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80.ハニフ・クレイシ『言葉と爆弾』(武田将明訳、法政大学出版局、2015年刊)

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   2005年7月7日の朝、ロンドンでイスラム原理主義グループによるテロが起きた。地下鉄とバスが爆破され56名が死亡した。実行犯の四人のうち三人がパキスタン系移民の第二世代の若者だったという。最年少者は十八歳だった。

   誰が誰を差別し抑圧しているのか。ロンドンの同時多発テロにおける多くの犠牲者は、移民に対する圧政者ではない。国家とその国に生活する人々はイコールではない。ある種の関係を描くことはできても、そこに共犯関係を想定することは論理の暴力である。イスラム教信徒と原理主義者を同一視してはならないのと同じだ。

   英国に住む移民の二世が、どのようにしてイスラム原理主義に走るのか、その理由を本書は次のように描写している。①被差別感情「自分を憎んでいるやつを好きになれない」、これにはある種の劣等意識がまざりこんでいる、②下層の職業にしかつけない現実、③若者特有の純粋な理想主義、これは多くの場合一過性で終わる、④英国社会への同化の夢の破綻、移民第一世代に顕著であるが、第二世代もそのムードを引き継いでいる、⑤故国と同朋を捨てたやましさ、移民の誰もがこの種のやましさを引きずっている、移民できたのは金と力のある者に限られる、⑥故国脱出の事情についての記憶の退化、⑦原理主義の単純で明快な言葉、等々があげられる。

   しかし、本書の主調音は原理主義者への共鳴ではなくハニフ・クレイシの、つまりポップな文化英雄によるイスラム原理主義への疑義、批判なのである。もともとクレイシとイスラム原理主義とは水と油の関係なのだが、その分離・隔離を許さない現実があり、それらがオーバーラップせざるを得ないところが本書の重量感である。

   クレイシの原理主義に対する疑問とはどのように述べられているのか。
  1. 原理主義は疑うことを禁じる。すべてがあらかじめ決定されている。しかし、クレイシは、神を疑うことも含め想像する力が人間にとってきわめて重要なのだと考える。
  2.  原理主義は異質なものとの対話を拒否する。それは、西欧社会におけるイスラムとの対話の拒否と同じく愚かであるとクレイシは考える。
  3.  原理主義は猥褻なるものの価値を完全否定する。むしろ猥雑なるものの価値は保護されなければならない、とクレイシは考える。クレイシにおけるポップなるものの価値とは、欲望の自然性についての、自由と制限の困難な対話を意味する。また、猥褻なるものの価値の保護は、ある種、家族の伝統であるかも知れない。
  4.  原理主義は西欧文明に対し物質主義というレッテル貼りに終始する。西欧の物質主義とは何なのか、その問題はどのようなものであるかを問うことはない。これは怠惰な精神である。
  5. 原理主義は現実を観察し考えることを放棄し苦い現実直視から逃走する。複雑でストレスの多い現代社会から眼をそむける。精神主義は病院も水道も作りはしない。それはまたこの世における稀なる平安という心の状態を、スローガンとして人々に押し付ける。ルサンチマンと空想の安易な勝利、すなわち神の国の願望、幻想の道を進む。大義による死は天国に到るとする仮構を、絶望とひきかえに信じ込もうとする。

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ハニフ・クレイシ
1954年南ロンドンの郊外に生まれる
父はインド人、母は英国人
翻訳は『郊外のブッダ』(古賀林幸訳、中央公論社)ほか多数

   クレイシは、自爆テロという最悪の事態をまえにしてうろたえる。しかし、クレイシは沈黙ではなくメーセージを発する。それは、若者がイスラム原理主義に傾く社会的背景に一定の理解を示しながらも原理主義へ疑問を述べ、さらに何が、今求められているのかを示す。解答は一見、脆弱に見える。しかし、それしかないようにも思える。つまり、困難な対話(The Arduous Conversation)を続けなければならないのだ、と。その厄介な事業を可能にするのは文化において他になく、クレイシにおいては創作・芝居・TVドラマ・映画なのだ。殺し合う前にまず良く話し合おう、というよりは、文化への働きかけがその厄介な問題を明瞭に示し、巨大な暴力へと短絡するのとは違う道が開かれてゆく。
   これは、英国の移民の話ではないのである。
プロフィール

August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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