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71.パンカジ・ミシュラ『アジア再興 帝国主義に挑んだ志士たち』(園部哲訳、白水社、原著2012年刊)

PM0bbb_20150320170814a57.jpgパンカジ・ミシュラの本のことを
思い出し
昨年(2014年)秋に翻訳の出た
『アジア再興』について
つまりアジアの近代化と
そのさまざまな受容と変容
あるいはアジアの抵抗者たちの
屈辱の経験について
考えてみたい



   R. K. ナーラーヤンの古典ダイジェスト『ラーマーヤナ』R. K. Narayan, The Ramayana (2006)の序言・解説をパンカジ・ミシュラが書いていて、それを僕は読んで随分感心させられた。

   ミシュラは、その着眼点がとてもユニークなのである。1988年夏、北インド清掃労働者たちは、連続TV番組の“ラーマーヤナ”の放送延長を州政府に求めてストライキに突入した、と言う。ミシュラは、“ラーマーヤナ”が、現代においてこうも多くの人々を熱狂させる生きた古典叙事詩なのだという驚くべき事実を喚起しながら、魔神ラーバナを信奉する南インドのダーリット(不可触民)のことや、インド独立運動の影のエートスとしてのラーマ王のことを、きわめて刺激的にかつ平衡感覚をもって論じていて、僕は読んでいて何度も唸らせられた。

   このエッセイがキッカケになり、僕はミシュラの本を一冊ずつ、ゆっくりと読んでいくことになる。

   『ラーマーヤナ』を論じるに際して、清掃労働者のストライキを取り上げる乾いたユーモアと同じものを、すなわち知的で、パンチがきいていて、型にはまらないユーモアを僕は見出していく。『ルディアーナのバターチキン』Butter Chicken in Ludhiana: Travels in Small Town India (1995)では、小さくありふれた街を歩くという発想も嬉しいけれども、旅行記をものするにあたって、もっとも参考になった本は、ナイポールでも、ポール・セローでも、チャトウィンでもなく、何とウェブレンの『有閑階級の理論』なのだと言う。僕は、この後『有閑階級の理論』のページをめくりながら、ミシュラのユーモア、つまりインドの青年が、自国インドを旅することの意味と屈折を、しみじみと味わい直すことができた。

・・・・・・何も知らず仏像を崇め奉るヒンドゥー教徒(『苦悩への終焉』An End to Suffering, 2004)、アヨーディアのモスク破壊の急先鋒ウマ・バルディ女子におけるチェ・ゲバラなど(『西洋の魅惑』Temptations of the West, 2006 )、ミシュラのユーモラスな視点・観察が僕は楽しい。(世界は誤解に充ちている。いや、それを誰が誤解だとジャッジするのか)。しかし、「ルディアーナのバターチキン」の意味するところが僕には不分明であるのと同様に(これはあるビジネスマンの会話の盗み聞きに由来する)、ミシュラの多くのユーモアを僕は見過ごしているのかも知れない。

                        ☆☆☆

   ケララの美しい朝、トーマス・マンの小説について静かに語りたい、という感想をミシュラはもらす(『ルディアーナのバターチキン』)。・・・僕は、この箇所を読んで、昔読み始めて途中になっていた『魔の山』を読み返した。

   ミシュラには大読書家の雰囲気がある。
 『苦悩への終焉-この世界における仏陀』では、―これは、半ば自伝、半ばブッダについてのエッセイといった本であるけれども―語り手はもの書きとなる以外のいかなる職業にもつくまいと決心し、ヒマラヤの麓の村に小屋を借りそこに閉じこもって「作家になるための読書」に没頭する。たとえばマンデリシュタームを読んでゆく。ロシアの社会主義を、仏教の視点で検証してゆくかのように。

   ミシュラの読書は、何か真面目な青年の精神の探求(19世紀のロシア文学に登場してくる青年の姿が彷彿される)のようで、いささかも専門家のものではなく、ましてや衒学的でないのが爽やかである。読書は、ミシュラにかかると、ヒンドゥー聖者の修行にむしろ近くなり、この世の究極の秘密を、もろもろの人生の悟りを追い求めているように感じられてくる。あるいは、読書は集積された情報を操作し、この世の悪しき支配を企む魔物に抗う手段、さらに書物との交霊により、この世の真実の道を啓示することへと希望だという気がしてくる。もし僕にもっと勇気があるなら、僕もそういう読書がしてみたい、という気にさせられる。

   『苦悩への終焉』における、ミシュラが読書をとおして得られた霊的啓示とは、・・・ヒンドゥー教の、現在、明らかになりつつある二つの弱点、すなわちその不寛容と退歩について、佛教的なものによる克服の夢なのである。

                        ☆☆☆

   小説『ロマンティックス』The Romantics (1999)は、二つの軸から成り立っている。ひとつは、インドを旅するフランス人の女(性)とのプラトニックな愛、そしてもうひとつは、バラモンの学生援助組織のリーダーとの交流である。前者は、インドと西欧文明との込み入ったあり様を、また後者は、インドの貧困の現実について語っている。

   まず、ミシュラの貧しかった頃の回想から始めよう。
   主人公は(僕にとっては、ミシュラとイコールである)、毎日、二・三十数キロの道のりを、エドマンド・ウィルソンを読むために、歩いて大学の図書館に通った。ポケットの中にバス代はない。政治・宗教的緊張と暴力によって荒れたキャンパスの背景にあるのは、インドの貧困である。この貧困と主人公の知的な探求心との同居こそ、アジア的なのだと僕は思う。エドマンド・ウィルソンを読むために歩いて大学図書館に通う主人公を、尊崇と憧憬の入り混じった絵として僕は受け取る。

   バラモンの学生援助組織のリーダーの実家を訪ねる件(くだり)も、また、痛切である。未亡人の母親は、役所の勤め口は下位カーストに割り当てられ、特別なコネを持たない息子はまともな仕事には就けないだろう、早晩破滅するしかない、と嘆息する。主人公とこのリーダーとは、エドマンド・ウィルソンについて語りあう。暴力でなく、文学のかすかな力を信じたい、とでも言うかのように。・・・このような倫理感も、貧しいアジアの痛切な物語なのだと思う。

   ミシュラにとって、このバラモンのリーダーはとても大切な出会いであった。ミシュラは繰り返し、この友人のことを回想する。ついでに言うと、この男は、母親の予言通りギャングとなり、バラナシの路上で敵対するギャングに射殺される(『西洋の魅惑』)。

   バス代の事欠くミシュラの学生時代、ギャングと成らざるを得なかったバラモンの先輩は、そういう時代、そういう社会をミシュラは生きてきたのだ。

   この小説『ロマンティックス』におけるもう一つの軸は、フランス人の女(性)とのプラトニックな愛である。学部学生の主人公が、バラナシで下宿生活を始めたころ、フランスからドロップアウトしインドに流れてきた白人たちのなかに彼女がいる。父親は、パリに住む銀行家なのである。彼女は主人公に好意を示し、彼もまた惹かれてゆく。彼女には、シタール奏者のインド人のボーイフレンドがいて、二人は、ヨーロッパへの演奏旅行の計画を温めているが、予想通りというべきか、それはうまくゆかなくなる。・・・最終章において、恋人がフランスで結婚し、今ごく普通の幸福な生活をしている、という知らせを主人公は聞くと、自分にはいかなる心の動揺もなく平静であることを確かめるのだ。

   西欧的なるものとの接近・交流、そしてそのあとの一種の離反を、ミシュラは、繰り返し語っている。素晴らしい希望を西洋的のもののうちに発見しては、裏切られてゆく、のである。裏切られたと思う時のミシュラの姿は、透明に近く、バラモンの矜持が西洋の軽薄を見下しているようでもあるけれども、ミシュラは、インドの人々のさまざまな西洋との関わりを執拗に追ってゆく。

   ミシュラのナーラーヤン論“偉大なりナーラーヤン”The Great Narayan, The New York Review of Books (2001)では、R. K. ナーラーヤンが描く南インドの典型的なバラモンの完成された世界と感受性の背後に、ナーラーヤン一家の、英国植民地政府との入り組んだ関係を明らかにしている。つまり、南インドの斜陽するバラモンの一家が、英植民地政府にいかに取り入り、一家の没落を阻止しえたかを、執拗なまでにミシュラは追跡する。・・・ナーラーヤンの反英闘争への関わり・思いは、とても複雑なのである。

   ミシュラ自身が、そういう西欧との一筋縄ではいかない関係の中にある。たとえば、彼の妻メアリ・アマントは、英国のエスタブリッシュメントの娘であり、英国の首相デーヴィット・キャメロンのいとこ、また彼女の父は、サッチャー首相の政策立案チームのトップだった、という。・・・そして、これが十全にはきわめて理解が難しい問題なのだが、パンカジ・ミシュラは、インドの言語ではなく、英語で書き、ロンドン・ニューヨークにおける媒体によって生きる作家なのである。

                        ☆☆☆

   『アジア再興』が、非常な速さで翻訳出版されたことは(原著2014年刊)やはりひとつの事件というべきなのか、と思う。文学よりも、政治経済の本の方が、よりよく読まれることなのだろうか。あるいは、我が国とアジア諸国との関係がより緊密に動きだしていることの表れなのか、とも思う。・・・僕にとっては、パンカジ・ミシュラという作家は、文学も、政治も、なのである。このセットには、貧しいアジアの必然性がある。文学という、いわば個の小状況を舞台にした物語と、政治という大状況とは、アジアの多くの青年・知識人にとっては、切りはなせない。文学への言及を控えた本書に、僕にとっては一種の戸惑いを感じる。さらに言えば、ミシュラの政治の文書・思想を扱う作法において、文学的なものから遠ざかっていることが残念である。

   この本のテーマを、ごく表面的になぞると、アジアの知性による西洋の侵食に対する反論・反撃だと読める。ここで言う、アジアの知性とは、ジャマールッディン・アフガーニー(1838-97)であり、梁啓超(りょうけいちょう、1873-1929)、康有為、タゴール、サイイド・クトゥブ(1906-1966)等々ということになる。ミシュラはそれを「歴史的エッセイと伝記の混交」と言う。僕には馴染の少ないイスラームの変革者たちの考えに興味をもって読んだのだが、エジプト人クトゥブへの興味を除くと、どうもうまく理解できなかった。彼らの変革の進め方が、宮廷との関係でしかなかったり、外形的としか言えない批判であったり、どうもうまく伝わってこない。日本の変革者達(徳富徳次郎や福沢諭吉、岡倉覚三等々)についての言及を読んでも、通り一遍の記述に終始していて、僕らはもう少し陰影に富むところを知っている。日本の近代化を少し思い出すために、久ぶりに橋川文三や安丸良夫のページをくくったのだけれども、そこには朝鮮の近代化に深く係る福沢諭吉の姿や、伊藤博文と李鴻章との交友(!)やら、また江戸後期の極めて独創的な儒者海保青陵など、実に個性的な貌に、様々な思いが交錯する。近代化の準備は、いくつもの層においてあったのだと、改めて思った。そのような感覚にとっては、アジアの抵抗する知性についてのミシュラの記述は、いくらか教科書的である。ポイントしか書いてなく、デティールという表象の魅力に欠けている。

   むしろ、ミシュラらしい声は、ある種の屈折の描出のなかにあるようだ。ミシュラは、タゴールについて「アヘン貿易で財をなした祖父とその憂鬱」に繰り返し言及するし、英帝国主義の先兵と化し中国人民に襲いかかつたインド人の兵士や警官、またボーア戦争におけるインド人部隊の役割について語る。その意味するところは必ずしも明確ではないけれども、僕は、正義の単純化、完全な正義についてのミシュラの疑念というより、引き裂かれた存在としての自己認識、あるいは文学者に特有の倫理的な姿勢で、それらは、私にとっては、きわめてミシュラ的なのだ。

   インドの人々は、英国による支配を受けるととともに、英帝国のお先棒を担いだ、という苦い認識とともに、ミシュラには、1957年の大反乱以降、インドにおけるムスリムが、より苛酷な状況に追い込まれてゆくという見方をこの本で示している。また、この本の多くのページが、アフカーニーやサイイド・クトゥブという汎イスラームの抵抗者にさかれているのである。・・・ミシュラは、おそらく肉と酒を退けるブラーフィズムの実践者であるはずだけれども、ムスリムに対する公平な感覚がミシュラの真骨頂であり、本書の長所である、と思う。ミシュラは、インドと英国の単純には割り切れない関係、また、ムスリムへの理解努力とともに、きわめて繊細な倫理についての感受性をもつ。これもまたミシュラ的なるものの特長なのだと思う。

   60年代のテヘランで(それはイラン・イスラーム革命への長い助走の始まりだろう)、アフカーニーが学生やインテリの間で良く読まれた、と言う。しかし、アフガーニーが与えた興奮がどんなものなのか、この本では分からない。あるいは、茅盾(ぼうじゅん)や瞿秋白(くしゅうはく)のタゴールへの批判は興味深いけれども(瞿秋白は「中国にはすでに一杯孔子や孟子がいる」とタゴールにある精神主義を批判したと言う)、形式的な論理的批判以上の実質が伝わってこないのである。

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パンカジ・ミシュラ
1969年ジャンシー生まれる
アラハバートの大学で商科を
ニューデリーのジャワハルラール・ネルー大学で英文学を学ぶ
90年代の初頭、ヒマラヤの麓に移り住み文芸評論等を寄稿しはじめる
訳者あとがきによると、アルンダティ・ロイを発見したのは
編集者時代のミシュラだという
現在パンカジ・ミシュラは、
インド本国のみならずニューヨーク、ロンドンのメジャーな媒体で
健筆をふるう

   『アジア再興』という本が、何を言いたのかよく分からない、と読んでいて思うのだけれども、この本の最後の場面に到って「アジアの人々の屈辱感」に触れると、読書はにわかに活気を帯びてくる。『アジア再興』という本は、近代における西洋の東洋への侵食にたいして、東洋の優れた知性がどう反撃したのか、という本ではないのかも知れないのだ。そうではなく、東洋の最高に洗練された知性が、西欧との接触において体験したであろう屈辱の感覚を通奏低音としてもつ本である、と考えた方が良いように思えてくる。そして、そのような気付きは、二十世紀の最終局面でより顕在化してくるイスラーム過激派の度重なる暴力、方向性を見失ったテロの背景にある深淵を覗き込むような感覚を齎す。

   うまく説明できないのだけれども、この本におけるアジアの抵抗者達、アフガーニー、梁啓超、タゴールらの旅・移動量の多さに私は魅了される。アフガーニーの足取りを辿ると(生まれはペルシャ北西部の村とのこと)、デリー、カブール、イスタンブール、カイロ、テヘラン、ロンドン、パリ等々ということになり、14世紀の大旅行家イブン・バトゥーダを彷彿させる(宮廷を渡り歩いたという意味でも似ている)。さらに驚くべきことに、彼の死後、つまり遺体は、イスタンブールで掘り返され、カラチ、ペシャワール、ジャララバード、カブールへと旅するのだ。

   アジアの変革者たちの旅・移動とは何であったのだろう。亡命・集金・情報交換・拠点構築といろいろと考えられるが、また、旅・移動によるかれらの思想形成(西欧によるアジアの狡猾な収奪のありようを実地に触れ、また西欧の理念は(たとえば民主主義が)アジアの人々を時に除外するのだという認識、等々)が重大な意味をもっているとしても、それ以上にある感覚が私のうちに浮遊し始めるのである。それは、移動し続ける人間の存在様態に特有なもの、とでも呼ぶべき事柄なのである。この本における変革者は移動し続ける。そしてまたミシュラも移動することを止めない。そのような移動の感覚をこの本はもっている。

20.パンカジ・ミシュラ『西洋の魅惑/インド、パキスタン、チベットにおける現代化』、Pankaj Mishra, Temptations of the West: how to modern in India, Pakistan, Tibet, and beyond, New York 2007, Picador

 
インドおよびその周辺国における現代化は避けられないと
パンカジ・ミシュラは考える
現代化が避けられない選択であるとしても
現代化に随伴する途方もない暴力と流血にミシュラは呆然とする
現代化に巻き込まれ翻弄される人々の現実と苦悩を
ミシュラは自らの足で取材し記録するのだ
「ニューヨークだけが世界ではない」と
アルンダティ・ロイは言った
アフガニスタンとの国境に近いパキスタンの町に
タリバンへの志願兵が集まる
彼らの心のうちには何が思い描かれているのか
僕はミシュラの本を読みながら
西の空のかなたに思いをはせたのだ
 

   「西洋の魅惑」とは、奇妙なタイトルだ。ミシュラは、この本で、西洋化による現代化の恩恵を描いているとうよりも、西洋化・現代化によって引き裂かれ混乱している伝統社会・文化、あるいは価値観のありようを描いているからだ。たとえば、インドにおける経済開放による現代化の進行やその恩恵については何も語っていない。そうではなく、現代化によって従来のやり方・考え方が通用しなくなった人々の混乱・苦悩・危機意識を伝えている。

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▲『西洋の魅惑』 写真Robert F. Sisson

   ところで、現代化によってより厳しい生活を強いられ、未来に希望が見いだせない人々を、どうしてミシュラは「西洋の魅惑」という言葉に結び付けるのだろう。「西洋の魅惑」とは、西洋の合理主義という悪魔の囁きなのか。「西洋の魅惑」には、あまりにも多くの危険が含まれている、ということなのか。

 ミシュラは、この本の前書きで、この本で取り上げるインド、パキスタン、アフガニスタン、ネパールにとって現代化(ミシュラは現代化をグローバリズムからコミュニズムまで幅広く捉えている)は避けることのできない選択なのだと明言する。ガンディーの一種の精神主義に起源をもつ経済・社会の停滞をしこたま味わったインドの人々にとって、つまりミシュラにとって「現代化は避けられない」とする思いを軽く考えるべきではない、と僕は思う。しかし、その避けられない現代化が、途方もない暴力と流血を伴っていることを、この本は問題提議するのだ。

   インド、パキスタン、アフガニスタン、ネパールらの諸国においては、「避けられない現代化」が、どうして血塗られた矛盾・対立として進行せざるをえないのか。・・・カシミールの現場に足を運んだミシュラは、一日の取材を終えホテルに戻るとき、安堵の気持ちにひたる。今日という一日が終わり、拷問・凌辱・誘拐・放火といった当地におけるさまざまな「物語」からとりあえず解放されるからなのだ。

   今まで平和に暮らしていたヒンドゥーとモスリムが、蔑視と敵意に豹変してゆく。あるいは、ヒンドゥーとシークとの間にも、突然としか言いようのない仕方で、緊張が生まれる。この種の変化と「避けられない現代化」をミシュラは結びつけている。それらの緊張・対立の由来を、西洋が仕掛けた罠であるとは、ミシュラは単純化してはいないけれども、無論無関係であるはずはなく、問題は、どのように「避けられない現代化」が、緊張・対立・大混乱と化してゆくかということだ。ミシュラの書き方は、現場を自らの足で歩き、対話を試み、文学的な想像力に働きかける一筋縄ではゆかないスタイルをとっている。そういう意味でこの本『西洋の魅惑』は、分かりやすくない。自明に思えていたものがより深い謎にからめとられてゆくような本なのだ。

Mosque of Babur
▲1992年、破壊をこうむるアヨーディアのバブリ・モスク

   アヨーディアにおけるモスク破壊の急先鋒として働いてウマ・バルティは、今(2000年代初頭)、もっとも名のうれた女性ヒンドゥー原理主義者なのだそうだ。ミシュラのインタビューに答える彼女は、他の原理主義者達が取材を拒むのとは対照的に率直で開放的だ。彼女の言葉は、アヨーディアでの争いが単なる風景以上のリアリティとして僕に迫ってくる。ウマ・バルティは、貧しい低いカーストの出身で幼くして父を亡くす。父は、地主と闘う共産主義者だった。VHP(世界ヒンドゥー協会: インド人民党の下部組織)のリーダに眼がとまったことからバルティ女史は、より深く政治の中に入って行く。女史は、正義と宗教権力への献身を信条としていると語る。彼女のエネルギーの根源にヒンドゥー神話におけるハヌマーンや17世紀のヒンドゥー戦士シヴァージがモデルとしてあるのはごく自然だとしても、革命化チェ・ゲバラがそこに矛盾なく共存しているのを知ると、「避けられない現代化」とその緊張・不安をここでも僕は感じるのだ。また、そのことは海外に流出し居住する裕福なインド人達がインド人としてアイデンティティを失いつつあるという不安から、ヒンドゥー・ナショナリズムへの積極的な資金援助を行っているという事情とも極めて似ている気がする。

 80年代のアラハバード大学のキャンパスは、学生と警官の争闘の場であり、学問どころではなかった。学生を、手製爆弾や銃をもちいた暴力に駆り立てるものは何なのか。ダーリット(不可触民)の地位向上、宗教対立、ナクサライト運動などさまざまな大義名分があるにしろ、警官との銃撃戦そのものにどんな意味がるのだろう、とミシュラは考える。暴力の傍らで、ミシュラは文学に救いを求めていく。フロベールやエドマンド・ウィルソンの読書が、ミシュラにおいては切実な願いの様相を帯びてくるのだ。
 
   学生運動家ラジェシの故郷への旅が、この本でも語られる。ミシュラの小説『ロマンチックス』The Romantics(1999)にもとりあげられているエピソードだ。ラジェシは、母の住む村への旅にミシュラを誘う。ラジェシは、母の住む貧しく希望のない村の生活をミシュラに明らかにしたいと望むのだ。何のために・・・。ラジェシの末路は、『ロマンチックス』とは異なり、ギャングになって敵対するグループに路上で射殺される。ミシュラは、ラジェシのことが忘れられない。苦学して大学に入学しても、まともな職につける希望はなく、貧しい母親をどうすることもできず、学生運動家からギャングに転落してゆく姿に、批判や同情を超えた同世代の夢と挫折、痛み、閉塞感、貧困の記憶とプライドを感じるのだ。

   インドにおける経済開放とグロバリゼーションによる経済の進展、中産階級と消費経済の増大について、ミシュラは何も語らない。ミシュラが取り上げる同じ時代の負の光景(閉塞感、対立と緊張、暴力)が、実はインドのより広範囲な現実であるのか、文学的感性が受け止めるべき時代の本質なのか、この本は必ずしも明解ではない。考えてみれば、おしなべて現代のインドの作家たちがとりあげ描いている姿は、大きな時代の変化、あるいは「避けられない現代化」の大波のなかで、戸惑い、途方にくれている人々の姿なのだ。インドがどう変わっていくのかという不安、インドらしさが失われていく寂しさを、多くの小説の主人公たちが表明している。一例をあげれば、アミット・チョウドリーの『新世界』A New World (2000)の主人公のジョヤジットだ。

   ボリウッドの映画制作者メヘシ・バハットは、成功者だが軽薄に幸福でいられる者ではない。「ボリウッド映画はインドとわれわれの文化であり空気なのだ」という主張をもっているのだ。そして彼は、何とクリシュナムルティについての本もだしている知性を備えている。「われわれにはポルノを楽しむ当然の権利がある」と言い、ヒンドゥー・ナショナリズムに真っ向から対峙する勇気と良識をもっている。僕には、ボリウッド映画は甘ったるく通俗的なイメージしかないのだが、ミシュラのメヘシ・バハットへの取材を読むと、少し違ったことを感じ始めるのだ。今のボリウッド映画は、「避けられない現代化」のなかで生きるインドの人々の夢と現実を表現し始めているに違いない、と。

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▲パンカジ・ミシュラ
1961年、ウッタル・プラデーシュ州のジャンシーに生まれる。
アラハバード大学で商科の学位を、ニューデリーのジャワハルラール・ネルー大学で英文学の修士号を取得。
英国人のメアリ・マウントと結婚。メアリは、英国首相デーヴィット・キャメロンのいとことのこと。また、メアリの父は、サッチャー首相の政策立案チームのトップ。
ミシュラのチベット騒乱についての翻訳小論が『現代思想/2008年7月臨時増刊号』で読める。 


   インドの現代化がどこに向かおうとしているのか、あるいはその他の周辺国の現代化がいかなる進展をとげようとしているのか、そんなことは誰にもわからない。パンカジ・ミシュラのこの本が信頼できるのは、そのような設問にたいして分かったような回答や処方箋を提示するのではなく、現にそこで生きている人々の希望や苦悩を、流血の背景を含めて十分に描いていることだろう、と僕は思う。パンカジ・ミシュラにとってそれらの人々と現場を書くことによる再現前は、文学・書くことの力という信念に結びついている。

   アルンダティ・ロイは、「ニューヨークだけが世界ではない」と言った。現代芸術のメッカとしてのニューヨークは、僕の生活からは遠い。タリバンへの志願兵が集うアフガニスタンの国境に近いパキスタンの街も僕の生活からは遠い。本書を読んでもタリバンへの志願兵の胸のうちは分からないけれども、そういう若者がこの世に存在していることを思い起こさせてくれるのだ。

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

4.Pankaj Mishra, An End of Suffering: The Buddha in The World, New York, Picador 2004, first published 2004 in Great Britain.

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     仏陀についてのなかば伝記、紀行であり
   仏教の歴史・哲学を語りつつ
   作家の来し方を綴る
        

      表紙にニューヨークタイムズの書評が引用されていて、こ の本の特長を上手く伝えている。すなわち、この本は「半ば伝記(仏陀についての)、半ば紀行、半ば自伝そして歴史や哲学についての本」なのだ、と。そう、いろいろなものが詰め込まれている本なのだ。しかし、何に一番近いのかとあらためて考えてみると、作家の生き方に真正面から、自由な形式で向き合っているという意味で小説なのかも知れない、と僕は思う。    

      この本は、ミシュラがシムラからそう遠くないヒマーチャルプラデーシュ州の寒村に引きこもり、読書三昧の生活を始めようとするところから始まる。ミシュラは、作家となる以外にどんな職業にもつくまいと考え、「作家となるために必要な本」を読もうと思うのだ。幸い、理解のある家主とめぐり会い、いいコッテージを借りることができたのだが、高地の自然に魅せられ、また人々の生活が気になって、実はあまり本は読めず、ページが開かれないまま時が過ぎていく。

  ところで、「作家となるための本」とは、何か不思議な言葉に思えるけれども、ミシュラの場合、それは西欧の近・現代文学や哲学を初め、総じて古典的な著作となる。彼の読書はスタイリッシュではないけれども、正統で真面目で、ある種の重量をもっている。例えば仏教に関連して言うと『ミリンダ王の問い』(東洋文庫で読める)を入り口として、ニーチェが触れた仏教、シュペングラーと仏教哲学の親和性、仏陀とプルーストとの比較論、また、ロシアの詩人マンデリシュタームについての相当量の言及は、今から思い返すと、仏教的な視点によるマルクス主義への批判を試みているように思えたけれども、また、トクヴィルについては、彼が訪れた時代のアメリカに濃厚に感じられた宗教性と現代のアメリカにおける様々な仏教の流行を関係づけている(禅であったり、チベットの密教であったりするわけだが・・・、)。バラナシで知り合ったアメリカ人女性の影響からか(彼女は、インドからアメリカに帰ったあと尼僧になる)ケラワックやギンズバーグについても、アメリカにおける仏教の流行に並行して語られる。
本当にいろいろな本を読んでいるのだけれども、彼の読書がいささかも衒学的でなく、真面目な青年の精神の探求としか言いようのない雰囲気をたたえている。ミシュラは、かなりの本好きであるけれども(彼のインドの小さな街を巡る本、Butter Chicken in Ludhianaにしても、紀行であるとともにインドの現代文学についての良質の読書案内であったと思う)ミシュラにとっての読書とは、本が好きであるという以上に、書物のなかに何か神秘的な力があって、書物が崇拝の対象のようでもあり、また、彼の精神の探求そのものでもあるのだろう、と思う。

    仏教思想の概説は、東洋に関心を持ち始めた西洋人、とりわけアメリカ人、そしてインド人の一般の読者むけに書かれている感じだ。しかし、そんななかで仏教再発見の物語は、興味深くスリリングだった。つまり、仏教がインドからは完全に姿を消し、忘却され、千数百年をへて、主に西洋人によって(フランス人植物学者Jaquemont、ハンガリー人貴族de Koros、ロシア人Moorcroftらのインド発見の興奮、仏教のテキストの翻訳の仕事、国際情勢を巡る活躍・暗躍が面白い)その原始の姿が再発見される。例えば、19世紀初頭について言えばヒンドゥー教徒達は、仏教遺跡を自らの神々として礼拝していたのだ。そして、カルカッタのアジア協会を拠点とする英国人の学者達は、インドにおける仏教遺跡の多さに驚くとともに、仏教なるものをエジプトかエチオピア、もしくは北方スカンジナビアのあたりに起源をもつ神であると考えていたらしい。 

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パンカジ・ミシュラ 1969年ジャンシー生まれ

    ミシュラにとっての仏教とのわずかな接点は、1950年代以降のダーリットの仏教への集団的な改宗なのだが、そのことはヒンドゥー社会における下層カーストへの抑圧以上の意味をもっていなかった、と述べている。それが、学生時代の仏教の地への旅を繰り返すなかで、また、ヒマラヤの麓におけるチベット人との接触をとおして仏教への関心をふくらませてゆく。ミシュラは、仏教をヒンドゥー・ムスリム間の深刻な対立を避ける手立て・可能性として、また、ヒンドゥー社会の退行性とは異なる進歩性をもった宗教として感じ始める。宗教のあるべき姿を仏教に仮構しているようにも僕には見える。

    最終章においてミシュラは、ヒマラヤの麓の村に戻る。作家は、2001年、9月11日の惨劇を、村人の小屋のテレビで見入っているのだ(ミシュラのコテージにはテレビがない)。小屋の家族とミシュラは、打ち解けているわけではなく、家族は、ミシュラを理解できない風変わりな人間と見ている(生活に困窮しているわけではないのに、何をしようとしているのか分らない)。また、ツインタワーへの旅客機の激突の意味を、家族の誰も理解できないし、理解しようともしない。今、ニュースで流れた画像は、何かの事故を映しだしていて、世界中でいろいろな事故が起きているその一こまであり、すぐにまた他のニュースにおき変わっていくのだ。・・・仏教に、この世の巨大な暴力に抗しうる根本原理があるのかどうか僕には分らない。また、ミシュラにとっても仏教は括弧つきの懐疑を含む希望なのだけれども(タゴールが危惧した日本のナショナリズムと仏教の関係を考察している)、この本『煩悩の終わり―この世界における仏陀』を読んで、僕はもう一度、仏陀の教えについて、仏教について勉強したくなってきた
プロフィール

August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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