FC2ブログ

110. R. K. ナーラーヤン『英語教師』(1946年初版刊)、 R. K. Narayan, The English Teacher, First published in 1946, London.

imagesGTAXBXF5.jpgナーラーヤン『英語教師』を再読する
これがナーラーヤンの小説で一番好きだ
私は この小説を読みながら
生きていくことの不自由をかみしめる
他方で 人生の桎梏からの解放の感覚を
手にするのだ
あるいは 思うようにはならない日々のなかで
心の平安が訪れる
さらに言えば 超自然への凭れかかりと
近代的・実証科学的な感覚
が共存し 相克する
愛妻の若すぎる死さえも
悲しみであると同時に
自由の到来なのだ
今回 『英語教師』を再読して発見できたのは
ナーラーヤンにおけるこの両義性だった


   ナーラーヤンは、自分の書いた小説の出版を願って(『スワミと友達たち』Swami and Friends, 1935)、オックスフォードに留学する友人にその小説原稿を託す。何人かの編集者に出版を断られると、原稿をテムズ河に捨ててくれ、とナーラーヤンは友人に告げる。だが、友人は最後の賭けのつもりで、つてをたよってグレアム・グリーンのところに原稿を持ち込むのだ。数週間後、ナーラーヤンはグリーンに見出されることになる。グリーンは「ナーラーヤンの小説は自分にとって第二の故郷のようなものであり、ナーラーヤンを読むことなしにインド人を決して理解することはなかっただろう」と語る。「第二の故郷」と「インド人の真の理解」という言い方は、おそらくナーラーヤンを読むすべての外国人に共通する感覚のような気がする。そう、ナーラーヤンを読むことは、懐かしい故郷に帰ってゆくようであり、また、自分と本質においてまったく違わないインドの人に出会うことになるのだ。

   ナーラーヤンが作家としてもっとも油ののった時期に書かれた小説『英語教師』(1946)は、そのグレアム・グリーンが主幹する文学叢書の一冊としてロンドンで出版された。

   主人公は、毎朝ミルトンとシェイクスピアを読むことを日課としている英語教師だ。そして、たとえば作文の授業では、特別な準備が必要でないためか気が楽になり昔のことを思うのだ。…仲の良かったガジャパティが隣に座っていた、あの頃、この教室の先生になりたいと、強く思ったのだ。願っていたものと手にしたものの齟齬の感覚が伝わってくる。

   彼が勤めるカレッジは、他のナーラーヤンの中編小説と同様に、マルグディという架空の小さな街にある。マルグディを舞台にするナラヤンの小説については、ジュンパ・ラヒリが瀟洒なエッセイを書いているけれども、イメージは、ティルティ(南インド、ティルティラパッリとも)とマドラスの中間あたりにある鉄道駅のある街、といったイメージになるだろう、とナーラーヤンはどこかで書いていた。ただし、読者・批評家の諸君、マルグディがどこにあるかなどと詮索しないでもらいたい、ともナーラーヤンは言う。

 小説の前半は、どこにでもいる若い夫婦の日々が淡々語られてとゆく。
   たとえば、このように続く。…生まれたばかりの赤ん坊を抱いて妻が実家から帰ってくる。二等列車で帰ってきてもらいたいという主人公の懇願にも関わらず、妻は三等列車で帰ってくるのだ(インドの三等列車!これは凄まじそうだ)。妻のスシラは倹約好きなのだ。(倹約に対するナラヤンの態度は両義的だ。美風とも、また醜くも見ている。)スシラは、主人公が何故か愛着をもっている古時計を処分してしまう。主人公はひどく怒る。その夜、スシラはベッドに入ると泣いていた。(なぜ多くの妻たちは夫の愛贋物を処分したがるのか、一種の嫉妬だろうか。) 二人は暫く冷戦状態が続くのだが、主人公が学校から帰るとだしぬけに、久しぶりに映画に行こう、と言うのだ。実によくある夫婦喧嘩の終了だ。しかし、後になって振り返ると、それらの日々は何ものにも替え難い幸せな時であったのだ。

   この小説において、幸せな日々は長続きしない。自分たちの家を持とうというハッピーな企てのなさなかに不幸な出来事が始まる。二人で新開地に家を物色しに行くとき倹約家の妻が珍しく牛車で行きたい、と言った。すでにスシラの体調は良くなかった。ジャスミンのなる家を見て、クリシュナは、ここならいい詩がたくさん書けると思うのだ(クリシュナは、教師であるよりも詩人でありたい、と思っている)。妻は、新開地のバラックのトイレに入ると、青ざめて帰ってきた。トイレのドアが中から開かずひどく不潔なトイレに閉じ込められた、と言うのだ。(スシラや義母はそのトイレによって、不浄の病に感染したと捕らわれていくが、主人公のクリシュナは、少し違う見方をしている、のが興味深い。)その夜から、妻のスシラは臥せって起きられなくなった。愛想のいい医者は、クリシュナの病状説明を聞くだけで、診断もせずマラリアだから心配はいらない、と言い薬を処方するのだ。数日がすぎても、一週間たっても妻は良くならない。妻の母親は、祈祷師をつれてやってやってきた。医師の誤診だったのだ。そしてクリシュナの懸命の看護にもかかわらず、妻は息絶えた。

   この小説の圧巻は、何といっても妻の葬儀・火葬についてくだりである。読むたびに息を飲む。…近親の者たちが、死んだ妻の口もとにお別れの米(生米かご飯か?)を押し込む、妻は空を見ている。遺体を移動用の担架に縄で縛ると皆でかつぎ、自分は香をともし、その後ろにつく。街の通りにでる。人々が見送るなか、自分にはどの顔もかすんでしか見えない。川のなかを歩いて渡り、川岸の火葬場にたどり着く。まきに火が点けられ、いよいよ火葬となると、自分には特別な感情がないことに気づく。ただ、炎を見つめ、この炎こそが現実であり、この炎の他に自分が恐れ心をかきたてるものは何もない、と悟のだ。

narayan with beloved wife
Rasipuram Krishnaswamilyer Narayanaswami
1906-2001
マドラス(現チェンナイ)に生まれる
R. K. ナーラーヤンは南インドの英語作家である
写真は、作家と自由恋愛で一緒になった妻
6年間の結婚生活で、愛妻は病死する
その後、作家は再婚することがなかった

 『英語教師』という小説は、この川岸の妻の火葬の場面があまりに秀逸なので、ここで終わっても良いと思うぐらいだ。しかし、このあとも読者を飽きさせない話が続く。死んだ妻との交霊の試み(超自然的な「お告げ」を手にはするが、妻との直接対話には成功しない)、また、近所で幼児教育を行っている者との出会いがある。

   妻との交霊の試みについては、クリシュナが、超自然的なものを受け入れ身を任せようとするところと、それが機能しない現実の認知という、二面性の物語として興味深い。超自然への信仰(分かりやすくいえば迷信)と近代的な知の間で揺れているクリシュナの姿が魅力的なのだ。超自然がまだまばらに信じられている南インドの田舎町で、クリシュナはそれを声高に批判・否定することはないけれども、あるいは、受け入れようとさえするけれども、近代的な知性が超自然のほころびを見逃さない。このバランス感覚がナーラーヤンに痺れるところだ。

   また、近所の幼児教育者については、主人公のクリシュナが大学の先生でもあることと関連して、教育とは何か、教師とは何か、という問いの基調音がある。また、幼児教育者が教育について理想的であること(たとえば、子供は未来への宝である、というようなことを繰り返し言う)とひどい恐妻家であることの対照が面白く、また、この理想家が占い師による自己の終末の予告を信じきっているのもユーモラスだ。それは妻の火葬の透明な厳粛感を中和させているようだ。

   この小説は、英語教師のクリシュナが、大学を辞すところで終わる。愚かなものしか作りださない今の教育が納得できない、と言う一方で、何よりも心の平安を望んで、個人的な理由で、退職届けを出したのだともクリシュナは言う。

   この小説の最後の言葉「スシーラ、スシーラ、スシーラ、私の妻」が、やはり私は好きだ。喪失の悲しみ、という以上に、死の単一性(妻の死はひどく単純だ)と現実・日常性のユーモラスで豊かな重層性がこの小説の生命だと思うからだ。

2018, 12

68.R. K. ナーラーヤン『お祖母さんのお話』 R. K. Narayan, Grandmother’s Tale, first published in 1992 by Indian Thought Publications.

Grandmother.jpg
『お祖母さんのお話』は
子供向きの 人情に訴えるような
たわいのもない
お話だと 初めは思った
しかし 読み進んでゆくと
お祖母さんが語る「先祖の話」は
実は ナーラーヤンの小説世界の
原形であり 根源なのだと
気付かされたのだった








    久しぶりにナーラーヤンが読みたくなった。あの穏やかな温かさと、我儘で矛盾にみちた人間たちが恋しい。ユーモア、あるいはむしろあの不条理な悪の味わいも捨てがたい。そこで、何となく遠ざけていた『お祖母さんのお話』を手にとってみた。子供向きの本のようだ。読みだすと、懐かしいナーラーヤンの声が聞こえてくる。本の冒頭、どこまでが事実で、どこからがフィクションなのか、あまり詮索しないよう作家は読者に諭す。ナーラーヤン自身もそのようなことは分からないのだ、と。

  ナーラーヤンは教育熱心なお祖母さんっ子で、そのお祖母さんは何と言うべきなのだろう、母親を超えた母性、つまり優しく厳しい存在であるとともに、何かに耐えている姿が目に浮かぶ。ところで『マハトマを待って』Waiting for the Mahatma,1955という小説はまったく傑作な小説で、死んだはずの祖母さんが生き返ってしまう。

  お祖母さんが孫に語るお話は、善意な人々による人情味あふれる物語ではない。曾祖父には放浪癖があって―彼は責任が嫌いなのだ―また、彼を追う嫁は、夫の愛人をしたたかに追放する。夫の愛人スルマはとてもいい人であるにもかかわらず、だ。さらに、曾祖父ヴィスワは、老境に到って十七歳の若い娘と再婚する。それは出来すぎた息子(英植民地政府における行政官)への老人の不満なのだとナーラーヤンは注釈するが、この老人の不良ぶりを僕はどう考えるべきなのだろうか。

  思い返してみれば、強烈な妻に追われる話をナーラーヤンは、繰り返し語る(『お喋りな男』Talkative Man、1986や『マルグディに来た虎』袖山榮眞訳を見よ)。妻に追いかけられ容赦のない現実に引き戻される物語の原形が、この曾祖父の行状にあったのだと、今知る。「先祖の話」は、世代を超えた経験の真実と謎をナーラーヤンにもたらした。

  ところで、ナーラーヤンの実際の結婚を思い起こしてみると―それは当時のインドでは例外的な恋愛結婚で、ある意味反社会的な行為だった―ナーラーヤンはその最愛の妻をチフスで結婚後わずか六年で失う(その短い結婚生活と妻の死については『英語教師』The English Teacher、1945がいい。圧巻は妻の葬儀だ。米を亡骸の口に押しあて、遺体を担いで街を抜け、川岸の焼き場に運ぶ。妻の亡骸が火葬される時、主人公は燃え上がる炎だけが人生の真実なのだと観想する)。ナーラーヤンは、自らの精神の危機に抗うようにマドラスのマリーナ・ビーチ(延々と続くベージュ色の砂地が美しい、と僕は記憶している)を何時間もひたすら歩き続けた。交霊術のサークルに入り妻との交信に危機の時を過ごした(これについては、『回相』My Days、1974に詳しい)。しかし、それゆえにか、その後ナーラーヤンは再婚することはなかった。強烈な妻に追いかけられるというオプセッションは、ナーラーヤンの場合、もしかすると妻に追いかけられたいという願望にも思えるし、あるいは亡き妻を忘れることができない心のあり様そのものなのか、とも読者ならばいろいろと考えてみたくなるところだ。

  この物語を読むと、曾祖父の息子(ナーラーヤンにとっての大叔父というべきか)は医師でありかつ行政官である。またこの物語の語り手である祖母の夫は、判事である。この一族の物語に見え隠れしている家族のエリートたちが僕は気になった。彼らの生活のスタイルをナーラーヤンは、少々ユーモラスに描いているけれども、そこには屈折がある。あるいはむしろパンカジ・ミシュラ(ごく最近彼の翻訳『帝国の再興』が出版された)などは、彼ら家族のエリートと英植民地政府や英国の文物との係りを注目している(The Great Narayan, The New York Review of Books, 2001)。つまり南インドの没落しかかったバラモンが英国と係ることによっていかに世の中の変化に取り残されることなく生き残っていったのかを、論じているのだ。これを僕なりに解釈すると、ナーラーヤンの小説世界における純潔なヒンドゥーの理想とは、英国によるインド植民地化と近代を背景にしている、ということになる。あるいはまた、ナーラーヤンが欧米で受け入れられたのは、彼のヒンドゥーの意匠が英国と近代との関係で明瞭な姿をもっているからだ、と考えるべきなのだ。


yjimage.jpg
R. K. ナーラーヤン
1906年マドラスに生まれる 2001年94歳で没
南インドのバラモンの理想と肌合いを 
彼の小説は 巧みに語って聞かせてくれる
ナーラーヤンを発見し世に出したのは
著名なグレアム・グリーンとのこと
翻訳は 管見では『マルグディに来た虎』袖山榮眞訳
(集英社ギャラリー[世界の文学]20、原著1983年刊)のみ
しかし ナーラーヤンの英語小説は
英語で小説を読んでみたいと思っている向きには
恰好の教材でもある

  物語は、単にお話を聞いて楽しい時間を過ごすためのものではなく、重要なのは、意義ある情報を伝達する器であることなのだ、と言う(ジャン・クロード・シュミット)。お祖母さんは、ストーリー・テラーとして、家族についての重要な情報―放浪の遺伝、勉学と努力による出世、不合理な人生の選択、この世における悪の存在―を孫のナーラーヤンに語った。それは、家族にとっての教訓・家訓である以上に、家族の成員一人一人のアイデンティティに係る。一族の経験を実のお祖母さんから聞くことは、直接的でかなりの強度をもつ情報の伝達・受容である、と思う。ナーラーヤンはストーリー・テラーの資質をこのお祖母さんからひき継いだ。そして、ナーラーヤンの小説の肝要な部分が、お祖母さんから語り聞かされた話の変形であるのだろう。ナーラーヤンの豊かな小説世界は、ナーラーヤンという個人の一世代の創作ではなく、数世代にわたる「先祖の話」が脈打っていているのだ。

(後記:この『お祖母さんのお話』に出てくる地名については殊勝にもメモをとりながら読んだ。そのメモが、今見つからない。マドラスの陋巷やチルチラパッリ、マドゥライ、バンガロール、コラール等々、他にもいろいろな地名がでてきたはずだ。しかし、そのメモの紛失は「あまり事実を詮索しないように」という作家の声と何かしら響き合う。ナーラーヤンの小説を読み、その小説世界に遊ぶということは、地名という大地の特定から離れ、一種さだまりのない時間のなかに泳ぎだしてゆくような感覚をともなう。それほどにナーラーヤンの小説は、僕にとっては酩酊を誘うような素敵な読書経験なのである)。

12. パンカジ・ミシュラ“ナーラーヤン偉大なり”③、Pankaj Mishra, The Great Narayan, The New York Review of Books, Feb. 22, 2001.

パンカジ・ミシュラのナーラーヤン論から出発し
ナーラーヤンの小説におけるフェミニズムに触れつつ
神秘的で絶対的な他者性を顕現する
「女」について考えてみる 
 

   ミシュラはナーラーヤンの初期の傑作『暗い部屋』(The Dark Room, 1938)についてフェミニズの視点にたった解釈を試みている。ナーラーヤンにおけるフェミニズムを僕もぼんやりと感じていたのだけれども、ミシュラの指摘ではっきり意識することができた。ミシュラは、彼女たちはおおかた家の端っこにいて、つまり台所、寝室、裏庭に位置し、そしてそこはしばしば人が感知できる優しさの源泉なのだ、と言う。

   ナーラーヤンの小説は、ある種「女」への優しさに充ちている。それを指してフェミニズムと言っていいのか、僕には分らない。『暗い部屋』におけるサビトリは、暴君のように振舞う夫のまえで子供をいたわり、守りながら自らの役割を全うしようとする。そこから、「女」の解放・自立という視点は、すごく近くにあると思う。しかし、ナーラーヤンの小説の主人公達と女性性への結びつきは、妻や愛人や恋人のよりも例えば『マハトマを待て』(Waiting for the Mahatma, 1955)のシュリニバスと育ての祖母との関係、『ガイド』(The Guide, 1958)における主人公と母親の関係の方に、より濃いものがあるように思えるのだ(ただ『マハトマを待て』の死んだはずの老婆は生き返り、『ガイド』における母親は、悲しい別れに終わるのだが・・・)。そちらの方に、むしろ僕はミシュラの言う「優しさの源泉」を強く感じる。

   ナーラーヤンの小説における「優しさの源泉」としての「女」は、祖母や母親の方に傾いている。それは、どこかで幼児期・少年期における世の競争からは隔離された幸福な日々の思いでと非常に近い。さらに言えば、マルグディという小宇宙の実験は、その幸福感の追及・拡大と思うようにならない現実を言い表しているようにも思える。逆に、祖母や母親以外の「女」―愛の対象―は、どこか強いけれども優しさに欠け何かに苛立っている。あるいは、『ガイド』におけるダンサーのように人形のように押し黙っているか、『サンパト氏 マルグディの印刷屋』(Mr. Sampath: The Printer of Malgudi, 1949)のヒロインのように自ら身を隠すのだ。

   ナーラーヤンの結婚が、当時のインドでは極めて稀なことに、一目惚れの恋愛結婚であったことは有名だ。多くの反対と障害を乗り越えての結婚だったが、チフスによってナーラーヤンは愛妻を失う。しかし、今度ミシュラのナーラーヤン論を読んで、ナーラーヤンの愛妻との結婚生活が僅か6年間に過ぎなかったこと、そして終生再婚することはなかった、ということを改めて気付かされ僕はすっかり驚いてしまった。「女」の優しさも、「女」の強さも、したたかさも、またある時は愚かさも、浅はかさも、極めてリアルに伝えているナーラーヤンだが、その結婚生活が6年に過ぎないというのは、あまりに短いように思えるのだ。結婚生活における6年など、大方が幸福のうちに過ぎてゆき、まして愛妻が突如病によって失われたのであれば、愛妻を全面肯定のマーヤと化してもいいはずなのに、ナーラーヤンの小説における「女」は、それほどお人よしには思えない。すごくリアルで怖い女も描いているのだ。

   ナーラーヤンの小説をインドにおけるフェミニスト小説の先駆であった、という読み方も可能であるかも知れない。しかし、ナーラーヤンがずっと「女」とはいかなる存在なのかを書いてきたことのほうが僕には興味深い。・・・『マハトマを待て』におけるガンジー派の活動家である恋人は、インド独立の希望をやはり若々しく伝えてくれているし、『ガイド』のダンサーは、「女」における表現者として立ち居振る舞いへの期待を語っているように思える。また、『看板屋』(The Painter of Signs, 1977)における、産児制限に向けた啓蒙教育に奔走する「女」は、エネルギッシュだがある種の寂しさを抱えており、それは、現代における「女」の生き方の難しさを語っているように思える。それに『お喋り』(The talkative Man, 1986 )においては、出奔しただんなを追いかけてくる妻の強烈さは、一体何なんだろう、と言いたくなる。 
  
    book2cc.jpg          book3cc.jpg
 
▲マイソールのサプナ書店にあるインド人作家(小説)というコーナー
当然ナーラーヤンの小説は、数冊ずつストックされている。ただし、一番下の目立たないところに置かれていた。メジャーなところでは、アミタヴ・ゴーシュ、クシュワント・シン、アルンダティ・ロイが目につく。イスラム系住民の反発を恐れてかサルマン・ラシュディの本は一冊もない。インド人には耳の痛いはずのナイポールの本もノーベル賞効果というべきか一通り揃っている。このコーナーにロアルト・ダール(スウェーデン人の両親をもつこの英国人作家は、たしかカルカッタにいたことがある)が置かれているのは愛嬌というべきか。

   ナーラーヤンの小説における「女」達は、社会学における女性のように分析の対象ではなく、神秘的で絶対的な他者性を顕現する崇拝の対象なのだ。ナーラーヤンにおいては、「女」が激しく活性化するとき、インド神話におけるシヴァ神に近くなる。非合理で破壊的な役割を演じる。「女」の人が穏やかで優しく見えるとき、それは祖母であったり母であったりするが、作家は幼児期・少年期への幸福な日々・幸福な記憶に退行してゆく。ナーラーヤンの小説における「女」達が極めて豊かな表象であって、そこにナーラーヤンを読んでいく楽しみの源泉があるのだけれども、僕はナーラーヤンを読みながら「女」を愛することは、ひょっとすると人生におけるもっとも重要なことであるかも知れないと思えてくるのだ。

テーマ : 洋書
ジャンル : 本・雑誌

9. パンカジ・ミシュラ“ナーラーヤン偉大なり”②、Pankaj Mishra, The Great Narayan, The New York Review of Books, Feb. 22, 2001.

パンカジ・ミシュラのナーラーヤン論を読みながら
ナーラーヤンの小説の意味を マルグディとは 
放浪とは 反英運動とは を考えてみる

   ナーラーヤンは、『スワミと仲間たち』(Swami and Friends, 1935)において警察の上級役人の息子ラジャムとの鉄道駅での別れを思い入れたっぷりに描いている。より大きな世界へ旅立ってゆくラジャムとここにとどまって生きていくだろう自分との対比は鮮やかだ。前の文章で触れたようにナーラーヤンは、外の世界に深く魅了されながら(例えば英文学やロシア文学への嗜好)動かなかった人間なのだ。マルグディという想像上の小さな街に自足した幸福の姿を描きこんでいった。

   しかし、ナーラーヤンの小説においても冒険はあり、それもまた繰り返されるテーマなのだ。『スワミと仲間たち』においてスワミは、学校を放校になったあと夜の街をあてどなくさまよい、人間以下の存在(のら犬ともハリジャンとも読める)に恐怖する。のまた、『学士』(The Bachelor of Arts, 1937)においては、主人公は、恋した相手と一緒になれないことがはっきりすると、修行者として放浪の旅にでる。また『暗い部屋』(The Dark Room, 1938)のサヴィトリにしても夫の浮気を知って装身具を外し夜の街をさ迷う。サヴィトリが河に入って行こうとするとき、こそ泥を副業とするマリに助けられる。

darkroom_bbb.jpg
▲『暗い部屋』(The Dark Room, 1938)。初めて読んだナーラーヤンの本。
僕はこの本を30年前ニューヨークのセント・マークス・ブックショップで買った。
居心地のいいきれいな書棚の本屋だったが今もあるのだろうか。

   V. S. ナイポールなどは、ナーラーヤンの小説における主人公たちの反抗・冒険・帰還が帰るべきところをもった一時的な冒険だといって批判的に見ようとするが、僕などは、ナーラーヤンのその中途半端なところ、徹底性を欠いた優柔不断に惹かれる。とりわけ『学士』の主人公チャンドランは、見合いを勧められるが「今はそんな気持ちになれない」というようなことを言いつつ、一目見合いの相手を見ると惚れ込んでしまい、彼女から手紙が届かないと居てもたってもいられず彼女に会いに行く。僕は、チャンドランの取り乱しかた、青年らしい直情さに一種の憧れに似た気持ちをもって小説を読んだ。ナーラーヤンの小説の主人公は、大方が恋する男たちであり、それもどこか不器用で度をすごしているところが、つまり決してプレイボーイでないところが、僕にはおもしろい。

   それら恋する王子の話で、忘れることのできないのは、『マハトマを待て』(Waiting for the Mahatma, 1995)のシュリナムだ。インド独立を機に出所したシュリナムは、ガンジー派の運動員の彼女と、混乱し荒廃したインドの街をともにガンジー派の活動家として旅する。彼女が忙しく活動しているとき、一人宿屋に残されたシュリナムは、乾してある洗濯もののサリーをまじまじと見つめ、自分はインド独立のために戦い監獄にも入っていたが、一体彼女のためにどんなサリーを買ってやることができるのだろう、と自問するシーンがあるのだ。大義のために生きる男の生き方に疲れ、一人の女を愛しその女を幸せにしてやりたい気持ちが、僕に美しくリアルに伝わってくる。

   ミシュラは、ナーラーヤンが反英運動への直接の参加を、家から堅く禁じられていたことに着目している。ミシュラは、ナーラーヤンがクイット・インディア運動の時代のうねりにたいする興味を感じ共感しつつ、大英帝国のインド植民地運営に組み込まれた家族の立場のなかで自家撞着の感情をつねに抱えていたはずだと言っている。ナーラーヤンの小説における主役たちのクイット・インディア運動へのかかわりは、単線的ではなく、厚みがあって面白いとつねづね思ってきたが、それは、クイット・インディア運動へのナーラーヤン自身の自家撞着、もっといえばコンプレックスと結びついているのだということを、僕はミシュラに教えられた。

   ナーラーヤンの小説における主役たちの反英運動の屈折した関わりの具体例をあげてゆくのは難しくないけれども、やはり特筆すべきはV. S. ナイポール(『インド傷ついた文明』工藤昭雄訳、岩波書店)が読み込んでいる『菓子屋』(The Vendor of Sweets, 1967)のジャガンの例ではないかと思う。はしおってって言うと、菓子屋の主人ジャガンは、反英デモに参加し、気絶するほど警官に叩かれ逮捕される。拘留によって学業を放棄せざるを得なくなる。今は、菓子屋によって生計をたてているが、脱税を生きがいにしているところがあり、それは奇妙なリクツでガンジーの教えに結びつく。アメリカから帰ってきた息子も逮捕されるが、息子の逮捕の理由はウイスキィーの不法所持なのだ。そこには、ナーラーヤンの反英運動に対する肯定と否定、憧れと疑問がおり重なっているように思えないだろうか。さらに、歴史は繰り返す、ただし一度目は悲劇として、二度目は喜劇として、という有名な言葉になぞらえる書き方をしている。

wounded_bbb.jpg

▲V. S. ナイポール『インド傷ついた文明』を読んで僕は、ナーラーヤンという興味深い作家がいることを知った。ナイポールは『菓子屋』、『サンパト氏』(Mr. Sampath: The Printer of Malgudi, 1949)、についてぐっと唸りたくたるような素晴らしい読解を行っている。 

   ナーラーヤンの小説がインドの歴史、あるいは政治にたしてまともに向き合っていない、というミシュラの指摘、あるいは不満は、僕には少々意外な感じがするのだけれども、どうだろう。ミシュラの指摘に対する僕の途惑いは、主に二つだ。一つ目は、『マハトマを待て』(Waiting for the Mahatma, 1995)では、主役のシュリナムは、反英武装闘争の闘士であるし、『看板屋』(The Painter of Signs、1977)におけるラーマンの行動は、インデラ・ガンディによる非常事態宣言下のインド農村の混乱を充分に伝えている。ナーラーヤンは、大状況を無視しているどころか充分にその時代の問題状況に主役たちを置き、時代や社会変化に対する反応を演じさせている、と僕には思える。二つ目の途惑いは、より直接的に状況に対して発言すべきことをミシュラはナーラーヤンに求めているのだろうか、ということだ(ミシュラがカシミールやチベットの騒擾について発言しているように)。もしそうだとすれば、それは作家におけるスタイルの選択を軽く見すぎているように思えるし、また、小説・物語世界における意味形成の力を軽く見た発言に思えるのだが・・・。というよりそんなことをナーラーヤンに求める方がどうかしている、と考えるのはインドの現実と社会に責任のない僕らの気楽な感覚なのだろうか、と思えてくる。

テーマ : 洋書
ジャンル : 本・雑誌

8.パンカジ・ミシュラ“ナーラーヤン偉大なり”①、Pankaj Mishra, The Great Narayan, The New York Review of Books, Feb. 22, 2001.

パンカジ・ミシュラのナーラーヤン論を読み
ぼくのナーラーヤンについての読書を振り返る


 秋の晴れた日、息子の学校見学に付き添って秋田の大学に行った。時間の調整で図書館に入ると、洋雑誌・新聞が目に入ってきた。早速、“タイムズ文芸付録”と“ザ・ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス”を手に取りパラパラページをめくった。“タイムズ文芸付録”には、何とマイケル・オンダーチェの特集記事が(どうやらエヴリマン・ライブラリからオンダーチェの選集がでたようだ)そして“ザ・ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス”には、パンカジ・ミシュラのパキスタンの文学を取り巻く状況についてのエッセイが載っていた。少し興奮して走り読みした。僕にはそう簡単ではないミシュラの文章だったが、ウルドゥー語詩人のファイズ・アフマド・ファイズと詩の朗誦を愛するパキスタンの民衆的伝統について、また最近日本でも翻訳の出たモーシン・ハーミッド(『コウモリの見た夢』武田ランダムハウスジャパン)との会話が載っていた。

mohsin+hamidbb.jpg 
2004年 ラホールのモーシン・ハミッド 
タリバンの圧力を感じながら パキスタンにおいて
文学における真実の追究がいかに困難なのかを ミシュラに語る
The New York Review of Books, October 13, 2011より

  普段は読む機会のない欧米の書評紙をたまたま手にとったら、南アジアの文学についてのエッセイがともに出ていて、欧米における南アジア文学の高い評価と静かなブームを、また逆に、日本におけるそれについてのはなはだお寒い状況を思わずにはいられなかった(ついでに言うと英語圏での南アジア文学の隆盛は言わずもがなとしても、ドイツが翻訳の量で他を圧倒している。ドイツには、南アジア文学の熱心な読者が多いのだろうか、あるいは本物の読書の楽しみを求める人がいまだに多くいるのだろうか)。・・・わが国における大方の無関心、しかしそれは僕のような好きで南アジアの小説を読んでいるような者にとっては、必ずしも悪い環境ではなく、ご馳走を一人占めしているような贅沢を味わっているようにも思える。

  本当はもっとしっかりミシュラのエッセイを読みたかったのだけれども、そうも行かず駆け足で帰ってきた。家にもどりミシュラのエッセイが気になって、ひょっとしたらウェッブで読めるかも知れないと思って調べてみると、“ザ・ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス”のホーム・ページにミシュラのエッセイが頭の部分掲載されていた。十日間悩んだ末、全文を読みたくて結局、有料購読を申し込んだ(一年間で109ドル)。ホーム・ページで検索するとミシュラが勢力的に“ザ・ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス”に投稿していることが分り、今ぼくが考えられる最良の読書の指南役(南アジアばかりでなく、今の大方の日本人が忘れてしまっている本にたいするフェティッシュな感覚があり、古典的著作への読書の意欲をかきたててくれる)であるミシュラのエッセイがリアルタイムで読めるのは何とも魅力的に思えたのだ。

  ミシュラが“ザ・ニューヨーク・レヴュー・オブ・ブックス”に精力的に投稿している書評リストのなかにR. K. ナーラーヤンについてのエッセイがあり、まず読んでみた。どうもこの文章は連載エッセイのようで、ナーラーヤンの小説全般を論じている。

  ナーラーヤンは、インド人でありながらもっとも成功した最初の英語作家であると言われているけれども、ミシュラはこのエッセイで作家と英語との最初の出会いをユーモラスかつシリアスに描いている。英語の学習で「A」はアップル・パイの「A」という風にそれは始まった。しかし、アップル・パイが5歳のナーラーヤンには何なのか分からなかったし、それを教えた教師も多分実際のアップル・パイを食べたことはなかったはずだと言う。僕にとって、ナーラーヤンがどのようにして英語作家になっていくのか非常に興味のあることだけれども、その始まりが実体を知らないアップル・パイの「A」から始まった、というエピソードは何か面白い気がする。

   英語との出会いはそうであったのだが、問題は、というかこのエッセイでミシュラが懸命に言おうとしているのは、ナーラーヤン家の人々と英国との関わりだ。ナーラーヤンの家族は英国の植民地行政の整備・拡張のなかで、田舎で生活していたブラーミンの一家が都会に出てきて近代的な生活を確立していった紛れもない事実をミシュラは忘れるべきではない、という。ナーラーヤンの小説のなかに色濃くあるヒンドゥー的なものにあまり眼を奪われないほうがいい、と。ナーラーヤンの母方の祖父は大英帝国植民地における行政官であり、何よりもナーラーヤンの父が植民地教育の本拠地である高校の校長であったのだ。また一族の中には、成功した車のセールス・マンや有名なアマチュア・カメラマンがいて、それらが物語っているのは、インドの英国化・西欧化の波に乗ったナーラーヤン家の人々の姿なのだ。

   だから、ミシュラの『スワミと仲間たち』(1935年刊)の読み方は、主役の少年が、反英運動のデモに参加して放校となることよりも、警察の上級役人の息子ラジャムとの関わりに着目する。初めは、競い合いやがてはラジャムの虜となる。とりわけラジャムのバンガローそして彼のもっている鉄道模型に圧倒されるのだ。ラジャムの存在の迫力は、スワミにとっては英国と近代文明のもつ輝きに他ならない。ミシュラは、このエッセイでスワミとラジャムの別れ-より大きな世界に旅立ってゆくラジャム-を感動をもって振り返っている。

   しかし、そのスワミが一番怖れたのは、父のテニスクラブで働くスラムに住む下層民の少年だった、といささか唐突にミシュラは注釈している。なぜ、スワミは自分に攻撃するはずのない下層民の少年を恐れたのか。・・・僕は、原作でどの場面をさしていのか分らないのだけれども、その怖れの雰囲気は、他のナーラーヤンの小説も考えあわせると分る気がする。パンカジ・ミシュラの読みは、おそらく伝統と地縁の根を絶たれた近代化したブラーミンが感じていた社会の急激な変化に対する不安であり、いつ下層民へ転落するかわからない近代の流動性への恐怖である、と考えられる。
rknhousebb.jpg

ナーラーヤンのマイソールの家が、州政府に買い取られ
作家の家として再生されることになった
Deccan Herald, November 24, 2011より

  

テーマ : 洋書
ジャンル : 本・雑誌

プロフィール

August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR