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7.R. K. ナーラーヤン『バーニアンの木の下で』 (1985年刊)R. K. Narayan, Under the Banyan Tree, London, Reprinted in Penguin Classics 2001, First published in the United States 1985.

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 村のストーリー・テラーは
 最後に沈黙を飽食し死んでいった
 
 
『マルグデイの日々』(Malgudi Days)の序文で、ナーラーヤンは小説を書くのは苦行以外の何ものでもなく、一冊の小説を書き終えると「もう二度と小説を書くまい」と決意するのだと、しかし、短編小説は、作家にとって楽しい気晴らしなのだと言っている。僕は、この発言がとても気になるのだけれども、それは、僕がナーラーヤンの短編小説をあまり好きになれないからなのかも知れない。
  僕はナーラーヤンの短編小説が苦手だ。僕は、ナーラーヤンの中編小説(原書でだいたい200ページ前後)を読んで、何度も声をだして笑い、膝を打って共感し、涙腺がゆるみ、さまざまな深い感動を体験するけれども、往々にして短編小説では、心が動かない。一言で言うと、ナーラーヤンの短編小説は、あまりに世俗的で感傷的に見える。『マルグデイの日々』を読んだ時も、またこの『バーニアンの木の下で』においても、せちがらい世の中と温かな人情といった感覚が鼻についた。

しかし、今回この短編集を読んで“アンナマライ”(Annamalai)という素敵な名前を持つ短編が、僕には例外的に非常に面白かった。この短編は、実に不思議な味わいのある小説で、南アジアの小説世界においてこれまた一つの重要なテーマである主人と“下僕”との関係・交流について書かれている。十数年ともにすごしたアンナマライから葉書が届くところからこの短編は始まるのだけれども、タミール風の大仰な挨拶・前説から始まって、突然金を至急送れと言ってよこす。主人はそれに怒るわけではなく、“下僕”の正式の名前や故郷のアドレスが、何度聴いても判然としなかったことやらを回想しつつ(他の箇所でもタミール語の言葉遊びが顔をだし楽しい)、アンナマライとの出会いから別れまでが綴られていく。花を愛しガーデニングに精をだし、主人の眼を盗んでは小遣いを稼ぎ、屋台の物売りから街の情報を仕入れ、隣人に毒づき、盗癖があり、また彼のこれまでの半生(実家からのマドラスへの出奔、マレーシアやセイロンへの出稼ぎ)が述べられるのだ。しかし、この小説が何とも微笑ましいのは、アンナマライが少しも憎しみの対象ではなく、愛くるしいパートナーであることだ。インドにおける主人と“下僕”の関係が興味深いばかりでなく、“下僕”といった存在が、どのような生態の細民であるのかを僕らが想像するためのヒントに充ちた小説なのだ。

  “見張り番”(The Watchman)という短編では、貯水池の見張り番が、ある娘の入水自殺を押しとどめようとする。娘は奨学金の資格試験に失敗したのだという。この短編がとくに良かったというわけではないのだけれども、この本を読んでいるとき、丁度インドに出張していて、毎日学生の自殺についての記事を現地の新聞で読んだのだ。例えば、バンガロールの工科大学の学生は、学業不振について指導教官やらにプレッシャーをかけられ、首を吊って死んだ(ザ・タイムズ・オブインディア2011年11月23日号)。15歳の少女ディープティは、ダンサーになりたいと思っていたのだが、学業への邁進を強要され嫌気がさし服毒自殺(デカン・ヘラルド11月24日号)。州立高校(Kadatur in Theerthahlli)に通う二人は、実家に郵送された成績表の結果を苦にして井戸に飛びこんで死んだ(ザ・タイムズ・オブインディア2011年11月19日号)。
自ら死に突き進んだ本当の理由は、新聞記事が印象付けるほど簡単ではないかも知れないが、勉学への加熱した競争が社会問題化している背景はよく了解できる。
今、インドにおける中産階級の増長は、確かなように見える。中産階級と、その他圧倒的多数の庶民とのあいだの生活レベルのギャップは今だに甚だしい。天と地の隔たりがあるとも僕には見える。そして中産階級として地歩を固めていくには、それなりの学歴が必須で、それは苛烈な受験勉強に打ち勝っていかなければならないのだ。
ナーラーヤンの文学世界の一つのテーマが、生存競争としての苛烈な勉学に対する反抗、逃避、嫌悪、軽蔑があるのだと思う。ナーラーヤンが、勉学の強要に対する有効な反措定を示しえたとは到底思えないけれども、彼のヒンドゥー教への肩入れは、苛烈な勉学による生存競争の否定の気持ちを含んでいることは確かだ。平等だが熾烈な競争よりヒンドゥーの神々に裏打ちされたカースト社会のほうがどれだけ人間的であるのか、ナーラーヤンは問いかけているように思う。

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表題作でもある“バーニアンの木の下で”という短編は、最終章に収められている。村の語り部(ストーリーテラー)という設定は、自らの小説家という生業をいささか牧歌的に理想化して描いているように思える。この短編は、その語り部が、語るべき物語を語れなくなり沈黙する、あるいは沈黙を食べつくして死んでゆくという話だ。調和のなかに自己を描きながら小説家の才能の枯渇にたいする恐れを語っているという僕の読み方は偏っているかもしれない。しかし、僕は、調和のなかにあるナーラーヤンをあまり好きにはなれない、と改めて思った。

R. K. ナーラーヤン 1906年マドラス生まれ2001年94歳で死去
写真 Marilyn Silverstone/Magnum Photos

テーマ : 洋書
ジャンル : 本・雑誌

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ひとりごと

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
いつも感じますが,ステキな書評です^^
トップの記事からここまで導かれてナーラーヤンと言う作家のことを,がんばって頭に思い描きながら・・・・,そしてこれらの小説を読むことが出来ない寂しさにうちひしがれましたが・・・。なぜか,大好きな中島敦の「ネウリのシャク」の物語を思い浮かべてました。
プロフィール

August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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