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62.ムルク・ラージ・アーナンド『インド藩王の私的生活』Mulk Raj Anand, Private Life of an Indian Prince, published in 2008, first published in London 1953.

anand+005_convert.jpg 作家は インド独立とともに
故国インドに帰還する
虐げられた人々を
リアルに見つめ
あたたかく励まし続けてきたアーナンドは
この小説において一転
藩王の愛欲の生活を描く
無批判的に すべてを受けいれるように
しかし アーナンドの得意とする
作中人物への憑依は見られない
諸藩王国のインド連合への統合という
政治日程がすすむなか
藩王の辿る運命は
発狂にむけて
その階梯の一段一段をのぼってゆく
インドという国の
何と難儀で 愛すべき愚かな藩王を
アーナンドは語るのだろう


   『インド藩王の私的生活』が英国で出版されたのは1953年であるけれども、この本は1948年には書き上げられていた(Saros Cowasjeeの前書きによる)。つまり、小説はインド独立(1947年8月15日)の日程が進行するなかで、インド諸藩王国のインド連合への統合という大変に困難な事業を見守りながら書かれた。ムルク・ラージ・アーナンドは、ジャーナリストのようなタイミングのとりかたで『インド藩王の私的生活』を書き上げた。アーナンドは、貧しく虐げられた人々に対する良心をいつも胸に小説を書いていた。しかし、アーナンドは行動する作家でもある。521とも565とも言われる諸藩王国のインド連合への加盟のさなかに、このようなポレミークで、かつ反撥・誤解をまねきかねない側にたって小説を書くというのは、アーナンドの人道主義とジャーナリストのような素早い反応の奇妙な合体のようにも思え、また新たな謎に酔える期待を僕に抱かせる。

   ムルク・ラージ・アーナンドは、社会の周縁部に生き、生活する人々を注視する。『不可触民バグハの一日』(山際素男訳、三一書房、原著1935年刊)は、文字通り清掃カーストに属する一人の若者への差別と人間の尊厳を語る長い一日の物語である。『苦力』、Coolie(1939)は、早くに両親を亡なくした少年の、貧しく、苦しく、ときに小さな明りの灯る、短い一生を綴った小説だ。また、『黒い海と泥水を越えて』、Across the Black Waters(1939)は、家をでたパンジャーブの農家の倅が、気が付いてみれば大戦中のフランス戦線にいて、わけも分からず戦闘に駆りだされ、戦争のおびただしい不条理を体験させられるたあと、「海を越えた者」の宿命を受け入れるのだ。そういう、何の支えももたない社会の周縁部で生きていく細民が経験する現実と、祈り、救いのありようを、あるいは人生の途上における発見をアーナンドは書き続けてきた。しかし、この本に到って、一転、細民の対極にある藩王=マハラジャの「私的生活」を書くことになる。・・・虐げられた者への強い結びつきの意識が、藩王の「私的生活」とどう結びつくのか、僕はしばらくのあいだ気になっていた。貧しい人々を書くアーナンドに、作家の良心・倫理・人道主義を想像するのはごく自然だとしても、そういう極めて社会的な倫理に鋭敏な感覚をもつ作家が、動乱のさなかにある藩王=マハラジャをどう描くのか、いろいろな風に想像してみたくなったのだ。

   500を超える藩王国が、その実態は実にさまざまであるように(鉄道や独自通貨をもつ大藩王国からごく限られた地域の惣村を束ねたに過ぎない小藩王国まで、サイズのうえでも非常にばらけている)、藩王=マハラジャもさまざまなのであろう。しかし、この本におけるマハラジャは、当時のあまり評判のよろしくないマハラジャの姿をとる。すなわち、現実政治に背を向け、大英帝国の大王に仕えることを光栄に思う王であり(名をVictor Edward George Ashok Kumarという)、封土返還の大問題に適切に対処しえず、側近に実務を丸投げしているわりには疑り深い、人の女房にも手をだす好色漢とでも言えばよいのか。藩王の「私的生活(private life)」とは、他でもない藩王の女遍歴の物語である。女との交情の話、もっといえば女なしには生きられない藩王の姿を描く。社会的正義とは何かを真摯に探求するアーナンドにとって唾棄すべき堕落・退廃の藩王といってもよいのだが、作家は、藩王へのあらゆる批判を差し控える。アーナンドは、藩王を、ある種の憐みをもって描く。この小説の語り手は、学費を藩王にだしてもらった若い侍医なのだが、藩王を支える側の人間であり続ける。

   『不可触民バグハの一日』の主人公のバグハは、まるで作家アーナンド自身が乗り移って語っているようだった。近代的な知的訓練をうけていないバグハが、ここまで分析的に、あるいは複雑な感情を言葉に表現できるものかと疑問に思いつつも、作家アーナンドの作中人物へ憑依したと考えると、これもまた過剰な逸脱であって、作家アーナンドの倫理のありようを必然化してようにも思えた。けれども、この小説『インド藩王の私的生活』では、インド藩王の内側に作家アーナンドが入っていくことはない。ヴィック(藩王のニックネーム)は、彼の苦悩と理想、あるいは愛を彼の言葉で語る。それは、アーナンドの言葉とは異なっている。

   そういう意味では、この小説の主人公は、インド藩王のヴィックではなく、侍医のハリーであるかも知れない。ヴィックがハリーの英国留学の学資をだした。ハリーは、藩王の侍医などしていないで、医師の足りない農村地帯で医療をおこなえばより多くの人のためになるのではないかと思い煩う。また、獄中の農民運動のリーダーから、留置所の劣悪な環境についての苦情の手紙をうけとる。ハリーは、獄中のリーダーに深い同情を示し、その手紙のことが忘れられないのだ(愚かな藩王についての小説を書いているよりも、農民自身の改革について小説を書くべきなのか、という思いがアーナンドの頭をよぎったとしても不思議ではない。しかし、アーナンドは、愚かで哀れな藩王についての小説を書いたのだ)。

   ハリーは、分裂を抱えた存在だ。ハリーは藩王のすべての行為をうけいれつつ、藩王をささえ続ける。しかし、藩王の側近からは、ハリーは、あるいは彼の人道主義的な発想はコミュニストのようだ、と非難される。ムルク・ラージ・アーナンドの書くハリーは、べったりとした肯定が際立っていて、問題を起こすばかりであまり誉められたところのない藩王を愛しているかのようなところがある。ハリジャンに乗り移ってしまうような勢いで(『不可触民バグハの一日』の主人公のバグハ)、ハリーは、藩王のすべてをうけいれるのだ。細民に対する暖かな視線を、ハリーは藩王にも注ぐ。ハリーのなかでは、虐げられた人々と、圧政するものとの階級対立はなく、ともに同情と理解、支援すべき対象になってしまう。しかし、繰り返しになるけれども、藩王の言葉とアーナンドの言葉が混じりあい、ひとつになってしまうことはない。

   藩王ヴィックは愛妾のガンガ・ダシがそばにいてくれなければ生きられない、と言う。この小説におけるヴィックの愛妾ガンガ・ダシの存在とその陰影は、このような生き方もまたありうるのかという、際立つ印象を僕に与える。妖艶というだけでは語りつくせない。彼女は、ブラフマンの出身であり、山の女だとも言われる。多くの男との愛情生活の遍歴をもつ。レスラーであったり、パルシーの金持ちの老人であったり、幾人もの男との愛情生活のあとにヴィックのところに辿りつく。彼女は、子供のようなイノセントなところと、権謀術数にたけた老獪さ・残忍さをあわせ持つ。第三婦人の子、皇太子を殺害したのはガンガ・ダシなのだろう。彼女がヴィックを虜にするのは、愛の無限の遊れ=セックスなのだと、ヴィックは語る。この小説には、インドにおける古典詩のような彼らの同衾の場面をエロチックに語る描写はないけれども、距離をおいて彼らの出来事が、年表をくくるように俯瞰されている。西欧的な知的な洗練と、アーナンドの理想主義の潔癖さを、僕は同時に感じる。

    思いだしてみると、語り手のハリーもヴィックの愛妾ガンガ・ダシに誘惑される。ヒ素を手にいれたいのだとねだられる。ヒ素の使い道は、藩王ヴィックの緩慢な殺害であると、本を読み終えた今、僕は考えるのだ。けれども、このある種予想されたハリーへの誘惑は成就されることなく、未完で終わる。この小説プロットの抑制は、アーナンドの純潔な理想主義的の資質を良くあらわしているとともに、ガンガ・ダシの大胆な愛欲の権謀術数との際立つ対照をつくっている。

   ヴィックは、恋する王だ。藩王は、恋し、子供を拵えてゆく。彼ら子供らは、権力をめぐる争いのなかで謀殺されもする。だから、子供の数は多いほうが良く、そのなかで傑出した者が、サヴァイヴァルしえた者が次の権力を継承する。そういう王の役割・働きをヴィックは遂行しているのであり、その意味を侍医のハリーは理解している。ヴィックにおいては、外敵との闘いは、虎がりに後退している分(虎の出没にも、この王は鋭く反応しない)子孫をふやしていく働き(一種の生産行為)において熱心である。そして、また人々を喜ばせるために、踊る。人々と王国の豊饒なる繁栄を祈り、王は踊る。恋をし、踊る王が、闘うことなく(あるいは闘いに疲れ)、壊れてゆく。・・・侍医ハリーは、この王ヴィックを、インドと西欧の悪しき結合だと嘆息する。

   インド連合の封土返上の圧力はますますその強度をまし、また、農民運動が猖獗をきわめてゆくとき、愛妾ガンガ・ダシが、第三婦人ティクヤリ・ラニの弟と駆け落ちする。藩王は、愛妾ガンガ・ダシの情夫を殺害するよう刺客を送る。藩王の行動は、ここでは例外的に機敏で残忍である。・・・何が、藩王を狂気においこんだのだろう。時代の変化、封土・資産を失うかも知れない未来の不安なのだろうか。アーナンドは、藩王の愛妾ガンガ・ダシの逃走をより重視しているように見える。藩王ヴィックは、静養をかねて訪れたロンドンで花屋の娘ジェーンに惚れこむが、彼女は、ガンガ・ダシの不在を埋め合わせない。ヴィックは、ロンドンでも、恋する王であり続けるが、愛妾を失った失意の王でもあるのだ。
 
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ムルク・ラージ・アーナンド
1905年ペシャワールに生まれる
パンジャブ大学卒業後渡英 1929年哲学博士号取得
この頃よりT. S. エリオット主幹の“クライテリオン”に書きだす
『不可触民バグハの一日』(山際素男訳、三一書房、原著1935年刊)と
『苦力』Coolie(1939)によって 作家として認められる
2004年98歳でプネーで亡くなる

    初めの問いにふたたび戻りたい。つまり、アーナンドは愚かな藩王を、なぜ批判的にではなく、あるがままに受け入れるように書いたのだろうか、と。アーナンドは、この小説のモティーフを、pity(同情、憐憫)なのだと、それ以上でも以下でもない、とインタビューで答えている(前書きによる)。藩王は軽蔑の対象であるよりは憐みの対象であると、アーナンドは語る。しかし、pity(同情、憐憫)とは、なんと空虚なもの言いであろう。pity(同情、憐憫)という言葉は、アーナンドと藩王との関係を、発展させることも深化させることもない。つまり、愚かで哀れな藩王を書くアーナンドの本当の理由が僕には分からなくなる。

    さらに続けてアーナンドは、藩王の存在自体が、カーストを外れた不可触民なのであるとさえ言う(同じく前書きに紹介されているインタビューよる)。しかし、繰り返しになるけれども、不可触民バグハについては、アーナンドは、その小説の主人公にのり移って(もっと言えば憑依して)、語った。アーナンドは、情熱的に、怒りを抑えながら、時には一体となって差別と屈辱と尊厳の一日を不可触民バグハに語らせた。しかし、この小説では、藩王もまたアウト・カーストの不可触民なのだと言いつつ、藩王の内面の思いや苦悩や欲望を、藩王にのりうつってアーナンドが語ることはない。隔たりを置いて俯瞰するように、アーナンドは藩王ヴィックを描く。「誰ひとり信用できない、皆が自分から奪いとろうとしている」という藩王の言葉は、藩王の直接的な言表でありアーナンドの解釈を含まない。

    虐げられた人々へのアーナンドの人道主義は、分かりやすい。不可触民バグハに対するアーナンドの人道主義は、自然であり、自らの体験に裏打ちされた必然性をもつ。しかし、アーナンドの藩王ヴィックにたいする関係は、それほど分明ではない。アーナンドの理性による批評意識は退き、あるがままの藩王の姿を、無条件に受け入れ描く。藩王ヴィックは、アーナンドには手の届かないところに立っている。藩王ヴィックはカーストを外れた不可触民である、とアーナンドが言うとき、人道主義の理念が先行し、藩王ヴィックは不可触民であるがゆえに、また同じ人間なのであるという論理に行き着く。小説は、際立つ現象を追うものである特権を放棄し、理念が、小説を、ヴィックの受動的な描出を支配する。アーナンドは、藩王ヴィックをアウト・カーストの不可触民だなどとは規定せず、より興味本位で藩王ヴィックを書くべきだったのか、いや、それもまた情意のテクストを作りあげるだけだろう。

    しかし、また、こうも考えられる。
藩王ヴィックと侍医のハリーとの関係は、あるいはアーナンドとの関係は、その分かり難いところが、逆に、この小説の謎めいた魅力、深さ、幅の広さであるかも知れない、と。『インド藩王の私的生活』は、不可触民の藩王ヴィックについての人道主義的な回答を用意するよりも、人道主義の謎を深化させた小説だとも言えるのだ。アーナンドの人道主義、社会的弱者への注視と思いは、単純な要約を退ける。抽象的理念化の道をとらず現象と細部の周辺にただよう輝きを大切に留保する。

    あるいはまた、こうも考えられる(夢想される)。
諸藩王によるインドのあり様(近代の帝国主義によって延命された中世的残滓であるとはいえ)が終焉しようとしている。その美質も、失われようとしている(西欧型近代に突き進んでゆくことだけが、インドの進むべき道なのか)。そうでなければ、愚かで好色な藩王に、アーナンドがここまでこだわる理由が見つからない。大きな愚かさが消えてゆく。好色な魂のシンボリカルな扼殺。理性による官僚主義が人々を幸福にするのか。平等の価値とは何なのか。社会の階層秩序は、どんな原理・理念によって正当化されうるのか。それら人間社会の一切の崇高と汚辱を、藩王は体現し、飲み込み、狂気と化す。

   ムルク・ラージ・アーナンドは、シムラの小藩王国でRana of Bhajiの住みこみ家庭教師を二夏務めた。藩王の秘書を通じて、その藩王国の宮廷事情を詳しく知る。『インド藩王の私的生活』は、それらの伝聞を主に、またアーナンドの実際の経験による想像を交えた小説なのだ。

51.ムルク・ラージ・アーナンド『苦力』Mulk Raj Anand, Coolie, published by Penguin Books India 1993, first published in UK 1939.

MRA+BOOK_BBB.jpg ムルク・ラージ・アーナンドの『苦力』は
悲惨な出来事を積み上げるだけの小説ではない
その重苦しいタイトルからは想像できない
爽やかで強く それでいて感傷的な印象を
残す作品だ

両親を相次いで失ったムノーは
パンジャーブからボンベイへ
さらにヒマラヤのふもとシムラへ
苦力となって つまりより良い食い扶持
をもとめて旅をつづける

アーナンドが書く苦力が独特なのは
観察する眼とそれを言葉にする力を
持つ点だ 僕にはそこに
苦力の生活のあり様というよりも
異郷を旅し続ける作家自身の流離の
感覚と経験が重なって見えた

人間の良心を誠実に問いかけるアーナンドは
いささか古風であっても
決して朽ちることのない
大きく豊かな心を 読者に
プレセントしてくれる


   またしても、重苦しいタイトルの小説である。誰も毎日、それほど楽しいことばかりではないからせめて想像の世界に遊ぶときは、もう少し楽しく華やかにやりたいものだ、と思うだろう。しかし、アーナンドが書くのは、悲惨なできごとを積み重ねるだけのような小説ではない。何というのだろう、僕らが怖れて遠ざけてしまう世界を描きながらも、いつも爽やかで強い魂がアーナンドにはある。問題はヒューマニティーなのだ。僕は、アーナンドの小説から、人生に対する恐怖ではなく、爽やかな勇気を感じる。

    この小説における苦力は、先祖から幾世代にもひきつがれた苦力ではない。農民の一人息子が、両親の相次ぐ死と、5エーカーの土地を騙しとられた結果なのだ。つまり、社会的な援助を必要とする者が、不幸な出来事と世間の狡知によって、生活の場を奪われ苦力へと転落してゆく。

   叔父が仕事を世話する。小説の主人公ムノーは、馴れない屋敷での下僕の仕事に馴染めず放浪を開始するのだ。ムノーはとりあえず食っていける安定よりも自由を求める。アーナンドの苦力は、世間の狡知への無防備と自由への希求を現している。

   ムノーは、苦力となって放浪する。パンジャーブの田舎から、叔父について歩いてドーラトプールへ、無銭乗車でボンベイへ、さらに有閑マダム(ユーラシアンというのだろうか、インド人と白色人種の混血)にひろわれてシムラへ。
   ムノーは、より良い働きぶちを求めて移動するのだけれども、移動とともにさまざまなことを発見する。初めて自動車を街で見た驚きから、労働組合というものの存在までそれは多技にわたる。それは生きてゆく知恵の獲得でもある。この世には自分を助けてくれる優しく親切な人と、自分を足蹴にする人とがいるのだ、と繰り返しムノーは自らに語りかける。ムノーを助けてくれるのは、苦力仲間というグループでもないし、組合でもない。クノーを助けてくれるのは、グループや階層としてあるのではなく、屋敷に同居する医者の倅であったり、小さな工房の事業主であったり、像使いという個人なのだ。

   ムノーは、苦力となって夜の寝床を確保するために夜のボンベイを彷徨う。その記述は、僕には面白かったが、作家アーナンドが取材、あるいは勉強して得た苦力についての生態を書いているように思える。ところで、アーナンドが描く苦力ムノーは、ごく普通の苦力とは違っているように僕には見える。移動とともに外部の世界を観察し、それを言葉に表現するからだ。ムノーは小学校に通っていたことがあり読み書きができ、周囲の者が認めるようにある種聡明な雰囲気をもっていて、まるでアーナンドという作家自身がムノーという苦力に乗り移って生きているように思えるのだ。

   ムルク・ラージ・アーナンドの苦力ムノーは、社会科学の調査対象のような苦力ではない。作家の歴然たる創造物なのだ。作家はその創造物のなかで生きなおす。あるいは、ムノーという苦力の装いをまとい、苦力の生きる世界を旅する。アーナンドという作家は、自分の書く小説の主人公の苦力に憑依して物語を構築してしまう。

   それは、アーナンドという作家の倫理的な姿勢を強く主張しているように思える。虐げられた者を他者として突き放す、あるいは賢い距離をとるのではなく、限りなく自己を重ね合わせて考える。僕には、信じがたい事態、あるいは危険な行為に思えるのだが、アーナンドという作家はそういうリスクを引き受けられる作家なのだ。

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ムルク・ラージ・アーナンド
1905-2004、ペシャワールに生まれプネーで死去
Untouchable (1935) 『不可触民バグハの一日』(山際素男訳、三一書房)が、翻訳で読めるアーナンドの唯一の本か。時々古本屋で見る。

   反ファシズムで結束する三十年代の理想主義、ソヴィエト・ロシアに対する無垢な信仰、リベラルナな知識人との交流のなかで(と僕は想像する)、ムルク・ラージ・アーナンドは、極めて人道主義的な、博愛主義の立場を、この小説でも貫く。しかし、この小説はプロパガンダではない。深い文学的感興をもつ。それは、人々の信仰、神々を、また人間の死をまるで料理における隠し味のように、ごく控えめに、しかし、絶妙のタイミングで配置しているからだろう。宗教と死について叙述が、この小説を厚みあるものにしている。
   ムノーは、死んだほうがましだ、としばしば考える。人間以下の生存を強いられて苦しいだけの苦力でいるよりも「死にたい」、と。死への誘惑がムノーをたびたび襲う。ムノーにとって理解できないのは、むしろ厳しい生活を送る多くの苦力が必死になって、あるいは運命としてたんたんと生きようとしていることなのだ。
   ムルク・ラージ・アーナンドの小説を読むと愚直なまでの正義とリアルな真実に出会うのだけれども、この『苦力』という小説は、その正義と良心が決定的な敗北に帰するような結末に心打たれる。ムノーの敗北は、神々へ近づく道なのか、と思ってしまうのだ。

   最後にひとつ疑問に思ったことを書いておこう。というのは、小説のいくつかの場面で、クノーがhill’s people(「山の民」か)と言われていることだ。それは、インドにおける少数部族、アーディバーシー問題を取り上げていることになるのだろうか。インドの人達ならば迷うことなく即座に判断できることなのだろうが、僕には分からない。もし、そうなら作家は、この小説においてインド社会の二つの底辺に思いをいたしていることになる。

43.ムルク・ラージ・アーナンド『黒い海と泥水を超えて』Mulk Raj Anand, Across The Black Waters, published in 2008 by 0rient Paperbacks India, first published in 1939.

Anand+003bbb.jpgアーナンドのもうひとつの代表作
『黒い海と泥水を超えて』は
パンジャーブの農家の倅が
一兵卒として第一次世界大戦中の
西部戦線におもむき
少しの交戦・戦闘の背後に繰り広げられる
戦争という途方もない浪費と
たくさんの不条理を描いていく
前線までの長い移動と
異文化フランスの発見
そしてフランス人農家とのささやかな交流が
読者を語りのなかに引き込む
故郷を離れてゆく人々の大量移動と
大規模戦争という
二十世紀の最大特長を描きながら
この文明社会は名もない人々を
どこに連れてゆこうとしているかを
作家は問いかけている


   『黒い海と泥水を超えて』(初版1939年)は、『不可触民』Untouchable, 1935とならんでアーナンドの代表作のようだ。短い但し書によると、この本は1937年のバルセロナで書き始めた、とある。スペイン市民戦争のなかで、あるいは前線にかなり近い場所で書き始められたのだ。『不可触民』と同様、戦争の現実に実際にかかわりながら、第一次世界大戦におけるインド兵の欧州派兵・参戦を一兵士の視点で描いている。いろいろな問題はあるにしても(とくに一兵士にここまで分析的、客観的な語りが可能なのだろうか)、大問題をまっすぐに受け止めた、読んでいて面白く、たいへんに立派な小説であると思った。

   タイトルのBlack Watersは、ふたつの黒い水を指している。一つはインドからマルセイユへの大海である。海を超えることは、伝統的なヒンドゥーの観念からするとタブーのはずだ。父親が生きていれば、海を越えたインド人の運命は破滅だ、と言ったはずだと主人公は考える。もうひとつの黒い水は、塹壕にたまった泥水だ。それは、第一次世界大戦における西部戦線の闘いを示している。この小説は、タイトルが言うように、ひとりのインド人(ここも実はややこしくてシーク出身を偽り-髪を切る-グルカとして兵士登録している)が海を超えて戦争にとらわれてゆく経験についての小説なのだ。

   ムルク・ラージ・アーナンドが、ロンドンでブルームズベリーグループと交流のあったことは有名だ。アーナンドがブルームズベリーグループの人々とどんな対話をもったのだろう。ところで、この本を読むと、アーナンドの知性のあり様が伝わってくる。つまり『黒い海と泥水を超えて』がありきたりの戦争の悲惨を描くような小説ではなく、主人公のラールは前線につくまでに、あるいは戦闘以外の場面で実の多くのことを感じ考え体験するからだ。僕の考えでは、ほんのちょっとの戦闘場面と、その他途轍もない浪費と迷走、不信と背信こそが戦争の実態に近い、とこの本を読んであらためて感じた。

   戦争は、ひとつの交通形態だ、と言ったのはマルクスだっただろうか。主人公のラールは、戦争によって旅をする。ラールは回想する。パンジャーブの小作農家の倅に生まれ、村を逃げ出し軍隊に入ったのだ。そして、今闘うためにここにやってきた。外の世界で職を得た小作農の二男、三男にとって故郷とは、親の地代のいくばくかを送金しつづける関係でしかなくなる、と。パンジャーブの故郷から遠く離れてマルセイユに到着したとき、ラールの眼にうつる秋の地中海は何とも暗澹たるものだった。
 
   ラールの旅は続く。フランス市民のインド部隊到着の歓迎ムードのなかで彼はいろいろなことに出会い発見してゆく。フランス人の男と女は、道端で抱き合い、接吻を交わしている。パンジャーブでは頬や額にしかキスしないのに、フランス人は口と口でキスをする。アフリカ人部隊の兵士が、フランス人の女と言葉をかわしても、フランス人将校は意に介さない。総じて、インドを植民地化している英国人とフランス人との相違の発見が、ラールを興奮させる。他方、これから自分たちは見知らぬ土地で何をしようとしているのか、どこへ行こうとしているのかまるで分からない不安を感じる。ラールはフランスの地図を買い求めようとするが、地図をフランス語で何と言うのか分からない、と購入を諦める。彼の混乱した思考を落ち着かせてくれるのは、運命と前世の報いという伝統的なヒンドゥーの教えなのだ。

   マルセイユからオルレアンへ、そしてカレーへ、旅はさらに続く。戦場は遠く、列車による長い退屈な移動が、これもまた一つの戦争の現実であるのかと思わせる。ラールのなかでフランスの寒さと雨に、パンジャーブの冬が重なる。自分は見知らぬ土地で、何も分からず何をしようとしているのか、と反芻するのだ。国家の大義と(インド人部隊の欧州参戦は、インド人の自治権拡大につながるのだと多くの人が信じていた)、個人がその渦のなかに巻き込まれつつあるとき、どんな葛藤が生じるのかを描いている。

   戦場に近くにいまだ避難せずにいるフランス人の農家がある。ラールがそこの娘に優しい言葉をかけたことから始まる家族との交流は、移動と戦闘とのあいだの間奏曲、というのか移動と戦闘とは別のトーンをもっている。注意して読んだのだがちょっと分かりづらい。その難解さは、言葉が通じないパントマイム劇である以上に、ある種の人間愛を、描いているからだろう。人間愛を描こうとするところが、ムルク・ラージ・アーナンドのもっともヴァルネラブルなところだと、僕は思う。しかし、アーナンドの人間愛を何故か僕は批判したくない。

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ムルク・ラージ・アーナンド
1905年ペシャワールに生まれる
2004年プネーで没、98歳
アムリツァルとケンブリッジで高等教育をうける
ブルームズベリーグループと交流を持つ
スペイン市民戦争に報道員として参戦
ピカソとも交流がありピカソはアーナンドを描いた
1946年故国インドに戻る

   インドの人々は、この小説を読むことは身に詰まされ思いがするのだろう。何もわからず、何の関係もない欧州で、何の怨みもないドイツ人相手になぜ死闘を繰り広げなければならなかったのか。そして多くの同胞が傷つき死んでいった代償は何だったのか、と。
   では僕はこの小説から何を感じたのか。それは僕らの人生にしてもラールの人生とどこが違うのか、という気もしてくるのだ。つまり、何も分からず行き先の分からない列車に乗り込み、気が付けば泥水の塹壕のなかで僕らはのたうちまわっているのではないか。そこに人間の威厳といえるものが本当にあるのか。戦争によって明らかになった二十世紀における非人間化と、末期症状を呈する資本主義社会(虚構のニーズに踊る消費―生産諸関係を特長とする)のなかで、人間の尊厳はますます狭められている、と。

14.ムルク・ラージ・アーナンド『不可触民』、Mulk Raj Anand, Untouchable, London 1940, Penguin Books, First published in the UK 1935.

『不可触民』の語り手は一体誰なのかという疑問を感じる
ムルク・ラージ・アーナンドの捉える
生活の細部は素晴らしいけれども
それは主人公バカーの口からでる言葉ではないからだ
寒さに震える夜明けに始まり
輝く朝、そして暑い一日のなかに入っていき
パンジャーブのハリジャンのコロニー、駐屯地の街、路地、丘をめぐり
ガンジーが街にやってきて
議論のなかで長い一日を終える


   昨年(2011年)マイソール近郊の遺跡観光をしているとき、ローカルバスの乗換え駅ではっとするような美しい乞食を見た。褐色の肌をしたその若い乞食は、ひどくエキゾチックな顔立ちをしていた。僕から金をせびれると思ったのだろう。激しくバスの窓を打ってきた。・・・その乞食の娘が、ハリジャンなのかそうではないのか僕には分からないけれども、1僕にとってショックだったのは、その乞食がかなり魅惑的に思えたことなのだ。インドの乞食、あるいはハリジャンは、幾世代もの抑圧と貧困によって、すなわち重労働・栄養失調・劣悪な住居によって正常な生育を妨げられ、いびつな容貌、委縮した容姿に変形させられているのではないか、といったような思い込みが実は僕にはあったのだ。必ずしもそうでないことを体験的に知った。非常に魅惑的な容姿をしたものも少なくないのだ。

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▲ペンギン・クラシック版の表紙
足下の箒とかごは、この男が清掃カーストに属していることを示している。このようなあからさまな注釈は、西洋絵画におけるイコノロジーの文化・手法を思い起こさせられる。この男は、かなりハンサムだ。頑丈そうな体躯をしている。しかし、鼻の下のちょび髭は、上位カーストによる下位カーストへの抑圧を表してはいまいか。


   そんなことを思い出したのも、この小説『不可触民』には、ヒンドゥ寺院の僧侶が、不可触民の娘(小説の主人公バカーの妹ソーヒニ)をたぶらかそうとするくだりがあるからだ。・・・僧侶は、共同井戸に水汲みにきた美しい娘に眼をつけ親切を装いながら「寺院の掃除に来なさい」と誘う。そして、誘惑が発覚しそうになると「穢れてしまう、穢れてしまう」と大声で叫び騒ぐのだ。娘を誘惑するエピソードを、僕は単なる反ブラフィイズムのプロパカンダとは思えない。バス停でみたあの魅惑的な乞食を思い出すと、なお一層ありうることだと僕は思う。2

   ところでU. R. アナンタムールティの小説『サムスカーラ(葬儀)』(U. R. Anantha Murthy, Samskara, 1976)においても、敬虔なアーチャリヤ(導師)と破戒ブラフマンの不可触民の情婦との交情が妖艶に描かれていた。カーストの閾を超えた不可触民の女との魅惑に充ちた交情は、インドの現代小説における一つの重要なテーマに思えてならない。そのような例を、これからもインドの小説を読んでいくと出てくるような予感がする。

   しかし、この小説『不可触民』において、非常に気になったのは、次のような展開なのだ。自分の妹が寺院付きの僧侶にたぶらかされそうになったのを知った主人公バカーは、怒り復讐の言葉を口にし、-そこまではいい-そのあと自分の妹がもっと醜ければどんなに良かっただろう、と考えるのだ。自分の妹が美しいことに誇らしく思いつつも、世界一の醜女であってくれればブラフマンにてごめにされることはないのだ、と。バカーの思いは、純情で人間としての尊厳、思いやりに溢れているけれども、美がもつ悪しき魅惑についてイノセントに過ぎやしまいか。バカーの怒りは、正義であっても表面的で単純だ。ムルク・ラージ・アーナンドは、少なくともこの小説について言えば、社会正義の観念を強くもった作家なのだ、と言い切れる。

   この小説は、不可触民が強いられている人間以下の悲惨を、「これでもか、これでもか」と繰り返すような小説ではない。そういう差別の現実を、主人公のバカーは、この日しこたま経験するけれども、この小説の主調音は、むしろ不可触民の側の人間的尊厳・思いやり・連帯にあるのだ。とりわけ、若い不可触民たちが、インド人連隊の居留地の子供たちとホッケーの試合をするくだりは、読んでいて爽やかだ。また、その時、怪我した少年を家まで送りとどけるバカーの行動もまっとうである。上位カーストの少年の母親に侮辱されることになるが、主人公バカーの思いと行動は正しく、卑屈なものがない。一度盗みの誘惑にかれるところは、僕には微笑ましく読めたし、親友からもらったホッケーのスティックを家に持ち帰れないで藪のなかに隠すところは、僕にも似たような経験があったことを思いださせてくれた。

   この小説の語り手は、誰だろう。主役は、不可触民のバカーだが、彼の思いは、この小説の語り手によって表現される。バカーは、どういう言葉をもっているのだろうか。この小説は、不可触民の生活を生き生きとした細部によって描写しているけれども、それはバカーの口からでる言葉ではなく語り手の言葉だ。バカーの内面の動き、心情についても語り手が説明していくわけだが、それもバカーの言葉ではない。腹の減ったバカーは、「おなかのなかをネズミが駆けまわっているみたいだ」と空腹を表現する。それは、なにかバカーの言葉にすごく近いものを感じる。しかし、パンジャーブの自然の美しさを表現する段になると、語り手は、バカーが、それらの美しい花の名前を知らないのだ、と注釈する。・・・語り手の言葉があるときは、バカーの思いを侵食し、また、ある時は、バカーの言葉が、語り手の表現に加勢する。

   小説の終わりの方で、ガンジーが街にやってきて演説をする。ガンジーは、スワラージ(自治権獲得)よりは、ハリジャンの地位向上について語っているようだ。バカーは、ガンジーに、もっと分かる話をしてもらいたい、と思う。そんなところで会議派のシンパや詩人らによる議論が始まる。それをバカーがよこの方で聞いている。インテリの詩人は、水洗便所になればハリジャンは汚物を処理の仕事から、つまり穢れた仕事から解放されるはずだ、いう。・・・この箇所を問題視して多くの人が取り上げているようだが、僕にはどうでもよい挿話に思えた。アーナンドも真剣にその機械文明の導入を願っているようには読めない。なぜなら会議派のシンパが、ガンジーのチャルカ(糸ひき車)の運動を、国際競争のなかでなぜチャルカに拘るのか、まったくナンセンスであると極めてバランスのとれた発言をしているからだ。おっちょこちょいなインテリの思いつきをむしろあてこすっているのではないか。

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▲ムルク・ラージ・アーナンド
1905年ペシャワール生まれ、2004年プーネーで没(98歳)
ケンブリッジ大学で学び、その間ブルームズベリグループと交流
スペイン市民戦争にも後方支援員として参戦
インド独立後、故国へ戻る


   この小説におけるムルク・ラージ・アーナンドは、社会正義の信念をもった作家だ。しかし、小説における不可触民たちの姿・生活は、観念的な図式からは遠く、具体的で細部が生き生きと輝いている。読者を飽きさせない物語がもつスリルとともにパンジャーブの明るく爽やかな空気を想像してみたくなるのだ。さらに、語り手は、ときに不可触民のバカーの思い・意識を侵犯しながらもアーナンドの滑らかで繊細な知性を伝えている。・・・E. M. フォスターは、この小説の前書で、不可触民とよく遊んだアーナンドの少年期の体験に触れている。それは、この小説の真の豊かさ、不可触民にたいする暖かい思いの由来を語っているように思える。また、そのことはアーナンドには不可触民についての小説を書く理由があったのだ、ということでもあるのだろう。


  1. あまり良く考えているわけではないけれども、不可触民と乞食はかなりの部分で重なりあうのだと思っていたが、乞食のすべてが不可触民ではないと思っていた。たまたま『南アジアを知る事典』(平凡社、1992年)を見ていたら、「こじき|乞食」というコンパクトに纏められた項目があって興味深く読んだ。1971年の国勢調査によるとインドの乞食人口は75万人で(案外少ない、0.1%を切る?)、・・・というようなことが書かれていて、乞食のカースト構成についてはきわめて多様であり「バラモンから不可触民まであらゆるカーストが見られる」「ヒンドゥー教寺院の門前の乞食のなかにムスリムが混じっていた例も報告されている」ということのようだ。
  2. もともとハリジャンという呼称自体が、寺院に住む僧侶と不可触民との間に生まれた子供の呼称であって、ガンジーが不可触民一般をハリジャンと呼ぶのは、かなり問題含みだということを、何かで読んだ記憶がある。そういう問題があるということと、僧侶と不可触民(その場合、寺院付きのダンサーなどに限定されるのか)との交情・出産がハリジャンという言葉を生むほど、伝統的でごく一般的であったとするなら、実に驚愕すべきことだと思う。

テーマ : 洋書
ジャンル : 本・雑誌

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August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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