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98.アミット・チョウドリー『海を渡ったオデュッセウス』、Amit Chaudhuri, Odysseus Abroad, published by Alefred A Knopf 2014, originally in India 2014.

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『海を渡ったオデュッセウス』は
ジョイスの『ユリシーズ』に似て
ある一日の物語である
異邦の地に彷徨う インド人の若者の
初夏の ロンドンのその一日を
特長付けるのは主に三つ場面である
主人公のアーナンドがウォーレン通りの
フラットで目覚め
マレット通りの学部で教授と面接し
それからベルサイズ・パークに住む伯父さんに
会いにゆくことなのだ
この小説に事件はなく ありきたりの生と
そこから派生する想念・記憶・観察が
小説の時間をつくる
アミット・チョウドリーの文章の力と
詩的想像力が読者を飽きさせない
読者がこの本から最終的に受け取るものは
存在の静謐な影
間違って現代に紛れ込んだ英雄の
無残な姿 あるいは
見えない神に近づいて行こう
とする足音 であるのかも知れない
 
   アミット・チョウドリーは、1962年生まれのインドの小説家で、英語で書いている。カルカッタとボンベイで育った。高等教育は英国のロンドン大学やオックスフォードで学んだ。ずいぶんいろいろな文学賞をとっているけれども、2002年には、サーヒティヤ・アカデミー賞を『新世界』A New World (2000)で受賞している。
チョウドリーの小説は、二通りあるように思う。ひとつは『新世界』のように、どちらかというと物語性に富む小説、もうひとつは『午後のラーグ』Afternoon Raag (1993)のように日々の生活のなかのささやかな出来事、また自らの存在をじっと見つめ語っていく作品群とに分かれるのだ。チョウドリーの2013年発表の『海を渡ったオデュッセウス』は、その両者の中間をゆくように見える。あるいは存在への凝視・気付きと劇的なもの・物語性との総合の試みのように見える。別の言い方をすると、これは詩と物語の融合であるかも知れない。
   ところで『海を渡ったオデュッセウス』はとても難解な小説だ。ジョイスの『ユリシーズ』ほどではないとしても、チョウドリーの他の小説にくらべてもとりわけ難しい。あまり自信はないのだけれども、大雑把な輪郭と気になったディティールを辿ってみたい。

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■『新世界』A New World (2000)
主人公のジャヨジットが、アメリカから父母の住むカルカッタに里帰りする物語だ。
妻と離婚し、小学生の一人息子を連れ、格安航空のビーマン機を乗り継ぎ、
一線を引退した父母のフラットに辿りつく。
…2か月のカルカッタでの休暇のあいだとありたてて言うほどの事件はおこらない。
最終章で、両親はカルカッタ空港へ見送りにでむくのだが
、ロビーでは、ハワイアン・ギターに合わせてタゴールの歌が流れていて、
それは何とも言えない寂しさを湛えている。

   アーナンドはベッドで眼をさます。爽やかな目覚めではない。ロンドンのどこかのフラットなのだろう(ウォーレン通り)。ふと、数日前にテレビでみたチャリティコンサートの記憶が蘇る。飢えたエチオピアの子供たちとウェンブリー・スタジアムで踊る人々の映像が、アーナンドにとってはひどく居心地が悪かった。飢餓という厳しい現実とロックミュージックに体を揺らす平穏そうな人々との対照は残酷なものである。このテレビ番組について、障害をもつマークと大学の食堂で話をした。マークは、素晴らしいイベントだと言うのだった。意見はまるでかみ合わなかった。入学当時の記憶が重なってゆく。反戦・反核デモがあったのだ。巡航ミサイルについての報道に恐怖した。アーナンドは死を身近に想像した。彼のおじさんロドゥヘシは、核兵器は予兆にすぎない、どんな破滅が待っていようと予兆を怖がってはならない、とアーナンドを宥(なだ)めたのだった。伯父さんの言葉には知性の輝きがある。
   フラットの部屋の重い木枠の窓。初夏なのだろうか。いつもと同じ風景。
   階上の住人は遅くまで寝ている。彼らの足音について。
   昨晩は良く眠れなかった。胃酸過多のせいでもある。階上の住人、パテルや彼の恋人のシンシアは、夜中の三時、または明け方になってやっと寝入るのだ。シンシアは、キリスト教へ改宗したベンガル人の娘だ。新しいタイプの女なのだ、と思う。新しい女とは、自由恋愛する者の意味だ。ヴィヴェク・パテルの父親は、西アフリカ・タンザニアで商売をしていた。その父親がヴィヴェックをロンドンのビジネス・スクールに送り込んできた。彼らの商売にアメリカ流のマネージメントが必要なのだろうか。そんなはずはない、とするとヴィヴェクはロンドンに何をしにきたのだろう、とアーナンドは思うのだ。
(アーナンド自身の不確かなロンドン滞在の目的が対象化され、批評されている)。
   アーナンドの夕食の定番はシンガポール・ヌードルか焼き飯だ。そのユーストン通りの中華料理屋の店員は無愛想だ。言葉が分からないからかも知れない……。
           
   というような観念とも想念ともいうべきことがらが次々に繰り出されてゆく。
ところで『海を渡ったオデュッセウス』は、ジョイスの『ユリシーズ』と同じように、アーナンドのある一日を軸に展開してゆく。(同じ六月の一日)。アーナンドの「青春」の、ロンドンにおけるある一日に、彼の回想・観察・洞察・感想・意見を接ぎ木する。それはジョイスの「意識の流れ」というよりは、海を渡ったオデュッセウスの、異邦の風景と体験についての詩的なモノローグ・エッセイに近い。

   階級!アーナンドは英国にくるまでそれを考えてみることすらなかった。階級と呼べるものがインドにはまるでないからだ。


   あるいは、父親・母親についての回想。彼の両親は、アーナンドに先行してロンドンでの移民生活を試み、そして故国に帰った者達なのだ。ついでに言うと、アーナンドにとってはタゴールもまた学位をとりそこねて故国に帰った者だ。ただ、かれの伯父さんは(母親の兄)、ロンドンで一度もホームシックになったことがない、と強がりを言うのだがアーナンドはそれをウソだと思っている。

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■『午後のラーグ』Afternoon Raag (1993)
この小説は、アミット・チョウドリーにおける英国のオックスフォードとボンベイの二都物語である。
オックスフォードの雨や街、風変わりな学友、インドからの留学生との交流等々が、
静かだが力強い文章で描かれてゆく。
他方で、エクスタラバガンサを楽しむボンベイの音楽一家が回想される。
それはボンベイの旧市街にある小さな寺院に家族が集まり、
一家の精神的よりどころであるグル(師)を偲んで、
夕刻から早朝まで、入れ替わり立ち代わり歌曲が歌われ、演奏されてゆくのだ。     

   朝の九時頃起きて、フラットの隣人のことやら、家族のことやらが細かく描かれたあと、アーナンドが向かうのは指導教授との少し憂ウツな面談だ。……何人かの指導教授の回想があり、今の指導教授とのやり取りが述べられる。要約がほとんど無意味と言いたくなるディティールにつぐディティールの連続なのだが、そしてそれは、アミット・チョウドリーの文章の力によるのか、一見退屈だが丁寧に読み込んでゆくととても味わい深い。そのような文章の紡ぎのなかでも、記憶にのこるのは、ある女性教授の回想だ。

   教授は中世古典文学の専門家だった。クリステヴァの本に感銘をうけたフェミニストでもある。教授は、チョーサーを詩人として捉えているが、アーナンドにとってチョーサーは詩人ではない。バートン博士は、アーナンドに中世古典文学を情熱的に語った。しかし、アーナンドは別の種類の、つまり男と女の緊張を感じ始めるのだった。アーナンドは、教授が性的な関係を欲しているのではないかと感じた。それは確かなようにアーナンドには思えた。しかし、アーナンドは、彼女とのセックスを自分も欲している反面、なにかしっくりいかないものを感じていた。

   それだけのことなのだ。が、この小説を読む者は、現代に紛れ込んだオデュッセウスの性への夢想の矮小さを思わずにいられない。この小説の一つのテーマは、アーナンドの両義的な性についての物語なのだろう。ポルノグラフィーへの偏愛とマスターベーション、同性愛への親近感と異性愛への齟齬の感覚、近親愛の誘惑、手を変え品をかえアーナンドの不安定でとらえどころのない性のありようが顔をだす。

   アーナンドはマレット通りの学部に指導教授を、気が進まないまま訪問する。教授は暖かいのにジャケットを着ている。何故だ。デーヴィッド教授は、少し名の売れた作家でもある。教授は文学の研究者ではなく小説家なのだ。リトアニア生まれのユダヤ人で英国人とは違う喋り方をする。アーナンドの課題エッセイについて品評が始まる。「楽しめた(退屈しなかった)」というデーヴィッド教授の言葉にアーナンドは引っかかる。二人の間の微妙な違和がアーナンドの文学についてのこだわりを暗示している。アーナンドは人間が生きていくうえでのある種の痛みについて書き、小説家のデーヴィッドはそのような痛みの感覚を相対化するスタイルを得意としているようなのだ。アーナンドの書いた「川を渡る」という詩行について、それは二年前なかば強制的に別れさせられた「いとこ」との愛と無関係ではない。T・S・エリオットやフィリップ・ラーキンの詩を模して書いた詩ではない。むしろカーリダーサの詩作における核心となる観念ヴィラハ(viraha、別離)との親和性をもつ。二人のやりとりとアーナンドの回想は錯綜し、飛躍し、断片的で込み入っている。数週間前に読んだシェークスピアのソネット集にオーデンが序文を書いていて、オーデンはハンナ・アーレントを引き合いにだし、とても説明しにくいことを書いていた、というような語りが続く。あるいは、“エンカウンター”紙にこの詩を投稿し没となったこと、返送されてきた原稿に付けられた心のこもった手紙はアーナンドにとって宝なのだ、とも言う。アーナンドは謝絶なかに自分への理解を見出す。……教授は、アーナンドの文学的センスを一流であると認める一方で、「君は詩ばかりを読んできたんだね」とアーナンドの文学的性向の偏りをつく。その通りなのだとアーナンドは思い、小説というものをほとんど読んでこなかった、と納得する。小説と言えるようなものは『西部戦線異状なし』と『武器よさらば』ぐらいしか読んだことがなかった。それでも『ユリシーズ』はどうにか最後まで読んだが、何も理解できなかった。文頭の大文字のSがなぜか記憶に残るだけなのだ、と。……教授はもっと小説を読むべきだといくつかの本を推薦する。例えばスウィフトの『ガリヴァー旅行記』。アーナンドは、教授がアーナンドに罰を、つまり学校の地道で退屈な勉強に戻れ、という罰を与えようとしているのだ、と感じる。

   デーヴィッド教授のところを辞したあと、アーナンドは伯父さんのところに向かう。この小説は、伯父さんの存在を抜きにしては成り立たない。伯父さんは事件を起こすのではない。ありきたりの日常の生活の風景と、それを少しく彩るウソの寄せ集めが特長といえば特長なのだ。しかし、アーナンドが、そのちょっと風変わりで寂しさのつきまとう伯父さんのことを好いている。何故だかはっきりはしないが、この伯父さんには、下品な生活の匂いと、非常に高貴な魂が混在していて、それはアーナンドのいささか詩的でとらえどころのない存在を慰め勇気づけているように見える。アーナンドはこの伯父さんと一緒にいると安心できるのだろう。インドにいたらそうはならない、故郷喪失者同士の強い引き付けあう関係だ。

   学部をあとにアーナンドは、何を昼食に食べようか、というようなことを考えながら“タイムズ”をキオスクで買い、アジア書店を覗き、グージ通り駅近くでフライドチキンを食べようかと迷う。しかしおなかが空いているのではない、と気づく。エッジウェア行きの地下鉄に乗り、列車はモーニントン・クレシェント駅を通過し、ベルサイズ・パークへと走る。
   地下鉄を降りると、通りの角の花屋では、誰かがもらうことになるだろうブーケを作っている。陽が通りの向こうに落ちようとするとき、北欧風のアパートが立ち並ぶところを通り過ぎるとベルサイズ・パークに到る。ベルサイズ・パークNW3番地、ここには嘗てアーナンドの両親が住んでいた。緑のドアの23号室があって、くり色の扉の24号室が伯父さんの棲家だ。…アーナンドの父親は、ここで会計士試験の勉強をしていた。紆余曲折があったのだが、父親は最終的に会計士の試験に合格する。アーナンドはそのため金の苦労をしたことがない。
   扉をあけると伯父さんが立っている。中にはいると、伯父さん特有のいつもの儀式が始まるのだ。「アーナンド、今朝私が何を食べたか当ててごらん」と伯父さんは言うのだ。アーナンドは知らないふりをしなければならない。「砂糖を一杯いれたコーヒー、蜂蜜、一かけらのパン、それに水を二十杯」と、さもそれが理想の朝食のように言うのだ。

   ロドゥヘシ(伯父)は、孤独な一人の王国の住人だ。王国を存続するために、風変わりな物語をロドゥヘシは作り、語る。アーナンドは、そのような話に飽きているはずなのに、伯父さんの冗談・語りを受け入れる。アーナンドを特長付けるのは、育ちの良さを感じさせる受動性と、詩人としての固執だ。

   伯父さんはシティで働いていた。伯父さんが、フィッリップ・ブラザースで(総合商社?)なぜ重役になれなかったのか、その理由をアーナンドに繰り返し語る。伯父さんは、アーナンドの父が近年重役になったことが引っかかっているのだ。伯父さんが語るその理由はバカげている。トイレ時間が長すぎたからだ、と。(インド人は、排便についてじつに色々と意味づけをする人々だ)。……ジルベルタはトイレの清掃をしていた(この小説において清掃に携わる者たちへの視線もまた独特である。区別しつつ平等なのだ)。ポルトガル人の娘で、伯父さんはその娘に恋をしてしまった。彼女もまた感応した。ある日、伯父さんは、ジルベルタにタマをぐっと握られてしまったのだと言う。だが、ジルベルタは、同じ事務所で働く下らない男にさらわれてしまった。伯父さんは生涯童貞なのだ。

   伯父さんとアーナンドは、ベルサイズ・パークのフラットをあとに街にでる。といって二人に特に行き先があるわけではない。行き先も用事もない外出、その雰囲気がとても独特だ。家のまわりをひと歩きする散歩とも違う。恋人どうしの時間に近いだろうか。二人の時間をもつために、二人の会話をもつために、外にでる。その時、街の風景は歌における季語のようなものになる。

   有名人も多く住むハムステッド街。今日は、金曜日。二人はティーショップに入る。二人はお茶を飲んでいる。伯父さんは気分がいいのか、タゴールの詩を歌いだす。隣の席の英国の人は聞こえないふりをする。伯父さんはタゴールの信奉者なのだ。「若いころ、故郷のシロン(アッサム州の旧州都)では、皆詩に親しみ詩を書いた。君のお父さんもいい詩を書いた。兄貴も素晴らしい詩を書いたんだ」と伯父さんは語る。その故郷にいる兄に、伯父さんは今でも金をせびられている。伯父さんは、アーナンドにマフィンを食べろとしきりに勧める。アーナンドは、本当に腹をへらしているのは伯父さんなのだということを知っている。「伯父さんも詩をかいた?」とアーナンドは尋ねる。伯父さんの父親が交通事故で突然亡くなったのはロドゥヘシが三歳のときだった。家計は一挙に苦しくなったのだ。伯父さんは学業優秀な生徒だったが高校を出ると、中古車のセールスマンをやって一家を支えたのだ。シルヘット(現バングラディッシュの北東の街)からシロンへ、そしてロンドンに家族のために働き場を変えていった。…伯父さんは、自分の父親を別の世界の人、つまりタゴールが生きた時代・世界の人だと語った。……ウェイトレスは勘定書きをテーブルに置くとさっと立ち去っていった。伯父さんは、軽口の一つ二つを交わしたかったのかも知れない。伯父さんは、チップをどれだけおいたらいいのか悩み、アーナンドに相談するのだ。モップとバケツをもったシークの女が、まるで結婚披露宴の主役であるかのように、テーブルの間を飛び回ってゆく。

   伯父さんが語りかけてくるのは、ある種のステレオタイプと化したインドの人に近い。節約につぐ節約、大言壮語、儀礼化した日常、ウソを楽しむ心理、等々。予想できなかったのは伯父さんの詩への感受性、タゴールの信奉者だということだ。そして、詩は、伯父さんとアーナンドの数少ない共通の関心事でもある。伯父さんは、詩をもつ超俗的な魂と家族を支えていかなければならない世俗の苦労との両方のなかにある。だから、伯父さんは、チップをいくらおくかでいつも大いに悩む。アーナンドはその場合、助言者に徹する。だが、アーナンドは、そのような伯父さんを好いていて、伯父さんも、アーナンドが自分の理解者だと思っている。

   二人は外にでる。トラスト・ハウス・フォルト・ホテルを通り、王立自由病院もすぎ、動物園のアナグマについて語り……あの頃、キーツが心の支えだった、とアーナンドは回想する。愛していた姪と別れロンドンに来たのだった。キーツの病と悲恋を思ったのだ。
バスに乗ると、階上に席をとる。二人は当てもなく、行き先も決めず、ただロンドンの金曜日の夜を楽しむのだ。バスは、キーツの家を過ぎる。それから地下鉄でキングス・クロスへ。伯父さんのフラットの机の上にあった“サン”紙とスティーブン・キング。伯父さんは、知識階級が読む“タイムズ”や“ガーディアン”は読む気がしない、と言う。しかし、それでも伯父さんはロビ・タクゥル(タゴール)の声を聞く。
本屋を覗き、インドの菓子を扱う店にたちより、ウォーレン通りに向かう。アーナンドは、伯父さんが「アブナイ、ここの女たちは良くない」といったキングス・クロスの愛想のいい女たちを思い出す。本当に悪い女たちなのか、とアーナンドは考えはじめる。アーナンドは、17歳の頃、好きな女の子にも欲望を感じなかった。そのことで悩んだのだった。数か月悩んで娼家のところに「相談」に行った。「夢精という言葉を知ってる?」とアーナンドは伯父さんに聞く。伯父さんは、少し怒って「私はまったくノーマル」と言う。伯父さんに、女友達がいないわけではない。教養あるベンガル人や英国人と出歩き、「詩」について語るのだ。

   アーナンドのフラットに戻る。隣の住人の部屋に灯りはついていない。部屋の窓をあけると、夏の夜のにぎわいが、部屋に入ってくる。ミルトンやシェリーの詩の話の続き。“ラングランド”という詩集を伯父さんは本棚からとりだし、「こういう英語は分からん」と呟く。「ベンガル語は分かるのかい」と伯父さんはアーナンドに問いかける。「まぁまぁ」。「ベンガル文学は途轍もない、日々の出来事を宇宙の運行と同じレベルで語るんだ」と言う。人は、自らの死を認識できない、と伯父さんは話を続ける。アーナンドは、死後の世界についてどんな観念ももっていない。伯父さんは、足を掻く。血が流れる。「ベトネベート軟膏はあるかい」。
「フィッツロイ・スクエアーのインディアンYMCAにご飯を食べにいく?」と伯父さんが聞く。アーナンドは、あのボリュームある料理には気がすすまない。アーナンドは母の料理を思い出す。母を失ったのは、母の料理を失った、ということなのだとあらためて思うのだ。

   『海を渡ったオデュッセウス』という小説は、食べ物についての記述が豊かだ。ユーストン通りにある中華料理店のシンガポール・ヌードル(焼きそばの類?)に始まって、アメリカンスタイルのフライドチキン、ティー・ショップで食べるマフィン、本物のインドの菓子、等々。それらは、何か時々顔をだすポルノグラフィーへの言及とワン・セットのような気がする。図式的に過ぎるかも知れないが、食物はかなり性欲の代理物のような趣なのだ。アーナンドは、街を彷徨い、いつも食べ物のことを考えている。しかし、それはしばしば抑制される。一方、伯父さんは、いつも腹を空かしているが、少ししか食べない。アーナンドが街で認めるのは、娼婦・ポルノそして詩人の声だ。

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■アミット・チョウドリー
1962年カルカッタ生まれ、ボンベイで育つ、高等教育を英国で受ける。
小説・詩・評論を書き(英語)、欧米の大学で文学を講義する一方
マニアという以上の音楽家である。
「甲高い声のヒンドゥー歌謡がインド音楽のすべてではない」と言う。

   迷った挙句、結局“グルカ・タンドリ”という店の階段を降りていく。猛々しくも時代錯誤な名前、とアーナンドは思う。故郷の訛り(シルヘット)のウェイターに席に案内される。アーナンドは一度もシルヘットを訪ねたことはない。近くのテーブルで賑やかに食事をする人々は幸福そうだ。何故?彼らがインド人だからだ。英国で暮らすインドの人々は、インド料理屋では幸せなのだ。パパダムの皿がやってくる。数か月前、伯父さんは母を電話で激しくなじった。母のやらかしたミスが原因だった。伯父さんは、母にはきつくあたる。母は気にしていない、と言った。母は歌の名手、伯父さんは母を芸術家なのだと言い放つ。…ウェイターは、イクバルという。(ムスリムか?異郷においてのみ同朋なのだ)。シルヘットに話がおよび、何か打ち解けた気分になってゆく。伯父さんは、騒がしい客をさして「彼らは一体どういう連中なんだ」とイクバルに聞く。ウェイターは「金曜の晩は毎週あんな連中がやってくる。彼らは飲み過ぎだ」と。英国において飲酒の批判はしてはならない、とアーナンドは思う。

   満腹してアーナンドのフラットに戻る。伯父さんは、アーナンドにテレビのチャンネルを変えてくれと頼む、騒がしい番組は疲れる、と。伯父さんの好みは、悲しい番組、それと野生動物をあつかったドキュメンタリーなのだ。嘗て、伯父さんと一緒に暮らそうかと思った時があった。そうしなかったのは賢明であった、と今では思う。大鼻と生殖能力について、話が続く。アーナンドにとってはどうでもいい話なのだが、ふと、インディアンYMCAのホールに掛かっているイエス・キリストの絵を思い出す。その像のキリストの鼻は大きいが、その表情は、生殖能力とは無縁で、まるで中産階級のみじめで彷徨える学生、何をなすべきかを迷う自分のようだった、と。

   この本の最後の数頁が素晴らしい。飛躍があり、込み入っていてひどく難解だが、分かるような気がする。それは、アミット・チョウドリーのいささか逆説的で詩的想像力に任せたカースト論なのである。すべての外国人が、インド人に、カースト問題を聞きたがる。ならば、答えよう、とチョウドリーは宣言しているかのようだ。その語り口は、この本の終章にまことにふさわしい。

   伯父さんは、トイレからもどるとぽつりと言う「アーナンダ・シャンカール・ライAnnada Shankar Rayは皆が有名になる時代がくる、と預言したんだ」。これはアーナンドの隠された望み、詩人としての成功についての伯父さんの寸評なのか、と思う。だが有名になったとしても、それは詩人のせいではなく時代のせいだとアーナンドは思う。また、詩人としての成功は、アーナンドにとって、有名になることに重きがあるわけではない。伯父さんが続ける「シュードラの時代、とヴィーヴェ・カーナンダは言ったんだ」。順応と隷属の支配する時代だと、アーナンドは恐怖する。ただ伯父さんが言っているのは、現に存在する社会的グループとしてのシュードラではない。時代の退化・退廃にむかう堕落のメタファーなのだ。終末論の雰囲気がある。…ブラフマーは、禁欲の賢者が導く精神の時代、クシャトリアは、王や高貴な人たちが、崇高さの価値を示した時代、ヴァイシャは、商人の時代、ちょうどイギリスが凡庸で退屈な帝国を築いたようなもの、最後に路上の人々が力をもつシュードラの時代が来たのだ。アメリカの金儲けと通俗文化の時代、皆が有名になる時代……。

   伯父さんは、姿を変えて現代=シュードラの時代を生き延びる賢者、というメーセージが聞こえてくるような気がする。そして、アーナンドが詩人であるなら、真に大いなるもの・価値を讃えるものでなければならない、と。しかし、それでもなお、シュードラの時代に生きる賢者の物語はとても苦い味がするのだ。

   午後の11時過ぎ、地下鉄が終わるまえに帰ろうか、と伯父さんが言う。さよならの言葉はなく、ただ「じゃ、行くよ」と言うだけ。アーナンドは頷き「送ろう」と答える。ロンドンは夏、凍えることはない。

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August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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