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3.インド系作家と音楽シーンのいくつか

ナイポールのジョーン・バエズ、
インド人学生がビーチで歌うダイアー・ストレイツ、
スチールギターで伴奏されるタゴールの歌曲、
そしてチョウドリーの新作CDを聴く


  V.S.ナイポールの『暗い河』(TBSブリタニカ)には、印象的な音楽シーンがある。インド人の雑貨屋の主人公は、白人の大学教師にコンパウンド(ウガンダのカンパラにある外国人居留地区)に招かれて行く。自分の生活のレベルとは隔絶したまばゆい世界に触れ驚く。そこで、ジョーン・バエズのレコードを聴き、「この世のものとは思えない美しい声」と主人公は感嘆するのだ。僕は、このシーンが大好きだ。ジョーン・バエズの歌・音楽を持ち出してくるセンス、ダササ、それに感動したことを素直に表明する率直さ、そのバランスに僕は泣けてくる。
  ナイポールは、裕福で教養のレベルの高い家庭に育ったエドワード・サイードとは違って、音楽については、語るべきものをもっていない。スチール・ドラムで有名なカリプソについて何かを言っていた記憶があるが、それはどちらかというと社会環境としての音楽であって、自己のアイデンティについての注釈ではなかった気がする。音楽について洗練した趣味をもたない、この貧しさのメタファーを僕は好きだ。その貧しさがいとおしく思えるとともに、そこには先進諸国におけるスタイルを優先する価値観とは違った、真実について向かいあう真摯さを僕は感じる。 
 
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ナイポールと再婚相手のナディーラ
Patric French The World Is What It Isより

  パンカジ・ミシュラの『ルディアーナのバターチキン』(Butter Chicken in Ludhiana) も、音や音楽に関する言及が面白い。北インドの街を特長づけているのは、ヒンディ歌謡の騒音であってそれは何とも耐え難い、と。それは、ミシュラの高踏趣味というよりはヴァルネラブルな彼のありようを語っているように思う。
そしてコーチンの近くの海岸リゾート地(欧米の放浪観光者にとってのゴアやバリのようなビーチ)を訪ねるくだりでは、あまりにも多くのことを経験した長い一日の終わりに、インド人の学生ロックバンドの歌と演奏をビーチで聴くことになる。エリック・クラプトンの“アイ・ショット・ザ・シェリフ”やダイアー・ストレイツの“サルタン・オブ・スウィング”、サンタナやディープ・パープルの学園ロックの定番曲目(とミシュラはやや蔑んで言う)が歌い演奏される。僕は、インド人の学生バンドが歌う“サルタン・オブ・スウィング”がどんなものだか考えると、何か自分が高校生だったころの、今よりはずっとへただった学園祭のバンド演奏のことが思い出さされて仕方がなかった。・・・バンドの前で白人の観光者が、ビールを飲みながらダンスを、ミシュラの言い方をすると体を揺さぶっている。どこからかマリファナの臭いが漂ってくる。無論、インド人は皆無で、フランス人、イスラエル人がここかしかにいて、どこからかドイツ語も聞こえてくる。ミシュラは、そんなことは言っていないが、今のインドの現実がこれなのか、つまりあまりにも多くの犠牲を払って独立したインドが四十数年かけて達成したものの実態を見つめているようにも思えるのだ。

  ところでアーミット・チョウドリーの小説『新世界』(A New World)にも、忘れることのできない音楽シーンがある。カルカッタに里帰りしていた息子と孫を老夫婦が空港へ見送りに行く。息子たちは、これからビーマン機を乗りついでアメリカに帰ってゆく。空港の見送りロビーでは、スチールギターに合わせて、タゴールの詩・歌曲が歌われているのだ。スチールギターで伴奏されるタゴールの歌曲が一体どんなものだか僕には想像しづらいが、その場の何ともいえない哀切な情景は眼に浮かぶ。 
 
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表紙写真、ラグビール・シン

 今度チョウドリーの『自由の歌』(Amit Chaudhuri Freedom Song)を読んでいたら、結婚前、母親は、スチールギターを2、3年習っていて、タゴールの歌曲を3、4曲歌うことができる、というようなくだりがあり、スチールギターとタゴールの詩は、チョウドリーにとって特別な符丁になっているのではないかと思った。

 『自由の歌』を読了し、チョウドリーについて一応ウェッブをチェックしていたら、僕が今まで知らなかった興味深い事実を教えられた。チョウドリーは、文学における成功にもかかわらず、2000年の初頭から、2008年の『不死の神々』(The Immortals)の出版のあいだ、かなり勢力的に音楽活動に入れ込んでいた、そうなのだ。そして、チョウドリーは、かつて歌手になりたいと念願し、北インドで数年、古典音楽についてプロ並みの修行を積んだことがある、とも紹介されていた。小説を読んでいて、スチールギターで伴奏されるタゴールの歌曲については、非常に気になるものがあったが、チョウドリーが自ら演奏旅行をし、CDまでだしている音楽家であるとは、分らなかった。
  新作のCD、This is not fusionは、日本でもウェブで購入できるそうなので注文したら何とたった2日で届き、早速聴いてみた。僕は、音楽は純粋に音を楽しめばいい、あまりああだこうだと言いたくないのだけれども、あえて印象をつまみだすと、チョウドリーの声が想像以上に野太く、それはどこかヴェーダの朗誦を連想させるとともに、ギターの音色はハワイアンのスチールギターというよりはロックに近かった。総じて悪くなく、繰り返し聞いていると、幾つかの美しい旋律が耳に残っていくような感じだ。細野晴臣ならどんなコメントをするのだろうか。 ところで、チョウドリーのThis is not fusionは、ウェブで聴くことができる。
http://www.allaboutjazz.com/php/article.php?id=37490
僕よりも、音楽が分る人にもっと聴いてみてもらいたい感じがする。

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チョウドリーの新作CD、This is not fusion

  チョウドリーのCDを聴きながら、チョウドリーに対する僕の肯定感・親近感は何なのかとぼんやりと考えている。これも良く分らないことなのだけれども、少し強引に言葉を捜すと、チョウドリーにあって他の南アジアの作家にないものは、中産階級のもつある種のゆとりと遊びの感覚なのではないか、と思う。インドの現代小説の多くの作家が、外交官であったり、官僚であったり、大学教授であったり、高級サラリーマンであったり、かなりスーパー・エリート層に近い。彼らの小説は上手くて鋭い。さらに読者へのサービス精神もある。チョウドリーの小説は、それとはすこし違うニュアンスをもっている。彼の、音楽への傾倒も、ガツガツしたものがなく、自然でムリがなく柔らかい。・・・多くの批評家は―僕には思いもよらなかったけれども―チョウドリーの小説世界を、R. K. ナーラーヤンに結び付けているそうだ。そう言われてみれば、両者ともに、ガツガツした生存競争にはどこか背をむけているようなところがあるなー。
プロフィール

August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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