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95.ショロディンド・ボンドパッダエ『事件の律動、ボムケシ・ボクシの三事件簿』、Saradindu Bandyopadhyay, The Rhythm of Riddles Three Byomkesh Bakshi Mysteries, translated from the Bengali by Arunava Sinha, first published in Puffin by Penguin Books India 2012.

The Rhythm of Riddles
インドの推理小説
ボムケシ・ボクシの事件簿を読む
それは推理小説のトリックばかりでなく
インドの とりわけベンガル地方の風物を また
インドの とりわけ中産階級の人々の希望や理想
あるいは現実を 楽しみながら学ぶことができる
作家の願望は インドの神秘ではなく
理性と論理による“真理の追究”である
それもまた インドの人々にとって
切実なニーズなのだ と納得する





   この推理小説集の巻末につけられた解説を読むと(翻訳者Arunava Sinhaが書いている)、ショロディンド・ボンドパッダエの文章は、長いセンテンスの文語で、非常に優美なベンガル語なのだという。残念ながら英訳からそのベンガル語の雰囲気は感じ取れないが(あるいは、翻訳不可能を訳者は言いたいのかもしれない)、その質の高い文章は、ボンドパッダエの推理小説の理想の高さを、そのまま語っているように思える。ボンドパッダエのこの小説も、多くの人々が読み楽しむ推理小説であるけれども、気品があって、どこか超俗的なのである。
                           ☆

 “事件の律動”は、同じアパートの住人がブリッジのお相手を求めて訪ねてくるところから始まる。保険会社に勤めるゲーム好きが、同じ銀行に勤める二人の男、それに語り手であるボムケシの助手アジットを誘いゲーム仲間ができあがる。毎晩、夕食後、僅かの金をかけてブリッジを楽しむ。何とも優雅なその風情は、英国風というより、インドの中産階級の願望のような気がする。その晩も今からゲームを始めようとするとき、銃声のような音が聞こえ、その爆発音の聞こえた一階の方に駆けつけてみると、そこに住むナタバルさんが銃で撃たれ血を流し死んでいた。
   カルカッタの警察当局の動きはにぶい。当局は、“真理の探究者”ボムケシを敬遠すべく助手のアジットをカルカッタに留め置く。そこに到ってボムケシの登場となるのだ。彼は、被害者の部屋に残された書類から、被害者ナタバルが実は恐喝を生業とする者で、トランプ仲間の銀行員の二人を脅していたことをすぐに突き止める。嘗て二人は、ダッカで横領の罪を犯し、数年間、収監されていたのだ。それを種にナタバルは、銀行員二人から毎月何がしかの金を巻き上げていた。しかし、事件の真相はもう少し違う含みをもっていると“真理の探究者”ボムケシは考える。
 “事件の律動”は、インドにおける分離独立の惨禍(1948)を背景にしている。独立という慶賀が、人々の大移動と虐殺という凶事を招いてしまった。インドの近代作家が避けて通れないテーマなのだ。この事件においては、分離独立において酷いダメージを受けた者と、その人の痛みにつけいった者とが現れる。殺人の動機は、あまりにも酷い詐欺行為に対する仕打ちなのだが、ボムケシは、その殺人者にむしろ同情を示す。殺人よりも非道な詐欺行為の方を、ボムケシは憎み、おそらく多くの読者もそう感じるような作品だ。殺人は復讐であり、言い過ぎになるかも知れないが、作家は、この復讐殺人を是認している。そこがインドの推理小説らしいところだと思った。

                            ☆

   インドの人たちは、幽霊の話が本当に好きだなー、と思う(いや、それは誤解で、幽霊が嫌いな民族など存在しない、と言うべきなのだ)。“ボムケシとボロド”という作品の主役は、実は、幽霊なのである。
   舞台は、ビハール州のガンジス川のほとりにある、いにしえの城塞都市ムンゲールに移る。
   そこに金銀細工師から身をたてた裕福な宝石商ボイクント・ドスがいた。彼が何者かに殺害され彼の宝石箱が奪われた。そして彼が殺害された部屋に新しい入居者が入るとしばしば幽霊が出没するようになるのだ。殺されたボイクント・ドスの彷徨える魂が何かを訴えたいかのように。ここまでは、月並みなプロットに思える。
 “真理の探究者”ボムケシが呼び寄せられ、また“幽霊研究家”ボロド氏などが加わり、死者との交霊が試みられたりする。交霊会がどのようなもので、幽霊研究家とはどのような人種に属する人なのか、そしてそこには超自然現象など信じていないがそれを悪用しようとする詐欺師の人殺しがまじっている、というこの世の現実の風景を読者は知ることができる。
   殺人者が奪った宝石箱はダミーだった。宝石商は、インドの人らしく銀行など信用していない。つまり、宝石商ボイクント・ドスは、宝石を部屋のどこかに隠しもっていたのだ。
ところで、この小説における幽霊のトリックは、じつに素朴で微笑ましい(サーカスの軽業師が演じる幽霊)。そのような暖かみと親殺しというグロテスクな人間の欲望の組み合わせがボンドパッダエの面白いところだろう。
   ついでに言うと、ショロディンド・ボンドパッダエは、法科の大学をでた。ただ、物理の学位をもっている、のだという。この小説を読んでいるとボンドパッダエは作家であるとともに科学者への親近感を表明しているように見える。インドは、神秘的な魅力にあふれた場所である、かも知れない。しかし、作家は中産階級の健全な良識を、神秘や迷信に惑わされない勁い知性を主張しているのだ。この小説を読んでいるとボンドパッダエの近代主義の主張を支持したくなる。


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■ショロディンド・ボンドパッダエ Saradindu Bandyopadhyay
1899~1970 ビハール州ジャウンブルに生まれるプネーで死去
活動領域は、詩、小説、短篇小説、戯曲、映画台本、エッセイなどと多技にわたる

                           ☆

   アムリタは、孤児である(孤児と未亡人は、インドの共同体おける負の符牒のように見える)。この村のオジさんが彼をひきとり育てたのだ。アムリタは、口先だけの調子のいいヤツと皆から軽く見られている。不幸な青年なのだ。その日も、村の若者たちはアムリタをからかい楽しんでいた。勇気があるなら森にいってみろ、と皆が囃子たてた。近頃、森には馬に跨った幽霊がでるという噂があったのだ。アムリタは、強がって(森は、村人にとって本当に恐ろしいところのようだ)、森の中に入っていく。すると、あろうことか銃声がこだまし、アムリタは二度と皆のところに戻ってこなかったのだ。
   “アムリタの死”という作品は、表題にアムリタという青年の名前をかかげながらも、冒頭の数頁で、彼は役割を終え、この小説作品からは退場してしまう。アムリタは親がなく、虚勢をはって生きてきたのだ。そのアムリタが人違いで殺されてしまう。すごく悲しい物語なのだ。

   舞台は水田の広がるベンガル地方のとある街と村、そこには大戦時米国(?)の部隊が駐留していた。彼らは、上半身裸で歩き廻り(インドの人々にとってそれは極めて不作法な行為に映るのだろう)、気さくで農民らとガンジャをふかし、そして戦争が終わると、父無し子と火器(拳銃と手榴弾)をあとに残して去っていった。

   残された父無し子も問題だが、米兵が売っていった火器が事件を引き起こす。非合法の火器の売買は、暴利に結びつくからだ。美しい水田広がるベンガルの土地にあって農民は善良な人々で、米の精米・仲買を勤しむ者が曲者なのだ、という社会風景が浮かびあがる。利に聡い米の仲買人が火器の密売を行っている、それを嗅ぎつけた者が仲買人を恐喝する、そしてその仲買人は恐喝者を爆死させる、というプロットである。

   この小説で味わい深いのは、爆死という派手な殺人(惨殺された死体を想い描いてみる恐怖)と、拳銃・火器類の隠し場所についてのアイディアなのだろう(怖しい森と美しい馬の姿が混じりあう)。そしてある種の滑稽感を伴う憎めないトリックが親しみを齎す。それがボンドパッダエの推理小説の美点だと思う。ただ、この推理小説の善なる向日性は、火器による殺傷や農民からの搾取と隣り合わせであり、その後のベンガルの血腥い歴史を(すぐに思いつくのはナクサライトの武装闘争だ)予兆するかのように見える。

93.ショロディンド・ボンドパッダエ『風変わりな人たち、ボムケシ・ボクシの事件簿』、Saradindu Bandyopadhyay, Menageries & other ボムケシ・ボクシ Mysteries, translated from Bengali by Sreejata Gua, first published by Penguin Books India 2006.

Menagerie_bbb.jpgインドの推理小説を読んでみた
カルカッタ郊外のコミューン農園には
わけあり人生の人々が集まっている
あるいはカルカッタの街に住む
物乞いから上流人士までの
生活の表と裏が描かれてゆく
物乞いは小金をため込み
有名人士が博奕で借金を重ねる
有閑事件解決人のボムケシ・ボクシは
鋭利な推理を展開するのだが
彼の着ているものが
白いドゥーティなのが格好いい
ショロディンド・ボンドパッダエのばあい
そのインド的な味わいというより
ベンガルの香りが強い
ごく単純な結論は もっとボンドパッダ
のミステリーを 読んでみたくなった のだ


   この推理小説家にどうして辿りついたのか考えていたら、少し時間がかかったが、何となく分かってきた。この小説の翻訳者スリージョト・グハが導き手であったのだ。彼女は、シャラッチャンドラのとても面白い小説『デーブダース』(飛鳥出版)などをベンガル語から英語に翻訳し紹介している。シャラッチャンドラを取り上げる人なら、彼女が翻訳紹介している他の小説も面白いに違いないと思ったのだ。でも、この小説を買ってから何年もこの小説のことを忘れていた。今回、たまたま冒頭の数頁を読みだすと、インドならではの魅力満載の小説であることに気付き、残りの頁が惜しくなる感じで一気に読み上げた。

   この小説集には、四編の推理小説が収められている。表題にある“風変わりな人たち”と“はりねずみ”が、百数十ページぐらいの中編で読ごたえがある。それを紹介してみよう。

   ニサノト・シェンは、ボンベイで判事の職にあった。高血圧などの健康上の理由で40歳で職を辞し(と冒頭では説明される)、今は、カルカッタの郊外で農園(花と野菜を栽培している)を営んでいる。この農園というのが一風変わっていて、ワケありの人達があつまる一種のコミューンなのだ。ブジョンゴダルは、元形成外科医であったがやむえぬ事情で事件を起こし、医療免許を取りあげられ、今は農場の獣医を務めている。彼は、またシタールの名手でもある。ネポルは、化学分野の科学者で、肥料創薬の実験中に爆発事故を起こし、顔半分が醜く変形している。とても偏屈な人である。ムクルは、彼の美しい娘だ。農園主の甥ビジョイビジョイとの婚約の話があったが、バナラクがやって来るとビジョイは彼女に気が移り、婚約は破談となる。バナラクは魅力的な女(性)だ。ただ、彼女は、村で禄でもない男と駆け落ちしたがうまくゆかず、カルカッタにいるときに農園主の甥ビジョイ に農園を紹介され、人生をやりなおしているところなのだ。ブラジャドスは、裁判所の元事務職の男だ。横領で監獄に入っていた。出獄後ヴァイシュナバ派の信仰に入り今は良く働く。一生涯ウソをつくまいという誓いをたてている。ムシキル・ミオンは、農場お抱えの馭者、どうもオピューム(阿片)中毒のようなのだ。

   そのような農場に奇妙な出来事が持ち上がる。農園主ニサノトのコテージ(農場の住人はそれぞれのコテージに住んでいる)の玄関前に、自動車の中古部品が放置されることが繰り返されたのだ。初めは、プラグ、ゴム製の警笛そしておもちゃの自動車。この異様ないたずらにただならぬ胸騒ぎを感じて、農園主ニサノトは、評判の事件解決請負人ボムケシ・ボクシボムケシ・ボクシのところへ相談にきたのだ。嘗ての判事は彼が下した判決に怨みを買う可能性があること、突如行方不明になったスノエノという映画女優のことが気になっている、とも告げる。

   事件は、農園主ニサノトの病死に見せかけた殺人、農園の住人の聞き取りが進むなかで、農園主ニサノトの後妻ドエモンティは、嘗ての判事が死刑判決を下した極悪人ラル・シングの妻だったのだ、ということが分かってくる。農園主ニサノトはそれを隠していた。ラル・シングによる恐喝・復讐殺人の線が浮かび上がってくるが、じつはラル・シングは出獄後、二年前に死去していたのだ。真犯人の捜査が続く中、何かを知っているが発語に障害のあるポヌガポルが殺される。農園の誰もが疑わしい事態となってくる。ヒーロー探偵のボムケシ・ボクシが路上で襲われ傷を負い緊迫度がますなか、彼は真犯人を突き止めるための一種の賭けにでるのだ。
   この“風変わりな人たち”という推理小説が、実にいいと思うのは、そこに散りばめられているインド的意匠というよりも(シタールやヴァイシュナバ派の信仰も、楽しみの一つであるけれども)、真犯人の犯罪の動機の不分明さに、実はある。金品を巻き上げもするが、それが真実の動機とは思えない。犯罪などに手をそめなくとも充分にうまく生きていけるある種有能な人間が犯罪に溺れてゆくところが面白いのだ。悪知恵と社会からの逸脱に生きがいを感じる人々を描いている、と言える。
  また、事件の発端に自動車部品の放置をもってくるあたりも、いかにもインドらしい、と思ってしまう。おそらく それらの部品は、シリアスな事件のしるし(恐喝とか殺人予告)なのだろうが、滑稽感を通り越して、どこまでも真面目に演じられる喜劇のようで思わず笑いがこみあげてくる。シリアスな滑稽感がとてもいいなーと思う。……“風変わりな人たち”は、1953年に発表された。
       
                                                              ☆☆☆

  “はりねずみ”という小説は、“風変わりな人たち”と違って、郊外ではなくカルカッタの街を舞台としている。カルカッタという都市のヒエラルヒーを背景に事件が起こる。

   最初の殺人の情景が印象的だ。
夜明け頃、南カルカッタにあるガル公園近くの粗末な茶店で、乞食のパグロムは甘くてあったかい紅茶を、ビスケットを齧りながら素焼きのカップで飲んでいた。それがいつもの場所で物乞いをするパグロムの一日の始まりなのだった。春の朝、南カルカッタの街路には、まだかすみが深く立ちこめていた。パグロムは、彼の習慣で、塀に向かって紅茶を飲んでいた。人の気配を感じ振り向くと、その途端、背中から胸にかけて鋭く強い痛みを感じた、そしてすべてが闇のなかに吸い込まれていった。……翌日の新聞の片隅にこの事件についての小さな記事が掲載された。ただ、その記事に眼をとめた人にとって、この事件が少し変わって見えたのは、その乞食を殺傷した凶器が、はりねずみの剛毛=針であったことなのだ。

そしてこの乞食殺人の動機が不分明なまま(物乞いは、予想外に小金をため込んでいる場合が多い、という物取り説も交わされる)、ひと月もすると、今度はホームレスの日雇い労働者が同じくはりねずみの針で殺され、さらに数週間すると雑貨屋の店主が同じ凶器で殺される。社会ヒエラルヒーを上昇してゆく奇妙な連続殺人なのだった。狂気の変質者による殺人事件を人々は噂しあったのだ。

“はりねずみ”は、カルカッタの街を舞台にする推理小説である。社会ヒエラルヒーを遡る殺人事件に、もう一つの物語が接ぎ木される。それは、良家の若い娘ディーパが、カーストを異にする男との自由恋愛に落ちてしまったのだ。自由恋愛は、当時のカルカッタの上流社会では明らかな違反行為だったのだろう。彼女は、家族から不本意な別の結婚を強要される。ディーパは、もし愛する男と駆け落ちすれば、厳格な祖父は、ディーパを殺し、そして彼も自害するだろうと考え、強制された結婚を受け入れるのだ。

   上流の若い人々が毎晩、集まり楽しむ茶会がある。ディーパの強制された夫ドボシシュは茶会にたまに顔をだす。第四のはりねずみ殺人は、そのドボシシュに向かう。はりねずみ殺人の犯人は、実はディーパの駆け落ちしようとした恋人であるのだ。どうしてそうなるのかは、少々こみいっているが、その動機を抽象的に言えば、金銭上の行きづまり、富める者への不幸重なる者の怨恨、そしてその代償としての金銭欲ということになる、と思う。はりねずみ殺人には、“風変わりな人たち”と違って、復讐の情念が強い。

   ショロディンド・ボンドパッダエのミステリーには、カルカッタの中産階級の夢と願望、あるいは道徳観念といったものが素直に表現されている、と思う。だいたい、このシリーズのヒーロー、ボムケシ・ボクシが、私立探偵とはいいがたい、何で食べているのかわからない男なのだ。頭脳明晰、ただし決してハードボイルドのタフガイではないところに理想が隠れている。彼は、推理によって人々の邪悪な情念を明るみだす。警察当局と極めて友好的なのも面白い。警部は、ボムケシ・ボクシに頼りっぱなしである。
ボンドパッダエの描くカルカッタの中産階級の夢と願望のなかでも、ディーパの強制された夫ドボシシュの人物像が、とりわけ傑出している。優しく高貴で争わない、優美ですらあるキャラクターなのだ。バタフライ化粧品会社の御曹司であり、夜は外国の科学雑誌を枕もとで読み、友達から金の算段を持ちかけられれば躊躇なく金をかし、工場の誰からも好かれ、ギャンブルや女遊びとも無縁だ。ディーパは、自分には愛する人がいて、あなたと夫婦となることはできない、と告げる。それに対して、夫ドボシシュは怒りを抑え、彼女の苦渋をうけとめ、彼女に直接触れないことを約束しさえする。やがて「お前は私を好きでないかも知れないが、私はお前を愛する」とドボシシュは言うのだ。

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ショロディンド・ボンドパッダエ Saradindu Bandyopadhyay
1899~1970 ビハール州ジャウンブルに生まれる
カルカッタのヴィダショジ大学在学中に20歳で詩集を出版
パトナで法律を学ぶ
1938年ボンベイに移り、ボンベイ・トーキーズ社で映画台本を書く
1952年プネーへ 作家業に専念
1967年ベンガル文学賞Rabindra Pursakarを
およびカルカッタ大学よりSarat Smriti Purashkarを受ける
活動領域は、詩、小説、短篇小説、戯曲、映画台本、エッセイなどと多技にわたる

   だた、ひとつ気になるのは、“風変わりな人たち”における殺人が、“はりねずみ”における殺人とあきらかに異なることだ。“風変わりな人たち”においては、愛するカップルが違反行為を共謀して仕掛けてゆく。ふたりの愛の深さと犯罪の進行は不可分であるように読める。とても純粋である。最後にふたりは、別れの接吻によりともに服毒自殺する。彼らの表情は犯罪の快楽と共犯の至福を表している、とさえ言える。つまりそこには、殺人や犯罪でしか満たされない限界を超えた欲望がある。一方、“はりねずみ”の殺人は、ありきたりで、暗くて悲しい。殺人の動機は、金や復讐であり、殺人そのものによるこの世の掟の向こう側への飛躍はない。この変化は、ショロディンド・ボンドパッダエという作家の、保守化、退廃、世間への迎合にも思えるのだ。……“はりねずみ”は、1967年に発表された。



プロフィール

August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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