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84.スディル・カカル『深紅の玉座』、Sudhir Kakar, The Crimson Throne, First published in Viking by Penguin Books India 2010.

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   著者スディル・カカルはゴアに住む作家・精神科医で、エッセイのみならず小説も書く。この本は実在した二人の西欧人、フランソワ・ベルニエ(1620-1688)とニッコロ・マヌッチ(1638[9]-1715[7])に材をとった歴史小説である。二人はほぼ同時期、17世紀後半のインドで禄を食んだ。そしてこの二人が、この小説においてその渦中に巻き込まれてゆくのは、ムガール朝第六代皇帝アウラングゼーブをめぐる皇位継承戦争である。

   ここで注意したいのは、インドでは、もしくは少なくともムガール朝では、長子による皇位承継の合意・伝統がなく、力ある子が、その他の皇位資格者を打ち倒し(必ずとどめを刺す)、ある場合には実父も含め抹殺する(幽閉し毒殺する)ことによって皇位に就く。途方もないエネルギー・カネ・人材の浪費に思えるのだけれども、彼らが生きていた世界では、そのような過程が皇帝即位に不可欠であったようだ。・・・・・・この小説における現皇帝シャー・ジャハーンもそうして皇位につき、また再び、皇帝の長子ダーラー・シュコーと第三子アウラングゼーブが血みどろの戦いを始めようとしている。

   周知のようにフランソワ・ベルニエには『ムガール帝国誌』(岩波文庫)の著書がある。ニッコロ・マヌッチについては、私はほとんど何も知らないのだが、マヌッチにも大部の『ストリア・ド・モゴール』Storia do Mogorという著書があるようだ。ベルニエの『ムガール帝国誌』は、読んでみるととても面白い本だけれども(余談だが、マルクスにアジア的専制のイメージを吹き込んだのは、この本らしい)マヌッチについては近年、その境界性についての再評価の気運が盛んなようだ(S.スブラフマニヤム『接合された歴史』名古屋大学出版を見よ)。この小説『深紅の玉座』においても、ベルニエとマヌッチのスタイルの違いが味わい深い。つまり、ベルニエが正規の医学教育・訓練を受けた上品で教養ある人物であるのに対し、マヌッチは境界的・非正系的であって、独学による見よう見まねの医術、カサノヴァのような女色家ぶりを披露する。ベルニエがマヌッチをヤブ医者だと言いふらしている、という噂にマヌッチは腹を立て、ベルニエとは口をきこうともしない。マヌッチはユニークだがコンプレックスが強い。だが、ベルニエがインドの伝統医学などまるで取り合わないのに対し、マヌッチはそれに深く魅了され研究してゆく。マヌッチには、ベルニエには見えないものが見えるのだ。

   さし迫る皇位継承戦争を前にして、境界系のマヌッチは、ダーラー・シュコー(シャー・ジャハーンの長子・皇太子)の側にある。ベルニエはアウラングゼーブなのだ。
この小説の著者スディル・カカルは、長子ダーラー・シュコーとアウラングゼーブについても対照的な絵を描く。アウラングゼーブは、一言で言えばリアリストであり権謀術数を用いて有利な立場を着実に築いてゆく。一方、ダーラー・シュコーは、何か夢見がちな皇太子であり、スフィズムの経典のペルシャ語訳に熱情を傾けている。
   だが、スディル・カカルの両者への思いは、実は両義的である。
   アウラングゼーブの権謀術数に長けた能力を幼少からの、ある種の極めて特異な性格として、つまり否定的に描出する。また、彼の宗教的不寛容(多くのヒンドゥー寺院を、またシナゴーグも破壊させた)をインドにおけるコミューナル紛争の淵源に見立てようとしている。だが彼のリアリズムを、カカルは公平に扱おうとしている。神秘主義に絡め取られてゆくのではなく、現実を直視する能力を、カカルはアウラングゼーブを通してインドの人々に願い求めているようだ。 
   皇太子ダーラー・シュコーについては、人心掌握を軽んじ(純情だが激しやすく人の怨みを買いやすい)戦争も上手くないのだけれども、イスラムの教えを形式的なドグマに閉じ込めない開かれた感性・進歩性をもっている、とカカルは描く。ダーラーは、イスラムとヒンドゥーの深いところでの同一性を認めようとする。考えてみれば、ダーラーは、ムガール朝の始祖バーブルの知の探究者の一面も、またアクバルの宗教的な寛容にも近く、その意味ではムガール朝の流儀・伝統の正当な継承者であるかも知れない。著者カカルの声は、ダーラー・シュコーの、インド=南アジアにおけるイスラム・ヒンドゥーの混交によるより豊かな宗教文化の実現の可能性を夢想させる。それは幻想かも知れないが、ヒンドゥーのように性を肯定するイスラム、イスラムに対抗するのではなく寛容で、ゆるやかに混交してゆくヒンドゥーの文化を想像させる。
   ただ、この小説をイスラムの正系と修正派との宗教戦争という図式に還元して見ることはできない。不可解な王権の仕組み、それを担う人間の不可思議にむしろ詳しい。一例をあげれば、アウラングゼーブは、戦争のあと、彼が滅ぼした兄弟の孫に自分の直系を縁組させるのである。
  
   1658年5月、アーグラ近郊のサムガルで、ダーラー・シュコーの主力は、アウラングゼーブおよび第四子モラード・バクシュの連合軍に対峙する。ダーラーの側についている父、皇帝シャー・ジャハーンはダーラーに、孫のスレイマン・シュコーの精鋭と合流してから戦端を開くようきつく忠告するが、ダーラーは勝利を急いだ。ベルニエは、ダーラーが戦果を独り占めしようとしたのだと解釈している。確かに、アウラングゼーブの軍隊は、遠くデカンから、酷暑の中の進軍で疲労していたのだ。
   戦は、砲撃によって始まるものらしい。それは、何やら儀礼的なもののようであるらしく、戦争が新たな皇帝をつくるための大掛かりなペイジェントなのではないかとすら思えてくる。・・・・・ダーラーは、象の上で(必ずしも御しやすい乗り物ではなかった)全軍を鼓舞し、勝利は間近であり、アウラングゼーブを捕え、アーグラに連行のうえ「おしおき」するのも時間の問題に思われたのだった。

   「戦争と平和」ではなく、「戦争という生活」について、この本を読みながら考えた。戦争の観念的な側面(上部構造)ではなく、物質的な側面(下部構造)について、この本は能弁である。


   まず、ムガール朝におけるデリーの役割、それはそのまま軍事都市であったのだという。ムガール朝自体が、インドにとっては外来民族の王権であり(チモールに発する)、圧倒的多数の被征服民(信じる宗教も違う)を支配する軍事・官僚機構であるとすれば、デリーという都市は、ムガールという軍事帝国における巨大な野営地なのだとベルニエは言っている。デリーの人口のかなりの部分が軍人・兵士であり、その巨大なバザールについても、軍とともに行動する。

   この本では、アウラングゼーブを迎え撃つダーラー・シュコーの軍隊の総数を約10万人と言っているが、おそらくその半数近くが(あるいはそれ以上が)、戦士の付き人、軍属、その他であったと想像される。この小説では、水屋・床屋・商人と繰り返し語られるがダンサー(遊女)もいたはずだ。さらに驚くべきことに、幼子を抱えた妻たちも帯同していたのだ(余談になるがムガール朝にゲリラ戦を挑んだシバージーの軍部隊は、あらゆる女(性)の帯同を禁じた)。
   水屋は、インドの酷暑にたいして極めて重要であるようだ。水屋は、戦のさなかにあっても給水し続けるように描かれている。さらに、軍の行動そのものが、水の確保と切り離せない。これもインドにおける軍事行動の特長だろう。
   床屋というのが、実は曲者である。床屋は、髭の手入れもすれば散髪もしたのだろう。しかし、この本における床屋の本業は、戦士へのオピュームの提供なのだ。精神安定剤として、さらには戦意高揚のためにだ。カカルはオピョームの吸引が、止血作用にも効果があったように書いている。
   最高指揮官の王から、幼子を抱えた女(性)たちまで、長い人々の行列が、極めて緩慢に、大波のように動いていったのだという。商人は、行軍の最中も彼らが必要とする生活用品を商った。食事を用意するときの煙火は、遠大なものであったと想像される。そしてもう一つ忘れてならないのは、大量の金銀財宝を詰めた大箱を括りつけた象が軍資金をはこんだのだ。これは、通常の軍資金という以上に負け戦となれば生き延びるための命綱となり、また、敗残兵を襲う賊民にとっては、恰好の略奪の対象であった。

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スディル・カカル Sudhir Kakar
1938年生まれ 幼少期をサルゴーダ(現パキスタン)で育つ
アフマダーバードで工学を修めたのち、ドイツ語圏の大学で、機械工学、経済学(博士)を修める またフランクフルトのフロイト学院で精神分析のトレーニングを受ける
1975年インドへ帰国、インド工科大学の人文学部長を務める傍ら20年間、デリーで精神分析治療の活動を続ける カカルの探求は、神秘(精神)主義への精神分析的・社会心理学的アプローチ・解読に特長があるようだ。

   戦の勝敗を決定づけるものは何なんだろう。この小説におけるマヌッチの結論はとても鮮烈である。自己流だが訳してみよう。
「戦いを決めるのは、兵の士気でも、将軍たちの采配でもない。それは裏切りの秘められた短剣、裏切り者が隠しもっている憤怒なのだ」
   サムガルの戦いについてのベルニエの記述が伝聞であるのに対し、この本ではマヌッチはこの戦いの戦場にいたことになっている。本当にそうだったのか。マヌッチの『ストリア・ド・モゴール』の読書に挑戦したくなる。・・・・・ところで、この本のタイトル「深紅の玉座」だが、この深紅とは、サムガルの戦場で流された夥しい血が、五月の強い陽に照らされたちまちに凝固する時の血の色彩を指している。

   皇位継承のたびに戦争が繰り返される、そのために流される血は、再生のための犠牲祭の血なのか。ダーラー・シュコーの異端の匂いのする信仰を浄化するには、大量の血の犠牲が求められた、と。インドという国は、そうした人間および人間社会の根底にある不条理を合理化しない不思議な魅力がある、と私は思う。逆にいえば、流血なしに(血による鎮魂が必要である)根底的な変革を望むことはできない、のかも知れない。戦争によるのではない、変革のためのリセットは存在しないのだろうか。

プロフィール

August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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