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34.マイケル・オンダーチェ『ディビザデロ通り』(村松潔訳新潮社、原著2007年刊)

期待して読んだ『ディビザデロ通り』は
面白い小説であっても深い感動とは無縁だった
体裁の良い役者たちと
過去の傷への思わせぶりなこだわりは
良質な文体と趣味のよい小道具によって
守られているとはいえ時々鼻白んだ
小説後半におけるエクリチュールへの埋没は
物語の解消へと向かう
読者はいささか退屈な過去への遡及において
考えることをふたたび始めるのかも知れない


    ブレヒトが言った異化効果という言葉を思い出す。面白すぎる小説は、読者から考える機会を奪ってしまう。最悪の場合、小説は完全な暇つぶしとなってしまう。暇は、暇でいるほうが良い。小説においてより貴重なのは、思考・想像力・理性に訴える余韻だ。この小説の前半部は、そういう機会を読者に与えない。

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    この小説の登場人物の誰もが、自分の無能力を認めない。すべての登場人物がスーパーマンのように見える。信じられないことをつぎつぎに起こす。娘アンナとクープのセックスの場面を目撃した父親はクープを殺そうとする。それは、事のなりゆきではなく願望を狂気として描いているようなのだ。娘のアンナがフランスのトゥールーズに渡ってその土地の知られざる作家を研究するのは、できの悪いおとぎ話だ。

    学校や生活がどなっているのか分からない。食べてゆくことはこの小説の登場人物にとってささいな問題なのか。オンダーチェにとって、愛を破壊した癒しがたい過去の傷だけが重要なのだ。しかし、それは小説の主題というよりは精神病治療の対象ではないか。

    『ディビザデロ通り』は、生活のない小説だ。他方、クープとアンナはすぐにセックスする。それは、とても今風だ。過程も手続きも理由も必要ない。ドラッグもギャンブルも同様背景ぬきですでに始まっていて、読者は唐突にそういう場面に投げ込まれる。

   この小説にはユーモアがない。恋人はクープに『ソフィーの選択』の作者の言葉を語りかける。「私はすでに心の奥底にある問題について最高の作品を書いてしまった。これからはコメディを書いていくしかない」と、その作者はラジオで語っていたのだ。恋人のルースはその後、作者のすべての本をよんだけれども、もちろん喜劇ではなかった、と言う。このエピソードはオンダーチェのユーモアには思えない。

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マイケル・オンダーチェ、1943年スリランカに生まれる
1992年『イギリス人の患者』でブッカー賞をうける
Ondaatjeのtjeをチェと発音させるのがオランダ式であるらしい

    クープは、二人の姉妹の名前を馬が暴れる場面と記憶を失ってから取り違える。クープはクレアをアンナと間違って呼ぶ。ゴートラスカラナは、サンスクリット詩学の用語で恋人の名前を呼び違える手法をさすのだとオンダーチェは説明している。間違ってはならないものを間違って呼ぶ手法を僕は面白いとおもうけれども、作家と南アジアを結びつけるものはこのゴートラスカラナ以外はほとんど見当たらない。

    マイケル・オンダーチェのこの小説は、僕が好きな小説とは違う。才気煥発なハムレットが、頭がおかしくなった道化を演じることで真実の姿を明かし、悲劇を完成させるように、オンダーチェの小説の主役達も、もうすこし愚かに振舞えることができたら、もっと小説は面白く展開したのだと思う。・・・クープは、農場を出奔したあと腕利きのギャンブラーになる。クールで虚無的で過去に何かを隠しもっている謎めいた人物は、毎朝ジョッギングを欠かさない完ぺきな詐欺師であり、仲間の詐欺師さえも騙すことができる。クープは二度の過失によって恋人と記憶を失う。しかし、それは愚かさというより遥かに硬く、運命的なものを暗示している。

テーマ : 本の紹介
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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