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44.黒田日出男『境界の中世・象徴の中世』(東京大学出版会1986年刊)

kuroda+003ccc.jpg黒田日出男『境界の中世・象徴の中世』における
中世の黒山開発についての境界論は
中世社会をとりむすぶ道の境界
つまり地名として中山の考察へとつながり
また黒山における黒の色彩象徴の分析は
古地図における色彩表現の考察に
あるいはまた境界争い
さらにまた黒船の考察へと
章を分けて発展してゆく
著者の関心と興味は 
つまり境界・色彩象徴・身分象徴・皮膚感覚やらについて
中世史を可視化するというやり方で
中世史における穢れと清浄
病と差別といった中心テーマに
自由に発展し結びあう
それは何とも言えない知的なゲームの様相なのだけれども
僕は冒頭の論文「『荒野』と『黒山』-中世の開発と自然-」で
僕の歴史に対する想像力はもっとも自由に遊んだ
それを読みながら
僕は開発に携わった中世の農業浪人になったような気になった
農具を携えて放浪する中世の農業者の夢と汗を
ごく近いところまでゆき感じ取った気になった


   近年における商業地区の開発などは、どれも同じ顔をしていてワイルドな魅力に乏しく、開発という言葉自体が嫌らしく疎ましく思える時もあるのだけれども、この本の中にある中世の開発は、より冒険と野心に溢れていて、面白いなーと感嘆した。実は「『荒野』と『黒山』-中世の開発と自然-」を読みながら僕は何だか、細民の見る夢と、思うようにはいかない現実を、あるいは惣に発展してゆく開発部落の自治の萌芽を、入会をめぐる争いを、僕は開発に携わることで体験したかも知れないと思うのだ。
 
   中世は、開発の時代だった。誰もが機会あれば開発に手を染めようとしていた。下級貴族・寺僧・神官等が新たな中世における土地所有に意欲を燃やしたのだ。そんな時代の雰囲気のなかで、毎日の百姓仕事に飽き、土地のしがらみを嫌い、生まれ故郷を離れていく者は少なからずいたはずだ。食い詰めた者だけが故郷を後にしたわけではないのだ。他国を見てみたい気持ちと、開発に携わる利得の噂を信じた。もし僕がそういう時と場所に生きていたら、開発浪人となって故郷を離れていったのかも知れないと想像する。

   この論文の後半に、中世の焼畑についての説明があって興味深い。そうは書いてないのだけれども、焼畑農業の普及が、中世における農業生産性を飛躍的に高めた、と考えていいのではないだろうか。そして、中世を開発の時代にした背景には、焼畑による生産性の向上があったのだ、と。・・・この本の主調音は、中世のヴィジュアルな象徴と境界についての考察にあるのだけれども、この論文「『荒野』と『黒山』-中世の開発と自然-」にとりわけ強く僕が惹かれるのは、社会ファンダメンタルとしての生産諸力についても目配りを忘れていないことなのだ。もっぱら社会の表層に現れたしるしの研究もスリリングであるけれども、農業生産の革命、富の拡大も中世社会の根本条件であり、そういう意味でこの論文は、両者をバランスよく保っている。

   開発を支えたのは近隣から「境を超えてやってくる」浪人でなければならなかった。彼らは、農具を携えてやってきた。開発領主は食料を浪人達にあてがうのだった。面白いことに浪人たちは、やってきた本国に逃げ帰ることもできた。浪人は、開発領主に隷属していたわけではないのだ。・・・ところで、浪人たちは、個々人で、あるいはグループをつくり移動したのだろうか。僕ならば、気のあう奴と二人ぐらいで村を出たいと思う。村をでる時点で、だいたい行き先は決まっていたのだろうか。移動中の寝泊りはどのようなものであったのか。炊事は。また、浪人を開発領主に斡旋するプロの手配師のような輩が存在したのだろうか。

   開発の特権は、数年の地利と雑公事の免除で、国家の利権に抵触しない開発と土地所有を国衙(こくが)は承認した。・・・多くの者ががめつく開発の機会を求め、投資する中世の風景を僕は好ましく思う。他方、現代の開発(といってもいろいろな開発があるのだけれども、・・・)に対する不満、物足りなさは何なんだろう。開発が、ほとんどゼロから出発する荒々しさが隠されているからか。開発が、人間の欲望を拡大してゆかないところか。開発が、人の生き方に驚きを与えないことか。

   中世における開発は、荒野と黒山の開発に分かれる。荒野は、農民によって放棄され、自然に戻りつつある嘗ての耕作地であり-背景には逃散や飢餓、疫病による大量死があった-黒山は、いまだ手の入らない自然、「天然樹林のうっそうと生茂った山地」ということになる。・・・ここで一つの仮説を考えたい。荒野の開発は開発農民・労働者にとってたいした利得をもたらさない。しかし、黒山の方は、より困難な開発であったとしてもおおくの利得を得ることができた。黒山開発の進展が、開発領主間の取り決めにも係らず容易に解決されない堺相論を引き起こした理由は、その少なくない利得に理由があったのではないか。

   荒野は中世の初め(十世紀後半)になると広く姿を現すようになる。荒野を象徴するのは荊棘(けいきょく)と猪鹿だ。そういう荒野が至る所に出現する。全耕作地の五割、六割にたっする国もあった。眼を凝らすまでもなく、いたるところ荒野あり、だ。ゴースト・タウンにも似た、放棄された耕作地が広がっているという光景は、かなりすさまじいものがあると僕は想像するが、どうなんだろう。もうひとつ、これだけの荒野が拡大することは、中世という時代が慢性的な労働力不足の時代であったかも知れない、と思うのだ。開発農民・労働者にとって売り手市場であった、とも言えるのではないのだろうか。だとするならば、開発領主としても横暴でがめついだけの開発は、多くの場合うまくいかなかったはずだ。 

   ところで、開発領主をもたない農民の自主的な開発はあったのだろうか。限定的ではあったがそのような開発があったように論文は触れている。しかし、開発の発進と現場の管理が開拓農民の自主性にあったとしても、領主は厳然と存在したわけで、まして農民の解放区であろうはずがない。いや、そうとも言えない。この論文「『荒野』と『黒山』-中世の開発と自然-」では、いささか唐突に、中世農民の逃散の場として、山野・山林をとりあげている。黒山の開発の現場は、支配・被支配の関係においても境界であり、ある種の従順でない人々を惹きつける吸引力をもっていたかも知れないのだ。僕も、その時代に生きていたならば、荒野の開発で知り合った人のつてで黒山開発に参加していたかも知れない。父親は、うまい話は危ない、と反対したかも知れない。

   黒山、つまり未開墾の自然を対象とする開発には別の困難があった。人間が境界を超える困難だ。黒山には、暗黒の穴・洞窟があって地獄の入口があると当時の人々には観念されていた。黒という色彩が示すように、黒山はタブーの土地なのであった。
僧湛慶は、黒山を刈掃って別所を作った。古代以来タブー視されてきた黒山を中世的な浄土へと転換させたのだ、著者はいう。

   黒山の開発に携わることは、古い観念を脱ぎ捨て新しい何かに挑戦する冒険にも似たところがあった、のだろう。挑戦には、黒山というタブーのイメージがまず克服されなければならない。タブーへの挑戦は、経済的な利得を背景にもっていたはずだが、宗教者が先鞭をつける。そしてまた、この冒険には、社会階層の組み換えを招来したはずだ。論文では、そこまで言っていない。
 
富田荘 
尾張国富田荘絵図
中世的開発は黒山の共同観念としてのタブーを克服して活発化した
タブーの解消は黒山の自然的境界を打ち消した
やがて経済利害としての境相論が立ち現われてきた

   日本古代の色彩シンボリズムは、白と黒を聖なるものとした。平安時代に入って時代がすすむにつれ、白だけがその聖性を強めてゆく。黒は、逆のコースをたどる。背景には、律令体制の動揺や、陰陽五行思想やら浄土信仰やらのさまざまなイデオロギーの影響があった、という。そして中世の開発行為の展開において黒の色彩象徴はふたたび動揺し始めたのだ。

   色彩は、区分し識別し際立たせるためのすぐれた道具だ。中世における支配・被支配、富の分配と秩序には、色彩象徴が巧みに用いられた。しかし、黒山の黒は、タブーであるとともに未知の宝をもたらすチャンスを象徴するのだった。中世に生きる人々は、その黒が意味する境界性に気付きはじめていたのだ。

   開発に投資する下級貴族・寺僧・神官などと、開発のための労働力となった農業浪人を、幾重にも織りなされる支配・被支配の一コマとも考えられる。黒山に対する投資の後ろには、国衙というより上位の支配機関が存在した。そういう支配・被支配の構図を思い描きながらも、僕が驚いてしまうのは、そういう単純な構図からはみでてしまういくつもの仕掛けが中世社会にはあったことだ。逃散は、一味神水という儀式を通して連署した申状・起請文を幾度も領主に提出し、そのうえで逃散が実行される合法的な闘争手段であった、という。その場合のもっとも一般的な逃散の場が、山野・山林であったのはごく自然に頷ける。しかし、その逃散をさらに具体的に見てゆくと、妻を残して(見捨てるわけではないらしい)実行される逃散の例や、家のまわりに柴をひいてその家に閉じこもってしまう場合など、その闘い方には何とも形容しがたい豊かな表情が読み取れる。

   じつは支配・被支配という関係をもたない社会を僕は想像しづらい。その強度・ゆるさを別にすると、それは人間社会の本質であるかもしれない、と僕は思い始めている。しかし、この論文「『荒野』と『黒山』-中世の開発と自然-」を読んであらためて思うことは、支配・被支配という抜きがたい人間社会の特性にも、それを時にうまく回避するさまざまな仕掛けや事業があって、興味をひく。歴史は、支配・被支配の二項対立の全面的な展開のなかで抵抗が形づくられるというよりも、様々な支配・被支配に寄生するかたちで、あるいは巧みにそこから逃れる形で、別の回路(それもまた支配・被支配のスキームをもつ)によって進歩を獲得してゆけるのかも知れない、と思うのだ。そういう支配になびかない別の選択肢がたくさんある社会の方が、多くの人を生かし、富ますのではないだろうか。

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

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August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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