラ“ナーラーヤン偉大なり”①、Pankaj Mishra, The Great Narayan, The New York Review of Books, Feb. 22, 2001.

パンカジ・ミシュラのナーラーヤン論を読み
ぼくのナーラーヤンについての読書を振り返る


 秋の晴れた日、息子の学校見学に付き添って秋田の大学に行った。時間の調整で図書館に入ると、洋雑誌・新聞が目に入ってきた。早速、“タイムズ文芸付録”と“ザ・ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス”を手に取りパラパラページをめくった。“タイムズ文芸付録”には、何とマイケル・オンダーチェの特集記事が(どうやらエヴリマン・ライブラリからオンダーチェの選集がでたようだ)そして“ザ・ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス”には、パンカジ・ミシュラのパキスタンの文学を取り巻く状況についてのエッセイが載っていた。少し興奮して走り読みした。僕にはそう簡単ではないミシュラの文章だったが、ウルドゥー語詩人のファイズ・アフマド・ファイズと詩の朗誦を愛するパキスタンの民衆的伝統について、また最近日本でも翻訳の出たモーシン・ハーミッド(『コウモリの見た夢』武田ランダムハウスジャパン)との会話が載っていた。

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2004年 ラホールのモーシン・ハミッド 
タリバンの圧力を感じながら パキスタンにおいて
文学における真実の追究がいかに困難なのかを ミシュラに語る
The New York Review of Books, October 13, 2011より

  普段は読む機会のない欧米の書評紙をたまたま手にとったら、南アジアの文学についてのエッセイがともに出ていて、欧米における南アジア文学の高い評価と静かなブームを、また逆に、日本におけるそれについてのはなはだお寒い状況を思わずにはいられなかった(ついでに言うと英語圏での南アジア文学の隆盛は言わずもがなとしても、ドイツが翻訳の量で他を圧倒している。ドイツには、南アジア文学の熱心な読者が多いのだろうか、あるいは本物の読書の楽しみを求める人がいまだに多くいるのだろうか)。・・・わが国における大方の無関心、しかしそれは僕のような好きで南アジアの小説を読んでいるような者にとっては、必ずしも悪い環境ではなく、ご馳走を一人占めしているような贅沢を味わっているようにも思える。

  本当はもっとしっかりミシュラのエッセイを読みたかったのだけれども、そうも行かず駆け足で帰ってきた。家にもどりミシュラのエッセイが気になって、ひょっとしたらウェッブで読めるかも知れないと思って調べてみると、“ザ・ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス”のホーム・ページにミシュラのエッセイが頭の部分掲載されていた。十日間悩んだ末、全文を読みたくて結局、有料購読を申し込んだ(一年間で109ドル)。ホーム・ページで検索するとミシュラが勢力的に“ザ・ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス”に投稿していることが分り、今ぼくが考えられる最良の読書の指南役(南アジアばかりでなく、今の大方の日本人が忘れてしまっている本にたいするフェティッシュな感覚があり、古典的著作への読書の意欲をかきたててくれる)であるミシュラのエッセイがリアルタイムで読めるのは何とも魅力的に思えたのだ。

  ミシュラが“ザ・ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス”に精力的に投稿している書評リストのなかにR. K. ナーラーヤンについてのエッセイがあり、まず読んでみた。どうもこの文章は連載エッセイのようで、ナーラーヤンの小説全般を論じている。

  ナーラーヤンは、インド人でありながらもっとも成功した最初の英語作家であると言われているけれども、ミシュラはこのエッセイで作家と英語との最初の出会いをユーモラスかつシリアスに描いている。英語の学習で「A」はアップル・パイの「A」という風にそれは始まった。しかし、アップル・パイが5歳のナーラーヤンには何なのか分からなかったし、それを教えた教師も多分実際のアップル・パイを食べたことはなかったはずだと言う。僕にとって、ナーラーヤンがどのようにして英語作家になっていくのか非常に興味のあることだけれども、その始まりが実体を知らないアップル・パイの「A」から始まった、というエピソードは何か面白い気がする。

   英語との出会いはそうであったのだが、問題は、というかこのエッセイでミシュラが懸命に言おうとしているのは、ナーラーヤン家の人々と英国との関わりだ。ナーラーヤンの家族は英国の植民地行政の整備・拡張のなかで、田舎で生活していたブラーミンの一家が都会に出てきて近代的な生活を確立していった紛れもない事実をミシュラは忘れるべきではない、という。ナーラーヤンの小説のなかに色濃くあるヒンドゥー的なものにあまり眼を奪われないほうがいい、と。ナーラーヤンの母方の祖父は大英帝国植民地における行政官であり、何よりもナーラーヤンの父が植民地教育の本拠地である高校の校長であったのだ。また一族の中には、成功した車のセールス・マンや有名なアマチュア・カメラマンがいて、それらが物語っているのは、インドの英国化・西欧化の波に乗ったナーラーヤン家の人々の姿なのだ。

   だから、ミシュラの『スワミと仲間たち』(1935年刊)の読み方は、主役の少年が、反英運動のデモに参加して放校となることよりも、警察の上級役人の息子ラジャムとの関わりに着目する。初めは、競い合いやがてはラジャムの虜となる。とりわけラジャムのバンガローそして彼のもっている鉄道模型に圧倒されるのだ。ラジャムの存在の迫力は、スワミにとっては英国と近代文明のもつ輝きに他ならない。ミシュラは、このエッセイでスワミとラジャムの別れ-より大きな世界に旅立ってゆくラジャム-を感動をもって振り返っている。

   しかし、そのスワミが一番怖れたのは、父のテニスクラブで働くスラムに住む下層民の少年だった、といささか唐突にミシュラは注釈している。なぜ、スワミは自分に攻撃するはずのない下層民の少年を恐れたのか。・・・僕は、原作でどの場面をさしていのか分らないのだけれども、その怖れの雰囲気は、他のナーラーヤンの小説も考えあわせると分る気がする。パンカジ・ミシュラの読みは、おそらく伝統と地縁の根を絶たれた近代化したブラーミンが感じていた社会の急激な変化に対する不安であり、いつ下層民へ転落するかわからない近代の流動性への恐怖である、と考えられる。
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ナーラーヤンのマイソールの家が、州政府に買い取られ
作家の家として再生されることになった
Deccan Herald, November 24, 2011より

  

テーマ : 洋書
ジャンル : 本・雑誌

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August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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