FC2ブログ

86.サーダット・ハッサン・マント『夜明け』、Saadat Hasan Manto, Mottled Dawn: Fifty Sketches and Stories of Partitions, Translated from the Urdu by Khalid Hasan, First published by Penguin Books India 1997

imagesEJSSGDB6.jpg

    マントの短篇小説は、ある種の幸福感を語っている。フェティッシュで儚い幸福だ。どんな惨めで苛酷な時にもひとかけらの幸福が、ぽっと燃え上がる。そして、この短い幸福の感覚は、死の恐怖と誘惑を遠ざける。ボンベイの、映画産業が起ころうとした時の、マントが愛する娼婦たちは、死の誘惑からもっと遠い存在であった。だが、ささやかな快楽を愛しむマントは、同時に、インド・パキスタンの分離独立の惨劇(1947)を深く感じ考え書いた作家でもある。

  『夜明け』は、分離独立の惨劇にかかわる短篇小説・短文を集めた本である。この本で初めて読む作品はそう多 くはない。それでも分離独立モノをあらためて読んでみると、またべつの分離独立の諸相が、またべつのマントの姿が明らかになってきた。

   暴動は、セミプロの煽動家によって引き起こされ広がってゆく、と私は考えていた。ところがマントのこの短篇集における暴動は、セミプロの煽動家も登場するが(“協業” Cooperationにおける暴徒のリーダーは、略奪品は皆で平等に山分けしなければならない、と説教を垂れる、略奪は富の再分配でもあるかのようにアジる)、むしろ平凡で普通の市民がライオッター(暴徒)と化してゆく。マントは、コミューナルな紛争を人間におけるもっとも愚かなこととして非難するだけでは終わらない。マントは通俗的な倫理をさらりと躱し、より真実に近い現実の諸相に近づいてゆく。残酷な出来事の担い手である人間をじっと見つめる。

   もっともあり得そうな暴徒の心理は、復讐ということかも知れない。“にがい収穫”Bitter Harvestは、妻と娘が凌辱され惨殺されたムスリムの男が、路上で三人のシークを殺し、押し入った家で逃げ遅れたヒンドゥーの娘を凌辱し殺す話だ。この復讐劇は単純だが、マントがやはり天性の作家であると思えるのは、凌辱と人殺しという惨劇よりも、それを行う人間を、狂気や復讐の心理に還元せず、ある種きわめて人間的な行為(善性と悪との統合体)として見ているところだろう。「なんと酷いことを」と目をそむけるのではない、このようにごく普通の人間がひどく酷いことをする、と。
 “レインコートの女”The Woman in Raincoatでは、学校時代の友達が、自分の店がヒンドゥーの暴徒に略奪・放火されると、ムスリムの暴徒の仲間にはいり略奪・放火を行うライオッターになってゆく。当時としては、それはごく自然のなりゆきだった、とマントは言う。その友人は略奪品を前に、それをぼんやりと眺めながら、別段ものや金が欲しいのではない、と独白する。友人の心の内側にある破壊の衝動と虚無感をマントはむしろとりあげる。
 “ある任務”The Assignmentでは、マントは、暴徒をより両義的に描く。善良な人間が暴徒にもなり得る、と。……アムリトサルでは、暴動が続いていた。夜、判事の家の戸を叩く若者がいた。判事の娘は、シークの若者を暴徒かも知れないと怖れ、戸を開けようとしない。病気で臥せっている判事は何でもないから戸を開けなさい、と諭す。その若者は、父の使いとして(遺言でもある)、恩義のある判事に季節の贈物を届けに来たのだった。判事の家族は、引き続く暴動による疑心暗鬼を反省する。しかし、シークの若者を通りの角で待っていた仲間は、こん棒と灯油をもった暴徒のグループなのだった。贈物を届けてきた男に「仕事はすんだか」と別の男が聞く。暴動という暴力は、悪い人間の仕業であるよりも、善い行いもする人間によって担われていたのだ、とマントは言いたいのだろう。

   今回『夜明け』を通読して気になってきたことは、街や列車駅における暴力・殺人・ジェノサイドが、別の内密な暴力を誘発してゆく、かも知れないことだ。“氷ほど冷たい”Colder than Iceでは、略奪で毎晩帰りの遅い主人を「どこの女のところにいたのだ」と妻(情婦)は責め立て、最後には切り殺す。また、“信仰者の言ったこと”A Believer’s Versionでは、ある女(性)は、まず夫をワイヤーロープで扼殺し(小さな木製の持ち手がついている)、その傍らで別の男とセックスし(男は暗がりで気付かない)、さらにその男を殺そうとする。最後は悪い冗談で終わる。つまり、バラバラにした死骸をトランクにつめモスクに遺棄するのだが、暴徒がそのモスクを放火し証拠も灰とる。……人々が、暴力に馴れてしまったのだという説明は充分ではない。そうではなく、大量の暴力の噴出が、暴力に対する禁忌を解き、暴力の快楽を目覚めさせてしまった、と私は考え始める。

   マントの暴動の物語は、実は、暴徒や暴動そのものよりも、その出来事によって、大きく人生が湾曲していった人々の物語が豊かである。直接、暴動の暴力に遭遇し傷ついた者(死んだ者は何も語れない)ではなく、例えば“慇懃な娘”The Dutiful Daughterでは、母は行方不明の娘を探し続ける。「美しい女は殺されない」という言葉を呪文のように呟きながら、母親は狂人となってあちらの街、こちらの村をさすらう。新しい生活を始めていた娘は母親に会うと、狂気の母親を厄介払いするのだ。“デリーから来た娘”A Girl from Delhiでは、人気のダンサー(娼婦)が、暴動の危険を感じてというよりもこれを機会に新しい人生―ダンサーをやめる―を始めたいと願う。貧しくとも額に汗して働くような家族を夢見る。その願いはとても切ない。
   大きな厄災をもたらした分離独立は、歴史の大きなうねりとなって人々の生活を変えたのだ。その変化は、必ずしもネガティヴな変化だけではなかった。うまく言えないが、分離独立の混乱・紛争は、多くの人々の生命を奪い生活を破壊した、しかしそこから新しい生活を開始した人々も少なからず存在したのだ。大勢である99%の厄災を俯瞰するのではなく、1%の例外に固執するようなところがマントにはある。1%の例外を大切に持ち続ける、それがマントの思想・スタイル・声である。

   ところで、この短篇小説集では、分離独立とは一見関係ないが、その時代の雰囲気、空気の香りを伝える作品も読めて楽しい。大成する前の映画俳優が、ムスリム連合のジンナーのお抱え運転手になった物語“ジンナー氏”Jinnah Sahibは面白い。ジンナーの人となりを伝えるこの短篇はとても明るい。独立に向けた希望の雰囲気を感じとれる(後の分離独立の災厄を思うと複雑だが……)。聖人ガンジーについての神話を再生産する読物はあまりに多い。しかし、ジンナーについてはほとんど何も知らない。この短篇には、ジンナーについてのリアルな具体性がある。
 “みっつばかりの主張”Three Simple Statementsは、これもまたきわめてマント的な作品である。すこぶる下品であるけれども、同時に「マントを読める幸福」を思わずにいられない。ボンベイにある会議派事務所とジンナー会堂の近くに、汚わいと生ごみによるさまじい悪臭を放つ公衆トイレがあって、そのトイレの壁の落書きについて書いているのだ。最初にそのトイレを使用したときには「ムスリムを叩き殺せ」という落書きがあり、二度目のときには「ヒンドゥーを叩き殺せ」とあった。独立後、会議派事務所もジンナー会堂もとりこわされたが最悪のトイレは存続する。著者が用をたすためではなく何となく気になってそのトイレに立ち寄ると、前の二つのスローガンが消されたあとに「ムスリムもヒンドゥーもない、この母なるインドを叩き殺せ」とあったのだ。苦い認識なのだ。私自身の経験からいっても、トイレの落書きというのは妙なリアリティがあると思っていた。そういう汚わいにみちた真実を、良識や世間体を気にせずマントは着目するのだ。会議派とムスリム連合の対立軸と、それらと等距離にある公衆トイレとい意味論を説明しだすとつまらなくなる。悪臭ふんぷんたるボンベイの公衆トイレというリアリティ、その不潔な壁にはその当時のスローガンが書きなぐってあって、その近くには、会議派とムスリム連合の拠点があったのだ、という風景を堪能したい。

   訳者のカーリド・ハサンKhalid Hasanは、重要な指摘を行っている。訳者は、インド・パキスタンの分離独立にともなう紛争は、ナチス・ドイツによるジェノサイド以上に深刻な問題をもっていると言う。つまり、ヒットラーという独裁者に領導された国家が、ユダヤ人・ジプシー・ポーランド人あるいは組合指導者を、強制収容所において人格破壊のうえ集団的に殺戮したのとは違うのだ。国民が、そこにいる人々が殺しあったのだ。殺したのは、独裁者ではなくわれわれなのだ、と。ナチスの狂気が行ったこと、日本の軍部の暴走がなしたこと、ブッシュ政権の行ったこと、という言い逃れができない。殺したのは、あなたなのかも知れないし、確かなことは殺されたのはあなたの隣人なのだ。

imagesWAA1XB1P.jpg
マント Saadat Hassan Manto
1912年5月ルディヤーナに生まれる
1955年1月ラホールに死す 享年42歳

   マントの分離独立をとりあげた短編は、分離独立という現実の諸相に迫る。一面的ではないのである。そこに他者の悲惨を読む意味がある。通り一遍の倫理・正義と無縁なのがいい。しかし、マントの短篇小説に希望はあるのか。人間がどうにも割り切れない存在であるように、暴動にもいくつもの諸相がある、このことをマントは十二分に描く。だが、希望はないのか。
 “みんなが彼をトバ・テク・シンと呼ぶ”Toba Tek Singhという短篇が希望について語っているのかどうか分からない。しかし、虐殺を回避するヒント、あるいは意志を読むことができるような気がする。……舞台は、ラホールの精神を病んだ者の療養所である。独立から数年が過ぎた。ヒンドゥーやシークの住民の多くは、パキスタンから去っていった。だが、このラホールの療養所には、少なからぬヒンドゥーやシークの人々がいまだいる。捕虜の交換ではないが、パキスタン・インド両政府による協議により、ラホールの療養所にいるヒンドゥー、シークをインドへ移送することになったのだ。
   狂人たちの療養所というシルシを帯びた空間におけるドタバタ劇(非論理的な真実の出現)が繰り広げられる。ある者はインドなどには行きたくないと木に登り、またある者は、裸になって走りまわる。しかし、移送の時はやってきたのだ。バスに詰め込まれパキスタン・インドの国境まで運ばれる。そこで国籍の変更登記が行われる。そしてトバ・テク・シンがまさに国境を越えようとするとき、二つの国に挟まれた僅かな土地にしがみつき離れない。トバ・テク・シンはパキスタンもインドも拒むのだ。

   分離独立は、ムスリム連合の裏切りにより主導されたという通説は、今は見直さている。ネルーの側がむしろ離独立を望んだようなのだ(辛島昇編『南アジア史』2004年刊の421頁を見よ)。できうれば分離独立の惨劇は避けたかった、とナイーブに思う。マハトマ・ガンジーの抗議、平穏化への祈り、そして断食は虚しかった。幾世代にもわたって外国人勢力の支配をゆるしてきたインドの歴史をどう見ればよいのか。いいや、それが世界の、とりわけアジアの常態かも知れないのだ。魅惑のインドは、つぎつぎに難題をつきつけてくる。

<補足>
   先に紹介したBombay Stories (Random House India 2012), Maanto: Selected Stories (Random House India 2008), My Name is Rada (Penguin Books India 2015)にはなく、この短篇集『夜明け』でしか読めないマントの作品は次の通り。
   The Dog of Titwal, The Woman in the Red Raincoat, The Dutiful Daughter, Three Simple Statements, Jinnah Sahib, Bitter Harvest, The New Constitutionおよび32篇のスケッチ―数行から1~2頁の文章―をこの本で新たに読むことができる。
プロフィール

August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR