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23.シャシー・タルール『暴動』、Shashi Tharoor, Riot, New Delhi 2003, Penguin Books India, First published in India 2001.

ウッタルプラデシュ州の地方都市ザリルガルで、
ヒンドゥー・モルリム間暴動のさなか、
24歳のアメリカ人女性プリシラ・ハートが殺害された
プリシラは、女性の地位向上・人権保護団体NGOヘルプ・アス
のボランテイアで数日後にはアメリカへ帰国するところだった
シャシー・タルールの『暴動』は、
そのような事件から始まる
しかし、この小説を読み進んでゆくと
これが暴動を扱った社会小説であるとともに
それよりも遥かに
小説世界の偉大な伝統を引き継ぐ
不倫小説なのだった
 

   『地球の歩き方・インド』のページをパラパラめくっていると、暴動に出会った時の心得のようなことが書いてある。なるほど、インドを旅していれば暴動に出くわすこともあるだろうな、と僕などは妙に感心してしまう。暴動は突如はじまらない、食料を買いだめしてホテルの部屋にこもっていろとか、暴れまわる人間の体力も一週間が限度であるからちょっとのあいだおとなしくしていろとか、トラブルを避ける注意が書いてある。僕は、幸いインドの旅で暴動の現場に出くわしたことはないけれども、『地球の歩き方』のそんな記事を読んでいると、インドにおける実際の暴動がどんなことなのか、興味が膨らんでゆく。

Riot表紙

  70年代のレゲー音楽にグレゴリー・アイザックスという歌手がいた。シングル盤を集めたLPレコードの一曲が僕は気にいっていた。その歌のタイトルを見て僕はすっかりびっくりしてしまった。なんと“暴動”(Riot)というタイトルなのだ。“暴動”というタイトルにもかかわらず、その歌は何とも艶(なまめ)かしくいやらしいのだ。全然激しいもの、というかロックのような絶叫がない。歌詞の内容は分からなかったけれども、甘美な経験としての暴動と性的な高揚感がまじりあっているような曲の印象だった。・・・その時思ったのは、暴動とは、地球上のある人々にとってはきっと甘美な経験なのだろうということだった。

  逆に、アキール・シャルマの小説『まごころの父』(Akhil Sharma、An Obedient Father, 2000)における暴動は、心底恐ろしかった。小説は、ラジーブ・ガンディーが南インドで暗殺され(1991年)、街に暴動が起きようとしているところを描いている。商店はシャッターを降し通りは静まりかえっているけれども、街のごろつきがシーク教徒の店を襲おうとして機を窺っている。日常の秩序の機能停止と生々しい暴力の突出に僕は恐怖に震える思いがした。
  クシュワント・シンは集団的な群衆の暴力の悲劇を繰り返し描いているし、パンカジ・ミシュラの最近読んだ本でも、「シークのクズドモを根絶やしにしてやる」と息巻く青年をミシュラは学生時代の思い出として回想していた。暴力への民衆的な興奮と陶酔、宗教対立、カースト対立がないまぜになって、時として暴動はおおきな惨劇をもたらすけれども、南アジアの多くの現代作家にとって、それはある種良心を痛める問題であり、インドの寛容の伝統はどこへ消え去ってしまったのか、という嘆きが聞こえてくる。

Riot Detail BBB
▲シャシー・タルール『暴動』の表紙写真 Shekhar Soni
この写真は、流血の暴動のあとを物語っているのか。
血液に見えるのは、ひょっとするとパーンを咬んだ唾液ではないか。


   シャシー・タルールの『暴動』(2001年刊)は、1989年10月1日、北インド、ウッタルプラデシュ州の地方都市ザリルガルで、ヒンドゥー・モルリム間暴動のさなか、暴徒が24歳のアメリカ人女性プリシラ・ハートを襲い殺害した、という事件をメインに据えている。プリシラは、NGOヘルプ・アス(女性の地位向上・人権保護団体)のボランテイアで数日後にはアメリカへ帰国するところだった。
  この小説は、かなり面白い小説で、だからここではあまり筋を追いたくない気がする。ただ、この小説は、暴動という事件を描く小説であるとともに、不倫小説なのだ、ということを言っておきたい。父親の不倫とプリシラの不倫は、まるで不倫の輪廻転生のさまであり、ビジネスマンの父親はインド人秘書との不倫に、理想主義的でフェミニズムに燃えるプリシラは妻子あるインド人高官との不倫にはまる。

  この小説で気にいってしまったのは、推理小説のようでもありながら、つまり、読者は誰がプリシラ・ハートを殺したのかを考えながら本を読み進むわけだが、真犯人が明かされることはない。暴動のさなかの偶発という線や人身御供の風説を持つ土地柄もふくめ多くの関係者がプリシラ殺害の動機をもっているように読めることなのだ。推理小説のように真犯人がわかりカタルシスを味わうことはできないが、謎のような人間存在のありようについては鋭くリアルであり、面白い小説をよんだなー、という気になってゆく。

  いくつもの謎のなかで、僕のひとつの推理を紹介しよう。殺害されたプリシラのアパートの部屋を母親のキャサリンが訪ねる。プリシラの遺品を母親が見ていると、そこに避妊用のピルとバイブレータを発見する。母親は、バイブレータについては軽く受け流し、ピルの方に注意を止め、娘に恋人がいたのかもしれないと直感する。そして、キャサリンは、娘が日記を書く習慣があったにも関わらず日記がないことを不審に思う。
  アメリカの娘がいかに性にたして進歩的であろうと、ヴォランティアでインドのスラムで活動するような娘が、バイブレータを持ち歩く、というのはありえそうもないことで、インド人作家の趣味の悪い冗談だと僕は初め思った。しかし、それは違うのだ。
  僕の推理はこうだ。この街の警察署長が、事件直後プリシラのアパートにガサ入れし日記を押収した。そこには、自分の僚友ラッキーとの不倫について記述があることをちゃんと知っていた。警察署長は、プリシラの遺族の訪問を予想し、日記のかわりにピルとバイブレータを置いておいた。ピルとバイブレータは、不倫についての暗示であるとともに警告でもあるのだ。騒ぎがおおきくなれば、娘さんを貶めることになるのだ、と。

Shashi Tharoor
▲シャシー・タルール
1960年ロンドンに生まれる インド帰国後タミルナドゥで教育を受ける
10歳でタルールの書いた物語が雑誌に掲載される
2007年の国連事務総長選出選挙で現バン・ギムンに敗れる
以降、タミルナドゥ選出国会議員(会議派)
マンモハン・シン首相のもと外務大臣を務める
 
 
   暴動についての記述がいい。ヒンドゥー教徒のプロセッション(インドでは、パレードやデモではなくプロセッションと言う)がどの街路・モスク・コミュニティを辿るのかといった当局との折衝があり、コミュニティの指導者間の調整、また騒ぎを挑発する者がいる。シークの警察署長は、「暑い9月に、騒ぎでうさをはらしたいと思っている3万人ものくそったれどもをどう取り締まれというのか」と嘆息する。暴動の背景をリアルに知ることができるのだ。小説は、マディアプラデシュ州における実際の暴動の公式報告書を下敷きに書かれているようだ。

   インド人とはいかなる人々でどういう考え方をするのか、アメリカ人とはいかなる人たちでどういう考え方をするのか、という問いが迫ってくるような小説だ。単純化は難しいとしても、豊かで自由な国アメリカの人々の度し難い率直さと、貧しく伝統に縛られた国インドの人々の屈折が際立って見えてくる。アメリカ東部のエスタブリッシュメントの娘とインドのIAS(インド行政職)のエリートの不倫における考え方、環境のギャップについてのやりとりがスリリングなのだ。ラクシュマンは、プリシラに初めての性体験のことを聞かれ、売春宿での惨めな体験を語る。プリシラは、なぜガールフレンドとセックスしなかったのか理解できないのだ。異なった文化を背負った二人の齟齬・軋轢についてのやり取りを描くくだりは、暴動や不倫や殺人のそれよりも深く真実の香りがする、と僕は思った。
プロフィール

August Party

Author:August Party
元気な南アジアの作家達をともに発掘してゆきましょう。気分でその他のジャンルも取りあげたい。
画、舟越直木作“微笑む少年”2009年

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