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25.アンジャリ・ジョセフ『サラスワッティ・パーク』Anjali Joseph, Saraswati Park, Noida India 2010, Harper Collins and The India Today Group.

ボンベイの
さまざまな光が、雨の匂いが、小鳥のさえずりが、
季節が、みずみずしく描かれてゆく
ありふれた時間の流れのなかで
アシシはいくつかの同性への愛と
別離の痛みを経験する
存在の希薄な感覚を補うものは何なのか
少年から青年へ、アシシの青春彷徨は、
もうひとつの世界・アメリカが
アシシにどんな未来を約束しているのか分からないまま
新しい旅立ちへと続いていく


  誰かに聞いたのか、何かで読んだのか、あるいは何かの思い違いかハッキリしないのだけれども、インドでは同性愛が現在でも違法で刑事罰の対象である、筈だ。その法律がどこまで厳格に運用されているのか僕は知らないけれども(おそらく有名無実化しているのだろう)、それは古い英国植民地法の残滓のようでもあり、今も生産しているという自家用車アンバサダーと同じように、インドでは目がくらむような古びたものが、グローバル経済の下でもときどき顔を出すのでびっくりする。しかし、この小説を読んでいくと、例えば主役のアシシが、同性愛者カップルの遺産相続に関する裁判所判決の新聞記事について、おじの法律家にいたずらっぽく尋ねるシーンがあるように、同性愛をめぐるインドにおける状況は、古い植民地法の域を遥かに超えて、アメリカにおけるのと同じように同性愛者の権利問題を引き起こすところまで来ているのだな、と認識を新たにするのだ。
 
saraswat park 

   モハンは甥っ子のアシシ少年を引きとりしばらくの間、面倒を見ることになる。
  そして、小説は、モハン少年の青春彷徨を綴っている。
ところで、アシシにとってはおじのモハンの生業はというと、手紙の代書屋だ。中央郵便局(GPO)のすぐ眼の前のバーニアン樹の下で、鳩が群れ集う場所の隣に、何人かの同業者と机を並べ開業している。字が書けない人々のための手紙やら書類やらを僅かの手間賃で書いてあげるのだ。つまり、パスポートの申請書や英語を理解できないものへのヒンドゥー語の手紙(依頼者は、英語の読み書き、ヒンドゥー語を理解できるが、ヒンドゥー語を書けない)を作成する。
  インドを訪ねたことのある人ならみんな知っているようにそれはインドのどの街でも目にする戸外での散髪屋・テーラー等々と同類の生業だ。それらの戸外でのサービス業は、インドの細民にとってもさまざまな記憶と結びついた愛着深いものなのだろうし、インドの街を彩る風物でもある。
  僕のような日本人にとっては、戸外で営まれている代書屋がいかにもインド的で、しがない代書屋がいかにインドにおける変化の時代を生き延びていくのか、楽しみに読み進んでいくと、どうもこの代書屋は、僕が思い描くような代書屋ではないのが分かってくる。
  モハンは、代書屋であってもボンベイ郊外の、つまりサラスワティ・パークというところの、日本風にいうならマンションに住み、毎日電車にのってGPOまでやってくる。仕事がはねた帰り道、屋台の古本屋で好みの本を物色するのを楽しみにしているような人物なのだ。代書屋をやって家族を養っていけ、さらに好きな古本に耽溺していられるとすれば、それはストレスのない何とも優雅な生活に思えてくる。インドでは代書屋がそんなに儲かるのかと不思議に思っていると、モハンは弟の経営する印刷会社から収入を得ていることがわかる。携帯電話が普及し代書屋のニーズが激減してしまったインドで、またアメックスやマクドナルドといった看板が目につく今のボンベイにおいて、モハンは絶滅危惧種と化した代書屋を営む風変わりな人物なのだ。モハンはごく限られた人にしか会わず、ごく限られた楽しみ(モハンはテレビもあまり見ず、時間があると好きな本を愛でている)にしか目をむけない。

  若い女流作家が描くホモセクシュアルは、柔らかく控えめである。「接吻のあとジッパーに手が届き・・・」、というような書き方で終わる。アシシの同性愛体験が、インドの今にとって何を意味しているのか僕には分からないけれども(たとえば、すぐ思いつくことは、インド社会における家父長的なもの後退と伝統的女性像の変質)、ひとつ特長的なことをいうと、恋する同性への出会いによってアシシの世界がより広い、あるいは自分の知らなかった知的な世界への扉が開かれてゆくことなのだ。
  自殺したオジのメモをヒントに、アシシは大学の先生であるナーラーヤンを訪ねる。アシシのいたずらっぽい勇敢さと冒険心が僕には楽しかった。家庭教師という名目で二人の交流が始まる。ナーラーヤン教授は学業のことではなく「君は映画が好きか」という問いを繰り返しアシシに発する。ナーラーヤン教授にとっての映画とは、アシシの知っているボリウッド映画ではなく、ゴダールやトリュフォーなのだ。そして、ゴダールこそが正真正銘の天才なのだ、と呟くように言う。アシシは、二十も歳の離れたそんなナーラーヤンに恋をするのだ。

   今の南アジアの小説は、空港での別離をさまざまな仕方で表情豊かに描いているけれども、アシシもアメリカに旅立つ空港の公衆電話から別れたナーラーヤンに電話をする。この電話をかけるシーンが僕は素晴らしいと思うけれども、その一本の電話はさまざまな問を読者に喚起するはずだ。つまり愛する者との別離とは何なのか、なぜ新しい世界へ旅立ってゆかなければならないのか、愛する先行世代のメーセージは何なのか、等々。

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アンジャリ・ジョセフ
1978年ボンベイに生まれる ケンブリッジ、トリニティカレッジに学ぶ
ソルボンヌ大学で教鞭をとるかたわら“タイムズ・オブ・インディア”紙等へ寄稿
“エル(ELLE)インディア”の編集委員を兼ねる
『サラスワッティ・パーク』は、A. ジョセフの処女長編小説


  モハンの代書屋稼業、おじサティシュの自殺、モハンの父の作家修業、ナーラーヤン教授の孤独な生活、等々この小説における登場人物の多くが、功利的な世俗世界からの逸脱を、あるいはヒンドゥー聖者の静への退出の願望を表現してはいないだろうか。それに対して主人公のアシシは世俗からの逸脱と静への退出の気分を理解するけれども、恋する冒険家であり新しい世界へ旅立ってゆく者なのだ。アシシは、先行世代をまるごと否定すのではなく、時として彼らに愛を届ける。アシシの先行世代に対する思いはアンビバレントな感じだ。しかし、アシシは海を渡ることを決断する。より広い世界に出ていこうとする。アシシを描く若い女流作家にあいまいなものはない。

テーマ : 文明・文化&思想
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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