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22.V. S. ナイポール『ビスワス氏の家』、V. S. Naipaul, A House for Mr. Biswas, New York 1961, Alfred A Knopf, First published in UK 1961.

『ビスワス氏の家』は、僕が一番好きな小説だ
ナイポールにとっても『ビスワス氏の家』が
作家にとって一番重要な小説のはずだ
そして20世紀という時代を
人々の大量移動と故郷喪失に求めるならば
『ビスワス氏の家』こそが
20世紀最大の傑作であるに違いない


   『ビスワス氏の家』は、僕にはとりわけ愛着深い小説だ。ナイポールのグッとくる本はほかにもたくさんあるけれども、この小説を読んだ頃の僕の生活がどこかこの小説に似ていて特別で運命的なものを感じるのだ。この小説を読んで随分たつけれども、今でもいくつかのシーンをはっきりと覚えている。時々、そんなシーンをふと思い出す。例えば、新聞記者となったビスワス氏がスラム街の取材中、出奔したおじのバンダットに偶然でくわす、ところ。思い起こしてみると・・・バンダットとの会話は、一方通行でどうも通じない。おじさんは、耳が聞こえないのだ。そして中国人の情婦もどうも唖のようなのだ。それに気付いたビスワス氏は気味が悪くなり逃げるように退散する。昼下がりのポートオブスペインの陋巷の雰囲気が気だるくて何ともよい。根なし草小説のなかのさらなる根なし草。僕は、根なし草にある種の憧れと恐れを抱いた。

Biswas bbb 
▲クナッフ社版『ビスワス氏の家』
この版には、著者による回想的な前書きついていてそれがとてもいい。

   物語は、トリニダットのインド系移民社会が舞台だ。ナイポールの実際の父とおぼしき人をモデルとしたビスワス氏が六本の指をもった不吉な子として生まれる。誕生の儀礼をとりもつパンディット(祭司)は、いくつかの預言めいた忠告を与える。ビスワス氏を水に近づけるな、と。ビスワス氏が牛飼いのアルバイトをしている時、行方不明のビスワス氏を救出しようとした父親は、池に飛び込み溺死してしまう。水とか、牛飼いといったヒンドゥー神話に親しい符牒、父殺のパロディで物語は始まるのだけれども、深刻な事態と周囲の悲嘆をよそに、小牛の持ち主ダーリーが池にはまって溺死した小牛を前に「おいらの小牛、おいらの小牛」と嘆き悲しむさまが僕には可笑しかった。悲嘆の貌は、人さまざまなのだ。

   おおまかにそのあとの小説の展開をたどってみよう。
ビスワス氏は、父が死に一家が離散してゆくなかで、パンディットにところに弟子入りするも不勤厚がたたり破門される。友人のヒントで看板屋になったビスワス氏は、とある商家で仕事を請け負っている時、その家の娘に懸想しラブレターを送る。「君と話がしたい」と。ビスワス氏が彼女と実際に言葉を交わす前に、そのラブレターは一家の女ボス、タルシー夫人のところへ届けられ、ドゥワリー(結納金)をもらえない結婚を強いられるのだ。結婚祝いは、ドゥワリーの現金ではなく、店に売れ残っていた日本製のコーヒーセットだった。ビスワス氏は、シャーマと一緒になって言葉を交わし、彼女の声がひどいダミ声であることに仰天する。後に、新聞記者となってからビスワス氏がものする短編小説の書き出しは「『遁走 M. ビスワス作』  33歳の彼にはすでに四人の子供がいる。・・・結婚という罠にはまり家族という重荷を背負い、彼の青春はとうに過ぎ去ろうとしている。そのような時、主人公は若い女に出会う。彼女は、痩身で白い服を着ている。彼女は初々しく、優しく、処女であり、どうにも子供をもうけられそうに見えない」なのだ。小説は、それから進むことはなかったと、ナイポールは書いているが・・・。
  一家の異端児ビスワス氏は、妻の実家との軋轢を繰り返し、彼の人生の彷徨は続く。チェースでの雑貨屋業は、結局のところ経済的な自立を約束しなかった。ビスワス氏が新聞記者となるのは、試験によってではなく、いくらかの強引さと幸運な成行きの結果だ。記者の仕事は、ビスワス氏にとって充実したものであった。ローンでようやく手に入れ家は欠陥住宅であったが、大家族の桎梏を逃れ「初めて人生で孤独という贅沢を味わう」ことに満足をおぼえる。最終章、ビスワス氏は病に倒れ新聞社を首になる。
   その時のことを作家は次のように語る。
   「ビスワス氏46歳。四人子供がいた。彼には一文の金もなく、妻のシェーマにも一文の金もなかった。シッキムストリートのビスワス氏の家は3000ドルした。そこにビスワス氏は四年間住んだが、ローンの金利はひと月20ドルだった。借地料がそれに10ドル要った。二人の子供は学校に通っていた。年長の二人は、奨学金で国外に留学していたが、ビスワス氏の収入といえば、この二人にたよるしかなかった」

BiswasHouse bbb
▲ハヌマーンハウス(妻の実家)のモデルとなった家
「ビスワス氏は、久しぶりにハヌマーンハウスに娘を訪ねる。自分の娘が
学校に通っていることを知りビックリする。顔をあわせた妻は、
ごはんは食べたのか、とビスワス氏に尋ねる」
写真、Patrick French, The World Is What It Isより
 
   小説の粗筋をたどってみても、この本の魅力は伝わらない。あまりにも豊かなディティールに充ちているからだ。そんなことを考えていると、次のようなエピソードが思い浮かぶ。・・・ビスワス氏は、窓からよくものを捨てる。パンディットのところに弟子入りしていた時は、糞にまみれたハンカチを投げ捨て破門される。ハヌマーンハウス(妻の実家)では、「こんなもの食えるか」と言って女房のシェーマが作ったカレーを二階の窓から投げ捨て、それが元ココナッツ売りの義兄ゴビンドにかかり、義兄から半殺しのめにあう。そして、今ビスワス氏は、自分の欠けた歯を窓から投げ捨てようとしている。まるで、何かがおこる前兆をでもあるかのようだ。

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▲シーパサッド・ナイポール
ヴィディアの父であり、ビスワス氏のモデル
愛車のフォード・プリフェクトの前でポーズをとる
ちなみにナンバーはPA1192とのこと
Patrick French, The World Is What It Isより

  クナッフ社版の前書きが僕は好きだ。著者にとってこの小説があまりにも生々しく、この小説に再会するのに20年の歳月を要した、ことが書かれている。キプロス島の旅の一夜、著者はたまたまBBCの海外放送にダイヤルを合わせると、「ベッドタイムの一冊」という番組で『ビスワス氏の家』が朗読されていたのだ。朗読を聞いたナイポールは、涙を抑えることができない。そして、文章は『ビスワス氏の家』の執筆の頃の回想に繋がってゆく。ロンドン北部の屋根裏部屋には、隙間風が吹き込み古い絨毯を揺らす。引っ越しした下宿の娘さんにイニシャル入りのひざかけをプレゼントされたりした。その時のことをナイポールは、人生でもっとも充実し幸福であったが、『ビスワス氏の家』の執筆に性根を使い果たしたとも語る。

   なぜ20年もの間、ナイポールは『ビスワス氏の家』を読み返すことができなかったのか。その20年間は、ナイポールと父との関係を表現している、というように僕には思える。ヴィディアは、父シーパサッドの志を継承する者である。大家族主義、ヒンドゥーの保守主義への反逆者である父に共鳴し父を称賛するとともに、作家として生きる志を父から引き継いだ。作家として生きることにはふたつの意味があった。ブラーフマンとしての生き方の再生、つまりタブーをもたない新しい時代、新しい土地でうまく立ち回り一儲けすることではなく、精神的な価値を顕現させ称揚すること。そして、もう一つの意味は、大英帝国の再編にともなう都合で海外に年季奉公者として流出した同朋の生活と苦難、夢と尊厳を記述・記録し、さらに称賛すること。ナイポールは、それを使命と感じていたに違いない。20年間の空白は、ナイポールが父シーパサッドの志の忠実な具現者、または大いなる成功者である一方で、父の不幸・犠牲・挫折を償うことを自分にはできないと思うところから来ているのではないか。

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

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August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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